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PERFECT DAYS [映画]

▼映画「PERFECT DAYS」(監督:ヴィム・ヴェンダース)を観た。渋谷区内に点在する公衆トイレの清掃員として働く男・平山(役所広司)の生活を、ドキュメンタリー風に撮った映画である。
 早朝、まだ暗いうちに平山は、古いアパートの一室で目を覚ます。部屋は畳の間で、家具はほとんどなく、きちんと整理されている。平山は手早く布団を畳んで隅に置き、歯を磨き、仕事着に着替えて外に出る。自動販売機で缶コーヒーを買い、仕事道具を積んだ軽ワゴン車に乗り込み、今日はどのテープを聞こうかと少し考える。「朝日のあたる家」をセットし、聞きながら平山の車は首都高で渋谷に向かう。
 公衆トイレに到着すると、車から道具を取り出し、入り口に「清掃中」の掲示板を立て、一生懸命便器の掃除を始める。ときどき掲示を無視してトイレに入り、用を足す人間も現れるが、彼らにとって清掃作業員の存在はほとんど目に入らないらしい。平山も何も言わない。
 何箇所か清掃し、昼は神社の境内のベンチに座り、おにぎりを食べる。境内の樹々の葉のあいだから、木漏れ日が漏れている。平山は揺れる葉影を無言で見つめ、樹々を見上げ、そして古いフィルム式のカメラで写真に撮る。
 午後も何箇所か清掃し、まだ日の高いうちにアパートに戻る。アパートは「東京スカイツリー」が近くに見える墨田区押上にあり、平山は近くの銭湯が開くと同時に客となり、湯船に浸かって手足を伸ばす。
 行きつけの大衆酒場に寄ってビールを飲み、アパートへ帰り、布団に横になって文庫本を読む。眠くなれば枕もとの電灯を消し、満足して一日を終える。

 カメラは次の日もまた次の日も、同じ行動、同じ動作を正確に繰り返す平山を追い、記録する。平山は極めて無口である。他人と喋ったり交わったりする欲求は少しもなく、小さな名もない草花に水をやって大事に育てたり、自分で決めた仕事や日課をきちんと果たすことに満足感を覚える性格なのだ。
 公衆トイレ清掃員の同僚として、かなりいい加減な若者が登場するが、平山の生活が大きく乱されることはない。
 若い娘が母親と衝突して家出し、伯父の平山を頼ってアパートにやって来る。平山は黙ってアパートに泊め、清掃作業の現場に車に乗せて連れていく。平山の生活は、少しも変わらず続いていく。
 ある夜、その娘の母で平山の妹である女性が、娘を迎えに来る。彼女と平山の立ち話から、観客は平山が鎌倉での裕福な生活を捨ててここでアパート暮らしを始めたことを知るが、詳細は説明されない。だが観客は、平山が質素ではあるが納得のいく現在の生活に満足していることを、それまでに知らされているので、鎌倉には戻らないという彼の言葉を、意地や強がりだと受け取りはしない―――。

▼監督のヴィム・ヴェンダースは、小津安二郎の大ファンとして知られている。主人公の名前を「平山」としたのは、小津の「東京物語」で笠智衆の役名「平山周吉」、あるいは「秋刀魚の味」で同じく笠智衆の役名だった「平山周平」にちなんだのだと、インタビューで語っている。(「キネマ旬報」2024年1月号)
 「東京物語」の笠智衆は老妻をなくし、葬儀に集まった娘や息子たちがそれぞれの生活の場に帰っていったあと、通りかかった村人と挨拶を交わす。笠智衆の穏やかな笑顔の内に、ひと仕事を無事に終えたという安堵感と独りになった寂寥感が、ほのかに見える。「秋刀魚の味」の笠智衆は娘を嫁に出し、独りになった寂しさはあるがほっとした思いもあり、複雑な気持ちでいる。
 「……そんな幸福と悲しみの交錯、混交を、笠は素晴らしく美しく表現している。そういうところを『PERFECT DAYS』に翻訳したい」と考えたと、ヴィム・ヴェンダースは語る。
 しかし映画を見た後の筆者の感想は、監督の期待に沿うものではなかったように思う。『PERFECT DAYS』の主人公は、身の回りの小さな自然を愛し、自分の仕事をきちんと果たし、満足して眠りにつく毎日を送っている。それは他人との付き合いやお喋りよりも、納得のいく仕事こだわる「職人」たちの世界に近いように見える。
 しかし「東京物語」の主人公の世界は違う。笠智衆の穏やかな笑顔を見た観客は、それを美しいと思い、自分もああいう風に老いたいものだという感想を抱いたのではないか。そこには期せずして「老い」という人間共通の課題に開かれた、一つの優れた解答があった。
 『PERFECT DAYS』の役所広司の、一日の仕事を終えたあとの穏やかな顔も悪くはない。しかし観客がそこに共感や憧れを見るかと言うと、どうもそこから少し距離があるように思われる。

(小津の「東京物語」について、筆者は以前書いたことがあるので、下記のページを参照してもらえるとありがたい。)

https://tamagawa.sakuraweb.com/biblio10-minnagenki.html#minna

▼このブログは今回、つまり2023年末で丁度600回となった。始めたのは2011年だったように思うが、確かな記憶があるわけではない。現在は週に一度、金曜日にアップロードするのをノルマとしているが、これも当初からそのようにルール化していたかどうか、いつからそのようになったのか、確かではない。
 現在、筆者にとってブログを書くことは、生活のリズムをつくり出す上で、大きな働きをしている。またブログを書くことで、筆者は宿題として抱えてきた課題のいくつかに、回答を出すことができた。
 しかし最近感じるのは、書くことに対する内発的な意欲が薄れ、惰性で文章を作り上げているのではないかということである。週1回、400字詰めの原稿用紙にして7~8枚の文章をまとめることは、十年もやっていればわりあい簡単な作業となり、続けられないわけではない。それに来る2024年は、世界の秩序を大きく変える(可能性のある)イベントが目白押しの年である。
 ウクライナやパレスチナの戦争がどうなるか、世界が注目しているところだが、これに大きな影響を及ぼすロシアの大統領選挙が3月17日に、米国の大統領選挙が11月5日にある。日本への影響という点では、1月13日の台湾の総統選挙や4月10日の韓国の国会議員選挙も見逃せない。(世界の秩序に与える影響は無視できるほどかもしれないが、わが日本の政治でも変化が予想される。)
 したがってブログのネタに困るという心配はなく、筆者は世界の動きを追いかけるべきなのかもしれない。
 しかし筆者はあえてブログを1年間休もうと思う。1年の休暇で筆者のブログを書く意欲が湧き出てくる保証はないが、後期高齢者といわれる歳になっても、やってみなければ分からないことはある。『PERFECT DAYS』の主人公は、決まった生活のリズムを変えることに強い怖れの感情を懐いているようだったが、筆者はあえて生活のリズムを変え、そこに生産的な可能性を見たいと考えている。
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 過去のブログ記事は、この「多摩の川風 袂に入れて」でも読めるが、そのうち半分ほどは筆者のホームページで整理した形で公表しているので、下記のURLにアクセスされることをお勧めする。
 「多摩川のほとりから」https://tamagawa.sakuraweb.com/

 


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サブカルチャーの時代3 [映画]

▼前回、90年代の終りは2001年の同時多発テロ事件であり、そこから新たな時代が始まったという番組のコメントを紹介した。しかし21世紀も20年が過ぎてみると、はたして9.11のテロ事件はそれほど時代を画するような大事件だったのかという疑問も生じると、番組に登場する歴史家は言う。90年代から続く連続性の方が、より大きなものに見えてくるという意味である。
 90年代から急カーブで進展してきた情報技術(IT)は、インターネットの情報空間を人びとに解放し、2007年に発売されたスマートフォンは、それを身近で手軽なものにした。ITが経済を牽引し、ネットが世界を繋ぐ万能感に、人びとは夢を見た。今ではスマホやSNS(ソーシャルメディア)のない生活は考えられず、それが世界に与えた影響は9.11の衝撃よりも大きく、持続的である。
 2009年1月、バラク・オバマが大統領に就任した。父親はケニア人、母親は米国の白人、ハワイやインドネシアで少年時代を過ごし、ハーバード大学のロースクールで学んだ異色の経歴を持つ彼は、大統領選ではSNSを駆使した草の根戦略で勝利したと言われる。
 黒人(アフリカ系アメリカ人)の大統領がはじめて誕生したことで、夢を求めて挑戦する時代がふたたび始まるかのような期待が、いっときアメリカ社会に生まれた。オバマのスローガンは「アメリカを変えよう」であり、「YES,WE CAN」、つまり挑戦すれば「実現できる」だった。
 イランとの核合意協定やキューバとの国交回復、健康保険制度を拡充する「オバマ・ケア」、地球温暖化対策へ世界の政治をリードすることなど、オバマ大統領は理想主義的な挑戦を行った。しかしアメリカ国内で進む国民の分裂がその足元をすくい、2014年の中間選挙以降は共和党が上下院とも多数を占めたため、オバマ政治は実行力に欠け、国民の失望を招いた。

 「アラブの春」と呼ばれる「民主化」を求めるアラブ世界の動きは、2010年末のチュニジアにはじまり、エジプトやリビアなどに広がり、長期独裁政権を倒した。この動きの背景には、スマホやSNSの普及があったと、指摘された。
 しかし長期独裁政権が倒れたあと、どのような望ましい政権が生まれたのかといえば、そこには大きな幻滅が待っていたというほかないようだ。リビアのカダフィ政権やエジプトのムバラク政権は倒れたが、シリアのアサド家支配は倒れず、反政府勢力との抗争は現在も続き、多くの難民を生み出している。
 スマホとSNSは確かに社会を劇的に変え、名もなき人々も自分の声をあげることが可能になったが、それがより良き「政治」をもたらすという保証は、残念ながら存在しないのだ。

▼2010年代の最初に公開された「ソーシャル・ネットワーク」(2010年)は、「フェイスブック」をつくりだしたマーク・ザッカーバーグをモデルにした映画である。主人公は人と人を結ぶはずのSNSを世に出すが、恋人と別れ、ともにフェイスブックを創りあげた友人と争うことになる。映画は、主人公が裁判を経て巨万の富を得たことを伝え、幕を閉じるが、サクセス・ストーリーではなく苦さがあとに残る作品だと、番組は評していた。
 2011年、「ウォールストリートを占拠せよ Occupy Wall Street」という運動がアメリカで発生し、若者たちがウォールストリートに集まり、政府による金融機関救済や富裕層への優遇措置などを批判した。若者たちは、SNSによる参加呼びかけに応えて集結したのだが、運動の背景にあったのは、リーマンショック(2008年)から政府の手で救済されたにもかかわらず高額報酬を得ている金融機関の経営者たちや、高止まりしている失業率の問題であり、かってないほど広がったアメリカ社会の経済格差の問題だった。
 2013年に「ウルフ オブ ウォールストリート」(監督:マーティン・スコセッシ)という映画がつくられた。80年代にウォール街で莫大な富を築いた実在の人物をモデルにした映画だが、映画の中で主人公は金を稼ぎたいという欲望をむき出しにして、恥じるところがない。番組は「ウォール街」(1987年 監督:オリバー・ストーン)と比較しながら、この映画の「新しさ」を考える。
 「本物の仕事」と「本物ではない仕事」、実際に何かを創り出す仕事と単に金を回すだけの仕事という観念が、「ウォール街」ではまだ生きていたと、番組は言う。つまり米国の伝統的な価値観がまだ存在していたのに対し、2013年の映画ではのっぺりした欲望のみが恥じらいもなく前面に押し出され、そこには富裕層のある種の開き直りがうかがえると、番組は見る。

▼2010年代初め、テクノロジーの進歩が自由で民主的な価値観を行きわたらせるという希望が、アメリカ社会に広がっていた。しかしテクノロジーの発展はアメリカ社会の弱点を拡大し、現実と虚構の区別のつかない言動による社会の混乱が、アメリカ社会の分断をいっそう加速した。
 「ジョーカー」(2019年 監督:トッド・フィリップス)は、コメディアンになることを夢見ながら、ジョーカーの格好で児童施設を回ったり、商店の宣伝プラカードを持って街頭に立ったりして、細ぼそと暮らしている主人公・アーサーの物語である。彼はあるきっかけからウォール街の証券会社で働く若者を拳銃で殺すが、そのニュースが報じられるとジョーカー姿の犯人への共感の言葉がSNS上で広がる。「おれたちは皆ジョーカーだ」という声が街にあふれ、それはやがて暴動となる―――。
 アーサーの怒りは、アメリカ社会の「成功者」たちに向けられているのだが、映画を観た若者の99%がアーサーに共感したと、ある映画批評家は番組の中で語る。
 2019年は拡大する経済格差、人種の壁、リベラルと保守の溝など、社会の分断対立が加速し吹き荒れた年だった。

▼AIの発明により個人の嗜好に合わせたマーケティングが可能になると、企業は、あなたならこれが欲しいはずだと、次々に商品を紹介するようになった。フェイスブックの初代社長ショーン・パーカーは、率直に次のような発言をしている。
 「アプリ開発者は、『最大限にユーザーの時間や注意を奪うためにはどうすべきか?』と考える。そして、写真や投稿に対して『いいね』やコメントが付くことで、ユーザーの脳に少量のドーパミンが分泌されるように工夫する。それは私のようなハッカーが思いつく発想だ。人の心の脆弱性を利用しているのだ。私たち開発者はそのことを理解したうえで、あえて実行したんだ」。
 他人とつながりたいという自然な欲望すら商品化し、利潤に変える資本主義の仕組みが支配する社会。そんな時代にあらがう作品として、番組は「パターソン」(2016年 監督:ジム・ジャームッシュ)という映画を紹介する。
 主人公・パターソンはニュージャージー州のバスの運転手で、彼のなにげない日常を描いた作品である。彼の趣味は詩を書くことだが、その詩を印刷したりSNSで発表したりすることはない。資本主義が煽る欲望から距離を置き、世の中にいま存在しているものだけで十分、という感じで暮らしている。
 「金持ちになることより、すでに持っているものに感謝することが大事」だというかのような主人公の態度は、常により多くの物、より新しい物を求め続ける「資本主義」の対極にあるものだ、と映画批評家は評価する。
 筆者は「パターソン」を観ていないが、三十年前にジャームッシュの「ダウン バイ ロ―」や「ストレンジャー ザン パラダイス」を面白く観た者として、彼の資本主義システムへの違和感が持続していることに、感銘を受ける。

 アメリカでは、多民族国家における人種の壁が越えられないまま、資本主義は人々の欲望を煽り続け、情報技術の発達は社会の急激な変化をもたらし、経済格差の拡大と貧困層の増大を生み出している。それらは社会の分断を進め、アメリカ政治の混迷となって現れている。
 番組のナレーションは最後に、「迷走する偉大なる実験国家・アメリカ。しかしそこには常に何かを求め続けるエネルギーが潜んでいる。はたしてその行方は?」と問いかけて終る。
 迷走するアメリカの行方は社会の分断の行方にかかっているのだが、それについては稿を改めて考えることにしたい。

(おわり)

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サブカルチャーの時代2 [映画]

▼時代の雰囲気としてのアメリカの「90年代」は、いつ始まりいつ終わったのか、わりあい明瞭に答えられる問題のように見える。ベルリンの壁の崩壊(1989年)が始まりであり、同時多発テロ(2001年)が終わりとなる、ほぼ十年強の期間である。
 ジョージ・ブッシュjr.は90年代を振り返り、「安息の時代」と呼んだが、ソ連という「共産主義国家」が消滅し、「歴史の終り」が語られた時代は、米国が唯一の超大国を誇ったと同時に、明確な敵や悪役が見えない奇妙な時代でもあった。冷戦は米国に、ソ連と対峙し民主主義や自由、資本主義を守るリーダーとしての役割を与えていた。ソ連や共産主義という宿敵によって、アイデンティティを与えられていたと言うことができるかもしれない。
 だからソ連と共産主義が消えたことは米国に、誰と戦い、何と戦えばよいのかよく分からないという、すっきりしない状態をもたらした。中東のテロリストは、まだ登場していなかった。
 「ミッション インポッシブル」(1996年)の主人公イーサン・ハント(トム・クルーズ)は、米国諜報機関に所属していたが、組織を裏切ったと見なされ、追われる身となる。彼を陥れた敵は、冷戦終結で仕事を失い、将来を悲観した仲間だった。
 この映画はシリーズ化され、次々と続編が作られ、トム・クルーズはさまざまな相手と戦うことになるのだが、彼のモチベーションや任務の全体像は明確ではない。

 90年代後半の米国ではITが経済を牽引し、人びとはインターネット技術が繋ぐ明るい世界に胸を躍らせると同時に、テクノロジーの発達が自分たちをどこへ連れて行くのか、密かな不安の思いも懐いていた。
 「マトリックス」(1999年 監督:ウォシャウスキー兄弟)は、コンピュータ技術の発達により仮想現実が膨張し、現実と虚構が入り混じる時代の到来をいち早く取り入れた映画の一つである。主人公ネオ(キアヌ・リーブス)は、自分の生きてきた世界がすべてAIが作り出した虚構だったことを知り、人類を解放するためにAIに闘いを挑む―――。

▼2001年9月の同時多発テロの発生により、米国人は愛国心を高揚させた。米軍兵士に寄り添うような映画、たとえば「ブラックホーク・ダウン」(2001年 監督:リドリー・スコット)のような戦争映画も作られたが、しかしそれは一時のことであり、イラク戦争が進行する中で、自分たちはなんのために戦っているのかという思いが、急速に社会に広がっていく。番組は、人びとの心の迷いを象徴する新たなヒーローとして、映画「ボーン アイデンティティ」(2002年 監督:ダグ・リーマン)の主人公を挙げる。
 主人公ジェイソン・ボーン(マット・デイモン)は、CIAによってつくられた「殺人マシン」(暗殺者)だった。任務途中の事故で記憶を失い、ボーンは残された手掛かりをたどって自分が何者なのかを知ろうと動き出す。それを知ったCIAの幹部は、「殺人マシン」育成計画が表に出ることを恐れ、ボーンを消すために次々に暗殺者を送り、死闘が繰り広げられる。
 自分は外国で、理由も分からず人を殺していたらしい―――。自分が過去に通ってきた場所に再び身を置くことで、ボーンはしだいに記憶を取り戻す。正しいと信じて行ったことが間違いと分かった時、どうするべきなのか。ボーンは自分が殺した外交官夫妻の娘に詫びるために、ロシアへ行く。
 ロシアで待ち伏せていた最強の暗殺者を、凄絶なカーチェイスの末になんとか倒し、彼は傷ついた体を引きずって、アパートで一人暮らす娘に会いに行く。(第2作「ボーン スプレマシー」2004年 監督:ポール・グリーングラス)。画面はすばやいカット割りの連続で、ボーンの激しい動きと揺れ動く心を映し出していた。

 2000年代初め、米国は正義をとり戻すために「テロとの戦い」に足を踏み入れた。しかし待っていたのはさらなる混沌であり、アメリカ社会の分裂だった。
 筆者は「ジェイソン・ボーン」の3部作(第3作は「ボーン アルティメイタム」2007年 監督:ポール・グリーングラス)を、満足して観た。いずれもIT機器を駆使してボーンを追うCIAと、組織の追求や暗殺者たちの攻撃をかわしながら過去の記憶を取り戻そうとするボーンの、激しい攻防戦に次ぐ攻防戦である。筆者の満足感には、活劇の面白さももちろんあるのだが、物語の設定が含むある種の苦み、政府組織によって裏切られた男の孤独な闘いという要素も含まれていたように思う。

▼2000年代の米国では、同性婚をめぐる人びとの分裂があらわになり、社会は大きく揺れた。
 2004年にマサチューセッツ州で同性婚が合法化された。保守派は猛反発し、ブッシュjr.は同性婚反対を掲げて大統領再選を果たす。しかし保守派は政治的には力を持っていたが、文化的には同性婚をめぐる論争に負けてしまった、と番組は述べる。その論争に大きな影響を与えたのが、「ブロークバック・マウンテン」という映画だった。
 「ブロークバック・マウンテン」(2005年 監督:アン・リー)を筆者は観ていないので、番組からの受け売りなのだが、美しい自然を背景にした二人のカウボーイの愛の物語なのだそうだ。彼らには妻子があるが、それでも二人の愛は20年間続く。しかし二人の関係が世間に知られ、主人公は自殺する。同性愛に対する社会の不寛容が二人の男の人生をいかに破壊したかを静かに描き、社会を変えるべきだと訴えた映画は、多くの共感を呼んだらしい。
 作品のメッセージは、保守派を黙らせた。保守派の強い反発が予想されたが、上映禁止はユタ州の1館のみだったと番組は言う。
 アメリカの文化産業はリベラル寄り、民主党寄りだと言われる。トランプを大統領に担ぎ出した策士スティーブン・バノンは、保守派はワシントンだけでなくハリウッドも支配するべきだった、と発言したと伝えられる。分断され、激しく対立しあうアメリカ社会ならではの発言だが、社会の分裂は時とともにさらに強まる。

(つづく)

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サブカルチャーの時代 [映画]

▼NHKのBS放送で、この1月~2月に「サブカルチャーの時代」という連続番組をやっていた。副題に「欲望の系譜」とあり、主として映画によって大衆の欲望のありかを探り、その時代や米国社会の変化を読み解こうという趣旨の内容だった。1時間番組で全18回、1950年代から2010年代まで踏破したようである。(再放送だったらしい。)
 筆者は途中から半分ほどを見ただけだが、社会の「気分」や「雰囲気」を映画をヒントに読み解くことは、なかなか意欲的な趣向といえる。米国で製作された放送番組かと思っていたのだが、フィルムのクレジットを見るとそうではなく、NHKが自前で製作したらしい。番組の中に米国の歴史家、哲学者、映画批評家が登場し、映画に社会の変化がどのように反映されているかを語っているが、彼らの考えも借りつつNHKのスタッフが自力で米国社会を考察したようだ。考察の素材に使われる映画には筆者の観たものもけっこうあり、うなづくことも多かった。

▼筆者が観たのは1990年代からである。
 冷戦が終わり、世界が自由主義で結ばれる新しい時代が到来した。ソ連との競争に打ち勝ち、唯一の超大国となった米国だったが、大都市に暮らす人々の心は空虚なものを抱えていたと、番組は語る。大都市ではゴミとホームレスと麻薬中毒者が増え、治安は悪化し、殺人事件が頻発した。ニューヨーク市の1990年の殺人事件の被害者は、2,245人とピークに達した。
 「ゴースト」(1990年 監督:ジェリー・ザッカー)は、銃で殺された青年が生きている人間の眼には見えない幽霊(ゴースト)になって、悪者から恋人を守る恋愛映画だが、大いにヒットした。ヒロイン役のデミ・ムーアの当時の夫はブルース・ウィリスで、その「ダイハード 2」が同時期に公開されたが、「ゴースト」は集客数で「ダイハード 2」に圧勝したという。「ゴースト」が大ヒットした背景には、幽霊となって恋人を守るという映画の設定の面白さもあったが、舞台となったニューヨーク市の治安の悪さという要素も大きかったと、番組は言う。

 1992年にロスアンゼルスで暴動が起き、死者63人、火災3千件以上を出した。黒人のロドニー・キングが、車のスピード違反で逮捕される際に、警官たちに袋叩きにされて重傷を負うという事件があり、その光景を近隣住民が映像に撮り、全国ニュースとなった。警官たちは起訴されたが、裁判で無罪となり、裁判所や警察署に対する抗議運動が暴動となったのである。
 「マルコムX」(1992年 監督:スパイク・リー)は、多民族社会アメリカの困難さを実在の黒人指導者を通して描いた。「許されざる者」(1992年 監督・主演:クリント・イーストウッド)は、仲間をめった刺しにされたのに保安官が犯人を厳しく罰しようとしない現実に憤り、娼婦たちが金を集めて人を雇い、復讐しようとする物語だった。
 冷戦に勝利した米国ではあったが、社会は安心や安全、安息からほど遠い状況だった。

▼映画「フォレスト・ガンプ」(1994年 監督:ロバート・ゼメキス)の主人公フォレスト・ガンプは、米国のベビーブーマー世代の5~6歳年長である。小さいときは自分の脚でしっかり歩くことも難しく、両脚にギプスをはめ、小学校の校長からはIQが低いから特殊学級のある学校に行くようにと、勧められたりもした。フォレストの友達は、スクールバスで声をかけてくれたジェニーだけだった。
 フォレストはいじめっ子たちに自転車で追いかけられ、走って逃げているうちに両脚のギプスが不要になるだけでなく、走ることが得意であることに目覚める。そしてアメリカン・フットボールの選手として大学に入り、卒業後は陸軍に入隊してベトナムへ行く。
 ベトナム戦争でフォレストの部隊は全滅するが、彼は弾丸が飛び交う中、傷ついた隊長や同僚を肩に担ぎ、獅子奮迅の働きで救助する。
 戦場から帰国したフォレストを迎えたのは、反戦運動の盛りあがりだった。彼は反戦活動家となっていたジェニーと再会するが、彼女は活動家仲間とともに去っていく。
 フォレストは、戦死した同僚が生前に熱く語っていたエビ漁を、元隊長といっしょに始める。そしてハリケーンによってエビ漁の船が全滅したときにも彼らの船は沈まず、逆にエビの大漁に恵まれる。フォレストはやがて多くの富を得て、事業から離れる。
 フォレストはジェニーとまた再会して結婚するが、彼女は一夜を過ごしたあと姿を消す。最愛の母が亡くなり、フォレストはある日走りはじめる。アラバマ州を抜け、アメリカ合衆国を横断し、3年間走り続け、その走る姿はTVで報じられ、たくさんの一緒に走る人びとが現われた。
 ある日フォレストは、何も言わず、走るのをやめた。フォレストは再びジェニーに巡り合い、二人の間に息子が生まれていたことを知る。二人は子どもと一緒に結婚生活を始めるが、ジェニーは病気で亡くなる。―――

 この映画は、フォレスト・ガンプという純真で善良な男を狂言回しに使った、米国社会の同時代史である。エルビス・プレスリーやジョン・レノンをはじめ、歴代のアメリカ大統領がフォレストと関わる形で出てくるし、アラバマ大学の黒人入学をめぐり州知事とケネディ大統領が対立した事件やベトナム戦争、ベトナム反戦運動、やがて中国承認に至る「ピンポン外交」、ウオーターゲイト事件等々も同様に出てくる。
 日本で公開された時、米国で大変評判になっている映画だと聞いて筆者も観たのだが、それほど面白いとは思わなかった。それは米国の観客が、画面の同時代史をどういう思いで観ていたかに、考えが及ばなかったからかもしれない。
 米国の90年代は、銃規制や同性愛、人工妊娠中絶などの問題でリベラルと保守の対立が激化した時代であり、人々の価値観が衝突する「文化戦争」の時代とも言われた。そうしたとげとげしい時代に人びとは、純真で善意のかたまりのようなフォレスト・ガンプにアメリカの伝統的美徳を見、共感したというのが、番組の解釈だった。失われつつあるアメリカの素朴な良心を演じきったトム・ハンクスに、観客は清々しさを感じ拍手を送った。

▼90年代はアメリカ社会の政治的対立が激化した時代であったが、パリの郊外にディズニーランドができる(1992年)など、アメリカの消費文化が世界に浸透するグローバル化の時代でもあった。
 「大きな物語は存在せず、一人ひとりが自分の道を見つけなければならない時代の到来だった」と、番組は総括する。そうした時代に成人した若者たちを理解するのに最高の映画、と番組が絶賛するのが、「リアリティ・バイツ」(1994年 監督:ベン・スティラー)である。筆者は観ていないので論じる資格がないが、彼ら60年代半ばから70年代に生まれた若者たちは、からっぽの世代、「ジェネレーションX」などと呼ばれる。
 彼らはポップカルチャーにのめり込み、現実世界ではなくポップカルチャーに媒介された世界に生きている。ポップカルチャーを通して彼らはようやく現実に触れ、気持ちを表現することができるのだと、番組は言う。
 彼らの親たち、60年代の若者たちは、新しい世界を夢見てカウンター・カルチャーに熱狂した。しかし熱狂のあとに残されていたのは、変わらない現実だった。
 90年代の若者たちは、闘う前からその空しさに気づいている。しかしそうした若者たちにも、現実は容赦なく噛みつく(リアリティ・バイツ)。親世代の離婚率が高く、シングル家庭で育った者も多く、社会に出ようとする90年世代には厳しい就職難が待っていた。

(つづく)

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PLAN75 [映画]

▼映画「PLAN75」(監督:早川千絵 2022)を見た。静かな、つつましやかな映画だった。

 ある日国会で、「PLAN75」の法案が可決されたと、ラジオのニュースが伝えている。それは75歳以上の高齢者が、自分の最期について自由に選択できる制度であり、自分の最期を明るく苦痛なく締めくくれるように、行政が配慮し、支援してくれる制度である。それは少子高齢化がいっそう進んだ近未来の日本で、大量の老人が生み出す社会の軋轢を解消するのに必要な政策として、理解されている。
 「PLAN75」と書かれたのぼり旗やポスターを掲げて、行政はこの制度の普及に励む。現在、政府は「マイナンバー・カード」を普及させるために、現金の「おまけ」付きのキャンペーンを繰り広げているが、「PLAN75」の普及活動は、この「マイナンバー・カード」のそれを連想させる。

 主人公・角谷ミチ(倍賞千恵子)は、夫と死別し、子どももいない。80歳近い年齢だが、ホテルの客室清掃員として働いている。しかし同僚が「孤独死」したあと、あまり高齢の清掃員を働かせているのは外聞が悪いと、ホテルから解雇される。同じころ、終の住処だと思っていた古い団地の取り壊しも決まる。ミチは新しい仕事と住まいを探すが、高齢の女性を受け入れるような仕事やアパートはない。
 ミチはある日決心して、「PLAN75」を申し込む。申し込んだ高齢者には10万円が支給され、担当職員と電話でお喋りができるようになる。担当の若い女性職員は親身になってミチのお喋りの相手を務めるが、時間は1日15分間と決められており、彼女は上司から、個人的に親しくなってはいけないと指導されていた。それでもミチの頼みを無下に断ることができず、一緒にボーリング場に行く。
 決められた最後の時間が来ると、ミチは前の晩に取った特上の握り寿司の桶をきれいに拭き、部屋が片づいていることを確認してから家を出、バスに乗って施設へ行く。

 岡部幸夫(たかお鷹)は、全国の建設現場をまわってトンネルやダムの建設工事をしてきたが、高齢となりアパートで独り暮らしをしている。兄がいたが、関係は疎遠であり、その兄もだいぶ以前に亡くなった。岡部も「PLAN75」を申し込み、制度で定められたひとときを過ごした後、施設へ行く。
 ミチは施設で説明を受け、吐き気止めの錠剤を呑み、酸素吸入マスクのようなマスクを着けて、ベッドで横になる。ガスが送られてくると眠くなり、眠りにつくように死に至るのだという説明だったが、ふと横のベッドを見ると、眠る男(岡部)の姿が見えた。―――

▼映画は、テーマとして人間の「死」を扱っているのだが、登場人物が泣いたり怒ったり、昂ぶった感情をあらわにしたりするシーンは皆無である。行政の末端で「PLAN75」の受付を担当したり、申し込みをした高齢者と電話で接したりする若い職員の中には、迷いや疑問を持つ者もいるが、それが「悩み」として大きな声で語られることもない。
 また、通常のTVドラマなら過剰なほど提供される「説明」も、可能な限り削り落とされており、観客は肝心の「PLAN75」の制度の内容についてさえ、登場人物たちの会話の切れ端から推測するだけである。
 それらの演出が、映画の静かでつつましやかな印象を形成しているのだが、見終わったあとに残るのは爽やかなものではない。
 上野千鶴子が、映画の宣伝ビラに感想を寄せていた。「いや~な映画だ。だが目を離せない作品だ。あなたの明日がこうなるかもしれない。それでいいのか。」
 筆者の感想は、上野に近いわけではない。しかし筆者も、見終わったあとにどこか「いや~な感じ」が残った。それは結局、行政がその守備範囲を超えて、人間の「死」について口を出すことへの強い拒否反応なのだと思う。
 行政が国民の納得の下に、苦痛なく生を終えることを「支援する」制度を整備することは、ある意味で「合理的」なことなのかもしれない。しかし筆者の中で、「死」と「合理性」が滑らかにつながることへの拒否反応が、消えることはないだろう。

 監督・早川千絵は、映画のパンフレットで次のように語っている。
 「私は10年ほどニューヨークに住んで2008年に帰国したのですが、久しぶりに帰ってきた日本では自己責任論という考え方がとても大きくなっていました。社会的に弱い立場にいる人たちへの圧力が厳しく、みんなが生きづらい社会になっていた。それが年々ひどくなると感じていた2016年の夏、相模原の障碍者施設で起きた事件にものすごい衝撃を受けました。こういう社会になってしまったから起こった事件なのではないかと考えるうちに、〈PLAN75〉という設定を思いつきました。このままで行くと、ほんとうに日本でこういうことが起きてしまうかもしれないと思ったのがきっかけです。」
 筆者の問題意識は、「死」というものの捉え方、扱い方にあったのだが、早川監督の関心は、日本社会のあり方にあった―――。

▼日本は高齢社会となり、高齢者向けの情報やサービスが山のように提供される。
 週刊誌の売り物は「健康法」であり、食事をどうする、運動はどうする、病院はどこが良いか、正しい医者のかかり方など、毎週のように特集が組まれる。さらに遺言の書き方や相続税の節税の仕方、年金の賢いもらい方、失敗しない介護付き老人ホームの選び方など、高齢者向けの記事が花盛りである。
 新聞を開けば墓地の広告。TVを付ければ、死亡保険の広告。「子どもたちに迷惑かけたくない」、「葬儀費用ぐらい残しておきたい」と、元気そうな高齢者がのたまう。
 先日は、葬儀会社のオンラインセミナーの案内広告が拙宅に届いた。自分の葬式について、自分が説明を受け、自分で手配するのだろうか。なんとも滑稽な感じだが、葬儀会社によれば、葬式の事前相談を通じて不安が解消され、「人生を前向きに見直すための準備」となるのだそうだ。
 高齢者向けのマーケットに出された売り物が、どれだけ求められているものなのか、かなり怪しいのだが、現代日本でいちばん金を握っている世代のふところを狙って、今後も高齢者ビジネスはますます盛んになるだろう。

 映画の角谷ミチや岡部幸夫は、高齢者ビジネスとは無縁のところで生きている。だが、誰にでも一度だけ訪れる「死」の前では、高齢者ビジネスの良き顧客であった者も無縁であった者も平等であり、そこに救いがある。
 映画の最後で、施設を飛び出したミチは、沈んでいく夕陽を見つめながら、「リンゴの木の下で」を口ずさむ。早川監督は、「この映画のラストをどうすればいいのか、脚本を書いている時に迷っていましたが、解決策は分からないけれども、とにかく生きていることを肯定したいと思っていました。人に生きてほしい。願いのようなものを込めました」と語っている。

(おわり)

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なぜ君は総理大臣になれないのか 3 [映画]

▼前回、日本の政治における与野党の政策が似かよってきており、そこに自民党政府に挑む立憲民主党のひとつの困難がある、と述べた。政策が似かよってきていることは、国民の間に眼の色変えて争うべき争点があまりないことを意味し、国民の統合に大きなエネルギーを使わなければならない国々から見れば、これほど幸せなことはないということになるだろう。しかし争うべき争点があまりないというのは、本当なのだろうか。
 『本当に君は総理大臣になれないのか』(小川淳也・中原一歩共著 2021年 講談社現代新書)という本がある。インタビューに小川淳也が答える形で、どのような政策を実現させたいと考えているかを説明し、ノンフィクション作家の中原一歩が、“政治家にならざるを得なかった”小川の半生を記述している。ドキュメンタリー映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」が話題になったあと、二匹目のどじょうを狙って短時間で作られたお手軽本だが、小川という人間とその政策を知る上で便利である。

▼小川は、日本の人口の推移を表わす図を示す。明治維新のとき3330万人だった人口は、終戦時(1945年)7199万人となり、2008年にピークの1億2808万人となった。その後減少に転じ、2030年には1億1913万人、2050年には1億192万人、そして2100年には5972万人と推計される(中位推計)。
 小川はもう一つ、日本人の年齢構成の変化を表わす図を示す。1955年のピラミッド型の年齢構成がやがて2010年の提灯型となり、2055年の逆ピラミッド型へと変わる。2055年では、10人のうち4人近くが65歳以上の高齢者である。
 人口が減るだけでも大問題なのに、年齢構成が大変化するのである。ピラミッド型の時代を前提に設計された日本の社会保障制度が、逆ピラミッド型の超高齢化社会を支えられなくなるのは自明である。そこで「持続可能な社会保障制度」を再構築するために、小川は二つのポイントを考える。
 第一に、意欲のある人が「生涯現役」で働けるように、雇用制度、雇用環境を抜本的に改革すること。第二に、社会保障の無償化やベーシックインカムの導入を実現し、そのために消費税を長期的に25%まで引き上げること。つまり働く意欲のある国民には働ける条件を十分に整え、長く現役で働いてもらい、現役を離れて本当に年金を必要とする人々には、現在よりもずっと増額した年金を支給することで、超高齢化社会に対応しようというイメージである。
 「生涯現役」で働けるために、雇用制度や雇用環境はどのように改革されねばならないのか。「年功賃金から能力別賃金への移行」、「多様な雇用形態と雇用の流動化促進」、「退職金優遇税制の段階的廃止」等々、小川が検討し結論に至った項目が並んでいる。それは、「終身雇用」や「年功序列」、「新卒一括採用」などを特色とした日本的雇用の抜本的改変にほかならず、正規雇用、非正規雇用の格差の問題なども、雇用全体の流動化を高める中でおのずと解決される、と考えられている。

▼もうひとつ、日本が国としての価値、国民としての価値を高めることが、人口減少が進む日本の生き残る道として重要だという視点から、政策が考えられている。「移民の受け入れ」について、ヨーロッパでの排斥運動などもあり、手放しで歓迎するとは言わないが、「日本の持続可能性」を考えると、「日本の魅力を高め、有為な外国人の方々に日本での生活を選択してもらい、彼らと共存共栄を図る以外に日本が生き残る道はない」と、小川は考える。

 小川はさらに、環境税の引き上げを財源とする再生可能エネルギーの導入促進や、核融合エネルギーの利活用の研究開発、蓄電池など次世代のインフラ整備の重要性などを政策に掲げているが、説明は不要であろう。要するに、環境の有限性を考えずに活動できた時代の観念と仕組みを大きく変えなければ、地球環境を維持できないという考えである。

▼人口も経済も右肩上がりで成長していく時代に形成された社会制度は、抜本的に変革しなければ、社会の持続が困難な時代に至っているという考え方自体は、わりあい多くの賛同を得られるのではないかと思われる。また、経済活動は地球環境の有限性を考慮したものにするべきだという主張も、すでに常識として広く流通していると言えるだろう。
 しかしこうした「総論」を「各論」に落とし込み、現実に進めようとするときに、どれほどの抵抗に直面するかは、想像もできない。「定年までの継続雇用」や「年功序列」型の賃金体系、退職時に支給される退職金などの制度を変えると言えば、立憲民主党の支持母体である「連合」だけでなく、多くの勤労者を敵に回すであろう。「しっかりした失業給付や新産業への移転支援など、十分なセーフティーネットの構築とセットで」と、いくら前提条件を強調したところで、「企業が採用、解雇を自由にできるように規制緩和する」という主張が、勤労者や労働組合に受け入れられる状況は想像するのが難しい。
 だが、IT技術があらゆる分野で欠かせないものとなり、IT技術を持つ優れた人材や能力のある外国人を受け入れ、活躍してもらう上で、従来の日本的経営組織が桎梏になることは明らかである。だから流動性の高い産業社会を目指して社会を変えていくことは、方向性としてけっして間違いではない。
 政治はゴールの姿を描くことではなく、そこへ至る道を具体的に丁寧に描き出すことが仕事である。小川の超過激な「雇用改革」を、どのように社会に訴えていくのか、どのようにして現役の勤労者の賛同を得ていくのか、聞かせてもらいたいと思う。

 日本の置かれた状況の深刻さは、筆者のような団塊の世代にはいまひとつ理解が難しいのかもしれない。団塊の世代の生活感覚では、時間が経つにつれて世の中は基本的に豊かになるのであって、現在停滞しているとしてもいずれ回復するだろうと、無意識のうちに考えがちだ。
 しかしバブルのはじけた90年代に社会に出た小川の世代にとっては、時間が経つにしたがって人は減り、シャッターを下ろした空き店舗が増え、街から活気が失われ、貧しさが身近に迫る光景が、肌にしみ込んでいるのだろう。小川の切実な危機感を、筆者は理解する必要があるのだと思う。

▼小川の本では何も触れていないが、外交・安全保障政策や経済・財政政策といった日々の国家運営に欠かせない問題に、小川はどのように対応していくのだろうか。
 前回のブログで筆者は、アベノミクスの9年間について、日本経済の地盤沈下が進み、日本と日本人が貧しくなった9年間だった、と評した。小川の長期的視野に立つ政策構想は、アベノミクスが手を付けられなかった経済分野のイノベーションに、いかなる具体的提案をできるのか、安倍外交にどのような批判や提案ができるのか。
 政治家は日本国の明日の進路を示すとともに、国民が今日を安全に暮らし、十分な食事にありつけるように考えねばならない。小川の考える長期的視野に立つ政策構想が、日本の外交・安全保障や経済・財政政策といった日々の政治課題とどのように関わるのか明瞭でないが、説得力ある批判や提案により小川が共感を得て、信用を高めていくことが、彼の政策構想実現の早道だと思われる。

(おわり)

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なぜ君は総理大臣になれないのか 2 [映画]

▼小川淳也が安倍政権について語る場面がある。(2016年というテロップが出る。)
 安倍政権は、国民を失望させた民主党政権の記憶が大きな下支えとなり、安倍晋三が右派であることでそれよりも右の政治勢力の出現を抑え、「働き方改革」とか「同一労働同一賃金」という政策を掲げることで、ウイングを左に延ばしている。これが盤石の政権をつくっている。自分たちはこれに対抗しなければならないのだ、という趣旨のことを言う。
 この状況認識は正確である。民主党が維新の党と合体して民進党となったり、さらに希望の党に合流しようとしたのは、安倍政権が「盤石」であり、対する自分たち野党は弱く、太刀打ちできないという自覚があったからである。そして彼らを深いところで脅かしていたのは、自民党が野党の主張や政策にまで触手を伸ばし、政権の政策として取り込むことによる、自分たちの立脚点が怪しくなることへの不安であったはずである。

 日本の政治の対立軸は、自民党と社会党が対峙し、保守・革新の対立と言われた時代は、わりあい明瞭だったように思う。保守の側は、日本が軍隊を持ち、米国と同盟を結び、西側諸国の一員として共産主義国と対峙すること、そのために憲法9条を改正することを主張した。革新の側は、日本の非武装ないし必要最低限の軽武装を主張し、米国との軍事同盟に反対し、共産主義国とも友好関係を築くことを求めた。憲法9条の改正には断固反対であり、それは明瞭な対立軸を形成していた。
 また保守の側は、日本経済の成長・拡大を最優先課題としたのに対し、革新の側は大企業と中小企業の格差を問題にしたり、所得格差の解消や福祉の充実、経済成長が生み出した公害問題の解決を優先するよう主張した。だが経済政策の面では、優先順位や重点の置き方に違いはあるものの、社会を分断する決定的な対立軸があるわけではなかった。
 現在、「保守・革新の対立」という言葉は聞かれない。「革新」という言葉は、戦前は「革新官僚」や「革新将校」など、現状の変革を強力に志向する人びとに対して使われた。そこからどのように、戦後の「社会主義」シンパの政治勢力を指す言葉に転じたのか不明だが、この言葉はすでに、「死語」になったようだ。

▼「市民派」という言葉が、「革新」という言葉に代わって盛んに使われた時代もあった。外交や安全保障などの国政の課題ではなく、日照権や自動車公害など環境問題を取り上げたり、貧しい公共施設や公共サービスを問題にするなど、地域の課題解決のための「自覚的市民」の運動が、70年代以降盛んになった。「革新」政党は、多くの場合「市民派」と共同歩調を取ったが、それは国政レベルで有効な対抗軸を失いつつあった彼らが、延命と再建の模索のためにそうせざるを得なかったという面が強い。
 「革新」政党の存在理由を決定的に揺さぶったのは、英国のサッチャー政権の取った「新自由主義」の政策だった。1979年に政権についたサッチャーは、戦後行われてきた「福祉国家」政策が英国の停滞を招いたとして、社会政策重視をやめ、市場経済を重視する政策に切り替えた。そのため国有企業を民営化し、経済分野の規制を緩和する政策が大胆に行われた。1981年には米国でレーガン政権が発足し、米国でも経済の再建のため、減税や規制緩和など市場重視の「新自由主義」政策が取られた。
 それまで日本では、既成の社会秩序の側に立つ保守政党に対し、「革新」政党は規制の自由化を主張し、既得権益の上に居座る「保守」政党を揺さぶろうとしてきた。しかし英国でも米国でも、市場の力を復活させるために「保守」の側が規制緩和を言い、既成秩序を打ち破る行動に出たのである。
 日本でも中曽根政権は、電電公社や国鉄の「民営化」を強力に推進し、労働組合の強い反対を乗り越えて「民営化」を実現した。もしも電電公社が民営化されず、旧態依然の組織のまま国内の通信事業を独占していたなら、日本の「デジタル社会」への適応は、はるかに困難であったろう。
 「民主党」や「立憲民主党」は、かっての「革新」政党である「日本社会党」のDNAを色濃く受けついでいる。古い保革対立の対立軸が無効になり、「保守」が「改革」を叫び、かっての「革新」を引きついだ「リベラル」が「改革」に反対するという「新自由主義」の生んだネジレの時代に、立憲民主党の政治家はどのような構想によって巨大与党に挑むべきなのか。そのための必要な作業の一つは、アベノミクスをきちんと総括することである。

▼安倍晋三と菅義偉が政権を握った9年間を、どう評価するべきなのか、深い議論はなぜか行われていないように見える。
 安倍政権の時代、政治的には集団的自衛権などをめぐる対立があったものの、アベノミクスと称された経済政策については、国民はおおむね肯定的に受け止めていたように見える。そのことは選挙結果に表われ、安倍総裁の下で戦われた3回の衆院選挙、3回の参院選挙に自民党はいずれも勝利し、それが安倍晋三への党内の支持がいまだに高い理由であり、安倍がキングメーカーのような顔をしていられる理由でもある。
 しかしアベノミクスの9年間を事実に即して見るなら、それが成功だったと評価するのは難しいのではないか。
 最初の1年半こそ、第一の矢である「異次元の金融緩和」が円安を生み出し、輸出が伸び、株価が上がり、消費が増え、きわめて快調に進行しているように見えた。しかしその後、景気は足踏み状態に入る。金融緩和にしろ第二の矢の公共投資にしろ、その経済効果は短期的なものであり、第三の矢の「民間投資を喚起する成長戦略」こそアベノミクスの本命だったのだが、この4番バッターが一向に打てず、まともに打席に立つこともなかったからである。
 バブル崩壊後、金融危機やデフレを体験した日本の企業は、賃金を抑制し職員数を減らし、企業利益を内部留保したり株式配当に回したりしてきた。企業経営者にデフレマインドが定着し、新たな需要を創出するプロダクト・イノベーションから遠ざかっている間に、日本経済は世界の成長から取り残される劣等生に変わった。労働生産性(就業者一人当たりのGDP)は、今では韓国、スロベニア、トルコよりも低い。
 たしかにアベノミクスの期間中、企業の利益は増え、株価は上昇したが、企業利益は人件費を抑制した結果であり、人件費抑制は、低賃金で働く非正規労働者の増加によってもたらされた。一言で言えば、アベノミクスの9年間は、日本と日本人が貧しくなった9年間だったのだ。
 だが皮肉なのは、この人件費抑制の影響をまともに受けている若者の自民党支持率が、これまでにないほど高く、立憲民主党は高齢者の支持に頼る政党となっているという政治の現状である。

(つづく)

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なぜ君は総理大臣になれないのか [映画]

▼昨年10月末の総選挙で議席を減らした立憲民主党は、枝野幸男代表が辞任し、後継選びの選挙戦を実施した。逢坂誠二、泉健太、西村智奈美、小川淳也の4人が立候補し、泉健太が後継の代表となり、幹事長に西村、代表代行に逢坂、政調会長に小川を選んで、新しい執行部が決まった。
 9月末に行われた自民党の総裁選挙も4人が立候補して闘われ、そちらは実質的に総理大臣を決める選挙のため注目を集めたが、それに比べてこちらの代表選びは盛り上がりに欠ける、と冷ややかに評されていた。確かに、そうだったのかもしれない。ただ、小川淳也という筆者にとって初耳の名前が、彼を主人公としたドキュメンタリー映画が作られているという話や、香川県の小選挙区で平井卓也を破って当選したという話とともに聞こえてきたので、少し気になった。
 平井卓也は、自民党内で「デジタル」に強い男と言われていたそうで、菅政権の看板政策であるデジタル庁の創設を担当し、名前が売れていた。そういう「時の人」を相手に勝利したのはどういう男なのかと、興味が湧いた。代表選挙の4人の演説をニュースで聞くと、いずれも負けず劣らず能弁だが、小川淳也はその中でいちばん具体性のある、つまり中身のある話を歯切れよくしているように見えた。
 ドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』がネットフリックスのラインナップにあるのを見つけ、観ることにした。

▼映画監督・大島新は、妻が小川淳也と高校で同学年だったという縁で2003年に小川と知り合い、その行動をフィルムに撮り始める。小川は当時32歳、総務省の官僚をやめ、家族の反対を押し切り、地元の香川1区から衆議院議員に立候補しようとしていた。小川には高校の同級生だった妻と、5歳と6歳の娘がおり、父母もまだ50歳代だった。大島のフィルムは、小川の言動だけでなく、小川の家族の当時の様子や考えたこと、感じたことなども記録している。
 小川は監督の質問に、自分は政治家になりたいと思ったことは一度もない、やらなければならない、やらざるを得ないという気持が根っ子にある、と語る。政治を市民の手に取り戻したい、政治家を笑っているうちは、日本の政治は絶対によくならない、と言うのだが、そういう青い理想主義が通用する世界であるかどうか、誰もが危ぶむところだろう。
 父親は、普通の家に生まれて政治家を目指すというのは、いいことだと思うし、そういう社会であるべきだと思う、ただし自分の息子でなければだが、と語る。
 大島監督は、興味本位に始めた取材だったが、次第にこういう人間に政治を任せたいと思うようになり、発表する当てもなく、ときどき小川に会ってカメラを回すようになった。

 2003年11月の最初の選挙は、落選。当選した自民党の平井卓也は、祖父も父も国会議員という家系であり、香川県でシェア6割を占める「四国新聞」の社主の家柄である。現在、弟が社長をやっている。
 2005年9月の「郵政民営化」が争点となった選挙で、小川は選挙区では敗れたが、比例区で復活当選する。
 2009年9月の選挙で、小川は初めて平井卓也に勝ち、当選する。民主党は政権交代を果たし、小川の表情は自信に充ち、輝いていた。
 しかし民主党政権は、「マニフェスト」に掲げた多くの政策を実現できずに国民を失望させ、内紛に明け暮れ、次の2012年12月の選挙で議席を三分の一に減らす壊滅的な敗北を喫する。小川はかろうじて比例区で復活当選するが、その表情は、自分の党のふがいなさへの怒りと悔しさでいっぱいだった。

▼2017年7月、小池百合子の立ち上げた「都民ファーストの会」はブームを起こし、都議会議員選挙で勝利し、第一党となった。小池は、その勢いに乗って国政にも進出しようと「希望の党」を立ち上げ、民進党代表に就いた前原誠司は合流する方針を決める。しかしその翌日、小池は、「民進党の議員を全員受け入れるつもりはさらさらない。憲法と安保法制の考え方で絞りこむ」と発言し、民進党が大混乱する中、国政は総選挙に突入する。
 ドキュメンタリー映画は、この2017年10月の選挙戦を多くの時間を取って追いかけている。
 小川は、希望の党か無所属かを迷い悩んだ末に、希望の党からの出馬を選ぶ。そして「本人です」と書かれたたすきを掛けて、自転車で演説してまわる。父と母は投票依頼の電話を事務所で掛けまくり、妻と娘も「妻です」「娘です」と書かれたたすきを掛け、のぼり旗を持って街に出、ビラを配った。
 投開票の日、香川1区は激戦で、選挙事務所に集まった多くの支持者に結果が判明したのは、深夜の1時に近い時刻だった。小選挙区では平井に惜敗、比例で復活当選という結果だった。
 小川淳也に接する大島監督は、小川が政治家に向いていないのではないかと幾度も思う。小川自身も、自分にはエラくなりたいという突き上げるような欲望が欠けていると、認める。大島は、「小川さん、総理になりますか?」と聞く。小川は言葉を探しながら、まじめに答える。「……そのつもりでやって来たんですよ。……しかしハイと言おうとするのを逡巡する自分がある。今まで以上に自分を投げ捨てられないと、それは難しい……。だが答えが最終的にノーであるなら、今日にも議員をやめる気持ちはあります……」。

▼ドキュメンタリー映画として、長い時間をかけて一人の政治家を追ったという以外に、格別の工夫や特色があるわけではない。撮りためたフィルムを時間の順につないだだけで、映画は小川の身辺から一度も離れない。
 初めは小川淳也という人間に興味を持ち、撮り続けたフィルムであっても、一本の作品としてまとめようと考えた段階で、監督はいろいろの工夫を凝らすことが出来たはずである。たとえば小川を知る人たちの証言や感想や期待や批判を画面に加えることで、小川の人間像はより客観的なものになり、作品は厚みを持ったはずである。そうした方が、小川の苦労や苦悩を描き出すには、ずっと有効だったように思う。
 また、小川淳也という政治家が、どのように勉強し、地元の要望を聞いてどのように処理し、政治資金をどのように集め、使っているか、という側面を加えたり、多くの質問をぶつけて答える小川を撮影する、といった描き方もあったであろう。
 しかし大島監督は、あえてそうした映画づくりの常道を取らず、小川に密着し、密着したまま終わるという「方法」を選んだ。言い換えれば、監督には「作品」をつくるという意識がなかったのかもしれない。それだけ小川淳也という人間の人柄と行動に、ほれ込んだということだろうか。

 映画を観終わって、筆者の印象に残ったことのひとつは、小川の家族が全員で小川の当選のために協力する姿だった。父親も母親も妻も、息子や夫が政治家に向いていないのではないかという思いを持ちつつ、一生懸命ビラの封筒づめを行い、投票依頼の電話を掛ける。娘たちも、父を当選させるために街頭で通行人に呼び掛け、ビラを手渡し、頭を下げる。小川淳也の人柄にふさわしい、いい家族だなと素直に思った。
 もう一つ印象に残ったのは、民主党が政権の座を失い、民進党と名前を変え、さらに希望の党への合流騒ぎを経て消滅し、新たに立憲民主党と国民民主党が生まれるという混乱の過程が、渦中にいる政治家たちにはいかにエネルギーを消耗する体験だったか、ということである。それは国民一般にはどうでもよいことに見えるのだが、渦中の政治家たちにとっては、政治的な利害と個人的な愛憎がむき出しになる、過酷な体験だったのだ。

(つづく)

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ヤクザと家族 2 [映画]

▼観終わって、深々とした満足感があった。
 ある地方都市のヤクザ一家と主人公の二十年が、1999年、2005年、2019年という三つの時代に分けて描かれる。主人公は18歳の不良少年からいっぱしのヤクザになり、そして14年の服役を経て口数の少ない中年の男に変わる。
 14年ぶりのシャバは、彼にとって予想以上に変わっていた。暴対法が施行され、ヤクザ組織は経済的に締め付けられ、社会的に追い詰められていた。そういう社会環境の変化やヤクザ組織の変化の物語と並行して、賢治と由香の不器用でぎこちない「恋愛」の物語が進行する。二つの物語が自然に無理なく繋がって描かれていることが、この作品に厚みを持たせ、成功したひとつの要因である。
 実をいうと、筆者の満足感のかなりの部分は、主人公たち二人の不器用でせつない「恋愛」の物語に負っている。賢治は、ヤクザ稼業に関しては腕の良い若者だが、女については自分の感情をどう表現したらよいのか分からず、ぶっきらぼうな命令口調でしかものを言えない。一方由香は、はじめは戸惑い強く拒んでいたが、次第に賢治の“うぶ”な心が見えてくると、憎からず思うようになる。しかし相手がヤクザであることは、由香にある線を越えて踏み込むことを、躊躇させてもいた。
 14年後に再会し、由香はひとしきり賢治と話したあと、もう会わないほうがいいと思う、と言う。しかし賢治をアパートに泊まらせることになり、母娘と賢治の平穏で幸せな日々が始まる。
 朝、賢治は由香のつくった朝食を一緒に食べ、母と娘を職場と中学校に車で送る。由香を職場の前で降ろし、学校に向かう途中、娘が、ねえ、山本さん、と聞く。ママはあんなおばさんなのに、どこがいいの?
 賢治が、むかしは綺麗だったんだよ、と言うと、山本さん、昔からの知り合いなの?と更に娘は聞いた。賢治がなんとか答えをごまかすと、娘は、ママは楽しそう、よく笑うようになったし、と言った。賢治を実の父親だと知らない娘の無邪気なお喋りをとおして、由香と娘と賢治の幸福な時間が垣間見える場面である。

▼綾野剛は各時代の賢治役を演じ分け、尾野真千子は、女としての弱さも強さも持ちながら気丈に生きる由香役を演じ、舘ひろしは包容力のある子分思いの柴咲組長を演じている。柴咲組長が少し好人物風に描かれ過ぎているようにも思うが、そこは物語性を優先したのであろう。この映画の監督であり、脚本も書きおろした藤井道人は、物語を創り出す豊かな才能の持ち主であるようだ。
 藤井道人の脚本の良さは、登場人物の会話に端的に現れている。多くの映画やTVドラマのセリフが嘘くさい印象を与えるのは、説明的に過ぎ、セリフによって状況を説明しようとし過ぎるからである。実際の日常会話はずっと状況依存的であり、言葉だけ取り出せば、何を話しているのか当事者以外にはチンプンカンプンであることの方が多い。藤井は登場人物のセリフから説明的な要素を削り落とし、会話はその分自然な活き活きしたものとなり、物語は鮮度を増す。それがこの映画が成功した、二つ目の要因といえるだろう。
 カメラワークも良い。場面転換に効果的に使われている海や街のロングショットが、印象的である。

▼暴力団対策法について触れておかなければならない。すべての登場人物の上に影を落とし、彼らの運命を支配する暴対法や暴対条例は、物語の隠れた主役といってもよい存在なのだが、その実際の運用を筆者は知らない。この映画や、同じように殺人罪で服役した元ヤクザの男が主人公の映画「すばらしき世界」(西川美和監督 2021年)の語るところによれば、次のようなものであるらしい。
・ヤクザは銀行口座を開いたりケータイを持つのも、なかなか面倒である。
・ヤクザは子供を幼稚園に入れられない。
・ヤクザをやめても5年間は、まともな仕事に就けない。
・ヤクザとつきあうと、社会的非難を浴びる。
・ヤクザは生活保護を受給できない。―――
 要するにヤクザは社会から排除され、生きる権利さえ脅かされているのだが、それは当然だと、マル暴担当の刑事は賢治に向かって言う。「お前らのやってきたことを考えれば、当然の報いだろう。ヤクザの人権なんて、とうの昔になくなってるんだよ」。
 こういうヤクザへの対応の仕方が、法や条例の正しい解釈なのか、拡大解釈なのか、あるいは誤った解釈なのか、は知らない。しかしヤクザが表立って抗議の声を上げるのは難しいだろうし、実状を知っている者も、ヤクザの味方だと指さされるのを恐れて疑問の声を挙げないとすれば、上のような制限や嫌がらせが現実に行われている可能性は、案外高いのではないか。

 筆者自身も一度だけ、暴対法の運用の実態に触れた体験がある。
 数年前、母が亡くなり、葬儀屋と打ち合わせをしていた時である。火葬場に出す書類や役所に出す書類など、葬儀屋から言われるまま幾枚もの書類に住所氏名を書き、印鑑を押した。そのうちの一枚に、「私は反社会的組織に属する者ではありません」という趣旨の、誓約書のような書類があった。
 こんなもの、必要なの?と聞くと、ええ、という短い答え。少し引っかかったが、黙ってサインし、捺印した。もしも筆者が「反社会的組織に属する者」であった場合、葬儀屋は葬儀から手を引くのだろうか、と思った。
 「村八分」という言葉があるが、これは村のおきてを破った村人を、村中で仲間はずれにすることを指す。ただし火事と葬式の場合を除いて、と筆者は理解してきた。現代日本のヤクザへの仲間はずれは、江戸期の村八分よりもさらに厳しく、葬式の場合でも容赦しないらしい。

▼もう一つだけ例を挙げる。これは10日ほど前(12月27日)のニュースである。
警視庁と目黒区は暴力団排除に関する協定を結んでいて、警視庁は区営住宅入居者に暴力団関係者が含まれていないかどうか、確認しているのだという。目黒区はこの協定に基づき、38人分の氏名、性別、生年月日の記された「区営住宅入居者リスト」のフロッピーディスク2枚を、2019年と2021年に提出した。ところが警視庁は、預かったフロッピーディスク紛失し、「お詫び」を表明したというのである。
 なぜ、フロッピーディスクなのだろう、という疑問がただちに浮かんだ。フロッピーディスクが使われなくなって、もう10年以上経つはずで、今のパソコンでこれを読むためには、特別のアダプターが必要になる。
 そういう時代がかったしろものに保管されていたなら、情報自体も10年以上前の古いものに違いない。もし10年以上前の居住者リストの中にヤクザの組員の名前らしきものが見つかったとして、目黒区役所はどうするのだろうか?区営住宅の退去、明け渡しを求めるのだろうか?

 筆者はヤクザがはびこる社会を望まないし、ヤクザ映画と現実を混同するものでもない。だから彼らの活動を封じ込めるために、警察力を適切に行使することは必要なことだと思う。
 しかしヤクザを社会から徹底的に駆除し、殲滅するという考え方には、どこか不健康なものを感じる。個人の家庭なら、ソファーに化学薬品を吹きかけ、99.9パーセント除菌できた、と満足感に浸るのもいいだろう。しかし社会は、滅菌消毒できるソファーではない。
 監督・藤井道人も、暴対法に強い関心を持っていたらしい。しかし彼はそれをナマの形で表現することを避け、物語として表現し、それに成功した。

(おわり)

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ヤクザと家族 [映画]

▼半年ほど前、映画「新聞記者」のDVDをTUTAYAで借りてきて観た。予想外に出来の良い作品で、面白かった。監督は藤井道人という知らない名前で、若い人のようだった。
 安倍内閣当時の菅官房長官の記者会見で、東京新聞の女性記者が菅に詰問を幾度もぶつけ、菅はその記者を徹底的に無視する険悪な関係になっている、というニュースを聞いていた。その女性記者が『新聞記者』という本を出版し、同名の映画はその本の映画化だという話も耳にしていた。だから映画は、社会正義を叫ぶ月並みな作品だろうというぐらいに思っていたのだが、なかなかどうして、活き活きとした会話と緊迫感のある画面が続き、観る者を最後まで飽きさせなかった。
 この監督の他の作品も、是非観たいと思った。調べてみると、「ヤクザと家族 The Family」という映画が2月に上映され、評判も上々ということだった。しかしその上映も終わり、再上映の話は聞かず、DVDとなってTUTAYAの棚に並ぶのは、まだ先のことらしい。
 年の暮れになり、ふと思いついて「ネットフリックス」を調べると、この映画はすでにラインナップの中に入っており、入会すればすぐに観られることがわかった。早速入会の手続きをとり、映画「ヤクザと家族 The Family」を観た。

▼舞台は1999年の、煙突の立つ工場群と海のある地方都市。主人公は髪を金髪に染め、仲間と街なかを小さなバイクで走り回る18歳の不良少年・山本賢治(綾野剛)。親は死に、家族はいない。ある飲み屋で襲われそうになった柴咲組組長・柴咲博(舘ひろし)を救うが、礼を言う柴咲に、オレはヤクザにはならねえよ、と突っ張って答える。
 ある夜、賢治たちは覚せい剤の売人から金とクスリを奪い、バイクで逃げる。しかし翌日、売人の属するヤクザ組織(侠葉会)に見つかり、捕まって凄惨なリンチを受ける。しかし柴咲の名刺を持っているのを見て、侠葉会の幹部は彼らを解放する。
 賢治がリンチを受けたという情報を耳にした柴崎は、彼を組の事務所に呼び出す。傷だらけの賢治を見て、その肩を軽くたたき、えらく頑張ったらしいな、ケン坊、と小声で言った。そして、行くとこあるのか、と尋ねた。突っ張っていた賢治の顔がゆがみ、こらえきれずに泣く。賢治は柴咲組長の盃をもらい、組員となった。

 2005年、若いながら柴咲組の兄貴分に成長した賢治は、夜の店々を回り、やくざ稼業に励んでいる。あるクラブで隣に座った若い女(尾野真千子)を、ママに言ってホテルに呼び出す。しかし抱こうとすると、女は強く抵抗する。賢治は、「ここに来るというのは、そういうことだろ」と言うが、抵抗を静めることができず、あきらめて女のアパートまで車で送っていく。
 柴咲組のシマ内のクラブで、侠葉会の幹部が店にからんでいると聞いて賢治は駆け付け、ビール瓶で頭を殴り店から叩き出した。その問題で、柴咲組長と侠葉会会長・加藤の話し合いがもたれたが、決裂する。
 夜の海に、賢治と賢治を拒んだクラブの若い女がやって来る。いつまでもぎこちなくオマエ呼ばわりする賢治に、女は、自分は由香という名前だと伝える。
 「ねえ、なんでヤクザやってんの?」
 「……家族だから……」
 「本当の家族は?」
 「……いない」
 「私もいない……」
 不器用な会話ながら、二人の距離が少しずつ埋まり、近づいていることを観る者に教える。

 柴咲組長が賢治をお供に釣りに出かけた車が狙撃され、柴咲は無事だったが賢治は足を射抜かれ、運転手の弟分は即死した。弟分の葬式に来た「マル暴」担当の刑事は、「この一件、我々が処理しますので動かないで」と、柴咲に言った。「オヤジを的にかけたのは加藤だ」といきり立つ組員に対し、刑事は、「それでは柴咲組全員が路頭に迷うことになりますよ。これからヤクザを裁くのは法や警察だけではない。世の中全体に排除される。時代は変わっていくんですよ」と言った。
 入院中の賢治は、見舞いにきた柴咲から、「今回の件は警察にケツを預けることになった」と知らされ、自分で決着をつける決心をする。病院を抜け出し、クラブで遊んでいた侠葉会の幹部をめった刺しに刺殺する。その足で賢治は由香のアパートに寄り、はじめて彼女を抱く。
 賢治は翌日逮捕された。

▼2019年、賢治は出所するが、14年ぶりの社会は大きく変わっていた。暴力団対策法や暴力団排除条例がつくられ、ヤクザ組織は経済的に絞めつけられ、組員はやめていった。
 ヤクザから足を洗い、いまは産業廃棄物処理の仕事をしている弟分は、5年は地獄ですよと言った。「5年ルールといって、ヤクザやめても人間として扱ってもらうには5年かかるんですよ」。そして、兄貴とつきあえばオレ、「反社」「反社」って言われちゃうんです、と言って帰っていった。
 柴崎組長はガンを患っていた。亡くなる直前、見舞いに来た賢治に、「組を解散しようと思ったが、ヤクザにしかなれなかった連中を、どこが拾ってくれるよ……」と言い、「お前は組を抜けろ、お前はまだやり直せる」と言って息を引き取る。
 賢治は組を抜け、弟分の紹介で産廃処理の会社で職に就く。14年前に別れた由香の行方を探し、市役所で働いているのを知り、再会を果たす。しかし由香は、もう会わない方がいいと思うと言い、話の中で中学生の娘がいることを明らかにする。
 もう会わない方がいいと言った由香だったが、結局賢治をアパートに泊まらせることになり、母娘と賢治の平穏で幸せな日々が始まった。
 しかし平穏な生活は、長くは続かなかった。賢治と弟分が一緒に写った写真がSNSにアップされ、賢治がヤクザであることや殺人罪で収監されていたこと、由香と同棲していることなどが、ネットにつぎつぎに書き込まれる事態が発生した。由香は勤め先から退職するように迫られ、娘も転校を余儀なくされる。
 弟分は産廃処理会社を解雇され、絶望して家に戻ると、妻は娘を連れて姿を消していた。
 港の突堤の上でぼんやり海を眺めている賢治に、後ろから近づいた弟分が刃物を突き刺し、泣きながら、「あんたさえ戻ってこなければ……チクショー、チクショー……ゴメン……」と叫ぶ。賢治の身体は海に落ちた。

(つづく)

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