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ひろゆき論2 [思うこと]

▼ひろゆきがアメリカのITベンチャーの創始者と話をしたとき、なるほどこれでは日本企業はアメリカに勝てないと、つくづく考えさせられたことがあったという。
 ある会社で、経営者が5人のエンジニアに、一つのシステム製品を作ってもらうとする。納期は3カ月以内、予算は600万円。アメリカの経営者は、予算を上乗せしてもいいから、どうしたら納期を早められるかを考える。5人のエンジニアを10人に増やすとか、1か月で仕上げるノウハウを持つ会社を買収してそこにやらせるとか、いかに早く完成させるかを最重視する。
 ところが日本の企業は、納期が遅れてもいいから半額にならないかと、値段を下げる交渉にばかり関心を向ける。アメリカでそんな仕事をしていたら、競争相手に先を越されるかもしれない―――。
 ひろゆきが語るこのエピソードは、「失われた30年」を招いた日本の企業行動の問題点の指摘として、適切である。しかし彼は、こうした考えを日本企業批判、日本社会批判として、主張のメインに据えるようなことはしない。日本社会の現状は与えられた前提条件とし、その中で若者はどう生きるべきか、どう働くべきかを語るのである。
 その内容は、ひろゆき本の大きな特徴といえるのだろうが、努力せよ、我慢せよ、マジメに頑張れば他人は評価してくれる、というようなことは決して言わない。反対に、楽をしろ、無理をするな、抜け道を探せ、いかに手を抜いて楽して成果を上げるかを考えろというのが、彼の主張の基調音である。ひろゆき自身が「怠け者」であり、それでも他人と少し違う考え方をすることで成功を手に入れたのだと、若者たちに語りかけるのである。

▼さて、ひろゆきが登場し議論するABEMA Prime というネット番組を、2本見た。
 1本は、前回紹介した『世界』の「ひろゆき論」の中で、批判の対象の一つとされたもので、2022年10月にひろゆきが沖縄県名護市辺野古の米軍基地建設反対の「座り込み」を見に行った時の「事件」を紹介しつつ、検討した番組である。ひろゆきが米軍基地のゲート前に来たとき、「座り込み」の小屋と3千何十日と書かれた看板はあったが、座り込む人は一人も見えず、彼は、「座り込み抗議が誰もいなかったので、0日にした方がよくない?」とツイートした。
 辺野古の米軍基地建設反対の「座り込み」は、2014年7月の国の工事開始に抗議して始まった。初めは24時間すわりこんでいたようだが、じきに工事車両が埋め立て土砂を搬入する9時、12時、15時に合わせて抗議する形になり、以来3千日を超えて抗議活動を継続しているのだという。それを聞いてひろゆきは、翌日15時にまた抗議活動を見に行き、基地建設反対の運動家たちは彼の姿を見て、前日のツイートに抗議したのである。
 運動家たちは、ひろゆきのツイートが抗議運動に対する誹謗であり侮辱であることを非難し、ひろゆきは座り込みの人がいなかったからいなかったと書いたのであり、事実を書いて何が悪いのかと言い返した。
 「ダンプカーを止めるために座り込みしてんのよ」
 「それは座り込みじゃなくて抗議行動です」
 「自分で勝手に定義しないでもらいたい」
 「ぼくの定義じゃなくて辞書の定義です」
 「24時間いなければ座り込みと言わないという定義が、辞書のどこにありますか?」
 「辞書に書いてあります」
 「書いてないよ。どこの会社の辞書?」
 「検索すれば辞書が出てくるんで、調べて下さい」
 「いや、あなたに聞いている。24時間座り込んでいないと座り込みという言葉は成立しないのか?」
 「座り込みは座り込んで動かないこと」
 「24時間じゃなきゃ駄目なんですか?」―――
 こういうしょうもないやり取りが続いたあと、反対運動の運動家たちは基地のゲート前に「座り込み」、そこへ土砂を積んだダンプカーが何台も到着し、運動家たちは「埋め立て反対」の声を上げた。彼らはひとしきり「反対」の意思表示をしたあと、機動隊の指示に従って「座り込み」を解き、トラックは基地の中に入って行った。

 ひろゆきのツイートには、28万以上の「いいね」が付いたという。

▼1996年に米軍の普天間飛行場の返還が日米政府間で合意され、普天間から移設する滑走路をキャンプ・シュワブ沖に建設することが決まった。移設反対の声もなかったわけではないが、当時の沖縄県知事もキャンプ・シュワブのある名護市長も賛成した、と筆者は記憶している。普天間飛行場は学校や民家に囲まれ、「世界で最も危険」な飛行場と言われていたから、その返還を最優先したことは合理的な判断だったであろう。移設する滑走路を建設する辺野古岬はキャンプ・シュワブに隣接している。
 辺野古の滑走路建設反対の声が高まったのは、民主党政権時の鳩山首相が問題をよく理解しないまま「最低でも県外移設」を言い、その後撤回するというお粗末なドタバタ劇を演じてからだと記憶するが、その辺の経緯は省略する。「平和な島・沖縄に軍事基地はいらない」という主張に、筆者は、そう考えるのは感情として無理はないだろうと認めつつ、日本の地政学から見て難しいと思った。当時、米軍基地が存在することに、軍事的な危険性があったわけではなく、基地反対運動は多分に「反米」や「反自衛隊」、「平和憲法擁護」という政治的、イデオロギー的な観念や感情に拠るものだったと考えたからである。
 しかし現在、沖縄の軍事基地のもたらす危険性は極めて高くなっていると考えるべきである。米国の国力が相対的に低下し、中国の軍事力は格段に増強されている。習近平が合理的に思考するなら、それでも台湾の軍事的併合に動くことはないだろうが、「国益」よりも「党益」を上に置く国体である。「党益」のため、あるいは習近平の個人的名誉のため、「台湾統合」を大きな犠牲を払っても果たさなければならないと思い立った場合、それを押しとどめるものがあるのだろうか。
 習近平が台湾統合を決意したとき、中国軍は台湾に地上軍を送り込み、占領しなければならない。海を渡って地上軍を送り込むためには、航空優勢の確保が最低限必要な条件であり、そのためにはミサイルを使って敵の航空戦力が飛行場にいるあいだに壊滅させたり、飛行場そのものを使用不能な状態に追い込むことが考えられる。つまり日本の自衛隊と米軍の航空戦力の基地や航空母艦は、「台湾有事」の際の必須の攻撃目標なのであり、とりわけ沖縄の基地はそうならざるをえない。
 「平和のために軍事基地はいらない」というかっては荒唐無稽に近かった主張が、今ではかなりのリアリティを持って考えられるようになってきたことを、認めざるを得ないのだ。

 沖縄の基地やその反対運動について議論をしたいのなら、そのような難しい現実について論じるべきであり、ガキの口喧嘩のようなまねの何が面白いのか、まったく理解不能というほかない。

(つづく)

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「ひろゆき」論 [思うこと]

▼インターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」の管理人(正確には元管理人)西村博之という名前は、耳にしたことがあった。また、掲示板「2ちゃんねる」を何回か覗いたことがあり、このサイトの書き込みで被害を受けた人から、「書き込みを放置していた」責任を裁判で問われた、というニュースを読んだこともあった。だが、筆者と西村博之の関わりはそれだけであり、それ以上の関心を持つことはなく、この男が社会に影響力を与えるような存在になるとは思わなかった。
 ところが現在、西村博之の行動はネット世界にとどまらず、ビジネス書や自己啓発書を次々と出版したり、TV番組にコメンテーターとして出演したりと、活躍の場を広げているらしい。
 「その人気はとくに若い世代に顕著で、若者や青少年を対象とする調査では、憧れる人物として頻繁にその名が挙げられるほどだ」。「今やその存在はネット上のインフルエンサーの域を超え、若い世代のオピニオンリーダー、それもカリスマ的なそれとして広く認知されている」と、学者が論文を書くほどの存在になっているようだ。(「ひろゆき論」伊藤昌亮 『世界』2023年3月号)
 筆者はたまたま伊藤の論文を読み、西村博之が若い世代のオピニオンリーダー的人気を持つとしたら、筆者にとってかなり不可解な「日本維新の会」の現在の「人気」を、解き明かすヒントがあるかもしれないと思った。そこで最寄りの図書館に行って、西村の著書を借り出してきて読んでみた。
 残念ながら期待は大きく外れ、日本の政治社会の地殻変動を読み解く役には立たなかったのだが、別の意味で考えを刺激される部分もあったので、そのことを書いてみようと思う。

▼ひろゆきは1976年生まれ、「就職氷河期」世代である。(彼の著書では、「著者名」を「ひろゆき[西村博之]」と表記している。どの著書でもひらがなのペンネームにカッコ書きで本名を付けているところを見ると、「ひろゆき」は「イチロー」ほど認知されているわけではないと、自覚しているのだろう。このブログでは彼の「希望」に沿って、「ひろゆき」のペンネームで呼ぶことにする。)
 中央大学に入学し心理学を専攻するが、パソコンに夢中になり、1999年に掲示板「2ちゃんねる」を立ち上げ、また在学中にアメリカのアーカンソー州の大学に1年留学した。大学卒業後も企業に就職せずにプログラマーのような仕事を続け、2005年に株式会社ニワンゴの取締役管理人になり、「ニコニコ動画」を開始。2009年に掲示板「2ちゃんねる」を譲渡。2015年に英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人になり、2019年にSNSサービス「ペンギン村」をリリース。
 現在はフランスのパリに住み、半分“余生のような”生活を送る。自身のYouTubeチャンネルの登録者数は2022年2月時点で142万人、Twitterのフォロワー数は145万人を超える。著書多数。(以上の彼の履歴は、著書の奥書に書かれたものを、著書の叙述によって補足した。)

 筆者が図書館から借りだしてきた彼の著書を、次に示す。
 『論破力』(朝日新書 2018年10月発行)、『このままだと、日本に未来はないよね。』(洋泉社 2019年3月)、『1%の努力』(2020年3月)、『叩かれるから今まで黙っておいた「世の中の真実」』(三笠書房 2020年12月)、『ひろゆきのシン・未来予測』(マガジンハウス 2021年9月)、『誰も教えてくれない日本の不都合な現実』(きずな出版 2021年11月)、『ひろゆき流ずるい問題解決の技術』(ダイヤモンド社 2022年3月)、『ひろゆきと考える 竹中平蔵はなぜ嫌われるのか』(集英社 2022年6月)、『無理しない生き方』(きずな出版 2022年7月)。
 図書館にはまだまだ彼の著書があったし、貸し出し中のものも多かった。上のリストは発行年月順に並べておいたが、近年の「著作量」が顕著であり、そのことはよく売れるので彼の周囲に出版社が群がっているということを意味する。
 内容はどれも薄く、同工異曲だが、ひろゆきは自分の「著作量」の秘密を隠さずに述べている。  「……僕は、こうやって本を出す機会をいただいていますが、自分で文章を書くことはほぼありません。しゃべったことをライターさんに筆記してもらったり、僕がだらだらしゃべっているユーチューブの内容を編集者にまとめてもらったりすることで、本を出すことができています。」

▼筆者はざっと目を通しただけなので、読み落としはいろいろあるだろうと思われるが、一応ひろゆきのキャラクターは理解できたし、その主張は結構まともだと思った。
 彼の主張は、日本に明るい未来はないこと、日本経済は悪くなり「貧しい国」になることを前提とし、それでもそこに生きる一人ひとりは十分幸せに生きられるのだと、考え方や心構えについて語るものである。どのようなことを語っているのか、具体的に挙げてみよう。

・日本は遠くない将来、大金を稼げる少数の人と生活を支えるだけで精一杯の多数の人に分かれる。非正規雇用はさらに増える。
・日本でしか暮らせない人はきつい。自分が「2ちゃんねる」の裁判になっても案外強気でいられたのは、「困ったら日本を出てほかの国へ行けばいいや」と思っていたからだ。
・海外で仕事をするから学歴なんて必要ないというのは、大きな勘違い。海外に出たければなおさら学歴を軽視してはいけない。
・これから人口が減少して高齢化が進むのだから、ローンを組んで家を買うのは、郊外の土地や家などの場合、損をする可能性が高い。
・楽をして稼ぐためにプログラミングのスキルを身につけることは有効だ。プログラミングを早く自分のものにするコツは、すぐれたものを真似すること。分からないことは詳しい人に聞くこと。独学で頑張ろうとすると、大事なことと本当はどうでもよいこととの区別がつかず、最短の道を通れない。
・プログラミングはググってコピペすればできる。(グーグルで検索して必要事項を調べ、すぐれたプログラムをコピーして自分のプログラムに貼り付ければ出来上がり、という意味か?)
・年金は払っておいた方が得である。
・新卒で入った会社には三年間いた方がよい。
・「起業して一発当てよう」はだいたい失敗する。起業して一番難しいのは、あなたにお金を払って何かを頼もうという人と、いかにして出会うかということだ。組織にいるあいだに、そのことをじっくり学ぶべきだ。
・仕事を選ぶ場合、給料の多い少ないも大事だが、人から感謝される仕事かどうかという基準で選んだ方が、仕事のストレスが減って楽に生きられるかもしれない。
・世の中にはコンビニの仕事のように、スキルのたまらない仕事もある。
・若い人が選挙に行っても政治は変えられない。20~39歳の人全員が投票に行っても、40歳以上の人の多くが投票するなら、そちらの意見が尊重される。―――

(つづく)

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ウクライナ戦争に思う3 [思うこと]

▼ロシア軍がウクライナに侵攻し、首都キーウを攻略しようとしたが果たせず、キーウ占領をあきらめるまでの1か月が、この戦争の第一段階である。
 第二段階はウクライナの東部と南部の占領と奪還をめぐって戦闘が行われた時期であり、ウクライナ軍はハルキウ州やヘルソン州の領土の奪還で顕著な成果を上げたが、基本的には一進一退の膠着状態にあったといえるだろう。昨年の4月にロシア軍がキーウ攻略から「転進」して以来、今年の5月までの1年2か月ほどがこの段階であり、ウクライナ軍はこの間に大規模な反転攻勢の準備を続け、ロシア軍はそれを迎え撃つための陣地の構築に全力を注いだ。
 そして今年の6月になり、戦争は第三段階に入った。ウクライナ軍は、米国やNATO諸国から供与された新型戦車や武器弾薬を投入して大規模な反転攻勢を四方面で仕掛け、ロシア軍は頑強に抵抗している。ロシア軍は塹壕を掘り、その前方に地雷を埋め、コンクリート製の障害物を置き、砲兵力を配置してウクライナ軍の進軍を止めようとする。空からは戦闘ヘリがウクライナ軍の戦車をロケットで攻撃し、多大な損害を強いている。
 ウクライナ軍は大規模な反転攻勢に入ったものの、ロシア軍の堅い守りを攻めあぐね、敵陣を突破できずにいるという報道が流れた。ゼレンスキーは、「(反転攻勢の進行が)望んでいたよりも遅い。ハリウッド映画のような結果を期待している人もいるが、そうはいかない。人の命がかかっている」と語った。
 大規模反転攻勢の始まった直後の6月6日の夜、ヘルソン州のカホフカ水力発電所が何者かによって爆破され、溜められていた水が流出し、広大な下流域の街々を水没させた。

▼ウクライナ戦争が始まってから、TVの報道番組は毎日のように戦況を伝え、その解説をしてくれる。番組に登場し解説してくれる人たち、たとえば防衛省防衛研究所の兵頭慎治、高橋杉雄、東大先端科学技術研の小泉悠、その他自衛隊OBで元陸将クラスの人たちのおかげで、筆者の戦争に関する戦術レベルの知識と理解は、いくらか進んだようである。(自衛隊関係者というとすぐに「田母神俊雄」という名前が浮かび、ああいう「無教養な歴史修正主義者」が幹部を務める自衛隊という組織は、どうなっているのだろうかと、筆者はいぶかしく思っていた。しかしいま番組に登場する面々は、いずれも教養豊かで説明に説得力があり、聴いていて感心する場合が多い。)
 彼らの解説によれば、ウクライナの東部から南部にかけてのロシアの回廊を、どこかで切断するためにウクライナ軍は攻撃を仕掛けている。ロシア軍は時間をかけて陣地を構築しており、ウクライナ軍は多くの兵力を投入し、多大な損害を出しているが、大きな成果は上げていない。一般に攻撃側は守備側の3倍の兵力を必要とするとされているから、基礎体力に劣るウクライナ軍はその面でも厳しい条件下にある。
 しかしウクライナ軍は、まだ戦線に主力部隊を投入していない。各方面で戦いながら弱い部分を探り、そこに主力を投入することになるだろう。陣地突破は大消耗戦となるが、避けて通れない道である―――。

 戦争の戦術や兵器について、サッカーやチェスの戦術のように論じることに引っかかるものを感じる人はいるだろう。戦争というゲームの裏には人間の生死が貼りついているのだから、引っかかるものを感じるのは当然なのだが、しかしそれは「次元」の異なる問題として、触れられることはない。
 人間の生命の問題を、戦争にいかにして勝つかを考える場に持ち出すのは、関係者を当惑させるだけであろう。将軍たちは、自分は味方の兵士の生命の損害がもっとも少なく、敵軍への打撃を最大にする作戦をとるつもりだと答えることだろう。人間の生命の問題は、ゲームの外側で議論する問題であり、戦争というゲームに入った以上、早期に勝利することによって人的被害を最少に抑える、としか言えないのではなかろうか。

▼「西部戦線異状なし」という映画を、ネットフリックスで観た。筆者はレマルクの原作を読んだことはなく、ただ主人公が戦死した日の司令部報告に、「西部戦線異状なし。報告すべき件なし」と書かれていたという題名の由来だけを、昔どこかで聞いていた。
 ウクライナで戦争が起きなければ、それは筆者の中で遠い昔の有名な反戦小説であり続けたかもしれない。だが現実にウクライナで戦争が起き、反転攻勢という名の「大消耗戦」がこれから本格化しようとしているとき、眼をそむけずに観る義務があるのではないか―――。気分としてはあまり乗り気ではなかったのだが、半ば以上そういった義務感に動かされ、昨年(2022年)ネットフリックスが制作したドイツ映画「西部戦線異状なし」(監督:エドワード・ベルガー)を、観ることにしたのである。

 主人公パウルは18歳の学生だが、祖国のために闘おうと、学友たちと志願して兵士になる。西部戦線に配属された主人公たち歩兵は、砲弾銃弾の飛び交う中、突撃の命令の下、泥水の大地を這いまわったり、敵の塹壕に飛びこんで殺し合ったりという戦闘場面が描かれる。仲間のある者は死に、ある者は下肢を失うが、パウルはなんとか生き延びる。
 映画は戦闘場面や野戦病院、兵士の日常生活などをリアルに描き出すことで、戦争の恐怖や残酷さ、無益さ、兵士たちの苦痛や絶望を浮かび上がらせる。
停戦交渉がなんとかまとまり、兵士たちは喜ぶが、ドイツ軍の前線の指揮官は、停戦時間の来る前に敵軍に突撃すると演説し、反対の声を上げた兵士はその場で射殺された。パウルは突撃し、敵の塹壕の中で肉弾戦の末、胸を刺されて死ぬ。
 映画が終わり、最後に次のように白抜きの文字で書かれた黒い画面が出る。「1914年10月の戦闘開始からほどなくして塹壕戦で膠着、1918年11月の終戦まで前線はほぼ動かなかった。わずか数百メートルの陣地を得るため、300万人以上の兵士が死亡、第一次世界大戦では約1700万人が命を落とした。」

 優れた作品だと思った。重い気分があとに残った。

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ウクライナ戦争に思う2 [思うこと]

▼ウクライナ戦争について、大方の予想を裏切る展開がこれまで幾度かあったように思う。
 先ず当初、昨年2月24日にロシア軍が攻め込んだあと、世界はウクライナ政権が倒れることを予想した。プーチンは、首都キーウを占領し、ゼレンスキー政権を傀儡政権に替えることは容易であると考えていたし、米国もゼレンスキーに亡命を勧めた。
 E.ルトワックも、「ウクライナ軍による組織的な抵抗は、あと数日も続かないだろう。だがプーチンが展開する十数万人程度のロシア軍の兵力では、首都キエフや一部の都市を占領できても、全土を掌握するにはロシア軍の総兵力の半分にあたる50万人規模を投入する必要がある。完全な制圧は現実問題として不可能に見える」と語り、当面のロシア軍のウクライナ占領は避けられないと考えていた。(2022/2/25の産経新聞のインタビュー記事)。
 ところがゼレンスキーは亡命せず、ウクライナ人の抵抗の士気は高く、ウクライナ軍はよく戦い、世界の予想に反して首都キーウは占領されなかった。
 首都キーウの占領に向かったロシア軍を阻んだものは、もちろんウクライナ軍の抵抗でありロシア軍の作戦の誤りだったが、もう一つの要因として秦郁彦が強調するのは、「泥将軍(ラスプティツァ)」である。ウクライナの黒土は、コップ一杯の水が浸み込むと一夜にして泥土に変わる、と言われている。プーチンの侵攻のゴーサインがなぜか遅れたために、ロシアの戦車や軍用トラックが進行を開始したときには気温が上がり、凍土は一転して水を含んだ泥土に変わっていたというのだ。
 たしかに筆者も、ウクライナに侵攻したロシア軍の車列が延々と続く映像を、TVで観た記憶がある。こんなに沢山の戦車やトラックを相手にするのでは、ウクライナ軍もたいへんだな、というのが軍事知識ゼロの素人のその時の感想だったのだが、そうではなかったのだ。
 「本来だと戦車隊は横一列に展開して守備側の陣地を突破し」、そのあと歩兵が敵を排除して敵陣を占領する手順となるが、泥土状態の中では舗装された幹線道路しか使えず、そのため渋滞を引き起こした情景が、縦一列で延々と続く車列の映像なのだという。(『ウクライナ戦争の軍事分析』秦郁彦 2023年6月 新潮新書)
 3月10日、ウクライナ軍はキーウ近郊のプロバルイでロシアの戦車隊を待ち伏せし、急襲、撃破した。先頭と最後尾の戦車をまず炎上させ、動けなくなった戦車群を携帯ミサイルや支援の戦闘爆撃機で次々に仕留め、ロシア軍は壊滅的な損害を出して退却した。
 3月25日、ロシア国防省は、「第一段階の作戦は終了した。次は東部のドンバス地区へ兵力を集中する予定」と発表し、キーウ占領をめざしたロシア軍は一斉に撤退を開始した。プーチンの言う「特別軍事作戦」を始めて1か月後に、ロシア軍は所期の目的を達成できぬまま、「転進」することになったのである。

▼ウクライナの東部から南部にかけて、ルガンスク、ドネツク、ザポリージャ、ヘルソンの4州が存在する。東部に「転進」したロシア軍は、ルガンスク州の占領地を全域に拡げ、ドネツク州ではアゾフ海に面するマリウポリの市街地を、激戦の末に占領した。しかしウクライナ軍と市民約2千人はアゾフスタリ製鉄所の地下シェルターに立てこもって抗戦を続け、彼らが投降したのは5月半ばになってからだった。
 ロシア軍はマリウポリの占領によって、ウクライナ東部とクリミア半島を繋ぐ回廊を確保した。
 ウクライナ軍への米国とNATO諸国の軍事援助が6月ぐらいから実戦に使われはじめ、米国のハイマース(高機動ロケット砲システム)は、ピンポイントでロシア軍の現地司令部や弾薬庫などを攻撃し、成果を上げた。
 9月6日、ウクライナ軍はドネツク州の北に隣接するハルキウ州で反転攻勢を開始。南部のヘルソン州での戦闘を予想していたロシア軍は、不意を突かれてパニックに陥り、大量の戦車や装備品を残して敗走した。ウクライナ軍は、わずか5日間でハルキウ州の2500平方キロメートルを奪還した。
 ウクライナ軍はその後も手を休めず東進し、10月1日にはドネツク州の北にある鉄道の要衝リマンを解放した。
 11月11日、ロシア軍は南部ヘルソン州の州都ヘルソンを含む、ドニプロ川右岸から撤退した。

 ロシア軍が東部に「転進」した後の戦況は、ウクライナ軍のハルキウ州での目覚ましい勝利などもあったが、基本的には膠着状態にあったということらしい。ロシア軍が「火力重視の伝統に立ち返り、集中砲撃でウクライナ軍の陣地を徹底的に叩いたのち前進する堅実な戦法」(秦郁彦)を採るようになると、ものを言うのは砲兵火力や戦車など物量の大きさになる。ウクライナ軍には旧式のソ連製の戦車しかなく、その面で圧倒的に不利と見られていた。
 ゼレンスキーは武器の提供、なかんづく新型戦車の提供を米国やNATO諸国に強く求め、米欧諸国の首脳はドイツ製の「レオパルト2」をはじめとする新型の戦車を提供する決断をする。しかし米欧諸国が戦車を提供する決断をしても、ウクライナの兵士がその操縦に習熟し、実戦で成果を上げるようになるには時間が必要である。ウクライナの戦力として新型戦車が活躍するのは、冬を越し、春の泥土が固まる2023年の5月ないし6月頃になるのではないか、と言われた。

 一方プーチンは、9月21日に予備役兵32万人の動員を発令した。ロシア国内の動揺が危惧されたが、軍の態勢を立て直すためには動員をかけるしかなかった。だが新たに招集した兵士を訓練し、実戦に投入するためには、数カ月かかるだろうと言われた。
 プーチンはまた、ロシア軍が占領しているルガンスク、ドネツク、ザポリージャ、ヘルソンの4州を、ロシア領に編入する大統領令を9月30日に公布した。

(つづく)

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