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ウクライナ戦争に思う1 [思うこと]

▼「将軍たちはいつも、一つ前の戦争に勝とうと全力で準備している」という警句を、何度か目にしたことがある。誰の言葉なのか、チャーチルとか、ロイドジョージとかの名前が上がっているようだが、引用者たちは明記していなかったので、筆者はいまだに確かなことは知らない。
 だが言葉の意味は明瞭だ。戦争技術の進歩は日進月歩であり、戦争の形も大きく変わってきているのに、将軍たちの頭の中だけは変わらず、「一つ前の戦争」のイメージしかないという意味だろう。

 ウクライナ戦争は奇妙な戦争である。それが奇妙である理由のひとつは、筆者はこのブログで触れたことがあるが、西側の指導者たちが、この戦争が第二次世界大戦のように世界に拡がることを極度に恐れ、細心の注意を払うところから来ている。第三次世界大戦が起これば、それは核兵器を使用しての世界戦争であり、それは何があっても避けなければならない。
 また西側の指導者たちの頭には、「一つ前の戦争」である第二次世界大戦の記憶ばかりか、1世紀以上前の第一次世界大戦の教訓も蘇っていたはずだ。バルカン半島で発生した暗殺事件が、誰も予期せぬ形で燃え拡がり、ヨーロッパ世界とその植民地を巻き込んで4年以上続き、1千万人近い戦死者を出した歴史の記憶が、彼らを慎重にさせた。
 だから彼らはウクライナに攻め込んだロシアを非難し、経済的に締め付ける一方で、戦争が拡大しないように、拡大の口実をロシアに与えないように、ウクライナの求める援助についても慎重に中身を検討し、抑制的に(恐る恐る)対応してきたといえる。
 一方ロシアの指導者たちは、西側の指導者たちの心配や慎重さを奇貨とし、また核戦争を恐れる気持ちに突け込んで、自分たちは核兵器を保有しており、必要とされる事態となればそれを使用する決意があることを、ことあるごとにアピールしてきた。
 このような思惑の微妙な差異や心理的駆け引きの結果、ロシア軍はウクライナを首都キーウも含めて攻撃できるが、ウクライナ軍はロシア領を攻撃しない、いわんやモスクワを攻撃してはならないとする暗黙の「約束事」が出来上がっているように見える。
 関係諸国の指導者の間のこの奇妙な暗黙の「約束事」は、ウクライナの領土の侵略戦争を現に行っているプーチンが、ロシアの行動は「祖国防衛」のための「特別軍事作戦」だと言い張る奇妙さとともに、この戦争の特徴を形成している。

▼ウクライナ戦争の奇妙さの二つ目には、新しさと古さが混在している点が挙げられるだろう。新しさとは、なによりも通信技術の革命的な発展である。
 ウクライナはロシアの侵攻を受けて、すぐにイーロン・マスクに連絡を取り、彼の援助で人工衛星通信システム(スターリンク)を利用できるようになった。これによってウクライナ国内での通信連絡が、ロシアの妨害を受けずにできるだけでなく、「ジャベリン」などの兵器を活用してロシアの戦車や装甲車両を攻撃することも可能になった。
 ドローンや無人機が新しい武器として戦争に初めて登場しているが、これらも通信技術の発展と無縁ではない。
 通信技術の革命的な発展はまた、一般の人びとがこの技術を活用して戦争に直接関わることを可能にした。
 30年前の湾岸戦争のときも、一般の人びとがTVの前で戦争をまるでTVゲームのように観戦することが話題になったが、当時と現在では情報量がまるで違う。当時世界の人びとが観ていたのは、CNNの従軍カメラマンが撮ったオフィシャルな映像だったが、現在はウクライナ、ロシア両政府のマスメディアに対する公式発表以外に、インターネット上に膨大な情報が飛び交っている。一般の人びとがスマホで撮り、ネットにアップロードした映像も多い。
 ウクライナの政治指導者もロシアの指導者も(プーチンはSNSをやらないらしいが)ネットを通じて声明を公表し、世界に直接働きかけている。
 それだけではない。現場で撮られた写真や動画がアップされ、それがどこで撮られたものかをグーグルマップを使って割り出すことで、戦争全体の状況が一目瞭然となっているらしい。

▼ウクライナ戦争の「古さ」の第一は、戦争のそもそもの性格が、プーチンの領土拡大欲求によって始められた「古典的な侵略戦争」だということである。プーチンの頭の中ではウクライナはロシアの属国であり、歴史的にそうあるべきであり、その関係をより明瞭にすることで、ソ連の崩壊以来貶められてきたロシアを、再び偉大な国として復活させることができると考えたのだろう。
 古さの第二は、E・ルトワックが指摘していることだが、ウクライナ戦争は形態としては「18世紀の戦争」に似ている、という点である。
 第一次世界大戦も第二次世界大戦も「総力戦」であり、敵対する国家同士は戦場で武器を手に戦うだけでなく、相手の息の根を止めるために、国家の総力を挙げてあらゆる手段を行使した。しかしウクライナ戦争では、互いに自制して20世紀型の「総力戦」に陥ることを避けようとしているように見える。
 ロシアの天然ガスは、ウクライナの国土を通るパイプを通じてドイツやイタリアに送られるが、それは従前通り行われているし、ウクライナの港から穀物を船に積んで輸出することも、ロシアが嫌がらせをしつつも一応継続されている。
 ロシアは米国やNATO諸国がウクライナに武器を供与することを強く非難するが、ウクライナへの輸送の途中でそれを阻止しようとしたりはしない。つまり、戦争の様相は「限定的な紛争」にとどまっているのであり、それは18世紀のヨーロッパに見られた戦争の形だ、というわけである。
 ルトワックはさらに続けて言う。「問題なのは、18世紀型の戦争は長期にわたって続きがちなことだ」。(産経新聞2023/5/17)

(つづく)

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リベラルの終り?3 [政治]

▼第二次世界大戦後、西欧諸国が採用したのは、ケインズ主義にもとづく経済運営と「福祉国家」政策だった。戦災からの復興と経済成長、そして福祉国家を目指して、西欧諸国も日本も邁進した。また共産主義陣営と政治的、軍事的に対立する自由主義陣営では、貿易を活発に行うために自由貿易制度を整備したから、資源の乏しい日本もその恩恵にあずかり、経済の高度成長を実現できた。
 しかし六〇年代から七〇年代にかけて西欧諸国、特に英国は、持続的な物価上昇(インフレーション)に悩まされることになる。この物価上昇は景気が停滞している時にも続き、「スタグフレーション」と呼ばれた。
 英国ではマーガレット・サッチャーが首相となり(1979~1989年)、国有企業の民営化を進め、労働組合に強硬な姿勢で臨み、規制緩和と緊縮財政の政策を採った。米国ではロナルド・レーガンが大統領に就任し(1981~1989年)、大規模減税と軍備増強、規制緩和と福祉削減の政策を行った。
 日本では中曽根康弘が首相に就任し(1982~1987年)、「増税なき財政再建」のスローガンを掲げ、日本電電公社の民営化(→NTTの誕生 1985年)や国鉄の分割民営化(→JRの誕生 1987年)を行った。
 サッチャリズムやレーガノミクス以降の、「規制緩和」、「民営化」、「小さな政府」等の政策を指して、一般にネオリベラリズム(新自由主義)と呼ばれるが、先進諸国の経済政策は多かれ少なかれ「新自由主義」の性格を持つものとなった。

▼「新自由主義」の経済政策は英国経済を復活させ、八十年代、九十年代の通信技術やコンピュータの発達は、自由な英国市場を活性化させた。そしてその一方で、時代の変化に乗れない多くの人びとが取り残され、貧富の格差が拡大し、社会の分断が進んだ。
 日本でも九十年代から二十一世紀初頭にかけて、企業が金融危機に伴う不況を乗り越えるために新規採用を手控えたことが、「就職氷河期」といわれる時代を生み出した。八十年代に「新自由主義」的思想の下につくられた「労働者派遣法」が九十年代末に改正され、労働者の「派遣」が原則自由化されたために、企業は雇用を景気の調節弁として使うことが容易になり、「派遣労働者」を増やした。「非正規雇用」で働く労働者の割合は、やがて日本の全労働者の3割を超え、「就職氷河期」で「正社員」として就職できなかった若者たちの多くが、不安定な「非正規雇用」を続けることを余儀なくされている。
 二十一世紀初頭に首相となった小泉純一郎(2001~2006年)は、「聖域なき構造改革」を謳い、「新自由主義」的改革を進めた。だが彼が、貧富の格差が拡大する日本社会の現実と将来を、どれだけ理解していたか疑問と言わねばならない。
 不安定な「非正規雇用」のまま年齢を重ね、結婚できない若者たちが生み出されることで、日本の「少子化」問題はより深刻化し、日本の将来に暗い大きな影を落としている。

▼「維新」(彼らは「大阪維新の会」とか「日本維新の会」とか名乗っているので、一括して「維新」という。)がどのような政策を主張しているのか、ネットを見ると「維新八策2021」という政策集が載っていた。それを項目としていくつか挙げるなら、次のようなものである。「議員定数や議員報酬を3割カットする身を切る改革」、「減税と規制改革」、「セイフティネットの構築と大胆な労働市場・社会保障制度改革」、「幼稚園から大学までの教育無償化」、「地方分権と地方の自立」、「世界に貢献する外交、安全保障」、「憲法改正」等々。
 全体として、「新自由主義」的改革を主張しているのだが、それらが日本の直面している課題に応えるものなのかどうか、筆者にはかなり疑問である。
 まず現代日本という国家についてだが、「維新」の政治家がいかに「大きな政府」に抵抗感があったとしても、国民生活の保障を政府の義務として引き受け、担っていくのでなければ、政治の役目は果たせない。そのためには、より多くの税を政府の手に集めなければならず、これまで先延ばしにしてきた膨大な国家債務の問題にも、正面から取り組まなければならない。
 「維新」は、「減税」を主張し、「増税のみに頼らない成長重視の財政再建」などという、安倍晋三が9年間試みて成功しなかった政策を掲げている。だが増税をきれいごとの理屈でごまかす者を、国民はどこか信頼できないと感じていることを、知るべきである。

 また人材面でも問題がある。小選挙区制の下では、自民党から立候補できない政治家志望者が、「維新」に流れ込むケースが多いようで、悪く言えば「維新」は“二流・三流の政治家志望者”の受け皿となるという面が、例えば東京などでは強かったように思う。
 4年前愛知県で開かれた「表現の不自由展」に対し、その展示内容を批判する人びとは「不自由展」を後援した愛知県知事を非難し、リコール運動を展開した。しかし集められた署名の大部分が偽造されたものであることが発覚し、リコール運動の事務局長が逮捕されたが、それは「日本維新の会」愛知5区の支部長の男だった。
 大規模な署名偽造事件はその事務局長「個人」の問題として処理されたようだが、経過を見ればそうとばかりも言えない気がする。リコール運動を表面に立って推進したのは、美容整形医の高須某や名古屋市長の河村たかしだったが、「表現の不自由展」の展示内容に対し、「維新」の松井一郎代表と吉村洋文大阪府知事も非難の声を上げている。リコールを成功させなければならないという空気が運動事務局を強く支配し、それが事務局長を暴走させたのだろうと筆者は推測する。
 「表現の不自由展」の展示は、「天皇」や「少女慰安婦」という熱くなりがちのテーマに関わるものを含んでいたのだが、それが生み出した騒動は、「維新」の人と思想の質を露呈させるものとなった。

 なぜ「日本維新の会」は「期待する野党」として現在人気があるのか、という初めの問いに戻る。
 5月末のFNNと産経の合同世論調査では、回答者の属性については何も触れていないので、「日本維新の会」に期待すると答えた人が年寄りなのか若者なのか、男なのか女なのか、その辺はわからない。
 「維新」は何かやってくれそうだという期待があるとか、大阪府の吉村洋文知事の人気が反映しているとか、政治解説者はいろいろ言うが、実際そうなのか?

▼日本では、「日本社会党」やその流れをくむ「立憲民主党」が「リベラル」と呼ばれる。
 しかし「リベラル(liberal)」や「リベラリズム(liberalism)」は、「自由主義」の形容詞形と名詞形であり、「立憲民主党」にふさわしい性格規定とは言えない。なぜなら「立憲民主党」は、「自由」の価値を十分に活用する社会を創るよりも、「自由」を制限しても“落ちこぼれ”が出ないようにすることに賛成する政党、というイメージだからだ。現在、「リベラル」という字義に最も近いのは、「新自由主義」的主張を政策の基調とする「維新」であろう。
 しかしそういった字義談義はともかく、「維新」への期待が「立憲民主党」への期待を凌駕するという事態は、政治的な地殻変動と見るべきものだと筆者は考える。
 現在、若い世代で「自民党」支持が高く、「立憲民主党」は年齢の高い層で支持が増える傾向にあることが世論調査で判明している。この事実は、「日本社会党」から「立憲民主党」までを支えてきた「戦後民主主義」が、戦後世代とともに消えていこうとしているのではないか、ということを予感させる。
 近づく総選挙にどのように対応するべきなのか、「立憲民主党」内部の混迷が伝えられるが、それは単に選挙戦術だけの問題ではなく、拠って立つ足元の地盤が液状化している問題として、考えなければならないのだと思う。

(おわり)

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リベラルの終り?2 [政治]

▼「メモ」の内容をもう少し続ける。
 《―――どのような業界にも業界特有の発想や用語があるように、教育関係者のサークルの中にも特有の発想や言葉、言い回しがある。それらは一般に「思考の経済」に役立つのだが、外部世界との距離の自覚を欠くとき、ややもするとバランスを欠いた奇妙なものになりがちだ。
 世論の批判を浴びて文科省がなし崩しに撤回した「ゆとり教育」がそれであるし、教師が児童・生徒の「目の高さ」で授業を行うといった言い回しや、「命を大切にする教育」というスローガンも、そのもっともらしさが逆に首を傾げさせる。外部の現実世界との健康な距離感と緊張感が必要なのだ。それが失われ、サークル内部のみが現実世界となるとき、教育サークルは古いイデオロギーが糖衣状のきれいな言葉に包まれて生息するガラパゴス島となる。
 ルポの中に、「子どもたちが家庭で放置されるケースも多く、荒れの低年齢化が進んでいる。そのため小中学校の教員の多くは生活指導に労力と時間をとられ、授業準備の時間が取りにくい状況が続いている」という市教組執行委員長の発言や、「小学校入学時、多くの児童は家庭でしつけや基本的生活態度を身につけておらず、言葉の遅れもありがちだ」という市立A小教員の言葉がある。その原因は、家庭の貧困のため親が労働で手いっぱいで、子どものしつけにまで手が回らないことと、ひとり親家庭、両親のいない家庭の多さにあるとされているが、要するに大阪の教育の現実が危機的であることが指摘されている。
 先の「府民討論会」で、橋下知事が新しく教育委員に任命した小河勝は、自分の教員としての体験を踏まえ、子どもにとって「分かること」「できること」が、いかに大切であるかを語っている。
 基礎が身につかないまま学年が進み、授業が分からなければ子どもたちは荒れる。自分は、子どもたちの「荒れ」に直面していろいろ工夫し、基礎に戻って教え、トレーニングを繰り返し、彼らの躓きをなくしていく努力をしたところ、劇的な効果が見られた。彼らは、「自分も分かる」ということを実感すれば、「自分にも未来がある」と感じられるようになる。そこからやる気や意欲が生まれる―――。
 要するに、子どもたちに学力をつけることの大切さを説くのだが、当然と思えるこの考え方は、おそらく「全国から最も高く評価されてきた大阪の教育」とは、言葉の上では微妙に、そして実践においては大いに、異なるのではないだろうか?》

▼筆者の「メモ」はまだまだ続くのだが、この辺でやめる。
 筆者は全国政党としての「日本維新の会」を少しも評価しないが、彼らが大阪の市民から支持されたという一面は、認めなければならないと思う。そしてその理由は、上に紹介した筆者のメモからうかがえるように、もっともらしい理屈をつけて擁護されてきた行政の仕組みや慣行や既得権を、橋下と「維新」がかなり強引に「改革」したところから来ているのではないか、と想像している。
 そして橋下徹によって批判の対象とされた「大阪の教育」、「全国から最も高く評価されてきた大阪の教育」とは、少しトッピな物言いに聞こえるかもしれないが、「戦後民主主義」の理想や期待や主張の“なれの果て”ではないかというのが、筆者の腰だめの見当なのである。

 「戦後民主主義」という漠然とした言葉を持ち出す以上、筆者は最低限の説明を加えておく責任があるだろう。
 昭和20年の敗戦によって日本の支配者たちは自信を失い、民衆は日々の生活の困難に直面する一方で、大きな解放感を味わっていた。彼らは古い社会の仕組みや人間関係を、より民主的で平等な仕組み、自由で進歩的な関係に変えることの中に、新しい社会を思い描いた。現実は日々の食事にもこと欠くほど貧しかったが、力を合わせれば自分たちは新しい社会を創り出せる、懸命に働けばやがて豊かな未来が訪れるだろうと、希望を持つこともできた。戦争が無いということが、長いあいだ戦争とともに生きてきた国民として、ありがたかった―――。
 そういう戦後の平均的日本人の「思い」の総称が「戦後民主主義」であり、それを政治勢力として一番体現していたのは、「日本社会党」だったのではないかと、筆者は考える。もちろん日本社会党の中に「労農派マルクス主義」が脈々と流れ、路線闘争を繰り返していたことを見ないわけではないが、しかし「戦後民主主義」という「思い」の下支えがなければ、政治的な力として彼らが保守党に対抗できるはずがなかった。
 「戦後民主主義」は若者たちには常識であり、時とともに新しい世代は増加し、古い世代は退場する。時間の流れに対する信頼感が、「戦後民主主義」の基底に存在した。

▼しかしどのように優れた理念、どのように清新な「思い」であったとしても、それが現実社会で制度化され、数十年という時間が経てば、安易な方向に変形されるのは自然なことである。「自由」も「平等」も「民主主義」も、それ自体は立派な理念だが、現実の社会では関係者の利害が反映され、一部の政党や労働組合の既得権擁護のスローガンに堕落していたとしても、いっこうに不思議はない。教育が「自由」や「進歩」の阻害物に転化していたり、「平等」だけが度はずれに強調されたり、もっともらしい理屈や約束事が積み重なって、息苦しく身動きできないような現実が生じていたのかもしれない。
 多くの大阪府民が「喝采の声を上げた」のは、「橋下劇場」の盛り上げ方が巧みであったこともあるだろうが、やはり「大阪の教育」の現状に強い不満を持っていたからであり、そうした現実を生み出した教員組合をはじめとする勢力に、強い不信感を懐いていたからであろう。
 問題は、「教育」だけではない。かって日本の支配勢力に対し、新しい社会の理想や理念を主張した「戦後民主主義」勢力は、攻守所を換え、美しい言葉で飾られているが実態は不合理な現実を、より若い世代から攻められ、批判された。それが15年前に大阪で起こった橋下徹+「維新」の現象の意味だったと、筆者は理解している。

(つづく)

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リベラルの終り? [政治]

▼衆議院の解散・総選挙がこの7月か、遅くとも9月にあるだろうと、TV番組で政治解説者がしゃべっている。総理官邸の赤いカーペットの上で、身内を集めて忘年会だとはしゃいでいた岸田首相の長男兼秘書官は、批判を浴びて事実上更迭されたが、これも解散・総選挙をにらんだ首相の準備の一環なのだそうだ。
 5月末に行われたFNNと産経の合同世論調査では、岸田内閣の支持率や広島サミットの評価などを質問したあと、どの野党に期待するかを聞いている。正確に言えば、「現在の国会の野党の中で、どの政党に最も期待しますか」という質問だが、その回答は次のようだった。
 立憲民主党:15.7%
 日本維新の会:29.2%
 国民民主党:5.1%
 共産党:3.2%
 れいわ新選組:3.3%
 社会民主党:0.4%
 政治家女子48党:0.6%
 参政党:1.6%
 期待する野党はない:35.2%
 その他(「わからない」「言えない」):5.7%

 この回答で目を引くのは、やはり日本維新の会への期待が高く、現在の野党第一党の立憲民主党のほぼ倍の期待度を示している点だろう。日本維新の会の馬場代表も、「来るべき衆議院選挙で野党第一党の議席を得ることが次の目標」だと発言している。
 日本維新の会の何がそれほど期待を集めるのか、逆に、立憲民主党はなぜ国民の期待を集められないのか、そのことは選挙という政党選択の問題を越えて、日本の戦後思想の問題として考える価値があるように思う。

▼戦後政治史の上で、自民党以外に「保守」を名乗る政党が誕生したことは、「新自由クラブ」や「日本新党」をはじめいくつもある。「日本維新の会」がその中で特異なのは、大阪という地域にしっかり根を下ろしていることである。というよりも、そのそもそもの発生が、大阪府知事になった橋下徹が自分の考える府政改革を進める上で、自分を支持してくれる政治勢力を必要とし、2010年に「大阪維新の会」を結成したところから始まるのだ。
 「維新」は今でも大阪が地盤であり、大阪におけるその勢力は他の政党を圧している。そのことは大阪府民、大阪市民が、橋下徹の始めた大阪府政、大阪市政の改革を肯定的に評価し、支持したということを示している。もちろん支持や評価ばかりでなく、強い反発や非難が橋下徹の「改革」に浴びせられたのだが、それらを乗り越えて橋下の「維新」は、大阪で根を下ろしたわけである。「改革」の何が、大阪人の支持を得たのか。

 筆者は、大阪という土地も人も行政についても、直接的には何ひとつ知らない。ぼんやりそんなことを考えていたら、橋下「改革」について過去に一度だけメモを取ったことが思い出された。ノートを探したところ、幸いにも見つかったので、その一部をここに掲載したい。
 このメモをとった時、筆者は橋下の「改革」について何ひとつ知識を持たず、雑誌『世界』のルポルタージュをたまたま読み、その感想をメモしたのだった。何がきっかけでそのルポを読み、メモまで残したのか、なんの記憶もないのだが、ことによると当時、橋下知事の「教育介入」がマスメディアで大きな話題になっていたのかもしれない。
 メモを転記すると、次のようなものである。

▼《『世界』2008年12月号に載っていた「ルポルタージュ 橋下知事の教育介入が招く負のスパイラル」を、たまたま読んだ。橋下の「教育介入」を一方的に批判する出来の悪いルポだが、皮肉な意味で多少得るものがあったのでメモしておいた。

 ルポの終わり近くに、次のような一節がある。
 「……橋下知事は……自らの狭い実体験に基づいた「思い」にこだわり、……「府民の声を聞く」と言っては対立の構図をつくり上げているようだ。この「橋下劇場」の手法によって、多くの府民は喝采の声を上げ、……」
 ルポは橋下知事の「思い」について何も触れていないから、読者は何も知ることができない。しかし橋下の「教育介入」が不当だと批判しようとするなら、この「思い」は重要なポイントであり、きちんと取り上げなければ話は始まらない。また「多くの府民」が橋下の行動に「喝采の声を上げ」ている、という点も重要だ。橋下が教職員組合や教育委員会などを批判したところから、この騒動は始まった。 橋下はなぜ「教育介入」をしたのか、なぜそれに府民は喝采の声を上げるのか、教職員組合や教育委員会のこれまでの活動は批判に値するのか、それとも批判する橋下や府民の側に誤りがあるのか。大阪の教育が上手くいっていないとすれば、原因はどこにあり、どのように改善すべきなのか―――。これらの疑問がルポルタージュの出発点にならないとすれば、そもそも書く意味などどこにもないだろう。

 幸いわれわれはインターネットで大阪府教委のホームページを開き、「大阪の教育を考える府民討論会」(第1回10/26、第2回11/24)の記録を読み、橋下知事の「自らの狭い実体験に基づいた『思い』」を知ることができる。橋下はこんな発言をしている。「自分の通った大阪の中学はいわゆる『同推校』(同和教育推進校?)で、そこではまず競争の否定から入る。競争をしてはいけない」。高校は地元の高校を受験するようにという運動が行われていて、地元でない高校を受験しようとした橋下は、「なぜお前は地元の高校に行かないのか」と、その理由を言わされた。――
 「実体験」というものは体験者固有のものであり、「狭い」に決まっている。その体験から得られた「思い」が偏ったものなのか、それとも広がりをもつものなのか、が問題の要点である。中学生・橋下が感じとった「思い」の中には、大阪の教育では生徒の学力向上がおろそかにされている、という考えも含まれていたに違いない。そしてそれは多くの府民の喝采が示すように、広がりをもつものだったと言ってよいだろう。
 ルポには次のような発言も載せられている。「……これまで全国から最も高く評価されてきた『大阪の教育』、障がい者や貧困家庭を地域や学校で支えながら行ってきた教育……」
 橋下や多くの府民が、このままではだめだと考える「大阪の教育」が、一方では「これまで全国から最も高く評価されてきた」という、この落差の大きさ。繰り返すが、この落差に不思議を感じ、ここから出発するのでなければ批評という行為は成り立つはずがない。このルポルタージュは出発点の姿勢において、問題を語る資格を欠いている。》

(つづく)

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組織モデルの革新 [思うこと]

▼いつごろからか正確な記憶はないが、「フィッシングメール」が筆者のところに届くようになった。
 「このたびご本人様のご利用かどうかを確認させていただきたいお取引がありましたので、まことに勝手ながらカードのご利用を一部制限させていただきました。つきましては、以下へアクセスの上、カードのご利用確認にご協力をお願いします」とか、「当社では犯罪収益移転防止法に基づき、お取引を行う目的等を確認させていただいております。お客さまの取引についていくつか質問がございますので、下記のリンクにアクセスし、ご回答ください」といった内容のメールである。
 中にはカードの利用日時や利用場所、利用金額を具体的に挙げ、「ご利用の覚えのない場合は、下記により」手続きをするように、と言ってくるケースもある。
 「迷惑メール」に指定して「受信拒否リスト」に登録したりしてみたが、効果はなかった。どうやら送付元のアドレスを、機械的に毎回変更することが可能らしく、アドレスが1字でも変われば、筆者のパソコンは拒否せず受け取るのである。
 送り主は以前は「アマゾン」や「楽天」を名乗り、その後クレジットカードの会社や銀行、宅配便業者やNHKなどを騙っている。
 初めの頃はときどき舞い込む程度だったのだが、最近では毎日十数件、日によっては二十件を超えるメールが送られてくるようになった。

 筆者の感想を言えば、まず、「名簿」や「アドレス」の地下マーケットがあると聞いていたが、自分のアドレスもそこで売買されているのだな、ということだった。
 また、メールの送り主はあまり頭の働きの良い人間ではなく、この仕事に惰性で関わるばかりで、自分で工夫しようとする意欲に欠けている、とも思った。いかにもっともらしい内容であっても、同じ文面が一度に十数件も届いたら、誰も真面目に扱うはずがないという、最低限の判断力もないのだ。というよりも、おそらく彼の所属する組織の中で、指示されたことを何も考えずに、ただ機械的に繰り返しているだけなのだろう。

▼上の「フィッシングメール」の話は、犯罪組織のくだらなさ、そこでの活動のつまらなさを反映しているように見える。「オレオレ詐欺」や「還付金詐欺」、警官や弁護士、銀行員やらが登場する「劇場型詐欺」なども含め、21世紀の日本に現れたいわゆる「特殊詐欺」は、現れた初めのうちこそ新鮮さがあり、話題にもなった。しかし、その後も繰り返される愚かな「被害」のケースを山のように聞かされる中で、世の関心はずいぶん薄れてしまった。
 詐欺という行為は、もう少し頭を使ってストーリーを考え、スリルを感じながら実行する、“手作り感”のある犯罪ではなかったか? 機械的に大量の電話やメールを送り付け、例外的に生じた年寄りの“うっかりミス”に突けこむばかりで、なんら目新しさのないやり口は、およそつまらない―――。
 そんな風に感じていたのだが、今年1~2月にニュースとなった「ルフィ」騒動には、筆者の思い込みを覆す斬新さがあり、興味を持った。

▼今年の1月から2月にかけて、全国で発生している強盗事件が話題となり、中でも東京都狛江市での強盗事件が、90歳の老女が殴り殺されたこともあって、大きなニュースとなった。
 そしてそれらの強盗事件に関係するとみられる男たちが、フィリピンの入国管理施設に収容されていて、彼らは収容されている身でありながら、ケータイやらパソコンやらを施設内で自由に使え、強盗の指示もそこから出していたと、大きく報道された。強盗の指示役は「ルフィ」の名で呼ばれ、「ルフィ」もその入管施設の中の誰かだろう、いや、特定の誰かではなく、指示を出す時に指示者はそう名乗ったのだろうなどと、ワイドショーは賑やかだった。
 そのときニュースで解説された事件の構図は、捜査当局が流したものだったのだろうが、次のようなものだった。
 強盗を企画した人間は、情報を収集し、実行役を集め、指示を出すが、強盗行為は自分では行わない。強盗の実行役は、インターネットの「闇サイト」で1日百万円などと高額報酬を謳って集める。「闇サイト」に応募してきた人間は、本人情報だけでなく家族関係、親族関係までしっかり把握され、裏切れないように管理される。
 強盗を現場で実行する者は、単に指示されたように動くだけであり、強盗を主体的に行っているという意識が薄いから、罪の意識も薄いだろう。強盗を企画した人間にとって強盗の実行者たちは、自分と結びつくなんの関わりもない使い捨ての駒である。実行役に指示を与えることと、実行役から強奪した金品を受けとること。その接点に注意を集中し、無事に行えるなら、強盗はより安全な仕事となる。―――
 この組織モデルを、彼らは「オレオレ詐欺」から学んだのだろう。「オレオレ詐欺」では電話を掛ける「掛け子」と現金を受け取る「受け子」が、使い捨ての駒であるが、危険性が高く苦労の多い実行役を自分から切り離すという組織モデルを創り出すことにより、首謀者は「特殊詐欺」というジャンルを打ち立てたのだ。

▼日本の経済界でも組織モデル上の革新が、少しずつ見られるようになってきたように思う。
 「終身雇用」、「年功序列」、企業のメンバーとなり、その企業文化を身につけることが何よりも大切とされてきた日本の雇用慣行・雇用制度にとって、それが高度成長期に大成功した組織モデルであったからこそ、変えることは困難だった。しかしすべての企業活動がデジタル化をベースに行われる21世紀に、必要な能力を持った人材を雇用する上で、従来の日本の雇用慣行・雇用制度は大きな制約となる。年齢が若くても、外国人でも、求める能力を持った人材を高給で世界中から集める必要があるのに、それが出来ず、あいかわらず「年功序列」を基本とするようでは、世界で取り残されるばかりである。「年功」は21世紀の現代では、ただ新知識・新技術から遠いことを意味するばかりなのだ。
 バブル崩壊後、日本経済が一向に成長せず、世界で競争力を低下させていった背景には、「デフレ」のもたらした消極経営の要素が大きかったが、それだけでなく、「日本的経営」が21世紀の変化の激しい環境に適応できないという問題があったと、筆者は考える。日本においてIT化の進行が遅れた理由は、日本の経営組織モデルの革新が進まなかった理由と同根なのだ。

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