SSブログ

リベラルの終り?3 [政治]

▼第二次世界大戦後、西欧諸国が採用したのは、ケインズ主義にもとづく経済運営と「福祉国家」政策だった。戦災からの復興と経済成長、そして福祉国家を目指して、西欧諸国も日本も邁進した。また共産主義陣営と政治的、軍事的に対立する自由主義陣営では、貿易を活発に行うために自由貿易制度を整備したから、資源の乏しい日本もその恩恵にあずかり、経済の高度成長を実現できた。
 しかし六〇年代から七〇年代にかけて西欧諸国、特に英国は、持続的な物価上昇(インフレーション)に悩まされることになる。この物価上昇は景気が停滞している時にも続き、「スタグフレーション」と呼ばれた。
 英国ではマーガレット・サッチャーが首相となり(1979~1989年)、国有企業の民営化を進め、労働組合に強硬な姿勢で臨み、規制緩和と緊縮財政の政策を採った。米国ではロナルド・レーガンが大統領に就任し(1981~1989年)、大規模減税と軍備増強、規制緩和と福祉削減の政策を行った。
 日本では中曽根康弘が首相に就任し(1982~1987年)、「増税なき財政再建」のスローガンを掲げ、日本電電公社の民営化(→NTTの誕生 1985年)や国鉄の分割民営化(→JRの誕生 1987年)を行った。
 サッチャリズムやレーガノミクス以降の、「規制緩和」、「民営化」、「小さな政府」等の政策を指して、一般にネオリベラリズム(新自由主義)と呼ばれるが、先進諸国の経済政策は多かれ少なかれ「新自由主義」の性格を持つものとなった。

▼「新自由主義」の経済政策は英国経済を復活させ、八十年代、九十年代の通信技術やコンピュータの発達は、自由な英国市場を活性化させた。そしてその一方で、時代の変化に乗れない多くの人びとが取り残され、貧富の格差が拡大し、社会の分断が進んだ。
 日本でも九十年代から二十一世紀初頭にかけて、企業が金融危機に伴う不況を乗り越えるために新規採用を手控えたことが、「就職氷河期」といわれる時代を生み出した。八十年代に「新自由主義」的思想の下につくられた「労働者派遣法」が九十年代末に改正され、労働者の「派遣」が原則自由化されたために、企業は雇用を景気の調節弁として使うことが容易になり、「派遣労働者」を増やした。「非正規雇用」で働く労働者の割合は、やがて日本の全労働者の3割を超え、「就職氷河期」で「正社員」として就職できなかった若者たちの多くが、不安定な「非正規雇用」を続けることを余儀なくされている。
 二十一世紀初頭に首相となった小泉純一郎(2001~2006年)は、「聖域なき構造改革」を謳い、「新自由主義」的改革を進めた。だが彼が、貧富の格差が拡大する日本社会の現実と将来を、どれだけ理解していたか疑問と言わねばならない。
 不安定な「非正規雇用」のまま年齢を重ね、結婚できない若者たちが生み出されることで、日本の「少子化」問題はより深刻化し、日本の将来に暗い大きな影を落としている。

▼「維新」(彼らは「大阪維新の会」とか「日本維新の会」とか名乗っているので、一括して「維新」という。)がどのような政策を主張しているのか、ネットを見ると「維新八策2021」という政策集が載っていた。それを項目としていくつか挙げるなら、次のようなものである。「議員定数や議員報酬を3割カットする身を切る改革」、「減税と規制改革」、「セイフティネットの構築と大胆な労働市場・社会保障制度改革」、「幼稚園から大学までの教育無償化」、「地方分権と地方の自立」、「世界に貢献する外交、安全保障」、「憲法改正」等々。
 全体として、「新自由主義」的改革を主張しているのだが、それらが日本の直面している課題に応えるものなのかどうか、筆者にはかなり疑問である。
 まず現代日本という国家についてだが、「維新」の政治家がいかに「大きな政府」に抵抗感があったとしても、国民生活の保障を政府の義務として引き受け、担っていくのでなければ、政治の役目は果たせない。そのためには、より多くの税を政府の手に集めなければならず、これまで先延ばしにしてきた膨大な国家債務の問題にも、正面から取り組まなければならない。
 「維新」は、「減税」を主張し、「増税のみに頼らない成長重視の財政再建」などという、安倍晋三が9年間試みて成功しなかった政策を掲げている。だが増税をきれいごとの理屈でごまかす者を、国民はどこか信頼できないと感じていることを、知るべきである。

 また人材面でも問題がある。小選挙区制の下では、自民党から立候補できない政治家志望者が、「維新」に流れ込むケースが多いようで、悪く言えば「維新」は“二流・三流の政治家志望者”の受け皿となるという面が、例えば東京などでは強かったように思う。
 4年前愛知県で開かれた「表現の不自由展」に対し、その展示内容を批判する人びとは「不自由展」を後援した愛知県知事を非難し、リコール運動を展開した。しかし集められた署名の大部分が偽造されたものであることが発覚し、リコール運動の事務局長が逮捕されたが、それは「日本維新の会」愛知5区の支部長の男だった。
 大規模な署名偽造事件はその事務局長「個人」の問題として処理されたようだが、経過を見ればそうとばかりも言えない気がする。リコール運動を表面に立って推進したのは、美容整形医の高須某や名古屋市長の河村たかしだったが、「表現の不自由展」の展示内容に対し、「維新」の松井一郎代表と吉村洋文大阪府知事も非難の声を上げている。リコールを成功させなければならないという空気が運動事務局を強く支配し、それが事務局長を暴走させたのだろうと筆者は推測する。
 「表現の不自由展」の展示は、「天皇」や「少女慰安婦」という熱くなりがちのテーマに関わるものを含んでいたのだが、それが生み出した騒動は、「維新」の人と思想の質を露呈させるものとなった。

 なぜ「日本維新の会」は「期待する野党」として現在人気があるのか、という初めの問いに戻る。
 5月末のFNNと産経の合同世論調査では、回答者の属性については何も触れていないので、「日本維新の会」に期待すると答えた人が年寄りなのか若者なのか、男なのか女なのか、その辺はわからない。
 「維新」は何かやってくれそうだという期待があるとか、大阪府の吉村洋文知事の人気が反映しているとか、政治解説者はいろいろ言うが、実際そうなのか?

▼日本では、「日本社会党」やその流れをくむ「立憲民主党」が「リベラル」と呼ばれる。
 しかし「リベラル(liberal)」や「リベラリズム(liberalism)」は、「自由主義」の形容詞形と名詞形であり、「立憲民主党」にふさわしい性格規定とは言えない。なぜなら「立憲民主党」は、「自由」の価値を十分に活用する社会を創るよりも、「自由」を制限しても“落ちこぼれ”が出ないようにすることに賛成する政党、というイメージだからだ。現在、「リベラル」という字義に最も近いのは、「新自由主義」的主張を政策の基調とする「維新」であろう。
 しかしそういった字義談義はともかく、「維新」への期待が「立憲民主党」への期待を凌駕するという事態は、政治的な地殻変動と見るべきものだと筆者は考える。
 現在、若い世代で「自民党」支持が高く、「立憲民主党」は年齢の高い層で支持が増える傾向にあることが世論調査で判明している。この事実は、「日本社会党」から「立憲民主党」までを支えてきた「戦後民主主義」が、戦後世代とともに消えていこうとしているのではないか、ということを予感させる。
 近づく総選挙にどのように対応するべきなのか、「立憲民主党」内部の混迷が伝えられるが、それは単に選挙戦術だけの問題ではなく、拠って立つ足元の地盤が液状化している問題として、考えなければならないのだと思う。

(おわり)

nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。