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PLAN75 [映画]

▼映画「PLAN75」(監督:早川千絵 2022)を見た。静かな、つつましやかな映画だった。

 ある日国会で、「PLAN75」の法案が可決されたと、ラジオのニュースが伝えている。それは75歳以上の高齢者が、自分の最期について自由に選択できる制度であり、自分の最期を明るく苦痛なく締めくくれるように、行政が配慮し、支援してくれる制度である。それは少子高齢化がいっそう進んだ近未来の日本で、大量の老人が生み出す社会の軋轢を解消するのに必要な政策として、理解されている。
 「PLAN75」と書かれたのぼり旗やポスターを掲げて、行政はこの制度の普及に励む。現在、政府は「マイナンバー・カード」を普及させるために、現金の「おまけ」付きのキャンペーンを繰り広げているが、「PLAN75」の普及活動は、この「マイナンバー・カード」のそれを連想させる。

 主人公・角谷ミチ(倍賞千恵子)は、夫と死別し、子どももいない。80歳近い年齢だが、ホテルの客室清掃員として働いている。しかし同僚が「孤独死」したあと、あまり高齢の清掃員を働かせているのは外聞が悪いと、ホテルから解雇される。同じころ、終の住処だと思っていた古い団地の取り壊しも決まる。ミチは新しい仕事と住まいを探すが、高齢の女性を受け入れるような仕事やアパートはない。
 ミチはある日決心して、「PLAN75」を申し込む。申し込んだ高齢者には10万円が支給され、担当職員と電話でお喋りができるようになる。担当の若い女性職員は親身になってミチのお喋りの相手を務めるが、時間は1日15分間と決められており、彼女は上司から、個人的に親しくなってはいけないと指導されていた。それでもミチの頼みを無下に断ることができず、一緒にボーリング場に行く。
 決められた最後の時間が来ると、ミチは前の晩に取った特上の握り寿司の桶をきれいに拭き、部屋が片づいていることを確認してから家を出、バスに乗って施設へ行く。

 岡部幸夫(たかお鷹)は、全国の建設現場をまわってトンネルやダムの建設工事をしてきたが、高齢となりアパートで独り暮らしをしている。兄がいたが、関係は疎遠であり、その兄もだいぶ以前に亡くなった。岡部も「PLAN75」を申し込み、制度で定められたひとときを過ごした後、施設へ行く。
 ミチは施設で説明を受け、吐き気止めの錠剤を呑み、酸素吸入マスクのようなマスクを着けて、ベッドで横になる。ガスが送られてくると眠くなり、眠りにつくように死に至るのだという説明だったが、ふと横のベッドを見ると、眠る男(岡部)の姿が見えた。―――

▼映画は、テーマとして人間の「死」を扱っているのだが、登場人物が泣いたり怒ったり、昂ぶった感情をあらわにしたりするシーンは皆無である。行政の末端で「PLAN75」の受付を担当したり、申し込みをした高齢者と電話で接したりする若い職員の中には、迷いや疑問を持つ者もいるが、それが「悩み」として大きな声で語られることもない。
 また、通常のTVドラマなら過剰なほど提供される「説明」も、可能な限り削り落とされており、観客は肝心の「PLAN75」の制度の内容についてさえ、登場人物たちの会話の切れ端から推測するだけである。
 それらの演出が、映画の静かでつつましやかな印象を形成しているのだが、見終わったあとに残るのは爽やかなものではない。
 上野千鶴子が、映画の宣伝ビラに感想を寄せていた。「いや~な映画だ。だが目を離せない作品だ。あなたの明日がこうなるかもしれない。それでいいのか。」
 筆者の感想は、上野に近いわけではない。しかし筆者も、見終わったあとにどこか「いや~な感じ」が残った。それは結局、行政がその守備範囲を超えて、人間の「死」について口を出すことへの強い拒否反応なのだと思う。
 行政が国民の納得の下に、苦痛なく生を終えることを「支援する」制度を整備することは、ある意味で「合理的」なことなのかもしれない。しかし筆者の中で、「死」と「合理性」が滑らかにつながることへの拒否反応が、消えることはないだろう。

 監督・早川千絵は、映画のパンフレットで次のように語っている。
 「私は10年ほどニューヨークに住んで2008年に帰国したのですが、久しぶりに帰ってきた日本では自己責任論という考え方がとても大きくなっていました。社会的に弱い立場にいる人たちへの圧力が厳しく、みんなが生きづらい社会になっていた。それが年々ひどくなると感じていた2016年の夏、相模原の障碍者施設で起きた事件にものすごい衝撃を受けました。こういう社会になってしまったから起こった事件なのではないかと考えるうちに、〈PLAN75〉という設定を思いつきました。このままで行くと、ほんとうに日本でこういうことが起きてしまうかもしれないと思ったのがきっかけです。」
 筆者の問題意識は、「死」というものの捉え方、扱い方にあったのだが、早川監督の関心は、日本社会のあり方にあった―――。

▼日本は高齢社会となり、高齢者向けの情報やサービスが山のように提供される。
 週刊誌の売り物は「健康法」であり、食事をどうする、運動はどうする、病院はどこが良いか、正しい医者のかかり方など、毎週のように特集が組まれる。さらに遺言の書き方や相続税の節税の仕方、年金の賢いもらい方、失敗しない介護付き老人ホームの選び方など、高齢者向けの記事が花盛りである。
 新聞を開けば墓地の広告。TVを付ければ、死亡保険の広告。「子どもたちに迷惑かけたくない」、「葬儀費用ぐらい残しておきたい」と、元気そうな高齢者がのたまう。
 先日は、葬儀会社のオンラインセミナーの案内広告が拙宅に届いた。自分の葬式について、自分が説明を受け、自分で手配するのだろうか。なんとも滑稽な感じだが、葬儀会社によれば、葬式の事前相談を通じて不安が解消され、「人生を前向きに見直すための準備」となるのだそうだ。
 高齢者向けのマーケットに出された売り物が、どれだけ求められているものなのか、かなり怪しいのだが、現代日本でいちばん金を握っている世代のふところを狙って、今後も高齢者ビジネスはますます盛んになるだろう。

 映画の角谷ミチや岡部幸夫は、高齢者ビジネスとは無縁のところで生きている。だが、誰にでも一度だけ訪れる「死」の前では、高齢者ビジネスの良き顧客であった者も無縁であった者も平等であり、そこに救いがある。
 映画の最後で、施設を飛び出したミチは、沈んでいく夕陽を見つめながら、「リンゴの木の下で」を口ずさむ。早川監督は、「この映画のラストをどうすればいいのか、脚本を書いている時に迷っていましたが、解決策は分からないけれども、とにかく生きていることを肯定したいと思っていました。人に生きてほしい。願いのようなものを込めました」と語っている。

(おわり)

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ロシアのウクライナ侵略 6 [思うこと]

▼筆者は前々回のブログで、この戦争の新しい側面として、情報通信技術の進化が「新兵器」として現れるとともに、普通の市民が自分の考えや身の回りの状況を発信することを可能としていることを挙げた。もう一つ挙げるべき際立った特徴は、世界の人びと、とくに欧米の指導者たちが、第二次世界大戦の記憶や核兵器の脅威を常に思い浮かべながら、この戦争に対処していることである。

 このロシアによるウクライナの侵略戦争ほど、明らかに国際法に違反し、国際秩序を傷つける行動は珍しいだろう。ロシアを非難し即時撤退を求める国連総会の決議は、141カ国の賛成多数で可決された。(反対は、ロシア、ベラルーシ、シリア、北朝鮮、エリトリアの5カ国のみだった。)
 だが問題は、いかにして戦争の拡大を防ぎながらロシアを撤退させるかである。欧米の指導者の頭には、第二次世界大戦の被害の甚大さとともに、バルカン半島の小さな暗殺事件が、誰も予想しなかった世界を巻き込む大戦争に発展した第一次世界大戦の教訓も、蘇っているに違いない。だから彼らはロシアを強く非難し、経済封鎖を迅速に進めながらも、ロシア軍との戦闘に直接巻き込まれないように、慎重に対応している。
 ウクライナは空爆を避けるために、ウクライナ上空を「飛行禁止区域」に指定するようにNATO諸国に求めた。しかし、「飛行禁止区域」に指定した場合、ロシア機の監視はNATOの役割となり、これによってロシアと戦闘状態に入る事態となることを恐れ、彼らはウクライナの要求を拒否した。
 また米国は、ウクライナへ武器を提供する場合にも、ロシアを刺激しないように慎重に検討し判断しているように見える。ロシアのミサイル攻撃にさらされているウクライナは、自分たちにもミサイルを援助するように求めているが、米国は、ロシア領土内に届くミサイルは供与せず、もっと射程距離の短いものに限って供与すると発表した。
 一方ロシアは、慎重な欧米の指導者とは対照的に、言いたい放題の言動が目立つ。ウクライナへの武器供与は、「予想できない結果を招く」と「警告」し、プーチンは、「進行中の作戦に外部から干渉しようとするなら、電撃的な対抗措置をとる。そのための手段はすべてそろっている」と、軍事支援を進める欧米側を牽制した。

▼核兵器についても、ロシアの指導者たちは言葉の端々で言及することで、欧米を牽制できると踏んでいるらしい。
 プーチンは軍事侵攻を開始した直後に、「現代ロシアは、ソビエトが崩壊したあとも、最強の核保有国の一つだ」と発言し、その発言は世界のニュース番組で大きく取り上げられた。
 外相・ラブロフは4月下旬、「ロシアは核戦争を防ぐためあらゆる努力をしているが、核の脅威を過小評価してはならない(核戦争が起きるかなりのリスクがある)」と発言した。
 こうした発言は、ウクライナが核兵器を保有せず、核兵器でロシアを攻撃したくても出来ないこと、つまり核戦争を起こす力があるのはロシアだけだ、という事実を考えるなら滑稽な倒錯したものというほかないが、彼らはそういうことを自覚の上で行っているのかもしれない。
 むかし国際政治学者・永井陽之助が、「弱者の恫喝」という言葉を使ったことがあるが、欧米側の戦争拡大を恐れる気持ちにつけ込んで凄んで見せるロシアの指導者の発言は、まさに「弱者の恫喝」に当たる。
 英国の国防担当閣外相はロシアの外相の発言について、「ラブロフは15年ほどロシアの外相を務めているが、虚勢がトレードマークだ。現時点で事態がエスカレートする差し迫った脅威はない」と述べた。
 しかしロシア軍は、長引く戦闘で兵力や軍備を消耗させており、ウクライナでの戦争はロシアの思惑通り進んでいない。5月9日のロシアの戦勝記念日までに奪取すると見られていたウクライナの東部地域も、兵力を集中したにもかかわらず、それから1カ月以上経った現在、まだ完全には掌握していない。
 これから先、戦況がいっそうロシア側に不利に展開したとき、ロシア軍が核兵器を使用しないという保証はないのではないか―――。誰もが、まさか侵略をしないだろうと考えていた、その「まさか」を踏み破って侵攻を開始した事実が、欧米の指導者たちの思考に常に影を落としている。

▼6月の初め、フランスのマクロン大統領が新聞インタビューに答えて、「戦争が終わった時に外交的手段を通じて出口が築けるよう、われわれはロシアに屈辱を与えてはならない」と語ったと伝えられた。ウクライナのクレバ外相はこの発言に反発して、ツイッターに次のように書きこんだ。
 「ロシアの屈辱を避けるための呼びかけは、フランスに屈辱をもたらすだけだ。なぜならロシアに屈辱を与えるのはロシアだからだ。私たちは全員、どうすればロシアに自分の立場をわきまえさせられるかに集中すべきだ。それが平和をもたらし、人命を助ける」。

 どのようにこの戦争を終わらせるのか、まだ誰も「解」を見つけていない。もちろんプーチンとゼレンスキーは、明確でゆずれぬ主張を持っている。しかしプーチンの主張は、ウクライナの抵抗と世界の非難によって実現不可能となったし、ゼレンスキーの主張の実現性は、ウクライナの抵抗を持続する力と欧米諸国の支援の大きさによるところが大きい。
 欧米諸国の指導者たちは、ロシアを過度に刺激しないように、おそるおそるウクライナへの武器の支援を行っている。そしてプーチンは、国民の愛国心に訴えて国内基盤を固め、戦争を長期間継続する中に活路を見出そうとしているように見える。
 ロシアの世論は8割がプーチン支持で固まったまま目立った動揺はないようだし、世界経済から締め出したロシア経済の行方も、まだはっきりしない。一時、半値にまで暴落した通貨ルーブルも、ガスや石油などの資源の輸出で回復し、物価上昇率は高いものの、現在のところロシア社会へそれほどの打撃とはなっていない。
 ウクライナの五百万人の国外避難民を抱える周辺国や、ウクライナ国民自身が、どれだけ長期の戦争に耐えられるのか、筆者にはわからないが、長期の戦争を厭わないプーチンとロシア国民に比べ、強いとは言い切れないように思う。さらに筆者の心配は、欧米の指導者の政治的支持基盤がプーチンほど強いものではない、ということに広がる。
 戦争は、ウクライナの善戦・健闘にもかかわらず、戦いの長期化を恐れる欧米と戦いの長期化を恐れない捨て身のプーチンの間で、マクロンの言うような外交的な駆け引きを通じて停戦がなされ、暫定的な決着がつけられる方向に行く可能性が高いのではないか。

(つづく)

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ロシアのウクライナ侵略 5 [思うこと]

▼「ウクライナ戦争を1日も早く止めるために日本政府は何をするべきか」と題する「声明」が、和田春樹たち14人の大学名誉教授や元教授等の連名で発表された(3月15日)。するとそれに反発する声が、若手研究者たちの中から挙がった。
 新聞記事でそのことを知り、「声明」を読んでみた。「声明」は、軽く読み流す分にはどうということはないのだが、内容を吟味しはじめるといろいろな問題に気付かされる。ウクライナの戦争について考えを整理する材料として適当と思われるので、すこし取り上げてみたい。「声明」の一部を、以下に引用する。

 《われわれはこの戦争をただちに終わらせなければならないと考える。ロシア軍とウクライナ軍は現在地で戦闘行動を停止し、正式に停戦会談を開始しなければならない。戦闘停止を両軍に呼びかけ、停戦交渉を仲介するのは、ロシアのアジア側の隣国、日本、中国、インドがのぞましい。》
 《日本は過去130年間にロシアと4回も深刻な戦争をおこなった国である。最後の戦争では、米英中、ロシアから突き付けられたポツダム宣言を受諾して、降伏し、軍隊を解散し、戦争を放棄した国となった。ロシアに領土の一部を奪われ、1956年以降、ながく4つの島を返してほしいと交渉してきたが、なお日露平和条約を結ぶにいたっていない。だから日本はこのたびの戦争に仲裁者として介入するのにふさわしい存在である。》
 《日本が中国、インドに提案して、ロシアの東と南の隣国として、このたびの戦争を一日も早く終わらせるために、三国が協力して即時停戦を呼びかけ、停戦交渉を助け、速やかに合意にいたるよう仲裁の労をとることができるはずだ。/われわれは日本、中国、インド三国の政府にウクライナ戦争の公正な仲裁者となるように要請する。》

 「日本は過去130年間にロシアと4回も深刻な戦争をおこなった」とあるが、これは日露戦争(1905~1906)、シベリア出兵(1918~1922)、ノモンハン事件(1939)と、第二次世界大戦末期にソ連が中立条約を破って「満洲帝国」に侵攻(1945)した事実を指しているのだろうか。「満洲帝国」への侵攻は、ロシア経済の再建に必要な資産や資器材を奪い、捕虜にした日本軍兵士を労働力としてシベリアに拉致した“火事場泥棒”のようなもので、日本人の被った被害は深刻だったが、「深刻な戦争」には当たらないだろう。
 しかしそのことは別にして、日本がロシアとの間に未解決の領土問題を抱え、いまだに平和条約を結ぶにいたっていないことが、なぜ、「だから日本はこのたびの戦争に仲裁者として介入するのにふさわしい存在である」ことになるのだろうか。
 もめごとの仲裁は一般に、双方に影響力のある、双方が一目置く人物によってなされる。少々仲裁案に不満はあっても、もめごとを終わらせる方がもめごとを続けるよりも総合的に見て利益が大きいと判断し、仲裁に応じるわけだが、これは国際関係でも基本的に変わらない。日本はロシアとウクライナにとって、そのような影響力と信用を持つ国なのだろうか?

▼「停戦」はもちろん望ましい。それは、「戦争よりも平和が望ましい」ということとほとんど同じ意味だ。
 しかし戦争は、自分の意志を受け入れようとしない相手に、それでも受け入れさせようと強要する行為である。つまり戦争は、恨みつらみを晴らすといった感情の満足のために行われるのではなく、明確な政治的意思の下に遂行される「政治的行為」なのだ。
 そうだとするなら、「停戦」の提案を受け入れるかどうかを決めるのも、自分の政治的意思がどの程度充たされ、どの程度充たされないかという判断にかかっているといえるだろう。
 一日でも早い停戦は、一人でも多くの兵士と市民の生命を救うことに繋がることは、確かである。しかし停戦提案が受け入れられるかどうかは、繰り返すが、兵士や市民の生命を超えた「価値」がどれほど実現したかという双方の判断によることを、忘れるべきではない。兵士や市民の生命を、なにものにも換えがたい至高の「価値」だと考えていたなら、ロシアの指導者はウクライナに軍事攻撃を仕掛けなかったであろうし、ウクライナの指導者は国土防衛の戦いなどせず、さっさと両手を挙げたことだろう。

▼和田春樹たちは5月9日に「第二次声明」として、「日本、韓国、そして世界の憂慮する市民は、ウクライナ戦争の即時停戦を呼びかける」という題の文章を発表した。署名者には第一次声明の学者たちに加え、浅田次郎や桐野夏生のような小説家や上野千鶴子や内田樹などもう少し若い世代の学者、元外交官の東郷和彦、世界の紛争地で紛争処理の実務経験を持つ伊勢崎賢治、そして韓国の大学人などが名を連ねている。内容をいくつかのセンテンスにより紹介する。

 《米国をはじめとする支援国グループは競って、大型兵器、新鋭兵器をますます大量にウクライナに送り込んでおり、米国の統合参謀本部議長ミリー将軍はウクライナ戦争は数年つづくだろうと言い始めた。》
 《一部の国々はこの戦争をウクライナの勝利まで、プーチン政府が降伏するまで続けることを願っているようだ。しかし、戦争が続けばつづくほど、ウクライナ人、ロシア人の生命がうばわれ、ウクライナ、ロシアの将来に回復不能な深い傷をあたえることになる。》
 《多くの国がロシアに制裁を加え、ウクライナに武器の援助を増大させ続ければ、戦争がウクライナの外に拡大し、エスカレートし、ヨーロッパと世界の危機を招来する。核戦争の可能性が現実のものになり、制裁の影響はアフリカの最貧国において世界的規模の飢餓を引き起こしかねない。》
 《戦争がおこれば、戦場を限定し、すみやかに停戦させて、停戦交渉を真剣にさせることが平和回復のための鉄則である。われわれはあらためて、ロシア軍とウクライナ軍は現在地で戦闘行動を停止し、真剣に停戦会談を進めるよう呼び掛けたい。》
 《世界中の人々がそれぞれの場で、それぞれの仕方で、それぞれの能力に応じて、「即時停戦を」の声をあげ、行動をおこすべきときである。》

▼「第二次声明」では、「日本、中国、インドの三国の政府にウクライナ戦争の公正な仲裁者となるように要請する」という提案は消え、「中国やインド、南アフリカなどの中立的大国」やアセアン諸国が戦闘停止を呼びかけ、停戦交渉を仲介するよう期待をかける。
 また、ウクライナの戦争の具体的な進行状況を踏まえて、欧米のウクライナへの武器の供与やロシアに対する経済制裁に対する批判的な見方が盛り込まれている。
 なぜ和田たちは批判的なのか? ウクライナに武器の援助を増やせば、戦争はウクライナの外に広がる危険があり、核戦争の可能性も現実のものになりかねないからだという。またロシアへの経済的制裁は、アフリカの最貧国において、世界的規模の飢餓を引き起こしかねないからだという。
 しかしウクライナへの武器の援助は、NATO諸国からの“抑制的”な支援であり、ロシアへの経済制裁は、ウクライナへの侵攻をやめさせるために採られた非軍事的措置である。これらの支援や非軍事的措置へ批判的な視線を向けつつ、「即時停戦」を呼びかける「声明」が、いかなる政治的位置に立つかは明らかだろう。

 小さな発展途上国の政府と反政府勢力が、戦闘を始めたわけではない。核兵器大国で国連の常任理事国を務める国が、隣接する独立国家に、国際法を犯して攻め入ったという事実の重大さを、われわれは幾度も反芻しなければならない。
 「即時停戦」を呼びかけるにしても、それはロシアの行動への非難と一緒になされるべきものではないのか。筆者は、ロシアの侵略行為への非難が一言もないまま、「即時停戦」を呼びかける「声明」を、「欠陥品」と評さざるを得ない。

(つづく)


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ロシアのウクライナ侵略 4 [思うこと]

▼ロシアによるウクライナ侵略の開始(2/24)から、3カ月と10日が過ぎた。戦争の勃発は多くの人の予想しないものだったが、その後の展開もまた、良い意味で人びとの予想を裏切るものだった。ロシア軍の侵攻をウクライナがこれほど長期にわたって耐え、一部では反攻に転じるような展開になるとは、世界の軍事専門家たちさえ予想していなかったからだ。
 ウクライナの強さは、何よりも国民の意志の強さにあるのだろう。普段から隣国ロシアの脅威に対し、軍備を整えるとともに建物にシェルターや地下室を設け、戦争勃発後、空爆や砲撃によって家や街を焼かれ、国外に500万人が避難するような事態になっても、降伏しようという声は上がらない。ゼレンスキー大統領の支持率は、戦争勃発直後に9割を超えたと伝えられたが、国民は結束して苦難の時機を乗り越えようとしているように見える。
 もう一つ、ウクライナの抵抗を支えているものに、NATO諸国からの武器の供与がある。とくに米国が供与した携行型対戦車ミサイル「ジャベリン」や携行型地対空ミサイル「スティンガー」が、威力を発揮したという。
 「ジャベリン」は、兵士が肩に担いで持ち運び発射する筒状のミサイル兵器で、発射前にロックオンした標的に自動誘導して命中する。ロシア軍の戦車を装甲の薄い上部から攻撃し、破壊することが可能なのだそうで、遺棄された焼け焦げの戦車の映像がTVニュースでたくさん紹介されるが、なるほどそういうことかと納得させられる。
 軍事専門家の話では、「ジャベリン」も「スティンガー」も目新しい兵器ではないという。しかしアフガン戦争など、近年のテロ組織相手の戦闘では、相手が戦車やヘリコプターを持たないために出番がなかったのだ。今回、それが脚光を浴びているのは、戦争の形が正規軍同士の地上戦へと回帰したことを意味している。

▼戦争は、正規軍同士の地上戦というスタンダードな形態で行われているものの、それを取り巻く環境はかっての戦争とは一変している。戦争の実態が映像により毎日茶の間に届けられ、世界中の人びとがそれを解説付きで観ているのだ。
 もちろんロシア軍とウクライナ軍が砲撃し合う現場を、上空から俯瞰するような映像はない。しかし戦闘のあとに残された黒焦げのロシアの戦車やトラック、ミサイルや砲撃によって破壊された家々や集合住宅、弾痕で穴だらけにされた車や人影のない廃墟と化した街を映し出す映像は、戦争がどのようなものであるかを雄弁に語る。
 戦争の映像はTV局などのプロのカメラマンによって撮影されたもの以外に、普通のウクライナ市民のスマホで撮られたものも多い。情報通信技術の進化により、普通の市民が能動的にこの戦争に関わり、見たものを映像で送り、自分の考えを発信することが可能となっているのだ。

 情報通信技術の進化に関しては、坂村健などによる次のような解説を新聞で読んだ。
 ウクライナはエストニアと並ぶ東欧のIT強国なのだそうで、地理情報システム(GIS)の技術者も多く、シリコンバレーからウクライナに発注するケースもあるほどだという。このGISを利用した砲撃支援システムを、ウクライナ軍は開発した。通信ネットワークさえあれば、現場のタブレットから指示を出し、一つの目標に対して近くの榴弾砲、迫撃砲、ミサイル、攻撃ドローンから同時に着弾させる分散攻撃が可能になる。ロシアの防御システムは敵の集中砲撃を前提にするものなので、これに有効に反撃できない。
 そこでロシア軍は、ウクライナ軍の通信ネットワークを攻撃し、通信を妨害する挙に出た。この危機を救ったのが、イーロン・マスク率いる宇宙企業「スペースX」の提供するインタネットサービス「スターリンク」だった。
 スターリンクは、小型衛星を使うインターネットシステムである。一般にネットシステムは、地上の基地局を電波や光ファイバーで繋いでつくられているが、スターリンクは通信電波を人口衛星で中継する。衛星と通信する直径55㎝ほどのアンテナがあれば、高速インターネットが使用できる。
 ウクライナのデジタル転換相がツイッターでイーロン・マスクにサービス提供を求めたところ、マスクがそれに直接答え、10時間半でウクライナでのサービスを可能にし、5,000台の通信セットを送り込んだ。指向性電波で真上に向けた暗号通信は、旧来の方法では妨害できず、発信位置も簡単には分からないのだという。
 ロシア軍によって包囲され、熾烈な攻撃にさらされていたマリウポリで、製鉄所の地下に立てこもった部隊が、投降する最後まで政権中枢とTV会議で結ばれ、緊密に連絡が取れたのも、このスターリンクの威力を示すものだ。情報通信技術は、軍事面で直接ウクライナ軍を支えるとともに、国民の日常の情報交換や意思表明を可能にし、抗戦意志を支えている。

▼ウクライナ戦争は、まだまだ終わりが見えない。
 ウクライナからすれば、プーチンが勝手に始めた戦争なのだから、戦争をやめる、やめないはプーチンが決めることだし、侵入してきたロシア軍がウクライナ領土から撤退し、ウクライナに与えた損害を賠償しなければ、戦争は終わらない、ということになるだろう。この理屈は分かりやすいし、世界の多数のひとびとに支持されるだろう。
 一方、ロシア側の言い分は分かりにくい。これまでにプーチンの口から語られた戦争目的は、① NATOの拡大はロシアへの現実的脅威であり、それを阻止するためにこの戦争は必要だった
 ② ウクライナに住むロシア系住民を保護する必要があった
 ③ ネオナチの脅威への反撃
といったものだが、そのどれもが世界を納得させるものではない。ロシアの国内消費用の「理屈」以上のものではないのだ。
 「ネオナチ」だと攻撃されたゼレンスキー大統領は、自分の祖父が第二次大戦で、ソ連の兵士としてナチス・ドイツと戦ったことを挙げて反論した。世界の世論は、ユダヤ系のゼレンスキーを「ナチ」だと言いつのるロシアの荒唐無稽さに、そもそもウンザリしている。
 するとロシア外相・ラブロフは、「ヒトラーにもユダヤ人の血が流れていた」と発言(5/1)し、これにイスラエルが猛反発し、プーチンが詫びを入れるといったドタバタ喜劇の一幕もあった。
 5月9日のロシアの「戦勝記念日」にプーチンは、「……ウクライナ政府は……NATO諸国から最新の兵器が定期的に供給され……脅威は日に日に増していた。ロシアは侵略に対して、先制的な攻撃をした。それはやむをえない唯一の正しい決断だった」と演説した。ロシアの行動の正当性を国外へ向けて訴えることはあきらめ、国民の支持固めにしぼった演説内容といえるが、世界で孤立したプーチンの立場がうかがえた。

 ウクライナの戦争は、いつまで続くのか。
 戦場で決着がつく場合を別にすれば、それを決めるファクターとしては、ロシアの世論の動向、ロシア経済の動向、ウクライナを支援する欧米の世論の動向と欧米諸国の結束の行方、そしてウクライナ人の戦意などが挙げられよう。今後の世界の政治秩序に巨大な影響を及ぼすこの戦争の行方を、筆者も自分の問題として注視し、考えていかなければならないと思っている。

(つづく)

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