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熊本・阿蘇・由布院・別府の旅2 [旅行]

▼翌日は晴れ。朝食後、8時少し前に通町筋から九州横断バスに乗る。阿蘇駅前に9時20分着。タクシーで米塚、草千里ヶ浜、中岳火口と回る。
 溶岩と火山灰の土地のため樹木は生育せず、見渡すかぎり草原が続き、春に枯草を野焼きしたあと赤牛や馬を放牧していると、運転手が説明してくれた。たしかに杉林の場所もあるが、基本的には丈の低い緑の草におおわれた大地が、阿蘇の独特の景観を造り上げている。
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【米塚。約三千年前の噴火で造られた。高さ80mの山頂には火口の跡があるそうだ。】


DSC04043.JPG 【草千里ヶ浜】 DSC04044.JPGDSC04068.JPG
【草千里ヶ浜。観光客を馬に乗せている。】

 中岳は、一般の観光客が火口をのぞき込むことができる世界でも珍しい活火山だということだが、火山活動が活発なため、今年の3月末まで近づくことが制限されていた。突然の噴火から人びとを守るために、シェルターがいくつも造られていた。
DSC04047.JPG【シェルターの中には10人分のヘルメットが置いてある。】 DSC04053.JPG
【中岳火口】

 阿蘇駅に戻り、駅の食堂でうどんの軽い昼食。空が次第に暗くなり、昨日と同様のスコールが来た。ときどき稲妻が光り、雷鳴がバーンと大きな破裂音を立てる。14時にまた九州横断バスに乗り、16時半に由布院到着。「ゆふいん山水館」に泊まる。
 由布岳を眺めながら入る野天風呂に満足。夕食の豊後牛が美味。

▼翌朝目が覚めると、朝霧が由布岳を隠していたが、やがて良い天気になった。朝食後、由布院駅前のバス乗り場に向かう。大分県出身の磯崎新が設計したという由布院駅の駅舎を少し見物してから、別府行きのバスに乗る。
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【上:由布院駅。下:駅のインフォ―メンションセンター。早朝なので開いていなかったが、由布院映画祭のポスタ―などが見えた。】
 
バスの窓の外に、昨日の阿蘇の景色を思い出させるような草原の野山が広がり、楽しめた。
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 別府駅西口でバスを乗り換え、鉄輪(かんなわ)へ。「海地獄前」で下車し、「地獄」めぐりを開始。
 この地の熱湯や熱泥、蒸気を噴出する活動を、古来「地獄」と称してきたということで、「海地獄」、「鬼石坊主地獄」、「鬼山地獄」、「白池地獄」など、七つの地獄が観光名物となっている。
DSC04106.JPG【海地獄。水が青色。】DSC04108.JPG【鬼石坊主地獄。灰色のあぶくが湧き出ている。】
 「鬼山地獄」では温熱を利用して、大正時代からワニを数十頭飼育している。エサとして1週間に一度、鶏一羽を与えると、ワニはそれを丸呑みしてじっと動かずに消化するのだという。エサを食べるところをぜひ見たかったのだが、残念ながらこの日はエサやりをしないということだった。
DSC04112.JPGDSC04115.JPG【鬼山地獄。ワニの卵は直径15㎝ほどの大きさ。】
 七つの地獄のうち二つは少し離れた場所にあるということで、バスに乗って「血の池地獄」と「龍巻地獄」を見に行った。
DSC04119.JPG【血の池地獄。水が赤色である】

(つづく)

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熊本・阿蘇・由布院・別府の旅 [旅行]

▼7月の下旬、久しぶりで国内旅行をした。本当は、もろもろの仕事が一段落する5月の下旬に行くはずだったのだが、雨模様に加え台風が来るかもしれないと、TVの気象予報士がしきりに言うので、仕方なく2カ月延ばしたのである。
 行先は、熊本、阿蘇、由布院、別府である。はじめに、美味い「馬刺し」を食いたいというという食い物への欲望と、のんびり温泉に浸かりたいという休息への欲求があり、両者を一度に充たす旅行を考えた。まず熊本で馬刺し。それから九州横断バスに乗って別府に行こう。熊本から別府までバスに乗り続けるのも芸がないから、途中で降りて阿蘇山の景色を楽しみ、また途中の由布院で一泊したらよいのでは、と考えた。この行程を3泊4日で回るのは、後期高齢者には少々キツイかなとも思ったが、自分の体力の現在を知るには良い機会だと、考え直した。

▼7月某日、東京は晴れ。調布から空港バスで羽田へ。道路が渋滞で、大丈夫かなと案じているうちに眠りこみ、眼が覚めると羽田の第二ターミナルだった。熊本空港に予定より少し遅れて12時少し前に着き、バスで市内へ向かった。通町筋で下車。熊本は曇りで、直射日光を浴びない分、東京よりも過ごしやすい。「熊本ホテル・キャッスル」に荷物を置いて昼食に行く。「壱之倉庫」という名のビア・レストランで「赤牛丼」を食べる。美味にしてリーズナブルな値段に感激。
DSC04000.JPG〔壱之倉庫〕
 午後、熊本城見学。城の堀に沿って歩いていくと、7年前の地震で壊れて復旧工事の途中という個所もあったが、それらは一部であり、全体に落ち着いた雰囲気が戻っていた。
DSC04013.JPG〔熊本城の未修復部分〕
 緩やかな坂道をのぼると、三層六階の大天守が眼の前にあった。黒々とした外壁におおわれ、全体に「威風堂々」という言葉がぴたりと当たる。黒澤明は映画「乱」を撮るために、寄せ手の軍勢が城を下から見上げる構図の絵コンテを描いているが、それは熊本城をモデルにしたと聞いた。なるほど、と思う。DSC04018.JPG
 城の中は、各階とも普通の展示場となっていた。熊本の城主・加藤家がいつ、どういう理由で細川家に替わったのか、加藤家はどうなったのかは、筆者が長年放置してきた疑問だったが、清正の孫の光正に人望がなく、不行跡も重なり、庄内へ移封されたと説明があった。また、西南戦争の際、谷干城の率いる官軍が2か月間ここに籠城して西郷軍を足止めし、ついに落ちなかったという事件も、熊本城のハイライトとして展示・説明されていた。
 いちばん上の6階まで来て外を見ると、雨がしきりに降っていた。街はスコールに霞んで薄暗く、車は皆ライトをつけ、ときどき雷が光った。小降りになるのを待って、ホテルへ帰った。
DSC04002.JPGDSC04009.JPG〔上:谷干城像 下:加藤清正像〕
 夜は、「馬刺し」を食べに街に出た。どのガイドブックを見ても、馬肉料理の店として特定の3店が紹介されているので、「馬肉」は熊本でも特別の店でしか食べられないらしい、と思っていた。しかしこちらに来てみると、飲み屋の2軒に1軒は、「馬肉出します」の張り紙を出していた。
 予定していた有名店にいちおう行ってみたが、臨時休業の張り紙があり、そこへ行く途中に見かけたこれも有名店の「菅乃屋」に入る。地ビールを呑み、馬刺しと馬肉の握りずしを食べる。馬刺しは、どの部位もさすがに美味。ニギリはシャリが冷たく、感心しなかった。
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(つづく)

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ひろゆき論4 [思うこと]

▼さて本論は「ひろゆき論」である。沖縄の問題もウクライナ戦争の問題も、それ自身大きなテーマであるが、ここで論じなければならないのは「ひろゆき」と「ひろゆき現象」についてである。ひろゆきの本がなぜ売れ、彼の「沖縄基地前の座り込み」のツイートになぜ28万以上の「いいね」が付いたのか、なぜ「その人気はとくに若い世代に顕著」で、「若い世代のオピニオンリーダー」的存在となっているのか、という問題を考えてみたい。
 筆者はひろゆきの「著書」について、その一部をざっと覗いただけだが、奇をてらうようなこともなく、案外まともなことを言っているという印象だった。しかし全体に中身が薄く、特別に目を見張るような主張があるわけでもなく、編集者の工夫を除けば、どれも同じような感じを与える。それでも若者たちが著作を次々に買い求めているとすれば、それはアイドル本やスポーツ選手の本と同様、彼らにとって憧れの人の著作ゆえの有難みがあるのだろう。
 それでは、若者たちはひろゆきの何に憧れ、何に魅力を感じるのだろうか。おそらく若者たちにとって、組織に属さず、プログラミングの知識を習得することによりビジネスで成功し、社会の仕組みや既成の権威のおかしな点を、誰に憚ることもなく指摘し「論破」する軽快なフットワークが、カッコいいと感じられるのだろう。
 たとえば「沖縄基地前の座り込み」の問題だが、「事件」後、座り込み団体の代表者は次のように語った。「沖縄に犠牲を押しつけながら、何の自省もない、倫理観の底が抜けた日本の現状を表わしている。こうしたソフトな形の侮辱が、直接的な暴力を先導することを懸念する。」(「沖縄タイムス」)
 しかし「いいね」を送った若者たちにとって、「座り込み」の意味や理由以前に、「座り込み」という行動スタイル自体が受け入れがたい、カッコ悪いものなのではなかろうか。ひろゆきの「事件」後の感想は、「事実を伝えると怒る人たちが、こんなに沢山いるんだ」という人を喰ったものだったが、若者たちは、喧嘩上手なスマートな振る舞いと受け止めたのではないか。ひろゆきのツイートは、彼自身にどれだけの計算があったかは分からないが、若者たちに安全かつ効果的に、「座り込み」に対する自分の気持を表現する機会を与えた、ということなのだろうと思う。

▼問題をより広い場所で考えるなら、かっては支配的だった「戦後民主主義」という時代の空気が、現在は「戦後民主主義」に反発する時代の空気にとって代られたということなのかもしれない。
 戦後の日本社会では、国家権力側に与する行動は、カッコ悪いものとされていた。政治問題や社会問題に関する「保守」と「革新」の主張の、どちらの側がより合理的で優れたものであったかはともかく、政府の方針に拍手を送るのはカッコ悪いという気分は、時代の空気としてとくに若者たちの間に存在した。
 しかし現在、若者たちにとっては逆に、「反権力」のポーズこそ古臭くてカッコ悪いものと見られているのかもしれない。皆が「団結」し、「連帯」し、闘いの勝利に向けて行動するなど、美学的に反発の対象でしかないのではないか。
 「戦後民主主義に反発する時代の空気」と筆者が呼ぶのはそれであり、「正当な手続きを経て基地の移転を進める政府は正しく、一部の人たちが『座り込み』でそれを阻止しようとする運動こそ間違っている」という論理が、それを支えている。若者たちを包む空気が、「昭和時代」とはガラリと変わっていることに、われわれは気づかなければならない。
 いつの時代にも、若者は自己主張したいと思うものである。そういう若者たちにとって、ドメスティックな「おじさん」的価値観の支配する日本の社会に未来はないと言い切り、「戦後民主主義」的な権威をやりこめるひろゆきは、自分を代弁してくれるカッコいいヒーローなのだろう。

▼ひろゆきの著書や出演したネット番組を見て、筆者自身は彼に興味を持たなかったが、いくつか面白い発言や観察がないわけではないので、それを紹介してこの稿を閉じようと思う。

 彼は匿名掲示板「2ちゃんねる」の管理人だった時、次のような「名言」を吐いたという。
 「嘘は嘘であると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」。
 そして、次のようにも発言している。
 《スマートフォンの普及により、今はほとんどの人がネットを日常的に使う世の中になりました。その分、「嘘を見抜けないのにネットを使っている人」も増えてきています。そういう人が誤った情報を拡散させているのです。
 街を歩いている時に、見知らぬ誰かが寄ってきて、「実はね……」と耳打ちされたなら、たいていの人は不審に思うでしょう。それなのに、最初から騙す目的で、顔も知らない誰かがつくりあげたことを、簡単に人は信じてしまうのです。》
 こう言われても嘘を嘘と見抜けない人は多いだろうが、この説明は広く知られるべきだと思う。話の裏が取れるまで保留しなければならないというケースが格段に増えるだろうが、それはネット社会に生きる者の宿命だと覚悟するしかない。

 また彼は「論理」について、次のようなことを語っている。
 「非論理的に見える人はいても、非論理的な人はなかなかいない。感情的で身勝手な人も、その人なりの論理がある」。だから、「自分勝手な人が何に優先順位を置いているのか、仲良くなって聞くと、振り回されずに済む」。「どんな厄介者でもコミュニケーションをとることを怖がらないのが大事」である、と。
 この観察や助言は、筆者は若者への優れたアドバイスだと思った。
 「論破」については、次のように言う。
 《論破した!と周りが盛り上がることがあります。でも実をいうと、僕自身は「論破」という言葉をほとんど使いません。……そんな僕の役割は「論破」よりも「投げかけること」だと思っています。……データに基づいた事実や予測を伝え、それを受け取った人が自分で考えたり、疑問を持ったりして、そこからいろいろな討論に発展していけばいいと思っています。》
 《最近の流行語を用いて言うと、相手を「論破」するというのは気持ちのいいことかもしれませんが、実際は自分にとって圧倒的に不利なことです。言いくるめられて嬉しい人なんてこの世にいないわけで、恨みを買ったり、復讐されたりする恐れがありますから。》

 これらの観察や発言もなかなか面白いが、前回と前々回に紹介したABEMA Primeの番組を観るかぎり、彼は、子供のころから好きだったという「言葉尻を捕らえる」ことや「人の弱点を見つけて突く」ことに精を出し、「気持のよさ」に浸っているように見える。
 それとも、声のかかったお座敷での発言は「受けてナンボ」であり、自分本来の考えとは別のものだ、と考えているのだろうか。

(おわり)

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ひろゆき論3 [思うこと]

▼筆者が観たABEMA Prime というネット番組の2本目は、ウクライナ戦争についての議論だった。ウクライナ戦争に関して声明を出した「憂慮する日本の歴史家の会」のメンバーの一人・羽場久美子(青山学院大学名誉教授・国際政治学専攻)が戦争に対する考え方と声明の趣旨を説明し、他の出席者が疑問や意見を述べるという内容だった。番組がいつ作られたものか明示がなかったが、話の内容から昨年(2022年)の5月20日前後だろうと推測された。
 羽場は、「即時停戦」を訴える声明を出した理由を、次のように説明した。
 「戦争をするにはどちらにも理由がある。日本のメディアはこれまでアメリカ寄りの情報ばかり流してきたが、多面的に問題を見、自分の頭で考えることが必要だ。
 ロシア、ウクライナとも停戦交渉を何度か行い、なんとか停戦に向かいたいと考えているのに、アメリカなどがロシアを弱体化させるために、戦争を継続させたいと繰り返し言っている。戦争によっていちばん被害を受けるのはウクライナ国民であり、とにかく早期に停戦を実現することが大切だ」。
 また、ひろゆきが、「停戦すればウクライナの被害が終わるかのような主張は誤りだ。ブチャでは虐殺があり、マリウポリでは10~50万人がロシアに強制的に移動させられた。停戦が軍事的支配地域を固定させるものだとするなら、ロシア軍支配下に置かれたウクライナ人にとって、停戦は被害の継続を意味するものだ」という持論を述べたのに対し、羽場は次のように発言した。「ウクライナ東部にはかなり多くのロシア系住民が住んでいる。彼らは2014年にポロシェンコの欧米寄りの政権が誕生して以降、自治を要求したが、アゾフ大隊は虐殺を繰り返し行った」。
 ここでひろゆきが、「その証拠はあるのか」と嚙みついた。
 「国連の人権高等弁務官事務所(OHCHR)は、東部のロシア人に対してアゾフ大隊が人権侵害を行っているという資料をたくさん出しています。2014年以来、東部ドネツク・ルハンシク⒉州で、ウクライナ政府軍との戦闘で1万4千人の死者を出した、と推計されています。」
 「戦闘による死者と虐殺は違う。先ほど虐殺があったとおっしゃった。虐殺は何月何日に何人あったのか?その証拠はどこにあるのか?」
 ABEMA Primeの番組事務局が、「アゾフ大隊による非人道的行為」に関する国連報告書の一部をパネルに要約して示した。それによると、(ロシア系)住民を地下室に拘束して拷問したとか、男性の首にロープを捲きつけ気絶するまで引きずり回した、というような事例がたくさん報告されているが、 「ロシア系住民の大量虐殺」の事例はないらしい。
 羽場は、「虐殺」の主張を続けることはしなかったが、発言を明瞭に撤回することもしなかった。ひろゆきは、「根拠のない、ウソをおっしゃったんですね」と、勝ち誇ったように言った。

▼「たかまつなな」という元NHKディレクター、現在「時事YouTuber」という肩書の女性が発言した。「今の(羽場とひろゆきの)話は、ウクライナの人たちの気持にまったく触れていない。それはおかしくないか?先週イギリスに取材で行き、ウクライナの女性たちの話を聞いたが、彼女たちは、国民の独立なくして平和は考えられないと言っていた。男性の出国制限のため、パートナーと別れて暮らしているが、国を守るためにこれは必要なことだと考えている。停戦の合意は望ましいが、そのためにウクライナの人たちが我慢を強いられるとしたら、それは違うと思う」。「即時停戦を求めるというキレイごとの議論より、難民の受け入れをどうするかを議論することの方が、よほど現実的で必要なことだと思う」。―――
 羽場など「即時停戦」の声明を出した学者たちに対する批判だが、国民の多くの賛同を得られる考え方であろうと思った。

 このABEMA Primeの番組で最も筆者の興味を引いたのは、羽場の「ロシア、ウクライナともなんとか停戦したいと考えているのに、アメリカなどがロシアを弱体化させるために、戦争を継続させたがっている」という発言だった。彼女はまた、「戦争は2022年の2月24日に始まったのではない。2014年のマイダン革命から始まった。ウクライナがロシアを押し返すと、その前の(2022年の侵略開始前の)状態に戻るので、結局東と西が内戦を戦い続けるという状況が続くんです」とも主張した。これらは驚くべき発言と言ってよい。なぜならそれは、ウクライナ国民の被害を止めるためと称しつつ、プーチンの主張に限りなく寄り添うものだからだ。
 「ウクライナもロシアも停戦したいと考えているのに、アメリカなどがロシアを弱体化するために戦争の継続を望んでいる」という観察は、ずいぶん歪んだ見方をするものだなと、ある意味で感心した。現在アメリカにとって対峙すべき相手は、第一に中国であり、すべての資源をそこに集中したいところだが、ウクライナ戦争はそれをさせず、攪乱する要素として作用していると言えるのではないか。
 NATO諸国においても、ウクライナ戦争はエネルギーや食糧の価格の高騰を招き、国内政治上早く終わらせたい問題であるはずだ。しかしもしロシアがウクライナを併合したり、一部であってもその領土を占拠し、実質的に自国領とするような成功体験を修めるなら、今後の脅威は計り知れない。だからウクライナ支援に力を入れるのであり、ロシア支持の立場からは、NATO諸国の支援により「戦争はいつまでも継続される」ように見えるのであろう。

▼筆者にとって、あるいは多くの人びとにとってウクライナ戦争が衝撃だったのは、それが第二次大戦後に営々とつくられてきた世界の「秩序」を、いとも簡単に破壊する行為だったからである。
 二度の世界大戦を経て、世界の国々は国家主権の平等だけでなく、現実の軍事力を反映させた制度として国連憲章と国連組織を創り、運営してきた。そのように現実の実効性を考慮して創られた安全保障理事会ではあったが、現実には米国とソ連の利害の対立によって、強制力を発動できる機会はきわめて限定的だった。しかしそれでも、その常任理事国自身が憲章に違反して侵略行為を開始するようなことは、それまでなかった。
 そのような世界政治の危機であるにもかかわらず、「国際政治学者」の口から世界秩序の破壊がもたらす深刻な事態が語られず、ウクライナ人の被害を止めることを名目にする「即時停戦」の旗だけが掲げられる。それはあまりにもお粗末ではないかと、筆者は思った。

(つづく)

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