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「靖国」を考える 9 [政治]

▼前回はいささか言葉足らずで終わったようなので、少し補足しておく。



 中国政府は2012年9月以降、尖閣諸島付近に船舶や軍の偵察機を接近させては、「現状を変更して緊張を高めているのは日本」だと強弁し続けている。彼らは領土問題をめぐる紛争が存在するという既成事実をつくり上げようとしているのだが、彼らの行為が、経済政策を別にすれば必ずしも国民に政策を強く支持されているわけではない安倍政権への、最大の支援となっていることは強調する必要がある。
 「靖国参拝」問題も然りであり、中国政府が力を背景に国際秩序の変更を強引に押し進め、その一環として「靖国」非難の声を高めるならば、安倍首相は安んじて参拝を実行する日が来るに違いない。
 そのことが外交的にどの程度大きな事件となるのかは分からないが、そもそもの問題、つまり日本人は戦没者追悼をどのように行うべきかという本質的な問題については、そのことで解決に少しも近づくわけではない
 中国政府の反発・非難は、戦没者追悼の問題としては小さな事件に過ぎないと筆者がみなす理由である。

▼最後に筆者が引っかかる問題をひとつ挙げて、本稿を終えることにする。靖国神社は死者を遺族の意思とは無関係に祀り、妻や兄弟などが合祀をやめて欲しいと申し出た場合にも聞き入れない、という問題である。
 この問題は直接靖国神社が被告となったものではないが、「山口自衛官合祀訴訟」でも問われている。
 ある自衛隊員が公務中に事故死し、出身地の山口県自衛隊隊友会は県の護国神社に合祀申請をしようとした。それを知った妻は、キリスト教徒としての信仰から合祀を断わったのだが、隊友会は申請を強行して合祀を実現した。このことについて妻は、隊友会と国の違憲性を裁判で問うたのである。
 地裁、高裁は原告勝訴としたが、最高裁は「異なる信仰の共存と宗教的寛容」を理由に、原告を敗訴とした。(1988年)。妻の訴えを、自己の信教ないし信条の自由を振りかざして他者の信教の自由を無視する行為とみなし、それは認められない、と判断したのである。



 靖国神社に対する合祀取り消し訴訟は、21世紀に入り相次いで起こされたが、いずれも敗訴している。誰を祀るかを決めるのは靖国神社の宗教的自由であり、感情的に不快であるからといってその取り消しを求めることはできない、という理由である。
 
 なぜ靖国神社は遺族の同意を得ずに祀ってもよいと考えるのか、訴訟の中で靖国側は次のように言う。「国のために亡くなられた方々をお祀りするのが創立以来の伝統であるから、その伝統に基づき遺族の同意を別に求めず合祀を行っている。」
 要するに「そういう伝統だ」ということに尽きるのだが、法律的には「祀られたくない自由」を遺族が主張するのに対し、靖国側は「祀る自由」を主張し、「祀る自由」の主張に軍配が挙げられているのである。
 しかし「追悼」という行為が、個人的なものであるとともに「共同体的」なものであるとしても、故人に対する思いの「重さ」や「深さ」は比較にならないだろう。神社側に基本的に「祀る自由」があるとしても、遺族からの申し出があれば取り消しに応ずるべきだとするのが、現代の市民感覚であるように思う。

▼太平洋戦争では台湾・朝鮮からも義勇兵として、また戦争末期には徴兵令により、軍人・軍属が出征した。台湾人の戦死者は約3万人、朝鮮の戦死者は約2万人であり、その多くが靖国神社に祀られている。
 この合祀の事実が外部に知られたのは1977年以降だが、それ以降、合祀取り消しを求める訴訟が遺族を中心に起こされた。しかし靖国神社はこれを拒否した。「戦死した時点では日本人だったのだから、死後日本人でなくなることはありえない。……内地人と同じように戦争に協力させてくれと、日本人として戦いに参加してもらった以上、靖国にまつるのは当然だ。台湾でも大部分の遺族は合祀に感謝している。」(1978年 池田権宮司)
 
 「戦傷病者戦没者遺族等援護法」が1952年につくられ、遺族年金が支給されるようになった日本人戦没者とは異なり、戦後日本国籍を離れた台湾・朝鮮の軍人・軍属戦没者については、日本政府からわずかな一時金以外は支給されていない。
 日本人として亡くなったのだから遺族が反対しても靖国には合祀する、しかし日本国籍を失ったのだから年金は支給しない、という理屈は、それほど説得力のあるものではない。日本兵士として戦死したのだから遺族年金は支払う、しかし日本国籍を離れた人びとなのだから靖国には祀らない、という逆の整理の仕方も同様に成り立つように見えるからだ。

▼靖国問題をここ2か月ほどのあいだ論じてきたが、自分の考えが前に進んだという気はあまりしない。
 それはひとつには、「宗教」という筆者の苦手な分野に関わる問題だからでもあるが、同時に日本の近代史・現代史の評価の問題でもあり、国際政治の問題にも関わるとともに人間の生き方の問題でもあるという、問題の多面性、複雑性のせいであるだろう。
 「東京裁判」が対象とした一連の「戦争」も、すでに終了してから68年が経過した。吉田満のように直接戦争を担った世代がすでに幽明境を異にしただけでなく、「少国民」として戦中戦後の生活を知る世代も消え去ろうとしている。
 筆者も含め「観念」でしか戦争を知らない世代が、もろもろの判断の責任を負わなければならないのだが、われわれの歴史認識、国際政治認識の成熟度が試されると言い換えることもできる。それは、かっての悲惨にして貴重な経験からどれだけ多くのものを学び取ったのか、に懸っているように思われる。



(おわり)


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三土修平

ご連載完結、お疲れ様でした。
私が8年前に『靖国問題の原点』を出しましたときには、「靖国問題を『中国・韓国の外交カード』などととらえるのは皮相的な見方で、もっと、戦後史の初期における『ボタンのかけ違い』にこそ光を当てて、冷静に考えるべきだ」とアピールすると、それなりに「なるほど」と言ってくださる声が聞こえてくる情勢でしたが、あれから8年、本当にこの問題を「中国・韓国の(特に中国の)外交カード」ととらえざるをえない国際政治情勢が強まってしまい、私自身、八方塞がり感がしてなりません。

この10月3日、アメリカの国務長官と国防長官が、日本政府の招きによってではなく、自主的判断で千鳥ヶ淵戦没者墓苑に献花しましたが、「日本政府も、意固地にならずに、千鳥ヶ淵が公的戦没者追悼施設なのだという線で、円満にことを収拾したらどうだね」という誘い水のように思われます。

もちろん、高橋哲哉さんのような人は、「それもまた日米同盟強化を念頭に置いた誘い水にすぎず、国家主義の害悪を克服するものではありえない。断固反対」というような態度をとるでしょうが、国際政治とは本来散文的なもの。そういう俗なる場にいたずらに絶対善を叫ぶ詩的精神を持ち込むことには、私も疑問を感じております。宗教なき日本で政治が疑似宗教になってしまう病理は、右翼国家神道と左翼戦後民主主義とのあいだで、案外共通していると言えるかもしれません。
by 三土修平 (2013-12-01 18:48) 

渡辺卓(当blog開設者)

三土修平さま
コメントありがとうございました。コメントの内容に賛成です。

以前ご紹介のあった上野千里の遺書を、ご著書『靖国問題の深層』で読みました。一読、「私は貝になりたい」を想起しました。戦地から無事に帰還した主人公が、妻子との平和な生活から引き離され、BC級戦犯裁判で有罪を宣告されるという状況は、同様です。
しかし大きな違いもあります。「私は貝になりたい」の主人公は、必死で説明し訴えてもびくともしない不条理の壁の前で絶望し、人間世界との一切のかかわりを立ちたいとの思いから「貝になりたい」とつぶやきます。一方上野千里は、自分の置かれた状況を客観的に広く見通したうえで、未来を信じ、自分の「捨てられぬ日本人の魂」、「男の操」に殉じました。心に沁みる遺書でした。
政治家たちは自分の「愛国」が上野千里の遺書に恥じないものであるかどうか沈思黙考する時間を持て、というご著書のご意見にも賛成です。
by 渡辺卓(当blog開設者) (2013-12-02 09:46) 

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