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「靖国」を考える 8 [政治]

▼さて本稿・「『靖国』を考える」も、書き始めたときの予想の倍の長さになってしまったので、論じ残した問題に簡単に触れながら、そろそろ店じまいにしたいと思う。
これまで取り上げていない問題の一つは、総理大臣の「靖国参拝」に対する中国政府の反発、非難の問題である。結論を先取りしていえば、これは外交的には大きな問題だが、戦没者追悼の問題としては小さな事件に過ぎないと筆者は考える。



 対中国外交の第一線で苦闘し、病魔に倒れた外務官僚・杉本信行は、その遺著で「靖国参拝」問題について、次のように書いている。長い引用となるが、そのまま紹介しよう。(『大地の咆哮』2006年)



 《なぜ中国側が日本の総理大臣の靖国神社参拝にあれほど反発するのか。私はマスコミを含めて日本側はきちんと理解できていないのではないか、という隔靴掻痒の思いを禁じえないでいる。(中略)
 中国側の主張は明確だ。A級戦犯が祀られている神社への日本国総理による参拝が、日中国交正常化の前提を崩すものであると考えているからである。
 国のために戦った兵士をその国の最高指導者が慰霊すること自体は、中国共産党の指導者たちも理解しており、なんら批判的な意見を述べていない。少なくとも現状では、B・C級戦犯について問題にする動きもない。
 中国がA級戦犯にこだわる理由は、七二年の日中国交正常化の際、当時の中国国民には認めがたい条件で交渉が進められたことと密接に結びついている。
 とくに賠償放棄は、戦争犠牲者の親族・縁者がまだ多く生き残っていた中国で、本来ならば国民の支持を得ることは難しい問題だった。
 しかし当時は、毛沢東や周恩来といった強烈なカリスマ指導者がそれを可能にした。このとき周恩来が国内に向けて行った説得が、「先の日本軍による中国侵略は一部の軍国主義者が発動したものであり、大半の日本国民は中国人民同様被害者である」という理屈だった。
 この対中侵略を指導した「一部の軍国主義者」であるA級戦犯を首相が参拝するとなれば、「七二年当時の日中国交正常化のロジックが崩れてしまう」というのが中国側の主張である。
 つまり、靖国への首相の参拝を見過ごせば、国内向けに行ってきたこれまでの説明が破綻し、党・政府が苦しい立場に追いやられるというわけだ。》

▼なぜ、そのように中国国民が認めがたいような寛容な条件で、毛沢東と周恩来が日本と国交を回復しようとしたのか。
 杉本は、「おそらく賠償問題を解決しようとすれば、国内の調整は不可能に近かっただろうし、それよりも賠償を放棄することで、日本に歴史的な負い目を抱かせて、後に国益に結びつけるほうが得策と考えたのだろう」という。筆者は中国側の計算の中には、蒋介石が抗日戦勝利宣言の演説で「以徳報怨」を言い、日本軍と民間日本人の大陸からの復員、引き揚げが速やかに行われるように対応した事実なども、入っていたのだろうと想像する。
 しかしどのような事情が中国側にあり、その事情に照らして日本の首相の靖国参拝が遺憾だったとしても、戦死者の追悼に異議を挟むことが内政干渉であることは確かである。内政干渉は日本国内に反発を生み、「A級戦犯合祀」や「公式参拝」を疑問に思う人々のあいだにも、中国政府への反感が広がった。戦死者の追悼をめぐる議論は、それだけでも十分複雑なのに、外国からの内政干渉とそれへの反発が加わり、問題解決の糸口さえ見いだせない八方ふさがりの状態に陥った。中国政府および中国人に対する嫌悪感は蓄積され、反発は靖国神社へのひそかな声援となって広がっているように見える。



 杉本信行は、無名戦士の骨を納めている千鳥ヶ淵戦没者墓苑を、外国の「無名戦士の墓」に相当する場所とするのがもっとも良いのかもしれないとしながらも、国民からそのように認知されていない現状を見れば、新追悼施設の建設も含め、現実的な解決方法にはならないだろうと考える。
 外国からの内政干渉により靖国神社への参拝を中止したとなれば、国民の屈辱感は今後の大きな禍根となるし、「A級戦犯分祀」も困難だとしたら、どうしたらよいのか。
 杉本の考えは揺れ動き、靖国神社から大東亜戦争を肯定する主張を抜いて国民追悼施設とすることなど、解決方法を必死で模索しているが、成功しているとはいえない。戦死者の追悼という国民意識、国民感情に深くかかわる問題を、理屈で捌こうとしても、どうしても余りが生ずる。



 2012年9月、尖閣諸島の「国有化」問題をきっかけに、日本と中国の対立は新たな段階に入った。
日中間に「誤解」があるから対立するのではない。国家間に利害の対立があり、中国政府が外交方針を、鄧小平の掲げた「韜光養晦」(劣勢時には才能を隠して低姿勢を保ち、時を待つ)から、大国としての自己主張を強める方針へと転換しつつあることの顕れと考えられる。「靖国問題」も日本攻撃の材料としての性格をいっそう強め、安倍首相が今年の秋の例大祭で参拝をせず、真榊奉納にとどめたことにも、評価する言葉よりも批判の言葉を投げた。



(つづく)


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