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熊本・阿蘇・由布院・別府の旅 [旅行]

▼7月の下旬、久しぶりで国内旅行をした。本当は、もろもろの仕事が一段落する5月の下旬に行くはずだったのだが、雨模様に加え台風が来るかもしれないと、TVの気象予報士がしきりに言うので、仕方なく2カ月延ばしたのである。
 行先は、熊本、阿蘇、由布院、別府である。はじめに、美味い「馬刺し」を食いたいというという食い物への欲望と、のんびり温泉に浸かりたいという休息への欲求があり、両者を一度に充たす旅行を考えた。まず熊本で馬刺し。それから九州横断バスに乗って別府に行こう。熊本から別府までバスに乗り続けるのも芸がないから、途中で降りて阿蘇山の景色を楽しみ、また途中の由布院で一泊したらよいのでは、と考えた。この行程を3泊4日で回るのは、後期高齢者には少々キツイかなとも思ったが、自分の体力の現在を知るには良い機会だと、考え直した。

▼7月某日、東京は晴れ。調布から空港バスで羽田へ。道路が渋滞で、大丈夫かなと案じているうちに眠りこみ、眼が覚めると羽田の第二ターミナルだった。熊本空港に予定より少し遅れて12時少し前に着き、バスで市内へ向かった。通町筋で下車。熊本は曇りで、直射日光を浴びない分、東京よりも過ごしやすい。「熊本ホテル・キャッスル」に荷物を置いて昼食に行く。「壱之倉庫」という名のビア・レストランで「赤牛丼」を食べる。美味にしてリーズナブルな値段に感激。
DSC04000.JPG〔壱之倉庫〕
 午後、熊本城見学。城の堀に沿って歩いていくと、7年前の地震で壊れて復旧工事の途中という個所もあったが、それらは一部であり、全体に落ち着いた雰囲気が戻っていた。
DSC04013.JPG〔熊本城の未修復部分〕
 緩やかな坂道をのぼると、三層六階の大天守が眼の前にあった。黒々とした外壁におおわれ、全体に「威風堂々」という言葉がぴたりと当たる。黒澤明は映画「乱」を撮るために、寄せ手の軍勢が城を下から見上げる構図の絵コンテを描いているが、それは熊本城をモデルにしたと聞いた。なるほど、と思う。DSC04018.JPG
 城の中は、各階とも普通の展示場となっていた。熊本の城主・加藤家がいつ、どういう理由で細川家に替わったのか、加藤家はどうなったのかは、筆者が長年放置してきた疑問だったが、清正の孫の光正に人望がなく、不行跡も重なり、庄内へ移封されたと説明があった。また、西南戦争の際、谷干城の率いる官軍が2か月間ここに籠城して西郷軍を足止めし、ついに落ちなかったという事件も、熊本城のハイライトとして展示・説明されていた。
 いちばん上の6階まで来て外を見ると、雨がしきりに降っていた。街はスコールに霞んで薄暗く、車は皆ライトをつけ、ときどき雷が光った。小降りになるのを待って、ホテルへ帰った。
DSC04002.JPGDSC04009.JPG〔上:谷干城像 下:加藤清正像〕
 夜は、「馬刺し」を食べに街に出た。どのガイドブックを見ても、馬肉料理の店として特定の3店が紹介されているので、「馬肉」は熊本でも特別の店でしか食べられないらしい、と思っていた。しかしこちらに来てみると、飲み屋の2軒に1軒は、「馬肉出します」の張り紙を出していた。
 予定していた有名店にいちおう行ってみたが、臨時休業の張り紙があり、そこへ行く途中に見かけたこれも有名店の「菅乃屋」に入る。地ビールを呑み、馬刺しと馬肉の握りずしを食べる。馬刺しは、どの部位もさすがに美味。ニギリはシャリが冷たく、感心しなかった。
DSC04034.JPGDSC04035.JPG

(つづく)

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