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今年も12月になった3 [思うこと]

▼前回、10月7日の「開戦」以降、イスラエルの攻撃によって大きな被害を受けているにもかかわらず、ハマスを支持するパレスチナ人が増えていることを見た。それではイスラエルの世論はどうなっているのか。
 シンクタンク「イスラエル民主主義研究所」は12月11日~13日に、ユダヤ系503人とアラブ系101人の男女にインタビュー形式で尋ねた調査結果を、19日に発表した。イスラエル国内のアラブ系住民は約2割と言われるから、調査は人種別の人口比を考慮して行われたと言える。
 「軍事計画を立てる際に、どの程度ガザの人たちの苦しみを考慮するべきか」という設問に対し、ユダヤ系は「ほとんど考えるべきではない」「あまり考えるべきではない」が合わせて81%を占めたという。一方アラブ系では、「大いに考えるべきだ」「かなり考えるべきだ」が、計83%だった。
 またユダヤ系の回答には政治的立場によって違いがあり、右派の89%、中道の77.5%、左派の53%が、それぞれ「考えるべきではない」と答えた、という。
 「戦争」が始まって以来、イスラエル軍の空爆によって瓦礫の山と化したガザの街や、生き埋めになって救助される人々、泣き叫ぶ子供たちといった戦争の様子は、映像によって世界に届けられている。ガザの保健当局の発表によれば、死者数は、12月19日時点で2万人を超えた。「即時休戦」「即時停戦」を求める声が世界に広がっているのだが、イスラエルのユダヤ系の国民は、「ガザの人々の苦しみなど考慮する必要はない」と言うのだ。
 彼らのそうした考えや感情の傾向は、「開戦」以降に始まったものではなく、近年徐々に強まってきたものと見ることができ、それはイスラエル議会の構成にも反映されている。

▼イスラエルの議会は、独裁者が出ることを防ぐという理由から、完全比例代表制を採用している。2019~2022年に5回もの総選挙を行っているが、全部で120の議席の過半数を取る政党が現れず、連立の組み方をめぐって争いや駆け引きが続いているからである。
 2022年末の選挙でつくられた政権の与党は、リクード(右派)32、宗教シオニズム(極右)14、シャス党(ユダヤ教超正統派)11、ユダヤの力(ユダヤ教超正統派)7、の64議席であり、過半数(61)をわずかに上回る状態だった。開戦後の10月12日に国民団結党(中道右派)12が新たに与党に加わり、ようやく安定勢力を獲得したが、極右やユダヤ教超正統派が休戦や停戦に不満な場合、政権離脱をちらつかせることで戦争の行方を左右する力を握っている。
 現在の政権では、「宗教シオニズム」党の党首が「財務相兼第二国防相」に就き、「ユダヤの力」の党首が「国家安全保障相」に就いている。「財務相兼第二国防相」というのは聞きなれない面妖な肩書だが、国防相が占領地行政を管轄するということを知れば、事態は容易に理解できる。つまり占領地である「ヨルダン川西岸地区」に入植地を増やしていくという政策を推進するポストなのである。パレスチナ人の抵抗は当然発生するが、治安を維持するのは「国家安全保障相」の役割である。
 極右やユダヤ教超正統派は、パレスチナ全土がユダヤの民に神が「約束した土地」であり、入植地を広げることは当然と考えていて、ネタニヤフは政権を取るために彼らの希望を入れ、希望するポストを用意したというわけだ。(以上はBSフジの「プライムニュース」に拠る。)
 西岸地区では10月7日の「戦争」勃発以降、入植者によるパレスチナ人襲撃が増大し、200人以上が殺され、イスラエルの国防相が入植者による暴力の急増を非難する(12/5)事態となっている。
 
▼「ガザ 素顔の日常」という映画を見た。2019年につくられた記録映画で、ガザに暮らす人々の日常を撮ったものである。
 映画は、海辺でサーフィンを楽しむ若者たちの光景から始まる。どこの国でも見られる普通の風景である。次に、漁船に乗る少年にカメラが向けられる。少年は、いまに大きな漁船を買って、兄弟と漁に出たいと夢を語る。
 ガザでは今でも妻を4人まで持てるらしく、妻が3人で子供が40人という初老の漁師も登場する。子供の一人は、兄弟がたくさんいて大家族は楽しいと言う。陽気な売店の店主やタクシーの運転手なども登場する。
 ガザは一見、他の中東の街と変わりのない土地のように見える。しかし実態は、イスラエルの造った巨大な壁に囲まれ、イスラエルによって経済的に封鎖された「天井なき牢獄」であることが、少しずつ示されていく。
 ガザ地区の西側は南北40㎞ほどの海岸線だが、船は海岸線から遠くまで出ることはできない。漁業ができる領域が定められていて、そこから外に出ようとするとイスラエル海軍から銃撃されるのだ。
2007年にガザをハマスが実効支配するようになってから、イスラエルは地区を封鎖し、物資も人の移動も制限している。若者たちに仕事はなく、希望を実現することは難しい。
 映画は後半、砲撃で廃墟となったたくさんの鉄筋造の建物を映し出し、タイヤを燃やし、イスラエル兵に石を投げるパレスチナの子供たちにカメラを向ける。イスラエル軍はこれに対して、実弾を打ち返す。
 2014年と2018年に、パレスチナの住民とイスラエル軍の衝突があり、数十名の死者が出、多くの学校や病院、家屋、発電所などが破壊された。また同じことが起きるのではないかと恐れている、と老女が語り、「私たちはただ生きたいのです」という言葉が、画面に残る。
 
▼ガッサン・カナファーニーの中・短編小説を読んだことがある。(『太陽の男たち/ハイファに戻って』) パレスチナを追われ、中東の各地で暮らす人々の日常生活をたんたんと描いているのだが、登場人物たちの背後に読み手がパレスチナの歴史理解を挿入することで、場面がにわかに活性化される、そういう小説だった。
 (カナファーニーはパレスチナの中流家庭に生まれ、イスラエル建国のときは12歳だった。難民の一人としてシリアの山村に逃れ、やがてダマスカスに移った。新聞の校正係や難民救済機関の学校の教員などをしたのち、ベイルートの新聞で主幹として健筆をふるい、PFLPの公式スポークスマンとして活動した。その発言は世界のジャーナリストに注目され、イスラエル側には脅威となり、1972年、車に仕掛けられたダイナマイトによって、彼は車ごと吹き飛ばされた。享年36歳。)

▼今回の「パレスチナの戦争」はどのようにして終わるのだろうか。緊急に必要とされる水や食糧や医薬品は、いつ人々の手に届くのか、イスラエル軍が徹底的に破壊した家屋や病院、学校や多くのインフラ施設は、どのようにして再建されるのだろうか。
 戦闘はいつかは止む。ハマスは「開戦」後2か月半を、よく戦っていると言えるが、それでも組織的抵抗は近いうちに終わるのではないか。
 だがそのあと、イスラエルはどうするのか。彼らは明確な「出口戦略」を持たないまま、ハマスの「壊滅」に向けて突き進んできたが、パレスチナ人の存在を無視しようとする彼らの「思想」が、国際社会に受け入れられるとは思えない。入植地をめぐるパレスチナ人民との対立は、深刻な国内対立となってイスラエルの政治を混乱させるかもしれない。
 当面は絶望しか見えない「パレスチナ問題」だが、イスラエル政治の混乱の可能性にわずかな「希望」を見出したいという筆者の思いは、姑息に過ぎるだろうか。

 (おわり)

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今年も12月になった2 [思うこと]

▼戦争に関する「国際法」は、戦争や闘争の主体について現実を踏まえて対象を拡大しただけでなく、毒ガスや細菌などの生物・化学兵器を禁止したり、捕虜や傷病者、一般住民の保護について取り決めたりしている。1949年にジュネーブで締結された4条約は、捕虜や傷病者、一般住民を保護する内容の条約だが、それらはさらに検討が重ねられ、補完するものとして1977年に二つの「ジュネーブ条約に追加される議定書」が採択された。
 この議定書が、一般住民(平和的住民)の保護をどのように規定しているかを見てみよう。
 「平和的住民及び非軍事物に対する尊重及び保護を確保するために、紛争当事者は、常に、平和的住民と戦闘員とを、また、非軍事物と軍事目標を区別しなければならず、従ってその行動を軍事目標に対してのみ向けなければならない。」(第一議定書第48条)
 「非軍事物」とは、「民用物」と訳している条約集もあるが、軍事目標でないすべての物を言い、攻撃は軍事目標にきびしく限定されなければならない。礼拝所や学校、家屋のような通常平和的な目的に使われる物は、明らかに軍事行動に寄与するために用いられている証拠がない場合は、「非軍事物」と推定されなければならない。
 「無差別攻撃」は許されない。無差別攻撃とは「特定の軍事目標に向けられていない攻撃」や、特定の軍事目標に限定することのできない戦闘の方法・手段を用いる攻撃である。そして特に二つの類型を挙げて、それは無差別攻撃とみなされると警告している。
 一つは、都市などの一般住民や非軍事物が集中している地域に多数の軍事目標がある場合で、相互に明確に分離されるものを単一の軍事目標とみなして砲撃や爆撃を加えること。
 もう一つは、予期される具体的かつ直接的な軍事的利益と比べ、巻き添えにする一般住民の死亡や傷害、非軍事物の損害が、過度に引き起こされると予想される攻撃である。(第一議定書第51条)
 戦争に関する国際法を思い起こすことは、法の「無力」に失望することになるかもしれない。しかしそれは「文明」の証しであり、完全なニヒリストであっても言葉の上ではそれを尊重しているかのように振舞わざるを得ないところに、法の存在理由を見ることができる。

▼12月9日、イスラエル軍のガザ地区攻撃により「少なめに見積もって7千人以上のハマス戦闘員を殺害した」と、イスラエル国家安全保障顧問は地元TVのインタビューで述べたという。
 しかしガザの保健当局の12月10日の発表によれば、10月7日の戦闘開始以後の一般住民の死者は1万8千人にのぼり、負傷者は5万1300人だという。その多くは連日連夜行われているイスラエル軍の空爆によるものだろうが、それは戦闘開始後の合計で2万2千箇所以上にのぼるという。ガザ地区の広さは東京23区の6割程度であるから、空爆のすさまじさはわれわれの想像をはるかに超えると言わなければならない。
 筆者はイスラエル軍が、一般住民と戦闘員を区別しなかったり、民用物を意図的に軍事目標にしているとは考えない。しかし地下トンネルが縦横に、300~500㎞も掘りめぐらされているといわれるガザ地区で、ハマスの戦闘員を殺戮するために「無差別攻撃」を行っていることは確かであり、それが「国際法」の求める一般住民の保護に違背し、住民の殺戮と都市や住居の破壊を大規模に実行するものであることは、明らかである。
 ハマスの10月7日の越境攻撃によるイスラエル国民の殺害と人質の拉致は、許されぬ行為であり、テロルとして非難されなければならない。だからその後イスラエルが、人質の解放とハマスの壊滅を求めてガザ地区を攻撃したことも、一定程度は許されるだろう。だが、「一定程度」を超えて攻撃を続け、ガザの一般住民の被害を極度に拡大し、それを「自衛のため」と称することは許されず、ハマスのテロルと同様に強く非難されなければならない。
 どちらが正しいかではない。どちらも正しく、そしてどちらも許されぬ行為をしていると筆者は考える。
 なぜハマスが「正しい」のか? 彼らがパレスチナの歴史と現状を見て覚えるイスラエルへの敵愾心は、十分に根拠があるからだ。彼らにとってイスラエルへのテロルは、巨大な不正義に対する絶望的な抵抗であり、世界の無関心に対する抗議であるだろう。
 一方イスラエルは、パレスチナの地で「建国」し、周囲のアラブ諸国の敵意に囲まれながら75年間営々と国づくりに励んできた。彼らにとってイスラエル国家の存続は至高の価値であり、それを脅かす者と戦い打倒することはすべてに優先する課題である。

▼世の中どうあるべきかを考え、それが正しい理由を論証できたとして、その通り実現することはまずありえない。パレスチナの問題について、イスラエルとパレスチナの二国家共存しか「解決」法はないと多くの論者が主張し、筆者もそう考え、国連の決議もそれを認めている。しかし問題は一向に解決に向かわず、今日の事態を迎えたのである。
 ハマスは2017年にそれまでの姿勢を転換して綱領を改訂し、イスラエルの建国を非合法としながらも、1967年の第三次中東戦争以前のイスラエルとパレスチナの人々の間の境界線を受け入れる姿勢を示した。それはハマスが国際的孤立を避けたいという思惑から出たものだろうが、問題の解決へ向かう一つのきっかけになりうるポイントだったように見える。
 問題が解決に向かわない原因は、より多くイスラエル側に求められるように思う。イスラエルがパレスチナ国家が造られることを歓迎せず、米国がイスラエルの姿勢と行動を支持し続けているからである。
 10月7日のハマスの越境攻撃に始まる「戦争」について、11月下旬の休戦期間中にパレスチナ民間調査研究機関が実施した、ガザと西岸地区での調査結果が報じられていた。(毎日新聞12/14)。それによると、ハマスによる越境攻撃を正しいと回答した者は、ガザ地区で57%、西岸地区で82%であり、ハマスの支持率は9月の前回調査に比べ、ガザ地区で4%増の42%、西岸地区では32ポイント増の44%で、いずれも西岸地区を治める穏健派組織ファタハを上回ったという。「戦後のガザ地区は誰に統治してほしいか」という質問では、「ハマス」と答えた者が全体の60%(ガザ地区38%、西岸地区75%)を占めた。

(つづく)

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今年も12月になった [思うこと]

▼今年も12月になった。毎年この時期には喪中はがきが届くのだが、今年はこれまでになく多いような気がする。もちろん本人のものはまれで、多くは兄や姉、義兄や義姉が亡くなったので、今年は新年のあいさつを遠慮するという趣旨のものである。
 「親の喪中」というのは、われわれ団塊の世代の場合、もう多くはない。今年届いた中で一通だけあったが、ご母堂が百歳で亡くなったとのことだった。もし亡くなるまで元気で暮らし、百歳でコロリと亡くなったのだとしたら、実に目出たいことと言わなければならないだろう。
 野生動物は老いない、という話を聞いたことがある。サケは卵を産み、精子を振りかけると、オスもメスもそこで死ぬのだそうだ。生殖を済ませるまでは現役バリバリだが、役目が終わると直後に脳が委縮し、ホルモンが出なくなり、死んでしまう。野生のチンパンジーのメスも、閉経後すぐに死んでしまうのだという
 縄文時代、日本人の平均寿命は15歳だったと何かで読んだ記憶がある。平安時代は30歳、明治時代は43~44歳、昭和25年(1950年)でもそれは、男:58歳、女:62歳だった。「生殖の役目が終わるとすぐ死ぬ」というほどではないが、それでも「老後」の期間は短く、「老後」の心配をする必要はほとんどなかったのである。
 ところが現在(2021年)、日本人の平均寿命は男:81.47歳、女:87.57歳だという。平均寿命は、乳幼児の死亡率が下がればそれだけ伸びる仕組みになっているから、寿命の伸びは割り引いて考える必要があるが、それでも戦後の70年間に約25歳も寿命が延びたことは驚くに値する。凡夫が戸惑いを感じたとしても、いっこうに不思議はないのだ。
 少し前まで、ひたすら仕事に打ち込んできた男が「定年」となり、仕事から解放されたあとの空虚な時間を持て余すという話が、「老後」の一つの定番の形だったが、最近はあまり聞かないように思う。「定年」を延長し、「老後」も働くというスタイルが急速に普及したことが一つの理由だろうが、高齢者の面々がそれぞれ「老後」を工夫して過ごしている結果なのだろう。
(なお、日常生活において介助や介護を必要としない期間を示す「健康寿命」は、男:72歳、女:74歳だということをどこかで聞いた。周囲の元気な年寄りを見ると、この「健康寿命」は5~6歳先に伸ばした方が良いように思うが、考え方自体は生かすべきものである。)

▼12月は1年を振り返る月なのだが、あいにくウクライナもパレスチナも戦争の真っ最中であり、今後の見通しさえ立たず、とても1年を振り返るような余裕はない。
 ウクライナ軍は、6月初めの「反転攻勢」開始から半年が過ぎたが、世界が期待するような戦果を出せず、苦しんでいる。ロシアが占領しているウクライナ南部のザポリージャ州に攻め入り、占領地を東西に分断することで補給路を断とうとしているが、攻勢は計画通りに進んでいない。制空権をロシアに握られている中で、ロシア軍が敷いた地雷原を突破し、その後ろで守りを固めている敵の部隊を打ち破ることは、極めて困難なことのようだ。
 10月にパレスチナで戦争が勃発すると、筆者が恐れたとおり、ウクライナ戦争に対する世界の関心はかなり低下しているように見える。米国やNATO諸国の “支援疲れ”もあり、ウクライナへの武器援助がいつまで続くか、そしてウクライナ国民の忍耐がいつまで続くか、という大きな心配を抱えたまま、戦争は年を越そうとしている

 パレスチナの戦争は、イスラエルとハマスが「人質交換」をするために11月24日から7日間の「休戦」が行われたが、12月1日、イスラエル軍は攻撃を再開した。イスラエル軍はガザ南部の都市に対して激しい空爆を行い、地上軍も攻め入り、パレスチナ人の死傷者は増え続けている。しかしイスラエルの国防省は、ハマスが民間人を「人間の盾」として使っていることを非難し、ハマスの掃討のためには民間人の死傷者が出ることもやむを得ないと述べている。
 この戦争はいつまで続くのだろうか? そしてテロルを実施したハマスを掃討するためには、パレスチナの民間人の犠牲は本当にやむを得ないのか? 国際法はどのように定めているのだろうか?
 
▼戦争に関する近代的な法は、ナポレオン戦役のあとに作られた。1814~1815年のウィーン会議は、国家の間で戦われる戦争についてのルールを再建し、このルールは1914~1918年の第一次世界大戦においても、陸戦遂行の実際を支配した。しかしそれは正規軍同士の戦闘に適用されるものであり、戦闘員と非戦闘員の区別や敵と犯罪者の区別、戦争と平和の間の明確な区別を前提としていた。
 ナポレオン軍はスペインに侵攻し、政府軍を撃破したあと各地のゲリラに悩まされたが、古典的な戦争法ではゲリラのような非正規の存在は、存在の余地がなかった。
 しかし内戦や植民地戦争、大衆蜂起、義勇兵などさまざまな現象が現れるその後の歴史のなかで、古典的なヨーロッパの戦争法規は修正を余儀なくされる。カール・シュミットはゲリラを含む非正規の闘争者を一括して「パルチザン」という呼称で論じているが、1907年にハーグで締約された「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」は、非合法的な抵抗運動者や地下活動家に一定の条件の下で「交戦者」としての資格を与えるようになった。「交戦者」と認められるなら、彼らは正規の戦闘力として取り扱われ、正規の戦闘員の権利と特権を享受する。彼らの闘争行為は違法ではなく、彼らが捕虜ないし負傷者となった場合は、捕虜及び負傷者として特別に待遇されることを要求できるのだ。 
 「交戦者」として認められる一定の条件とは、簡単に言えば、
・指揮官の指揮下にあること
・遠方から認識できる徽章を有すること
・公然と兵器を携帯すること
・戦争の法規慣例を順守して行動すること
とされた。敵がこれらの条件に合致するかどうかによって、軍隊の行為が正当な自衛の措置であったか、それとも違法な「虐殺」であったかを分けることになる。
 1937年の「南京事件」で「虐殺はなかった」と主張する論者が、日本軍の殺戮した中国人は民間人の間に紛れ込んだ便衣隊であり、保護すべき捕虜ではなかったと弁明するのは、その一例である。

(つづく)

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デジタル時代でも電話での対応が一番 [思うこと]

▼ひと月ほど前、新しいパソコンを買った。
 それまで使っていたパソコンの動きが遅く、いつもイライラさせられていたのだが、ひと月前に動きが固まったまま電気が消え、いくらスイッチを入れても立ち上がらなくなったのである。バックアップを取っていなかったから、それまで書き溜めた文章や撮り溜めた写真類が、一瞬にしてすべて失われたかと蒼くなった。メーカーの相談窓口に電話し、電気のコードを差し込み口から抜いたり差したりを幾度かやってみたが、息を吹き返す様子はない。専門の業者に依頼すればデータの復旧ができる場合もあるが、軽度の障害で6万円台、重度の障害の場合は15~16万円の費用が掛かるという。
 しかしありがたいことに、やがて小さな指示ランプが点灯し、それから画面全体が明るくなり、事なきを得た。
 バックアップのためにハードディスクやSSDを外付けすることも考えられたが、この際パソコンを新しくしようと思った。パソコン障害の再発に備えてバックアップを取ることも良いだろうが、再発しないパソコンに替えることがより根本的な対応になる。バックアップは新しいパソコンの様子を見ながら考えればよい。データの復旧にかかる費用を聞いたことが、パソコンを買い替える気持ちの後押しとなった。

▼新しいパソコンは、OSはWindows11、CPUはCore i7、メモリは16GB、内臓ストレージはSSD256GB、のノート型である。CPUやメモリのレベルが以前に比べて格段に上がっているのに、内臓ストレージの容量が半減しているのは、以前はハードディスク、今回のものはSSDで、SSDが高価だということがその理由なのだろう。
 さっそくパソコンの初期設定にかかろうとしたが、今のパソコンにはマニュアルらしいマニュアルが付いていない。50ページほどの小冊子が付いていて、「セットアップ」の方法を説明しているが、重点は「インターネットで調べる」ことに置かれている。それで問題が片付かない場合は、「サポート窓口」に問い合わせたり「訪問サポート」を依頼すればよいという仕組みである。
 分厚いマニュアルを添付してもほとんど読まれず、読んだとしても正しく理解されない場合が少なくないことを考えれば、それは合理的な方針だと言えるかもしれない。しかし筆者の場合、まずマウスを使えるようにするのに一苦労させられることになった。
 筆者の新しいパソコンにはBluetoothのマウスが付いていて、それを使うにはBluetooth接続設定を行う必要があると小冊子には書かれていた。Bluetooth接続設定の仕方はネット上のマニュアルをご覧くださいとのことだが、そのためには初期設定を終わらせ、ネットに繋がらなければならない。古いパソコンのマウスを使うことをその時は思いつかなかったので、「サポート窓口」に電話をした。担当者は、マウスの代わりに指で矢印を動かす方法で接続設定の仕方を指示し、マウスは無事に動き始めた。

▼初期設定を終えたあと、古いパソコンからデータを移す作業に取り掛かったが、これもスムーズには進まなかった。新旧パソコンをLANケーブルで結び、引っ越しソフトのボタンをクリックすれば出来上がりと簡単に考えていたのだが、引っ越しソフトのことでメーカーの「サポート窓口」に問い合わせると、基本OSが異なる場合(旧パソコンはWindows10)は、“手作業”でやる方が良いという。そこでUSBメモリを買ってきて、古いパソコン内の「ドキュメント」、「ピクチャー」、Microsoft Edgeの「お気に入り」、Outlookの「連絡先」をコピーし、それを新パソコンに再コピーするという方法で、引っ越しを行うことにした。
 「ドキュメント」と「ピクチャー」については、割合簡単にコピーして移すことができた。「お気に入り」のコピーも「サポート窓口」でやり方を教わり、なんとか解決した。しかしOutlookの「連絡先」は、同じやり方ではコピーできない。メーカーの「サポート窓口」では、「Windowsに関することはメーカーでお答えするが、Office製品、つまりOutlookやWordやExcelに関することはマイクロソフトに聞いてほしい」と言う。そういう仕切りになっているらしい。
 そこでマイクロソフトに電話すると、有料登録をするかネット上のQ&Aを見るようにという返事だった。マイクロソフトはつい最近まで、パソコン購入から3か月間は無料で電話の問い合わせに回答していたのにと憤慨したが、どうしようもない。結局、プロバイダーが行っている有料サポート窓口に連絡し、なんとか「連絡先」のコピーを終えた。

 新しいパソコンを古いパソコンと同じように使うためには、データの引っ越しだけでは済まない。古いパソコンに自分で入れていたソフト(アプリ)は、自分で新たに入れ直さなければならないし、その分のデータの移動も別途やらなければならない。筆者はホーム・ページ・ビルダーのソフトをあらためて購入してデータも移し、「筆ぐるめ」の住所録や年賀状作成ソフトを入れ直し、ウイルス対策についてセキュリティ会社と契約し、ようやく一息ついた。初期設定を始めてから10日ほど経っていた。
 (それぞれのデータの移行は、各ソフト会社に電話して指示を受けることで、ようやく達成することができた。IT時代になって各企業は顧客との電話対応を減らし、ネット上のQ&Aやチャットで代替させたいと考えているようだが、筆者の場合、それらが役に立ったためしがない。職員が電話で丁寧に回答してくれるのが一番のサービスであることは、これからも変わらないのであり、企業はその予算を削るべきではないと強く思う。)

 パソコンという商品を購入するのは、他の電化製品の購入とは少しわけが違うようだ。取り扱いの専門的知識を持たない者は、これを自分の道具として使えるようにするために、相当な忍耐の時間を強いられる。他のパソコン購入者も同じように苦労しているのだろうか? それとも初期設定やデータの引っ越しを専門サービス業者に委託することで、苦労なく新しいパソコンとの新生活を始めているのだろうか?
 筆者は二十年ほど前にデスクトップのパソコンを購入して以来、今回でおそらく7台目の買い物である。以前のスタート時の初期設定やデータの引っ越しは、もう少し簡単だったような気がするのだが、記録を残していないので確かなことは分からない。

(この稿終わり)

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近ごろ思うこと3 [思うこと]

▼中国政府はこの問題を、日本への政治カードに使えると考えたのだろう。日本の原発処理水の海洋放出に断固反対するという主張と放射能汚染の恐ろしさを、メディアを通じて中国社会に浸透させた。
 8月下旬の海洋放出以降、中国政府は一方的で声高な非難を日本に浴びせかけ、日本の水産物の全面的禁輸措置を発表し、中国民衆の放射能に対する不安や恐怖心は一気に高まった。それは日本人学校への投石や日本への嫌がらせ電話など、黙認し、ガスを抜かなければならないほどの高まりだった。
 しかし他方、中国国外に眼を向けるなら、同調する国は広がらず、日本人の嫌中感情を高め、中国という国の特殊性が国際社会で広く認識される結果となっただけである。(日本国内の原発反対運動にとっても、中国の「非科学的」な反発は大きな迷惑だったことだろう。)

 日本人が中国政府の言動に対して感じる疑問ないし戸惑いは、一つは理屈に合わないことを堂々と断言し、相手を非難するその態度であろう。
 この疑問には、わりあい簡単に答えることができる。日本人は議論や論争を、「自分と相手の主張を見比べて、どちらの言い分に理があるかを考えたり、妥協点を見出すためのもの」と理解している。しかし世界には、議論の目的は「自分の身を守り、相手を打ち負かすこと」だと理解している人びともいるのだ。彼らは相手の主張に関係なく、自分の考えを自信満々に発言し、「事実」を突き付けられてもよほどのことがなければ怯まない。それはロシアの政治家の発言を見ていれば、よくわかる。

▼もう一つのより大きな疑問は、中国政府の行動が全体として矛盾し、分裂気味に見えることである。
 米国との緊張関係がこれまでになく高まっている現在、普通の外交センスの持ち主なら誰でも、味方の数を増やすために、あるいは敵対する国の数を減らすために、懸案を抱えている相手でも問題を棚上げにして味方にしようと動くはずである。しかし中国の現在の行動は、そうではない。
 たとえば最近の例で言うなら、今年9月のASEAN首脳会合の直前に、南シナ海の大部分を中国領海とする地図を公表し、ベトナム、フィリピン、マレーシアから抗議を受けたことを挙げることができる。また、日本の主導するTPPに加盟したいと手を挙げつつ、日本の水産物の輸入禁止という「経済的威圧」をし、なおかつ8月から日本への団体旅行を3年半ぶりに解禁したことも、その例に加えることができるだろう。
 安定した国際関係のためには、お互いが予期できる行動をとり、けっして理解不能な突飛な行動をとらないという安心感が欠かせない。しかし中国の既存の秩序を無視するかのような行動と、それを正しいと強弁する発言は、国際関係の不確実性と不安定感を増加させるばかりである。

▼『中国の行動原理』(益尾千佐子 中公新書 2019年)という本を読んだ。中国の対外行動は、外から見ると表面的には支離滅裂に見えるが、中国人の眼には規則性や論理性があるように見えるらしい。中国人の置かれた環境を理解し、中国社会の動き方のパターンや傾向を分析できれば、中国の対外行動を理解し、予測することも可能になるのではないか。――そういう問題意識の下に書かれた意欲的な本である。
 
 益尾は現代中国の世界観の特徴として、強い被害者意識、力の信奉とともに、「中国共産党の組織慣習の影響」の3点を挙げる。3番目の特徴は分かりにくいが、簡単に言えば、「現状に常に不満で、美しく平和な未来は必ず中国共産党が導く」というものである。外部からの脅威が強調され、それは中国が西側の自由主義経済を最大限活用して経済成長し、大国となった現在も変わらない。そして中国共産党の政治へ国民の不満が高まれば高まるほど、それを抑え込むために、外敵の存在を強調する必要が高まる。
 中国が多くの国と異なるのは、こうした世界観が、中国共産党の統治機構を通して日常的に国家の隅々まで届けられる点である。中国のメディアは中共中央宣伝部の完全な統制下にあり、宣伝部は全メディアの人事権を握っている。

▼上に述べたのは、中国人が国際社会に強い不満足感、不安定感を懐いているという傾向についてだが、実は彼らは国内社会についても強い不安定感を感じている。中国の国内秩序は多くの人に安心感を提供せず、彼らは常にサバイバル競争に駆り立てられている、と益尾は見る。益尾はその原因を、家族構造から説明する。
 中国の家族構造では、父親が家族に対して強い権威を持つ。相続では、男兄弟は平等な扱いを受け、長男が家全体の財産を受け継ぐようなことはない。息子たちは結婚後も両親と同居し、家族は父の強い権威の下に、横に大きく広がる共同体となる。
 日本の家族では長男が家を継承できるため、同じ世代の中にも明確な序列がある。兄弟は親が死んだ後も一族として親しい関係を保ち続けることが多い。権威と責任は父親だけに集中するのではなく、各世代の幾人もの人に段階的に分散する。
 日本では、企業組織のどこかに問題が発生すれば、組織を守るために誰もがどんな役割でもこなす。このようなシステムの中では、権威は多くの人に分散し、組織は一丸となって繁栄をめざすから、他者に対しては排他的なグループを形成しやすい。
 中国では夫婦とその子どもたちからなる複数のグループが、大家族として一緒に暮らす。そこでは夫たちの父親一人に絶対的な権威が集中する。こうした家族制度を暗黙の規範として持つ企業組織では、ボスの絶対的な権威の前で、従業員の間の関係は平等に近い。組織の中の身分は、年齢よりもボスのその人物に対する評価で決まる。
 だから従業員同士がボスに命じられた持ち場を越えて助け合うこともほとんどない。それは相手のテリトリーに干渉することであり、ボスに認められた相手の立場や能力を尊重しないことを意味するからだ。「中国の組織は、部下たちが『この人を怒らせると怖い』と感じるようでなければ機能しない。中国の指導者に笑顔や親しみやすさは不要である。」(益尾千佐子)
 日本の組織では横の連携が容易だが、中国では同じレベルの部署同士は上の指示がない限り連絡を取らず、助け合わない。同列の部署同士は、ボスの歓心を買うための対立や競争の関係にある。
 そして、トップの寿命や時どきの考え方によって、潮目が変わるのを、下にいる人びとは常に熱心に読み取ろうとし、どんなことをしてでも潮流に乗ろうとする。日本人が「風見鶏」と見なすような行為が、中国では常識となる。

▼『中国の行動原理』は、中国共産党という絶対的権威の下で、党組織や政府や軍の各部署が党中央の漠然とした指示を自分流に読み取り、他部署と調整を取らず、自己の利益拡大に走った結果が、分裂気味の行動となって現れることを具体的に述べているが、省略する。独裁体制は、統一的で一糸乱れぬ動きをするように見られがちだが、そうではないということだ。
 日本は中国という難しい隣国と、これからもいやでもかかわりを持っていかなければならない。そのために必要なのは、相手に一目置かせるだけの力を常に持ちつつ、国際社会で積極的に発言していくことであるだろう。

(おわり)

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近ごろ思うこと2 [思うこと]

▼もう一つ、筆者のような放射能問題のシロウトでも「なるほど」と思った解説があった。内閣府の「廃炉・汚染水対策チーム事務局」のプロジェクト・アドバイザーだった三木雄信という人が、ダイヤモンド・オンラインDIAMOND online(9/9)に載せた文章である。(専門的な分野の事象にシロウトが見当をつける上で、「なるほど」と思う専門家に出逢うことほど力になることはない。)
 三木雄信はそこで3点の提案をしている。

 第一に、ALPS処理水を海洋放出する際の基準をシンプルに設定し、処理水を継続的に測定して基準を厳密に守っていることを、国内外にわかりやすく情報提供する必要性である。
 現在も、放出基準をシンプルに設定しているが、これは大変効果的であると三木は評価し、東京電力のサイトを紹介する。そこではALPS処理水を測定した結果、放出基準を満足していることが、二つの簡単な指標で示されている。
 一つはトリチウムの含有量であり、1リットル当り何ベクレルの濃度であったか、生の数値で示し、基準以下であることを確認している。
 もう一つはトリチウム以外の放射性物質である。炭素14からプルトニウム241まで、29の「核種」を測定した生データが一覧表で掲載されているが、それを生データのまま評価するのは、専門家でなければ難しいだろうと三木は言い、「総和」という形に直して規制基準以下であることが示される。(筆者は「総和」に直す手法を理解できなかったが、29の核種をきちんと測定し、判定していることはよく分かった。)
 三木は言う。「……この手法は大変効果的だったと思います。しかし、結果的にこのようなシンプルさが“あだ”となった面も否めません」。―――
 (「結果的にこのようなシンプルさが“あだ”となった面も」あるというのは、「トリチウムの問題ばかりを強調することで、トリチウム以外の有害な放射性同位体から出る放射能から、眼を逸らそうとしている」という悪意の言説に、つけ入る隙を与えたという意味だろう。)
 そして現在の日本の情報提供には、データはネットですべて公開されているが、あちこちに散在し、参照するのに苦労するという弱点があることも指摘する。
 「中国の反撥が継続し、フェイク動画が出回るような事態に対抗するには、情報力の強化が必要です。……無用なデマをなくすためにも、早急に、散在しているデータを分かりやすく(例えばグラフィカルにするなど)、放出工程の流れに沿ってリアルタイムかつ一覧的に見ることができるサイトを構築し、国内外への情報発信を強化すべきです。……」

 三木の提案の第二は、日本政府と東電がIAEAと共同で継続していく予定のモニタリング体制の中に、中国の参加を呼びかけることである。「中国が、IAEA主導のモニタリングプロジェクトへの参加を断ることは、〈中国国民の健康を守る〉という建前上、難しいのではないかと思います。」
 三木の提案の第三は、〈福島第一原発の廃炉〉というプロジェクトの最終ゴールまでのロードマップを、あらためて見直すことである。汚染水が大量に発生するのは、原子炉建屋に地下水が流入するからだが、地下水流入を止める工法の検討も進んでおり、汚染水をつくらないための本質的な解決策に挑戦しなければならない。また溶解した燃料棒デブリを取り出し、回収するという廃炉のための本丸にあたる作業も、開始しなければならない。これらのロードマップを積極的に見直すことこそ、より本質的な問題の解決だと三木は言う。

▼中国政府はどういう計算に基づくものか不明だが、日本の処理水の海洋放出に反発する方針を1年以上前に決め、中国国民に放射能汚染への恐怖心を広めていったようである。
 8月24日に海洋放出が行われると、中国のSNSは連日この件一色に染まり、人びとの最大の関心事となったという。王青(日中福祉プランニング代表)という人のレポートが、ダイヤモンド・オンライン(8/31)に載っていて、中国民衆の大騒ぎを伝えているので、紹介したい。
 日本の処理水海洋放出と日本からの水産物の全面的禁輸措置について知ると、中国人の間に動揺や不安が広がった。スーパーで人びとが塩を奪い合い、ケンカをしている動画がネット上で拡散した。SNSでは日本を批判する動画が出回り、日本を強くなじるコメントが嵐のように巻き起こった。「それらの多くは、冷静さを失い、声高に過激な言葉を放つ、見るに堪えない内容」だという。
 例えばある動画は、若い女性がひたすら泣きわめくというもの。「日本は昔、わが国を侵略した。今は海洋に毒水を流すなんて、許せない。どこまで悪いことをするの?」と叫び、泣く。王青のレポートには、若い女が目に手をやって泣いている画像が載っているが、これには「本当に彼ら(日本)を殺したいです」という字幕が付いている。
 また、別の動画では、小学生の男の子が世界地図を広げて日本の部分をハサミで切り取る。隣にいる親が、よくやった!と拍手を送る。
 さまざまな社会問題に発言し、数百万人のフォロワーを持つインフルエンサーたちの多くも、今回の日本の処理水放出を、環境を破壊する無責任な行為として批判する。そのコメント欄には、「その通りだ!」、「もう日本に旅行しない」、「日本製品のボイコット運動を起こす」といった書き込みが溢れている。
 「反対しているのは中国だけだ」という投稿も、たまにはあるらしいのだが、それに対して「著名な元ジャーナリスト」が、「一番反対しているのは日本人自身だ」と反論したという。首相官邸前で開かれた海洋放出反対の集会や、いわき市で開かれた野党と労働組合主導の抗議集会の動画が中国では大量に流されていて、それらは数百人規模のわりあい小規模の集会なのだが、それを観た中国人は日本人全員が反対していると受け取ってしまうらしい。
 このような異様な盛り上がりを背景に考えるなら、現地の日本人学校に石や卵が投げつけられたり、日本へ嫌がらせの電話が多数かけられたりしたのも、少しも不思議ではないだろう。

▼王青は、中国人が「情報弱者」と「情報強者」に分断されている事実を指摘する。圧倒的多数の一般の人びとの情報取得は、国内のメディアやSNSに限られている。だから今回放出された処理水は汚染物質が除去されていて、トリチウムもごく微量で環境にほとんど影響がないことを知らないし、自国を含む世界の原発が処理水を海洋に放出していることも知らない。
 しかし外国語ができる人や、世界のニュースに触れる機会のある人は情報強者であり、彼らは日本に来て、海の幸を口いっぱいに頬張って堪能している。
 国外にいる中国人のコミュニティでは、最近次のような書き込みが流行っているという。
 「貧乏人は日本をののしり、抗議する。食塩を買いだめし、海産物を食べないようにする。金持ちは移民するために国内の財産処理に没頭する。日本に行き、海鮮料理に舌鼓を打つ。さて、あなたはどっちだ?」

(つづく)

【来週は奈良を旅行するため、ブログを1週間お休みします。】

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近ごろ思うこと1 [思うこと]

▼「新型コロナ」の感染症法上の位置づけが、今年の5月に2類から5類に変更された。そのこともあって人々の関心はこの問題から急速に離れ、外国人観光客のインバウンドの話やバスケ、サッカー、ラグビーなど、日本選手の活躍に向いている。しかし日本の「新型コロナ」の感染者は減っているわけではなく、9月初めには5類移行後はじめて10万人を超え、3週連続で増え続けているという。
 筆者はもともと「新型コロナ」問題に関心がなく、うっとうしいと感じ、できるだけ無視して暮らしてきたから、日本社会の変化は歓迎すべきことなのだが、それでもあまりに簡単に次の話題に移るというのはどうなのか、違和感がないわけではない。
 「新型コロナ」は、「自然免疫」が広がれば自然に終息すると聞いたように思うのだが、年寄りがワクチンを5回も6回も打ち、これだけ感染者数累計が増えても、なかなか収まらないのはどういうわけか? ウイルスが変異するから収まらないのだろうか?
 日本では、ヨーロッパや米国と違い、死者数がケタ違いに少なく、「ファクターX」があるのではないかという議論があったが、どうなったのか?
 日本では「新型コロナ」について「飛沫感染」と「接触感染」で感染するとされ、飲食店では透明なアクリル板を設置したり、テーブルや手指の消毒などに精を出した。しかしその後、「エアロゾル感染」だということが言われ、換気やマスクは大事だが手指の消毒はあまり意味がないという話も、耳にしたことがある。本当のところはどうなのか?―――
 そういった議論や疑問がまるでなかったかのように、いそいそと新しい話題に飛びつくのはいかがなものかと、筆者は鬱陶しさの消えたことを歓迎する半面、いぶかしく思いもする。

▼筆者は、福島第一原発の処理水排出の問題についても、関心を持っていなかった。(病気や健康に関心を向けないことが自分の「健康法」だと考えているわけではなく、不精なだけなのだが、筆者は昔から放射能汚染の問題は政府と専門家に判断を任せ、信用してきたのである。)
 2年前、日本政府はALPS処理水を海洋放出する計画について、IAEA(国際原子力機関)に検証を依頼していた。IAEAのグロッシ事務局長は7月4日、日本政府の依頼を受けて2年間、放出計画の安全性を検証してきたが、ALPS処理水の海洋放出計画は「国際的な安全基準に整合的」であり、これが「人および環境に与える放射線の影響は無視できる(negligible)」との報告書を公表した。また、福島第一原発内にIAEAが事務所を設けて、処理水の放出中と放出後、モニタリングを継続することを併せて発表した。
 これに対し、中国側の反応は次のようなものだった。8月22日に日本政府が処理水の海洋放出を正式に決定すると、中国政府の報道官は、「世界の海と人類の健康へのリスクを無視し、汚染水の海洋放出を無理やり進めるのは、きわめて身勝手で無責任だ」と非難した。そして2日後の8月24日に海洋放出が実行されると、「リスクを全世界に負わせ、人類の子孫に傷を残し、生態環境を破壊し、全世界の海を汚す行為だ」と、大袈裟な表現で非難し、日本産の水産物の輸入を全面的に停止すると発表した。これは日本政府の想定を超える反応だった。
 岸田首相は、「科学的根拠に基づいて専門家同士がしっかりと議論を行っていくよう、中国政府に強く働きかける」と語り、中国側に冷静な対応を求めたという。
 9月12日、中国の報道官はIAEAの批判に踏み込み、その検査結果を正当と認めないと発言している。処理水中の放射性物質が日本の制限値未満だったと説明したことは、「加盟国の十分な議論を経ずに行われており、独立性に欠ける」。「隣国などの利害関係者が実質的に参加する長期的で有効な国際モニタリングの仕組みを、国際社会は求めている」。
 だが、モニタリング結果を分析・評価するIAEAの国際的な枠組みへ、参加を拒否したのは中国自身だったのではなかったか?

▼中国の独りよがりの反撥の問題はあとで取り上げるとして、放射性物質の安全性や安全基準という専門的で難解なことがらの真偽を、シロウトはどのように判断すればよいのだろうか。
 IAEAという国際機関(中国も分担金を負担している)の専門家たちが、2年間かけて福島第一原発の汚染水処理の仕組みを調査し、放出前に検査した処理水中の放射性物質が、各種の許容量の基準を下回っているという結論を出したという事実は、まず尊重するべきだろう。そして、当該処理水について何ひとつ具体的なデータを持たないにもかかわらず、「人類の子孫に傷を残し、生態環境を破壊し、全世界の海を汚す」などと大袈裟に騒ぎまわるだけの発言は、「安全性」に関しては無意味、無内容なものとしてゴミ箱に投げ込んで差し支えない。
 判断が難しいのは、専門的知見に見えるもっともらしい発言だ。たとえば、「日本政府と東電は、トリチウムの問題ばかりを強調することで、ALPS処理水中に含まれるトリチウム以外の有害な放射性同位体から出る放射能から、眼を逸らそうとしている」(環境保護団体「グリンピース」の原子力のシニア・スペシャリスト)などの発言は、事情を詳しく知らなければ真偽を判断できないし、同趣旨のことは中国政府関係者もしきりに言っている。
 さらには「ALPSを通しても放射性物質の約6割は除去されず海に放出される」とか、「ALPS処理ではトリチウムを除去できないだけでなく、そのほかにセシウム137、セシウム135、ストロンチウム90,ヨウ素131、ヨウ素129、など12の核種も除去できない。そのうち11種類は、通常の原発排水に含まれないが、原発事故で核燃料デブリに直接触れた汚染水に含まれるものだ」と、もっともらしく書く解説記事もある。
 ALPS処理でトリチウムが除去できないことは関係者の共通認識だが、その他の放射性物質は除去できるのか、できないのか。専門家には明らかな誤りであっても、堂々と断定されると、シロウトには判断が難しい。
 政府と東電が発表している第一原発の汚染水の海洋放出の計画は、ALPS(多核種除去設備)でまずトリチウム以外の放射性物質を除去し、その濃度を基準値未満にする。その上で(除去できない)トリチウムを国の基準の40分の1未満になるように海水で薄め、海底トンネルを通して沖合1キロメートルへ放出する。完了するまで数十年かかる、というものだ。
 筆者は、処理水の放出開始後、グロッシ事務局長がフランス通信社(AFP)のインタビュー(8/29)で、次のように発言していることに注目したい。「これまで確認したかぎりでは、初期に放出された処理水に有害な放射性核種は一切含まれていなかった。第一段階は想定通りだが、最後の一滴が放出されるまでモニタリングを続ける」。
 つまり、「ALPS処理では放射性物質の約6割は除去されず海に放出される」のではなく、有害な放射性核種は「一切含まれていない」ところまで除去処理されていた点を、彼の発言によって確認するのである。
 シロウトが難解な専門分野の問題を考えなければならないとき、信頼できる「人」に着目し、その発言を軸に問題を判断するのが有効な方法だろう。処理水の海洋放出問題を考えるとき、2年間この問題に関わってきたIAEAの事務局長の発言を信用することは、迷路に足を踏み込まないために、また「思考の経済」の上でも、大事なことだと思う。

(つづく)

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予約サイトから「日本」を思う [思うこと]

▼熊本・阿蘇・由布院・別府の旅行を計画するにあたり、三つのホテル予約サイトを使ってみた。「JTB」と「楽天トラベル」と「じゃらんネット」((株)リクルート)である。「JTB」と「楽天トラベル」は10年近く前に使ったことがあり、「じゃらんネット」は初めてである。
 同じホテル・旅館であっても、サイトにより値段やキャンセルの場合の違約金の条件が少し違うようであり、また同じホテルでも、部屋の違いや特典の抱き合わせ方の違いにより、いろいろなプランが用意されているようだった。だがどのサイトも、利用者に会員登録させ、ポイントを付与するなどして囲い込もうという姿勢は、同じように見えた。だがこれがややもすると予約サイトの利用者に、無駄な苦労を強いる原因となる。
 筆者の場合、「楽天トラベル」は「楽天カード」が手元にあり、カードを日常的に使用しているので、問題なく予約手続きを終わらせることができた。しかし「JTB」の場合、自分の「会員ID」もパスワードもまるで記憶にない。しかしそれを記入しなければ、予約手続きに入れない。
 「会員ID」の記入箇所の下に、「IDを忘れた方はこちらへ」と書かれた箇所があり、そこをクリックすると登録したメルアドにIDが送られてくる仕組みになっていた。これでなんとかIDは再通知された。
 次に「パスワードを忘れた方はこちらへ」をクリックすると、筆者のID、メルアド、姓名、連絡先電話番号を書き込むフォームが現われた。記入して送信ボタンを押すと、パスワードの再設定ができる仕組みらしいのだが、「エラーがあります」の表示が出、点検して修正してもエラー表示は一向に消えなかった。(筆者のPCの機嫌がたまたま悪かったのかもしれない。)
 「会員ID」やパスワードを使わずに予約申し込みをすればいいのでは?と考えついて、「会員登録せずに予約」というボタンを押した。開いた画面に筆者のメルアドを入力して送信すると、「本人確認認証キー」が通知され、その「認証キー」とともに「お客様情報」を入力することで、やっと予約手続きに入れる仕組みらしい。だが筆者の場合、予約手続きに進めなかった。メルアドを送信したら、次のメールが届いたからである。
 「お客様のメールアドレスは既に登録されています。会員情報統合手続きをこちらのページからお願いします。」
 予約の入り口で1時間近く時間を浪費させられた揚げ句、結局「JTB」の予約サイト利用をあきらめざるを得なかった。呆れたというか、日本の企業はダメだなあ、というあきらめとも怒りともつかぬ感情が湧き、苦笑せざるを得なかった。

▼筆者はこれまで何度かヨーロッパを旅行しているが、インターネット時代になってからはBooking.com(ブッキング・ドットコム)というホテルの予約サイトを利用している。ネット時代以前は実際に街を歩き、宿屋を見てから飛び込みで決めていたのだが、予約サイトを利用すればきわめて容易に、たくさんの選択肢の中から自分の求めるホテルを選び出し、予約することが可能になったのである。
 ホテル選びの条件は、一般に値段、ロケーション、ホテルの施設や設備の質、環境、従業員のホスピタリティといったところだろう。Booking.comは、それらを分かりやすく整理された情報として提供することに成功している。
 まず都市名で検索すると、Booking.comに登録しているその都市のホテルのリストが1部屋1泊の最低価格とともに写真付きで表示される。(値段を見れば、ホテルのグレードの見当がつく。)またその都市の地図を開けば、登録されているホテルの位置が最低価格とともに表示されている。値段とロケーションから候補をいくつか選んだら、次にそのホテルのページを開いて写真を見たり、利用した客の評価を読んで比較し、具体的な値段のページを開いて申し込むのである。
 客の評価は、清潔さ、快適さ、ロケーション、スタッフなど7つの項目を点数で評価したもので、評価者の人数とともに表示されている。筆者のこれまでの経験では、この評価の点数は十分信用でき、値段やロケーションとともにホテル選びに役立った。
 要するに、Booking.comの予約サイトは、その仕組みがシンプルで使いやすく、多くのホテルが登録し、多くの利用者、多くの評価者が関わることで、その情報の信用度もおのずから高くなっているということが言えるだろう。

▼一方、日本のホテルや旅館の予約サイトは、上に述べた筆者自身のトラブル体験は論外としても、非効率で使いにくいという印象がぬぐえない。なによりも初めての土地で宿を選ぼうという旅行者にとって、宿の比較が容易でないのである。
 地域のホテルや宿屋がすべて載っている地図があり、その値段まで一望にできるなら、旅行を計画する者にとってきわめて便利なはずである。しかし楽天やじゃらんの場合、ホテルや宿屋が載っている全体の地図はあるが、値段の記載はない。(JTBの場合は、地図上のホテルの位置をクリックすればホテル名と値段が顕われる仕組みになっていて、この点はBooking.comと同じである。)
 もう一つの使いにくさは、各ホテル・旅館には複雑に細分化された数十もの(場合によっては百近い)「プラン」が用意されていて、その中から一つを選ばなければならないことである。「食事付き」か「食事なし」か、部屋が「海に面している」か「面していない」かぐらいのことなら、常識的で合理的と言える。しかし「早割」が付いたり付かなかったり、「美術館入場券」が付いたり付かなかったり、料理のグレードアップがあったり、スキンケア・セットやフェイスマスクやマスコット・キャラクターのプレゼントがあったりなかったり―――、という複雑に細分化された数十ものプラン(それぞれ値段が違う)の中から一つ選ばなければならないというのは、けっこうたいへんな労働なのだ。
 筆者が推測するに、これはホテル・旅館が希望して生まれた「プラン」ではないのではないか。予約サイトは一般に、成約代金の2割程度を宿から受け取ると聞くが、予約サイトどうしの成約獲得バトルの中から、こうした過剰に差別化されたプランが生まれてきたのではないかと思う。だが推測による詮索は、これぐらいにしておこう。

▼日本の労働生産性が低い、と言われて久しい。産業別にみると、特に飲食店やホテル、旅館業などを含むサービス業で低いらしい。空港の仕事はサービス業ではないが、外国と比較が容易なため、筆者は外国旅行から帰ってくるたびに、成田空港で「労働生産性の低さ」に気づかされ、苛立たしい思いをしてきたように思う。
 空港の(入管の?)女子職員が帰国者の列の脇に立って、「パスポートだけをご用意ください」と幾度も声を張り上げているのを見て、驚かされたことがあった。
 帰国者たちはいずれも外国で、入国・出国の手続きを経験して帰ってきたのである。彼らに向かって、「パスポートを用意せよ」と叫ぶ必要がどこにあるのだろう。それとも「搭乗券などは見せる必要がない、パスポートだけでよい」という意味なのだろうか。それなら入管の審査官が搭乗券を見せられた時、それは不要だ、とひとこと言えば済む話だろう。なぜ職員を一人立たせて、叫ばせなければならないのか。
 上の光景は、筆者の中でいまだに不可思議な、意味不明の出来事として残っている。
 日本のホテル予約サイトについて筆者が感じるのも、成田空港の光景にも通じる日本の「生産性の低さ」であるように思う。彼らは、旅行を計画する者へピントのずれた情報提供をしていることに気づかないまま、国内の同業他社とのバトルに精を出している―――。
 日本政府は、外国人旅行者を増やそうとしているが、旅行者が計画を立てようとするとき、日本のホテル予約サイトは(言葉の問題は別として)きわめて使いにくい、という事実を知っておいた方がよい。言葉の障害はChatGPTを活用することで、近い将来容易に乗り越えられると思われるが、「過剰に差別化されたプラン」の問題はもっと根が深く、そこには「日本」の問題のある側面が凝縮されているように見える。

(おわり)

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ひろゆき論4 [思うこと]

▼さて本論は「ひろゆき論」である。沖縄の問題もウクライナ戦争の問題も、それ自身大きなテーマであるが、ここで論じなければならないのは「ひろゆき」と「ひろゆき現象」についてである。ひろゆきの本がなぜ売れ、彼の「沖縄基地前の座り込み」のツイートになぜ28万以上の「いいね」が付いたのか、なぜ「その人気はとくに若い世代に顕著」で、「若い世代のオピニオンリーダー」的存在となっているのか、という問題を考えてみたい。
 筆者はひろゆきの「著書」について、その一部をざっと覗いただけだが、奇をてらうようなこともなく、案外まともなことを言っているという印象だった。しかし全体に中身が薄く、特別に目を見張るような主張があるわけでもなく、編集者の工夫を除けば、どれも同じような感じを与える。それでも若者たちが著作を次々に買い求めているとすれば、それはアイドル本やスポーツ選手の本と同様、彼らにとって憧れの人の著作ゆえの有難みがあるのだろう。
 それでは、若者たちはひろゆきの何に憧れ、何に魅力を感じるのだろうか。おそらく若者たちにとって、組織に属さず、プログラミングの知識を習得することによりビジネスで成功し、社会の仕組みや既成の権威のおかしな点を、誰に憚ることもなく指摘し「論破」する軽快なフットワークが、カッコいいと感じられるのだろう。
 たとえば「沖縄基地前の座り込み」の問題だが、「事件」後、座り込み団体の代表者は次のように語った。「沖縄に犠牲を押しつけながら、何の自省もない、倫理観の底が抜けた日本の現状を表わしている。こうしたソフトな形の侮辱が、直接的な暴力を先導することを懸念する。」(「沖縄タイムス」)
 しかし「いいね」を送った若者たちにとって、「座り込み」の意味や理由以前に、「座り込み」という行動スタイル自体が受け入れがたい、カッコ悪いものなのではなかろうか。ひろゆきの「事件」後の感想は、「事実を伝えると怒る人たちが、こんなに沢山いるんだ」という人を喰ったものだったが、若者たちは、喧嘩上手なスマートな振る舞いと受け止めたのではないか。ひろゆきのツイートは、彼自身にどれだけの計算があったかは分からないが、若者たちに安全かつ効果的に、「座り込み」に対する自分の気持を表現する機会を与えた、ということなのだろうと思う。

▼問題をより広い場所で考えるなら、かっては支配的だった「戦後民主主義」という時代の空気が、現在は「戦後民主主義」に反発する時代の空気にとって代られたということなのかもしれない。
 戦後の日本社会では、国家権力側に与する行動は、カッコ悪いものとされていた。政治問題や社会問題に関する「保守」と「革新」の主張の、どちらの側がより合理的で優れたものであったかはともかく、政府の方針に拍手を送るのはカッコ悪いという気分は、時代の空気としてとくに若者たちの間に存在した。
 しかし現在、若者たちにとっては逆に、「反権力」のポーズこそ古臭くてカッコ悪いものと見られているのかもしれない。皆が「団結」し、「連帯」し、闘いの勝利に向けて行動するなど、美学的に反発の対象でしかないのではないか。
 「戦後民主主義に反発する時代の空気」と筆者が呼ぶのはそれであり、「正当な手続きを経て基地の移転を進める政府は正しく、一部の人たちが『座り込み』でそれを阻止しようとする運動こそ間違っている」という論理が、それを支えている。若者たちを包む空気が、「昭和時代」とはガラリと変わっていることに、われわれは気づかなければならない。
 いつの時代にも、若者は自己主張したいと思うものである。そういう若者たちにとって、ドメスティックな「おじさん」的価値観の支配する日本の社会に未来はないと言い切り、「戦後民主主義」的な権威をやりこめるひろゆきは、自分を代弁してくれるカッコいいヒーローなのだろう。

▼ひろゆきの著書や出演したネット番組を見て、筆者自身は彼に興味を持たなかったが、いくつか面白い発言や観察がないわけではないので、それを紹介してこの稿を閉じようと思う。

 彼は匿名掲示板「2ちゃんねる」の管理人だった時、次のような「名言」を吐いたという。
 「嘘は嘘であると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」。
 そして、次のようにも発言している。
 《スマートフォンの普及により、今はほとんどの人がネットを日常的に使う世の中になりました。その分、「嘘を見抜けないのにネットを使っている人」も増えてきています。そういう人が誤った情報を拡散させているのです。
 街を歩いている時に、見知らぬ誰かが寄ってきて、「実はね……」と耳打ちされたなら、たいていの人は不審に思うでしょう。それなのに、最初から騙す目的で、顔も知らない誰かがつくりあげたことを、簡単に人は信じてしまうのです。》
 こう言われても嘘を嘘と見抜けない人は多いだろうが、この説明は広く知られるべきだと思う。話の裏が取れるまで保留しなければならないというケースが格段に増えるだろうが、それはネット社会に生きる者の宿命だと覚悟するしかない。

 また彼は「論理」について、次のようなことを語っている。
 「非論理的に見える人はいても、非論理的な人はなかなかいない。感情的で身勝手な人も、その人なりの論理がある」。だから、「自分勝手な人が何に優先順位を置いているのか、仲良くなって聞くと、振り回されずに済む」。「どんな厄介者でもコミュニケーションをとることを怖がらないのが大事」である、と。
 この観察や助言は、筆者は若者への優れたアドバイスだと思った。
 「論破」については、次のように言う。
 《論破した!と周りが盛り上がることがあります。でも実をいうと、僕自身は「論破」という言葉をほとんど使いません。……そんな僕の役割は「論破」よりも「投げかけること」だと思っています。……データに基づいた事実や予測を伝え、それを受け取った人が自分で考えたり、疑問を持ったりして、そこからいろいろな討論に発展していけばいいと思っています。》
 《最近の流行語を用いて言うと、相手を「論破」するというのは気持ちのいいことかもしれませんが、実際は自分にとって圧倒的に不利なことです。言いくるめられて嬉しい人なんてこの世にいないわけで、恨みを買ったり、復讐されたりする恐れがありますから。》

 これらの観察や発言もなかなか面白いが、前回と前々回に紹介したABEMA Primeの番組を観るかぎり、彼は、子供のころから好きだったという「言葉尻を捕らえる」ことや「人の弱点を見つけて突く」ことに精を出し、「気持のよさ」に浸っているように見える。
 それとも、声のかかったお座敷での発言は「受けてナンボ」であり、自分本来の考えとは別のものだ、と考えているのだろうか。

(おわり)

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ひろゆき論3 [思うこと]

▼筆者が観たABEMA Prime というネット番組の2本目は、ウクライナ戦争についての議論だった。ウクライナ戦争に関して声明を出した「憂慮する日本の歴史家の会」のメンバーの一人・羽場久美子(青山学院大学名誉教授・国際政治学専攻)が戦争に対する考え方と声明の趣旨を説明し、他の出席者が疑問や意見を述べるという内容だった。番組がいつ作られたものか明示がなかったが、話の内容から昨年(2022年)の5月20日前後だろうと推測された。
 羽場は、「即時停戦」を訴える声明を出した理由を、次のように説明した。
 「戦争をするにはどちらにも理由がある。日本のメディアはこれまでアメリカ寄りの情報ばかり流してきたが、多面的に問題を見、自分の頭で考えることが必要だ。
 ロシア、ウクライナとも停戦交渉を何度か行い、なんとか停戦に向かいたいと考えているのに、アメリカなどがロシアを弱体化させるために、戦争を継続させたいと繰り返し言っている。戦争によっていちばん被害を受けるのはウクライナ国民であり、とにかく早期に停戦を実現することが大切だ」。
 また、ひろゆきが、「停戦すればウクライナの被害が終わるかのような主張は誤りだ。ブチャでは虐殺があり、マリウポリでは10~50万人がロシアに強制的に移動させられた。停戦が軍事的支配地域を固定させるものだとするなら、ロシア軍支配下に置かれたウクライナ人にとって、停戦は被害の継続を意味するものだ」という持論を述べたのに対し、羽場は次のように発言した。「ウクライナ東部にはかなり多くのロシア系住民が住んでいる。彼らは2014年にポロシェンコの欧米寄りの政権が誕生して以降、自治を要求したが、アゾフ大隊は虐殺を繰り返し行った」。
 ここでひろゆきが、「その証拠はあるのか」と嚙みついた。
 「国連の人権高等弁務官事務所(OHCHR)は、東部のロシア人に対してアゾフ大隊が人権侵害を行っているという資料をたくさん出しています。2014年以来、東部ドネツク・ルハンシク⒉州で、ウクライナ政府軍との戦闘で1万4千人の死者を出した、と推計されています。」
 「戦闘による死者と虐殺は違う。先ほど虐殺があったとおっしゃった。虐殺は何月何日に何人あったのか?その証拠はどこにあるのか?」
 ABEMA Primeの番組事務局が、「アゾフ大隊による非人道的行為」に関する国連報告書の一部をパネルに要約して示した。それによると、(ロシア系)住民を地下室に拘束して拷問したとか、男性の首にロープを捲きつけ気絶するまで引きずり回した、というような事例がたくさん報告されているが、 「ロシア系住民の大量虐殺」の事例はないらしい。
 羽場は、「虐殺」の主張を続けることはしなかったが、発言を明瞭に撤回することもしなかった。ひろゆきは、「根拠のない、ウソをおっしゃったんですね」と、勝ち誇ったように言った。

▼「たかまつなな」という元NHKディレクター、現在「時事YouTuber」という肩書の女性が発言した。「今の(羽場とひろゆきの)話は、ウクライナの人たちの気持にまったく触れていない。それはおかしくないか?先週イギリスに取材で行き、ウクライナの女性たちの話を聞いたが、彼女たちは、国民の独立なくして平和は考えられないと言っていた。男性の出国制限のため、パートナーと別れて暮らしているが、国を守るためにこれは必要なことだと考えている。停戦の合意は望ましいが、そのためにウクライナの人たちが我慢を強いられるとしたら、それは違うと思う」。「即時停戦を求めるというキレイごとの議論より、難民の受け入れをどうするかを議論することの方が、よほど現実的で必要なことだと思う」。―――
 羽場など「即時停戦」の声明を出した学者たちに対する批判だが、国民の多くの賛同を得られる考え方であろうと思った。

 このABEMA Primeの番組で最も筆者の興味を引いたのは、羽場の「ロシア、ウクライナともなんとか停戦したいと考えているのに、アメリカなどがロシアを弱体化させるために、戦争を継続させたがっている」という発言だった。彼女はまた、「戦争は2022年の2月24日に始まったのではない。2014年のマイダン革命から始まった。ウクライナがロシアを押し返すと、その前の(2022年の侵略開始前の)状態に戻るので、結局東と西が内戦を戦い続けるという状況が続くんです」とも主張した。これらは驚くべき発言と言ってよい。なぜならそれは、ウクライナ国民の被害を止めるためと称しつつ、プーチンの主張に限りなく寄り添うものだからだ。
 「ウクライナもロシアも停戦したいと考えているのに、アメリカなどがロシアを弱体化するために戦争の継続を望んでいる」という観察は、ずいぶん歪んだ見方をするものだなと、ある意味で感心した。現在アメリカにとって対峙すべき相手は、第一に中国であり、すべての資源をそこに集中したいところだが、ウクライナ戦争はそれをさせず、攪乱する要素として作用していると言えるのではないか。
 NATO諸国においても、ウクライナ戦争はエネルギーや食糧の価格の高騰を招き、国内政治上早く終わらせたい問題であるはずだ。しかしもしロシアがウクライナを併合したり、一部であってもその領土を占拠し、実質的に自国領とするような成功体験を修めるなら、今後の脅威は計り知れない。だからウクライナ支援に力を入れるのであり、ロシア支持の立場からは、NATO諸国の支援により「戦争はいつまでも継続される」ように見えるのであろう。

▼筆者にとって、あるいは多くの人びとにとってウクライナ戦争が衝撃だったのは、それが第二次大戦後に営々とつくられてきた世界の「秩序」を、いとも簡単に破壊する行為だったからである。
 二度の世界大戦を経て、世界の国々は国家主権の平等だけでなく、現実の軍事力を反映させた制度として国連憲章と国連組織を創り、運営してきた。そのように現実の実効性を考慮して創られた安全保障理事会ではあったが、現実には米国とソ連の利害の対立によって、強制力を発動できる機会はきわめて限定的だった。しかしそれでも、その常任理事国自身が憲章に違反して侵略行為を開始するようなことは、それまでなかった。
 そのような世界政治の危機であるにもかかわらず、「国際政治学者」の口から世界秩序の破壊がもたらす深刻な事態が語られず、ウクライナ人の被害を止めることを名目にする「即時停戦」の旗だけが掲げられる。それはあまりにもお粗末ではないかと、筆者は思った。

(つづく)

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