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ウクライナの戦争と日本4 [思うこと]

▼「安保三文書」の改定は、戦後最大の防衛政策の転換である。
 前回少しだけ触れた「有識者会議」の報告書では、「反撃能力の保有が不可欠」とするだけでなく、武器の輸出を自制する現在の政策についても、「積極的に他国に移転できるように」することで、日本の「防衛産業」を持続可能なものにしなければならないとする。また、「宇宙、サイバー、AI、量子コンピューティング、半導体など最先端の科学技術」は、経済発展の基盤であると同時に防衛力の基盤でもある。だから「政府と大学、民間が一体となって、防衛力の強化にもつながる研究開発を進めるための仕組みづくりに早急に取り組むべきである」としている。これらはいずれも従来の方針や考え方に転換や修正を求めるものであり、抵抗感を覚える人も少なくないだろう。
 そのほか、自衛隊と海上保安庁の協力関係を強化するとか、南西諸島の港湾や空港などを有事に自衛隊が利用できるようにルールを整備するとか、サイバー安全保障の能力をどう高めるか、財源はどう確保するのか、等々といった提言が並ぶ。
 印象的だったのは、防衛力強化にスピード感をもって確実に取り組まなければならないという、報告者の焦燥感だった。「5年以内に防衛力を抜本的に強化しなければならない」、「現在、わが国が置かれている安全保障環境は、非常に厳しく、『待ったなし』の状況にあり、中途半端な対応ではなく、防衛力の抜本的強化をやり切るために必要な水準の予算措置をこの5年間で講じなければならない」―――。
 報告者たちが焦燥感を募らせている背景には、日本を取り巻く環境の劇的な変化がある。台湾問題は自分たちの「核心的利益」に関わると言い、台湾統合のためには武力行使という選択肢も放棄しないとする中国によって、戦争が引き起こされる危険性が、中国の軍事力の増長とともに高まっていると見られるからだ。
 2月2日、米国CIAの長官はワシントンの大学での講演で、中国の習近平国家主席が2027年までに台湾侵攻の準備を行うよう軍に指示したことを把握している、と述べた。その上で、「これは習主席が、台湾を侵攻すると決断したということではない。ただ、習主席の関心や野心がいかに真剣かを示すものだ。彼の野心をみくびるべきではない」と強調したという。
 以前から「台湾有事」は日本の有事だという発言や、それを批判する発言などが日本の言論空間にあるが、発言者たちはどのような検討や想定の上で、そういう発言を行ったのだろうか。

▼軍事について、長いあいだ別世界の話として聞き流してきた現代日本人の多くは、筆者も含め、何をどのように考えるべきなのか、基礎的素養を欠いている。筆者は、とりあえずこの分野の専門家の考え方を知ろうと、『現代戦略論』(高橋杉雄 並木書房 2023年)という書物を読んでみた。著者の高橋杉雄は、防衛研究所の防衛政策研究室長で、最近はTV番組のウクライナの戦争の解説で、東大講師の小泉悠とともに大活躍している軍事の専門家である。
 『現代戦略論』は、「戦略」とは何かというところから説き起こしており、その部分もなかなか有意義なのだが、ここでは「台湾有事」をどのように捉え、日本はいかなる対処が可能なのかについて、高橋の考えを端的に紹介したい。

 英国のシンクタンクが発行している『ミリタリーバランス2022』を基に、日米中の海空戦力の現状を見ると、日本は中国に対し、明らかに劣勢に立たされている。日本の戦闘機の数は中国の4分の1、主要水上戦闘艦は6割弱、潜水艦で4割弱に過ぎない。
 中国は米国に比べても、その7~8割程度の戦力を保持している。そして米国の戦力がヨーロッパや中東も含め、世界中に展開していることを考えるなら、東アジアでの軍事バランスは、かなり中国側に傾いていると考えなければならない。つまり中国の大規模な軍拡により、日米はこれまで東アジアであたり前のように享受してきた優位性を、失いつつあるのだ。
 しかし単なる戦力の量的比較によって、軍事バランスを考えるべきではない。日米が基本的に現状を維持しようとしているのに対し、中国は現状変更を志向する。日米は中国に対し攻撃的な外征作戦を行う必要はなく、防御的な作戦によって現状を維持できれば目的を達成できる。攻撃側は防御側に対して三倍の兵力が必要という経験則があり、これは現状維持を志向する日米に有利に働く。
 そう考えるなら今後の日本の防衛費の水準は、「中国の国防費の三分の一以上、二分の一を少し下回る程度を一つの目安として考えることもできる」と、高橋は書いている。
 日本の防衛費が仮にGDPの2%、すなわち10兆円となるなら、中国との比率は1対2.1となり、中国の国防費が今後も伸びていくとしても、日本は防衛作戦に必要な能力を維持できると高橋は考える。

▼さて、「台湾進攻」作戦が実行される場合、それはどのように行われるのだろうか。
 島嶼を支配下に収めるためには、海を渡って陸上部隊を送り込まねばならず、その場合に最低限必要なのは、「航空優勢」を確保することである。そのために中国軍が重視しているのは、戦域ミサイル戦力である。
 相手の戦闘機が飛行場にいるあいだに叩いたり、飛行場そのものを使用不能に追い込んだり、相手のレーダー網を破壊したりするために、中国は多数の弾道ミサイルと巡航ミサイルを配備している。
 ミサイルによって航空優勢を確保したあとは、上陸部隊を積載した船舶が海を渡れるように海洋を制圧する必要がある。
 島嶼への攻撃を段階として整理するなら、中国は第一段階でミサイル攻撃を行い、第二段階で航空優勢を確保し、第三段階で海上を制圧し、第四段階で上陸作戦を行うものと考えられる。このうち第一段階のミサイル攻撃や第二段階の航空優勢の確保を阻止することは、かなり難しい。(中国軍のミサイル攻撃の精度は、極めて高いことが判明している。)
 しかしミサイル攻撃自体は、中国の手段であって目的ではない。ミサイル攻撃によって海空の優位を確立し、上陸作戦を成功させないかぎり中国は政治的目標を達成できないのだ。逆に言えば、日米は中国のミサイル攻撃を阻止できなくとも、その後の海空における優位の獲得、最終的には上陸作戦を阻止できるなら、現状維持という防衛戦略上の目的を達成できるということになる。
 日米軍が中国軍の海上制圧を阻止することは、第一、第二段階の防御に比べれば実現性が高い。
 日米軍は全般的な航空優勢を失っても、水上艦から長射程の対艦ミサイルで攻撃したり、潜水艦からミサイルや魚雷で対艦攻撃をすることが可能である。対艦攻撃の場合、対地攻撃に比べ、少ないミサイル数で効果をあげることができる。
 「ミサイル攻撃を受けてもできるだけ多くの対艦攻撃能力を残存させ、陸上、海上、海中、空中のすべてから長射程のミサイルで縦深的に飽和攻撃を行い、中国側の海上制圧を阻止して、戦線を膠着させることがその狙いである。」(『現代戦略論』)
 繰り返すが、中国側は上陸部隊を安全に海上輸送し、上陸作戦を成功させないかぎり、その政治目標を達成できないのだ。

 軍事専門家の視点にはそれ特有の狭さや欠落があるのだろうが、日本の安全保障を考える際、上のような構図が常識として専門家の間に存在するということを、織り込んでおかねばならない。

(つづく)

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ウクライナの戦争と日本3 [思うこと]

▼日本人がウクライナの戦争から受けた衝撃は、イラクによるクウェート侵略と湾岸戦争から受けた衝撃とは、比べものにならないほど大きかった。ウクライナもクウェートも日本から地理的に遠い点は同じだが、問題への心理的距離には大きな違いがあった。
 サダム・フセインのイラクはアラブ世界では強国だったが、所詮「ならずもの国家」にすぎず、多国籍軍によってクウェートから追い出され、元の秩序が回復されると、人びとの関心は急激に薄れた。冷戦終結後の世界で米国の力は圧倒的であり、ルワンダや旧ユーゴスラビアで内戦が発生したが、米国を頂点とする世界の秩序が揺らぐことはなかった。
 「戦後日本の平和思想」の受けたダメージは大きかったが、それを深刻に受け止めたのは一部の日本人にとどまり、大衆レベルで大きな影響を及ぼすことはなかった。

 しかしウクライナの戦争は違う。侵略行動を起こしたのは国連常任理事国のロシアであり、国連常任理事国の憲章違反はすなわち国連の機能不全を意味し、国連総会でロシア非難の決議がなされても、ロシアは行動を変えようとしない。21世紀の世の中に古典的な侵略戦争が起きるという事実と、それに対して弱小なウクライナ国民が徹底抗戦しているという事実が、日本人にとってまず衝撃だったはずである。
 同時に日本の環境が、イラクのクウェート侵略があった三十年前とはまったく違うということに、日本人は気づいた。
 三十年前の中国はまだ経済力も軍事力も日本よりずっと小さく、天安門事件のすぐ後であったから、欧米諸国から批判の眼で見られており、手を差し伸べるのは日本ぐらいのものだった。三十年前の北朝鮮は、東欧諸国で起きた脱社会主義の動きを見て、同様の動きが国内にも起きないかと戦々恐々としていた。
 しかし現在、中国は日本の4.1倍の経済力、4.3倍の軍事予算を持ち、南シナ海の岩礁を埋め立てて自国領とするだけでなく、尖閣諸島を自国領土と主張して領海侵犯を繰り返し、台湾統一のために武力を使うことも選択肢の一つだと公言する。北朝鮮も金正恩の支配の下、核兵器や大陸間弾道ミサイルを開発し、核保有国であることを誇示する。
 さらには、かって一強を誇っていた米国の力が相対的に低下し、米国内の政治的分断傾向も進み、対外的な関与について消極的な傾向が強まっているという事情もある。
 ロシアのウクライナ侵略のような出来事が、東アジアで再現されないという保証があるのか――それがウクライナのニュースを聞いた日本人の頭に浮かんだ考えだったはずである。

▼日本政府は昨年(2022年)12月、「安保三文書」を改定した。
 日本の安全保障政策は、三つの文書によって体系的に示されている。
 第一が「国家安全保障戦略」で、日本の外交・防衛政策の基本方針を示す。
 第二が「国家防衛戦略」で、防衛力のあり方や保持すべき防衛力の水準を定める。
 第三が「防衛力整備計画」で、国家防衛戦略が定める目標水準の達成のために、今後5年間の防衛費の総額や主要装備の数量を示す。
 今回の改定での大きな論点の第一は、「反撃能力」の保持の問題である。
 これまで日本の防衛態勢はミサイルによる攻撃に対し、ミサイル防衛システムを整備することで対応しようとしてきた。しかし極超音速ミサイルが出現したり、ミサイルを一斉発射する「飽和攻撃」が可能となるなど、完璧に迎撃することが困難となったという事情が、この問題の背景にある。
 「反撃能力」は以前は「敵基地攻撃能力」と呼ばれていたもので、具体的には長射程のミサイルを持ち、これで相手の領域内の攻撃能力を叩くことを想定している。この能力を保持することで、相手に日本への攻撃を思いとどまらせる「抑止力」となることを期待するわけである。
 「敵基地を攻撃することも他に手段がない場合は自衛の範囲に含まれ、法理上は可能」(1956年の鳩山一郎首相の答弁)であったが、政府は政策判断としてそうした能力をこれまで持たずに来た。しかし日本周辺の安全保障環境が一段と厳しさを増した現状を見れば、「反撃能力」を持つことが必要だという判断である。

 「反撃能力」を持つことは「専守防衛」の原則に反するのではないか、という議論がある。しかし反撃する能力を持つことによって、相手に攻撃を思いとどまらせる「抑止力」の効果を期待するのであり、「専守防衛」の姿勢を変えるものではない、と政府は考えているのだろう。
 問題は、「反撃能力」の使用のタイミングである。下手をすれば「先制攻撃」となる恐れがあるわけで、そのような重大な問題を誰が判断し、誰が責任を負うのかという問題である。
 昨年11月、「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」が報告書を首相に提出したが、その中では「反撃能力の保持は抑止力の維持・向上のために不可欠」とした上で、「なお、反撃能力の発動については、事柄の重大性にかんがみ、政治レベルの関与の在り方についての議論が必要である」とのみ書いている。極めてデリケートな問題だが、言葉で抽象的にごまかすのではなく、具体的かつ精緻に問題を詰めなければならない。

▼大きな論点となるであろう第二は、防衛費の増額問題である。
 1976年に三木内閣は、防衛費をGNPの1パーセント以内に収める方針を定めた。この方針は中曽根内閣のときに撤回され、制度としては存在しなくなったが、現実にはその後も防衛費がGDPの1パーセントを超えたことはほとんどなく、今日に至っている。それは冷戦終結後しばらくは、安全保障の環境が安定していて防衛費を増やす必要がなかったことと、厳しい財政事情から予算にシーリングが課せられ、増額が抑えられてきたことに因る。
 しかしNATO諸国が、2024年を目標にGDPの2パーセントを防衛費に当てることを申し合わせ、防衛費増額の努力を続けている。ロシアのウクライナ侵略に直面して、さらにこれを2.5パーセントに引き揚げようという動きもある。
 日本でも防衛費をGDP比2パーセントに引き上げるべきだ、という主張が強まり、岸田首相は安保三文書を発表した際、次のように説明した。「防衛力を緊急に抜本的に強化するため、今後5年間に43兆円の防衛力整備計画を実施する。令和9年度にはGDPの2パーセントの予算を確保する」。

(つづく)

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ウクライナの戦争と日本2 [思うこと]

▼ウクライナの戦争が日本人に与えた衝撃について考えるためには、三十年前の湾岸戦争が日本の政治や思想界に及ぼした影響を、思い起こすことから始めるのがよいように思う。
 湾岸戦争の勃発ほど日本の戦後の「平和」思想が試された事件はなく、「平和」思想はこの事件の試練の前でなすすべがなく、空虚な姿を晒すだけだったと、筆者は考えている。
 何をもって「戦後日本の平和思想」というか、ここで丁寧に分析するのは難しいが、太平洋戦争での悲惨な体験の記憶をベースに、軍事力や安全保障という問題からできるだけ眼を逸らし、軍隊や兵器から距離を置くことで「平和」を期待する態度のことだと言っても、あながち不当ではないのではないか。戦後日本にあったのは、軍隊や戦争の臭いに対する漠然とした忌避の感情であり、それを正当化するかのような憲法9条の存在だった。
 戦後日本の安全保障の検討は、常に憲法解釈の議論としてあり、その前提には国際秩序への無意識の信頼感があった。しかし自分たちが国際秩序を支えているという自覚や、場合によっては軍事力を行使してでも秩序を取り戻したり、新たに創り出したりしなければならないという意識は希薄だった。だからイラクによるクウェート侵略という事件が起こった時、「戦後日本の平和思想」はありえない現実の前に、立ちすくむしかなかった。

▼1990年8月2日、イラク軍はクウェートに侵攻し、二日で占領した。イラク軍は国連の度重なる撤退勧告を無視したため、91年1月17日に多国籍軍は空爆を開始し、2月24日からは地上部隊を投入、イラク軍は多大な損害を出し、停戦となった。
 当時の海部首相は、自衛隊の派遣には直接戦闘に加わらない業務であっても反対の考えであったから、日本にできたのは資金の提供だけだった。日本は初め10億ドルを拠出し、次に30億ドル、さらに90億ドルを追加したが、too little, too late と言われ、増税までして拠出した合計130億ドルは世界から評価されなかった。
 戦争が終わったあとクウェート政府は、イラクと戦った諸国に対し感謝の広告をアメリカの主要メディアに出した(3月11日)が、その中に日本の名前はなかった。
 6月8日、湾岸戦争勝利を祝うパレードがワシントンDCで行われ、大観衆を前にブッシュ大統領や政府首脳、議会代表、各国外交団が並んだ。35カ国の大使が招待されたが、日本は招かれず、抗議してようやくパレードの直前、補欠扱いで席が用意されただけだった。
 「戦後日本の平和思想」が評価されなかったことを、日本の平和思想家たちがどのように感じたか知らない。しかし世界の秩序を回復するにあたって、生命の犠牲を払わない国が軽んじられるのは、仕方がないのではなかろうか。

▼湾岸戦争のあった年、カンボジアに関する「和平協定」が結ばれ、翌年(1992年)国連は、「国連カンボジア暫定機構 (UNTAC)」を設立した。内戦とポルポト派の自国民大量虐殺、ベトナム軍の侵攻など、20年間の戦乱で荒廃しつくしたカンボジアで、停戦を監視し、選挙を実施し、新たな政権をつくるまでの支援をする機関である。UNTACの代表には、日本人の国連事務次長・明石康が就いた。
 日本ではUNTACにどう関わるべきかが、大問題となった。UNTACの仕事はPKO(ピース・キーピング・オペレイション)であり、停戦を監視し平和を維持するために、軍事力は欠かせない。しかし国際的な平和維持活動のためであっても、自衛隊を国外に派遣し、武器を使用することは、戦後日本の国是を破ることであり、憲法上不可能と解釈された。「国際貢献」するべきだ、いや、「平和憲法」と「平和主義」を守るべきだ、といった議論が行われた末、「国際平和協力法」(いわゆるPKO法)を制定して自衛隊の装備や活動に枠をはめた上で、カンボジアに派遣することが決まった。(1992年)
 自衛隊は、道路や橋の修理、物資の輸送、医療業務、UNTAC要員への水や燃料の供給などを主として行い、停戦監視にも隊員を派遣した。彼らは拳銃と小銃のみを携行し、これは隊員たち自身の「自衛」のためであり、「海外派兵」ではないと説明された。

▼1993年4月、カンボジアの総選挙のボランティア監視員のとして、現地で活動していた日本人の若者が襲撃され、亡くなった。5月、文民警察官として派遣されていた日本の警察官が、殺害された。
 その知らせが日本に届いた時、総理大臣・宮澤喜一は軽井沢にいたが、夜中に急いで東京へ戻った。
 《その時官邸から車へ来る電話は、日本はこれで総引き揚げすべきだというのが大方の雰囲気だと言うんですね。私は官邸へ帰って、それは断然反対だと言って、それでその話は終わりましたけれども、そういっている私自身、続いてもう一人でも二人でも死なれたら、これはちょっと難しいかなと思わざるを得ない雰囲気だったのです。/国連から国際的な役割を引き受けたのに、人が一人なくなったから引き揚げるなんていうことは、私は国としてしてはならんことだと思ったし、今でもそう思います。しかし、世論の圧力というのは、そのようなものでした。つまり、いかに我々はひ弱なのかということをあのとき思わざるを得ませんでした。》(『対論 改憲・護憲』中曽根康弘・宮澤喜一 1997年 朝日新聞社)
 宮澤喜一の上の発言は、日本で軍事力や安全保障、戦争と平和の問題を考えるときの、急所のありかを示している。
 国際社会の平和を維持していくためには、力が必要であり、場合によっては武力による衝突が起き、人が亡くなる場合もある。それは残念なことだが、避けられない現実だ。しかし戦後の日本人は「ひ弱」になり、そうした事態に耐えられないのではないか。―――

 「対論」の司会者が、「日本の場合、戦争というのは目的の如何を問わず、ともかく『悪』である、戦争にそもそも正義はない、というような感じ方が強い気がします。なんといっても日本の場合は、戦前に『正義のため』と言って大失敗をしましたからね」と話の水を向けると、中曽根康弘は、「確かに聖戦論というものが害をなしてしまった。これを復活してはならない。しかし、正義のための戦争から逃げてはいけない」と答えた。
 宮澤の答えは、次のようなものだった。「私も五十年間そのことを考え続けているけれども、この話はうっかり持ち出せないようなところがある。私自身も正義や自由のために血を流さねばならぬ時がある、という考え方に共感しています。自らにもその用意がある。しかし、現実の政治の課題としてはこのことはよほど注意深く語られなければならない。」「それは結局、自由とか人間の尊厳というものを一人一人の個人が大切にして、そのために戦わねばならないことを、国民がどのようにして自分の信念としていくかということです。それは国でいえば、自衛のためには血を流さなければならないということに尽きるんで、それでよろしいんじゃないですか。」
 「この話はうっかり持ち出せない」、「このことはよほど注意深く語られなければならない」と口ごもるところに、宮澤喜一の政治指導者としての弱さを見るか、誠実さを見るか、人によって分かれるだろうが、「平和」の問題の急所について、克服されなければならない課題として把握されていることはよくわかる。

▼1994年に日本社会党は自民党・新党さきがけと連立政権を組み、村山富市委員長が首相となったが、その際、同党の長年の方針を転換し、自衛隊と日米安保条約を認めた。これも湾岸戦争がもたらした影響の一つと考えてよいだろう。

(つづく)

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ウクライナの戦争と日本1 [思うこと]

▼ウクライナの戦争が始まってから、もうすぐ1年になる。戦況と戦禍がほぼ毎日、ニュースの時間に伝えられ、軍事の専門家やロシアの政治に詳しい学者やジャーナリストが、解説してくれる。
 ウクライナの善戦とロシアの苦戦というのが全般的状況のようだが、火砲の数量がものをいう平坦なフィールドでの地上戦にロシア軍が兵士を大量に投入し、ウクライナ東部では一進一退が続いているらしい。欧米諸国はロシアを国際的金融決済システムから締め出し、経済的締め付けを行っているが、エネルギーと食糧を自給できるロシアには、それほど効いているようには見えない。しかし半導体などが入手できないため、ロシアは精密誘導兵器を新たに作れず、いずれミサイルは枯渇するだろうと期待されている。
 目下ロシアは、ウクライナ国民の士気をそぐため、都市にミサイルを撃ち込み、市民生活のインフラを破壊することに力を注いでいるが、国民は停電が続く中でも抗戦意欲を失っていない。一方ロシア国内での反戦の動きは、警察力で抑え込まれ、TVニュースは戦争の正当性を伝えるばかりで、プーチンの政策を変えようとする動きは見られない―――。

▼この戦争について筆者の感じていることを、いくつか述べてみたい。
 ウクライナの戦争が世界に衝撃だったのは、古典的な侵略戦争が21世紀に起こる実例を示したことだった。
 もちろん第二次世界大戦後も、植民地の独立戦争をはじめ国境紛争や内戦など、軍事衝突は後を絶たなかったが、国家による他の国家への公然たる侵略という古典的な戦争は起こらなかった。イラクによるクエート侵略(1990年)はその例外であり、だからこそそれは世界に衝撃を与え、国際秩序への侵犯行為として厳しく糾弾され、国際社会の軍事力によって是正された。
 ところがその国際秩序を担うべき国連常任理事国のロシアが、突然、隣国ウクライナに攻め込んだのだ。国連は、「一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救」うために設立された機関である(国連憲章)。国際紛争を正義と国際法の原則に従って平和的に解決することを第一の目的とし、世界の国々が加盟し、経験を蓄積してきた。プーチンとその部下たちの愚かな行動は、人々の積み重ねてきた努力を一瞬にして反故にしてしまった。彼らは国連憲章について一言も触れず、というより自分たちの行動の正当性の根拠に使うことができず、独りよがりの発言を繰り返している。

 しかし「古典的な侵略戦争」と言っても、超近代的なハイテクが縦横に駆使されている点は、いかにも21世紀デジタル社会の戦争である。イーロン・マスクの「スペースX」社が提供するインターネット接続サービス「スターリンク」が、ウクライナ軍の行動に不可欠の手段として活用され、ドローンや無人機がロシア軍の攻撃に盛んに使用されている。敵の位置を把握できればピンポイントで攻撃できる「ハイマース」(高機動ロケット砲システム)で、ウクライナ軍がロシア軍の弾薬庫や作戦司令部を攻撃し、ロシア軍は超音速ミサイルを都市攻撃に投入している。
 そして戦争の戦禍と戦果が映像で世界中に伝わり、世界の人びとが見ている前で戦争が行われ、プーチンとゼレンスキーは国際世論を味方につけようと、言論戦を活発に闘わせている。世界の人びとは、サッカーの贔屓チームを応援するかのようにTVやネットの画面を観、軍事専門家の解説を聞き、一喜一憂している。

▼ウクライナの戦争は、奇妙な戦争である。
 第一に、ロシアを非難し、ロシアを経済的に締め付けたりウクライナに武器を供与したりしている欧米諸国が、一方ではロシアを過度に刺激して直接戦うはめにならないよう、神経を尖らせていることである。ロシアと欧米諸国の戦争は第三次世界大戦であり、核戦争となる可能性が高く、だから絶対に避けなければならないという思考の下で、ウクライナへ提供する武器についてもロシアの反応を見ながら、徐々に拡大してきた。ロシアの主要都市に届くような射程距離の長いミサイルは供与せず、「ハイマース」についても射程距離が短いものに限定したし、戦車の供与の決定まで時間がかかったのも、同じ思考回路のせいらしかった。
 だからロシアの政治指導者たちは、ロシアが核保有国であること、つまりロシアの安全が脅かされる場合は核兵器の使用も辞さないということを、ことあるごとに暗示したり言及したりして、このことを欧米諸国の指導者の頭に呼び起こそうと必死である。
 欧米諸国の指導者の頭には、この戦争をどのように終らせるかについての案が、戦争勃発後一年になろうとしている現在も、まだないように見える。

 第二に、今のこととも関連するが、小さく力の弱いウクライナが大きく強いロシアに対して、ハンディキャップを背負わされて戦うことを強いられていることだ。
 ロシアの人口(1億4千6百万人)は、ウクライナの人口(4159万人――クリミヤを除く)の3.5倍である。現役の軍人の数は4.8倍、戦車の数は3.8倍、2021年のGDPは8.9倍、軍事費はなんと11倍だという。そういう明らかな体力差のある国家と国家の戦争なのに、戦場はウクライナに限定され、ウクライナの都市は砲撃され、インフラが破壊され市民が殺されているのに、ロシア領に攻め入ることはない。戦略的・戦術的考慮もあるのだろうが、欧米支援国の意向に制約されているようにも見える。

▼この戦争はいつ終わるのだろうか。
 それを決めるのは、次の要素だろう。第一に戦場の勝敗、第二にウクライナ国民が窮乏に耐え、ロシアへの抗戦意識をいつまで持続するかという問題、第三に欧米の国民の、ウクライナを支援しようという気持がどれだけ続くかという問題、第四に、ロシア国民のプーチン支持がいつまで続くかという問題である。
 第一の戦場の勝敗だが、ロシアが戦場でウクライナに勝利し、ウクライナ領土を占領する可能性は、軍事専門家の解説を聞くかぎり低そうだ。逆にウクライナ軍がロシア軍を打ち破り、解放地域を広げる可能性は高いようだが、プーチンは核使用の脅しを高め、欧米の政治指導者の判断力や国民への説得力、調停力が試されることになるのではないか。
 ウクライナにしろ支援する欧米諸国にしろ、できるだけ早くこの戦争を終わらせたいと考えている。一方プーチンは、戦況不利の戦いをできるだけ長引かせることの中に勝機を見出そうとしている。
 来年、2024年は米国の大統領選挙の年であり、第三の要素がこの戦争の行方を決める上で最も影響力を持つ、と考えてよいように思われる。

 ウクライナの戦争は、日本人にとって大きな衝撃だった。その問題を次に考えてみたい。

(つづく)

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