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ハンナ・アーレント 1 [映画]

▼先日、神保町の岩波ホールで映画「ハンナ・アーレント」(監督:マルガレーテ・フォン・トロッタ)を観た。土曜日の昼間だったが、60歳以上とおぼしき客で場内は満席だった。年寄りが客の多くを占めるのは、この映画館に限らず昨今の一般的傾向だが、映画の内容もいくらか関係していたのかもしれない。
 ハンナ・アーレントは、20世紀前半のヨーロッパの激動の歴史を生きた政治哲学者である。しかしいかに激動の歴史を生きたといっても、彼女が有名になったその後半生は、外から見れば変化に乏しい文筆家・大学教師の生活であり、それをドラマとしてどう描くのだろうか。その人生を安っぽい潤色を施すことなしに、どうドラマに仕立てるのか。
 そういうドラマツルギーへの興味が、筆者の場合、ハンナ・アーレントへの関心とともに少なからずあった。

▼映画は、1960年のある夜、アルゼンチンの路上でモサドがアイヒマンを拉致したところから始まる。ニューヨークでアイヒマン逮捕のニュースを聞いたアーレントは、裁判の傍聴を強く希望する。そして「ニューヨーカー」編集部に手紙を送り、傍聴記を書くことを申し出る。



 アーレントは1906年にハノーヴァーで、裕福なユダヤ人の家庭に生まれた。マールブルク大学でハイデッガーから哲学を学び、ハイデルベルク大学でヤスパースに哲学の博士論文を提出した。1929年に結婚。1933年、ナチス政権下で非合法の仕事を引き受け拘束されたのちにパリへ亡命し、ユダヤ人の青少年をパレスチナに移住させる仕事に携わった。
 1937年にスパルタクス団の生き残りハインリッヒ・ブリュッヒャーと出会い、前夫と離婚後に再婚する。1940年、フランス内のユダヤ人強制収容所に収容されるが脱出し、母や夫とともにアメリカへ亡命。難民援助団体の支援を受けながら英語を学び、ユダヤ系のドイツ語新聞に執筆したり、ヨーロッパ・ユダヤ文化復興機関で働いて、生計を立てた。
 1951年、『全体主義の起源』を出版し、アメリカ国籍を取得。1960年当時は、「ニュー・スクール・フォウ・ソーシャル・リサーチ」で教鞭を取り、夫も大学で哲学を教えていた。
 そういった彼女の経歴の必要最小限が、登場人物の会話や主人公の回想を通してさりげなく知らされる。

▼エルサレムに飛んだアーレントは、クルト・ブルーメンフェルトと再会を喜び合う。クルトはかってのドイツのシオニスト連盟の代表者であり、アーレントは影響を受けるとともに父のように慕っていた。
 裁判が始まり、アイヒマンは防弾ガラスで囲まれた被告席に座らされ、検事が起訴状を読み上げる。
 「……私は今、イスラエルの裁判官の前でアドルフ・アイヒマンを訴えます。私はひとりではなく、600万人の原告とともにおります。彼らは立ち上がることも、被告を指さすこともできません。……彼らの灰はアウシュビッツの丘や、トレブリンカやポーランドの川に捨てられました。彼らの墓はあちこちに散り散りです。血の叫びもわれわれの耳には届きません。……」
 アーレントは、「裁判ショーにしてはならない」と検事のやりかたを批判し、クルトは「派手な演説だが、辛抱してくれ」と言う。「裁判ショー」と言われようと、イスラエル国家とユダヤ民族には必要なプロセスなのだ、といった意味であろう。



 検事や裁判官の質問に答えてアイヒマンは言う。「……決まりにより現地の警察が私の部署に照会してきました。そのため私がその件を処理し、次の部署に送りました。私は命令に従ったまでです。……事務的に処理したんです。私は一端を担ったに過ぎません。……」
 アイヒマンの裁判の場面では当時の実写フィルムが使われており、アーレントが見つめるプレスルームのモニター画面にそれが映し出される。彼女はアイヒマンの言葉を聞きながら、考え続ける。
 「彼は想像と違っていた。」とアーレントはクルトに言う。「凶悪とは違う。ガラスケースの中の幽霊みたい。不気味とは程遠い、平凡な人間よ。」



 検事がアイヒマンに、もし父親が裏切り者だとしたら殺したか、と質問する。アイヒマンは、裏切りが証明されたなら遂行したでしょう、と答える。
 検事「では、ユダヤ人抹殺の必要性も証明済みだと?」
 アイヒマン「私は手を下していません。」
 裁判官「葛藤は感じましたか?義務と良心のあいだで迷ったことは?」
 アイヒマン「両極に分かれてました。つまり義務感と良心のあいだを行ったり来たりで……」
 裁判官「そして良心を捨てたと?」
 アイヒマン「そういえます。」
 裁判官「市民の勇気があれば違っていたのでは?」
 アイヒマン「ヒエラルヒーの内にあれば違ったでしょう。」



 アーレントはレストランでクルトに言う。「興味深くない?彼は殺人機関の命令を遂行した。しかも自分の任務について熱心に語った。でもユダヤ人に憎悪はないと主張しているの。」
 「奴が移送先を知らなかったとでも言うのか?」
 「移送先など関心がないのよ。人を死へと送り込んだけど責任はないと考えている。貨車が発車したら任務終了。」
 「奴によって移送された人間に、何が起きても無関係だと?」
 「そう、彼は役人なのよ。」



(つづく)




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