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ウクライナ戦争に思う3 [思うこと]

▼ロシア軍がウクライナに侵攻し、首都キーウを攻略しようとしたが果たせず、キーウ占領をあきらめるまでの1か月が、この戦争の第一段階である。
 第二段階はウクライナの東部と南部の占領と奪還をめぐって戦闘が行われた時期であり、ウクライナ軍はハルキウ州やヘルソン州の領土の奪還で顕著な成果を上げたが、基本的には一進一退の膠着状態にあったといえるだろう。昨年の4月にロシア軍がキーウ攻略から「転進」して以来、今年の5月までの1年2か月ほどがこの段階であり、ウクライナ軍はこの間に大規模な反転攻勢の準備を続け、ロシア軍はそれを迎え撃つための陣地の構築に全力を注いだ。
 そして今年の6月になり、戦争は第三段階に入った。ウクライナ軍は、米国やNATO諸国から供与された新型戦車や武器弾薬を投入して大規模な反転攻勢を四方面で仕掛け、ロシア軍は頑強に抵抗している。ロシア軍は塹壕を掘り、その前方に地雷を埋め、コンクリート製の障害物を置き、砲兵力を配置してウクライナ軍の進軍を止めようとする。空からは戦闘ヘリがウクライナ軍の戦車をロケットで攻撃し、多大な損害を強いている。
 ウクライナ軍は大規模な反転攻勢に入ったものの、ロシア軍の堅い守りを攻めあぐね、敵陣を突破できずにいるという報道が流れた。ゼレンスキーは、「(反転攻勢の進行が)望んでいたよりも遅い。ハリウッド映画のような結果を期待している人もいるが、そうはいかない。人の命がかかっている」と語った。
 大規模反転攻勢の始まった直後の6月6日の夜、ヘルソン州のカホフカ水力発電所が何者かによって爆破され、溜められていた水が流出し、広大な下流域の街々を水没させた。

▼ウクライナ戦争が始まってから、TVの報道番組は毎日のように戦況を伝え、その解説をしてくれる。番組に登場し解説してくれる人たち、たとえば防衛省防衛研究所の兵頭慎治、高橋杉雄、東大先端科学技術研の小泉悠、その他自衛隊OBで元陸将クラスの人たちのおかげで、筆者の戦争に関する戦術レベルの知識と理解は、いくらか進んだようである。(自衛隊関係者というとすぐに「田母神俊雄」という名前が浮かび、ああいう「無教養な歴史修正主義者」が幹部を務める自衛隊という組織は、どうなっているのだろうかと、筆者はいぶかしく思っていた。しかしいま番組に登場する面々は、いずれも教養豊かで説明に説得力があり、聴いていて感心する場合が多い。)
 彼らの解説によれば、ウクライナの東部から南部にかけてのロシアの回廊を、どこかで切断するためにウクライナ軍は攻撃を仕掛けている。ロシア軍は時間をかけて陣地を構築しており、ウクライナ軍は多くの兵力を投入し、多大な損害を出しているが、大きな成果は上げていない。一般に攻撃側は守備側の3倍の兵力を必要とするとされているから、基礎体力に劣るウクライナ軍はその面でも厳しい条件下にある。
 しかしウクライナ軍は、まだ戦線に主力部隊を投入していない。各方面で戦いながら弱い部分を探り、そこに主力を投入することになるだろう。陣地突破は大消耗戦となるが、避けて通れない道である―――。

 戦争の戦術や兵器について、サッカーやチェスの戦術のように論じることに引っかかるものを感じる人はいるだろう。戦争というゲームの裏には人間の生死が貼りついているのだから、引っかかるものを感じるのは当然なのだが、しかしそれは「次元」の異なる問題として、触れられることはない。
 人間の生命の問題を、戦争にいかにして勝つかを考える場に持ち出すのは、関係者を当惑させるだけであろう。将軍たちは、自分は味方の兵士の生命の損害がもっとも少なく、敵軍への打撃を最大にする作戦をとるつもりだと答えることだろう。人間の生命の問題は、ゲームの外側で議論する問題であり、戦争というゲームに入った以上、早期に勝利することによって人的被害を最少に抑える、としか言えないのではなかろうか。

▼「西部戦線異状なし」という映画を、ネットフリックスで観た。筆者はレマルクの原作を読んだことはなく、ただ主人公が戦死した日の司令部報告に、「西部戦線異状なし。報告すべき件なし」と書かれていたという題名の由来だけを、昔どこかで聞いていた。
 ウクライナで戦争が起きなければ、それは筆者の中で遠い昔の有名な反戦小説であり続けたかもしれない。だが現実にウクライナで戦争が起き、反転攻勢という名の「大消耗戦」がこれから本格化しようとしているとき、眼をそむけずに観る義務があるのではないか―――。気分としてはあまり乗り気ではなかったのだが、半ば以上そういった義務感に動かされ、昨年(2022年)ネットフリックスが制作したドイツ映画「西部戦線異状なし」(監督:エドワード・ベルガー)を、観ることにしたのである。

 主人公パウルは18歳の学生だが、祖国のために闘おうと、学友たちと志願して兵士になる。西部戦線に配属された主人公たち歩兵は、砲弾銃弾の飛び交う中、突撃の命令の下、泥水の大地を這いまわったり、敵の塹壕に飛びこんで殺し合ったりという戦闘場面が描かれる。仲間のある者は死に、ある者は下肢を失うが、パウルはなんとか生き延びる。
 映画は戦闘場面や野戦病院、兵士の日常生活などをリアルに描き出すことで、戦争の恐怖や残酷さ、無益さ、兵士たちの苦痛や絶望を浮かび上がらせる。
停戦交渉がなんとかまとまり、兵士たちは喜ぶが、ドイツ軍の前線の指揮官は、停戦時間の来る前に敵軍に突撃すると演説し、反対の声を上げた兵士はその場で射殺された。パウルは突撃し、敵の塹壕の中で肉弾戦の末、胸を刺されて死ぬ。
 映画が終わり、最後に次のように白抜きの文字で書かれた黒い画面が出る。「1914年10月の戦闘開始からほどなくして塹壕戦で膠着、1918年11月の終戦まで前線はほぼ動かなかった。わずか数百メートルの陣地を得るため、300万人以上の兵士が死亡、第一次世界大戦では約1700万人が命を落とした。」

 優れた作品だと思った。重い気分があとに残った。

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