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サブカルチャーの時代 [映画]

▼NHKのBS放送で、この1月~2月に「サブカルチャーの時代」という連続番組をやっていた。副題に「欲望の系譜」とあり、主として映画によって大衆の欲望のありかを探り、その時代や米国社会の変化を読み解こうという趣旨の内容だった。1時間番組で全18回、1950年代から2010年代まで踏破したようである。(再放送だったらしい。)
 筆者は途中から半分ほどを見ただけだが、社会の「気分」や「雰囲気」を映画をヒントに読み解くことは、なかなか意欲的な趣向といえる。米国で製作された放送番組かと思っていたのだが、フィルムのクレジットを見るとそうではなく、NHKが自前で製作したらしい。番組の中に米国の歴史家、哲学者、映画批評家が登場し、映画に社会の変化がどのように反映されているかを語っているが、彼らの考えも借りつつNHKのスタッフが自力で米国社会を考察したようだ。考察の素材に使われる映画には筆者の観たものもけっこうあり、うなづくことも多かった。

▼筆者が観たのは1990年代からである。
 冷戦が終わり、世界が自由主義で結ばれる新しい時代が到来した。ソ連との競争に打ち勝ち、唯一の超大国となった米国だったが、大都市に暮らす人々の心は空虚なものを抱えていたと、番組は語る。大都市ではゴミとホームレスと麻薬中毒者が増え、治安は悪化し、殺人事件が頻発した。ニューヨーク市の1990年の殺人事件の被害者は、2,245人とピークに達した。
 「ゴースト」(1990年 監督:ジェリー・ザッカー)は、銃で殺された青年が生きている人間の眼には見えない幽霊(ゴースト)になって、悪者から恋人を守る恋愛映画だが、大いにヒットした。ヒロイン役のデミ・ムーアの当時の夫はブルース・ウィリスで、その「ダイハード 2」が同時期に公開されたが、「ゴースト」は集客数で「ダイハード 2」に圧勝したという。「ゴースト」が大ヒットした背景には、幽霊となって恋人を守るという映画の設定の面白さもあったが、舞台となったニューヨーク市の治安の悪さという要素も大きかったと、番組は言う。

 1992年にロスアンゼルスで暴動が起き、死者63人、火災3千件以上を出した。黒人のロドニー・キングが、車のスピード違反で逮捕される際に、警官たちに袋叩きにされて重傷を負うという事件があり、その光景を近隣住民が映像に撮り、全国ニュースとなった。警官たちは起訴されたが、裁判で無罪となり、裁判所や警察署に対する抗議運動が暴動となったのである。
 「マルコムX」(1992年 監督:スパイク・リー)は、多民族社会アメリカの困難さを実在の黒人指導者を通して描いた。「許されざる者」(1992年 監督・主演:クリント・イーストウッド)は、仲間をめった刺しにされたのに保安官が犯人を厳しく罰しようとしない現実に憤り、娼婦たちが金を集めて人を雇い、復讐しようとする物語だった。
 冷戦に勝利した米国ではあったが、社会は安心や安全、安息からほど遠い状況だった。

▼映画「フォレスト・ガンプ」(1994年 監督:ロバート・ゼメキス)の主人公フォレスト・ガンプは、米国のベビーブーマー世代の5~6歳年長である。小さいときは自分の脚でしっかり歩くことも難しく、両脚にギプスをはめ、小学校の校長からはIQが低いから特殊学級のある学校に行くようにと、勧められたりもした。フォレストの友達は、スクールバスで声をかけてくれたジェニーだけだった。
 フォレストはいじめっ子たちに自転車で追いかけられ、走って逃げているうちに両脚のギプスが不要になるだけでなく、走ることが得意であることに目覚める。そしてアメリカン・フットボールの選手として大学に入り、卒業後は陸軍に入隊してベトナムへ行く。
 ベトナム戦争でフォレストの部隊は全滅するが、彼は弾丸が飛び交う中、傷ついた隊長や同僚を肩に担ぎ、獅子奮迅の働きで救助する。
 戦場から帰国したフォレストを迎えたのは、反戦運動の盛りあがりだった。彼は反戦活動家となっていたジェニーと再会するが、彼女は活動家仲間とともに去っていく。
 フォレストは、戦死した同僚が生前に熱く語っていたエビ漁を、元隊長といっしょに始める。そしてハリケーンによってエビ漁の船が全滅したときにも彼らの船は沈まず、逆にエビの大漁に恵まれる。フォレストはやがて多くの富を得て、事業から離れる。
 フォレストはジェニーとまた再会して結婚するが、彼女は一夜を過ごしたあと姿を消す。最愛の母が亡くなり、フォレストはある日走りはじめる。アラバマ州を抜け、アメリカ合衆国を横断し、3年間走り続け、その走る姿はTVで報じられ、たくさんの一緒に走る人びとが現われた。
 ある日フォレストは、何も言わず、走るのをやめた。フォレストは再びジェニーに巡り合い、二人の間に息子が生まれていたことを知る。二人は子どもと一緒に結婚生活を始めるが、ジェニーは病気で亡くなる。―――

 この映画は、フォレスト・ガンプという純真で善良な男を狂言回しに使った、米国社会の同時代史である。エルビス・プレスリーやジョン・レノンをはじめ、歴代のアメリカ大統領がフォレストと関わる形で出てくるし、アラバマ大学の黒人入学をめぐり州知事とケネディ大統領が対立した事件やベトナム戦争、ベトナム反戦運動、やがて中国承認に至る「ピンポン外交」、ウオーターゲイト事件等々も同様に出てくる。
 日本で公開された時、米国で大変評判になっている映画だと聞いて筆者も観たのだが、それほど面白いとは思わなかった。それは米国の観客が、画面の同時代史をどういう思いで観ていたかに、考えが及ばなかったからかもしれない。
 米国の90年代は、銃規制や同性愛、人工妊娠中絶などの問題でリベラルと保守の対立が激化した時代であり、人々の価値観が衝突する「文化戦争」の時代とも言われた。そうしたとげとげしい時代に人びとは、純真で善意のかたまりのようなフォレスト・ガンプにアメリカの伝統的美徳を見、共感したというのが、番組の解釈だった。失われつつあるアメリカの素朴な良心を演じきったトム・ハンクスに、観客は清々しさを感じ拍手を送った。

▼90年代はアメリカ社会の政治的対立が激化した時代であったが、パリの郊外にディズニーランドができる(1992年)など、アメリカの消費文化が世界に浸透するグローバル化の時代でもあった。
 「大きな物語は存在せず、一人ひとりが自分の道を見つけなければならない時代の到来だった」と、番組は総括する。そうした時代に成人した若者たちを理解するのに最高の映画、と番組が絶賛するのが、「リアリティ・バイツ」(1994年 監督:ベン・スティラー)である。筆者は観ていないので論じる資格がないが、彼ら60年代半ばから70年代に生まれた若者たちは、からっぽの世代、「ジェネレーションX」などと呼ばれる。
 彼らはポップカルチャーにのめり込み、現実世界ではなくポップカルチャーに媒介された世界に生きている。ポップカルチャーを通して彼らはようやく現実に触れ、気持ちを表現することができるのだと、番組は言う。
 彼らの親たち、60年代の若者たちは、新しい世界を夢見てカウンター・カルチャーに熱狂した。しかし熱狂のあとに残されていたのは、変わらない現実だった。
 90年代の若者たちは、闘う前からその空しさに気づいている。しかしそうした若者たちにも、現実は容赦なく噛みつく(リアリティ・バイツ)。親世代の離婚率が高く、シングル家庭で育った者も多く、社会に出ようとする90年世代には厳しい就職難が待っていた。

(つづく)

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