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サブカルチャーの時代2 [映画]

▼時代の雰囲気としてのアメリカの「90年代」は、いつ始まりいつ終わったのか、わりあい明瞭に答えられる問題のように見える。ベルリンの壁の崩壊(1989年)が始まりであり、同時多発テロ(2001年)が終わりとなる、ほぼ十年強の期間である。
 ジョージ・ブッシュjr.は90年代を振り返り、「安息の時代」と呼んだが、ソ連という「共産主義国家」が消滅し、「歴史の終り」が語られた時代は、米国が唯一の超大国を誇ったと同時に、明確な敵や悪役が見えない奇妙な時代でもあった。冷戦は米国に、ソ連と対峙し民主主義や自由、資本主義を守るリーダーとしての役割を与えていた。ソ連や共産主義という宿敵によって、アイデンティティを与えられていたと言うことができるかもしれない。
 だからソ連と共産主義が消えたことは米国に、誰と戦い、何と戦えばよいのかよく分からないという、すっきりしない状態をもたらした。中東のテロリストは、まだ登場していなかった。
 「ミッション インポッシブル」(1996年)の主人公イーサン・ハント(トム・クルーズ)は、米国諜報機関に所属していたが、組織を裏切ったと見なされ、追われる身となる。彼を陥れた敵は、冷戦終結で仕事を失い、将来を悲観した仲間だった。
 この映画はシリーズ化され、次々と続編が作られ、トム・クルーズはさまざまな相手と戦うことになるのだが、彼のモチベーションや任務の全体像は明確ではない。

 90年代後半の米国ではITが経済を牽引し、人びとはインターネット技術が繋ぐ明るい世界に胸を躍らせると同時に、テクノロジーの発達が自分たちをどこへ連れて行くのか、密かな不安の思いも懐いていた。
 「マトリックス」(1999年 監督:ウォシャウスキー兄弟)は、コンピュータ技術の発達により仮想現実が膨張し、現実と虚構が入り混じる時代の到来をいち早く取り入れた映画の一つである。主人公ネオ(キアヌ・リーブス)は、自分の生きてきた世界がすべてAIが作り出した虚構だったことを知り、人類を解放するためにAIに闘いを挑む―――。

▼2001年9月の同時多発テロの発生により、米国人は愛国心を高揚させた。米軍兵士に寄り添うような映画、たとえば「ブラックホーク・ダウン」(2001年 監督:リドリー・スコット)のような戦争映画も作られたが、しかしそれは一時のことであり、イラク戦争が進行する中で、自分たちはなんのために戦っているのかという思いが、急速に社会に広がっていく。番組は、人びとの心の迷いを象徴する新たなヒーローとして、映画「ボーン アイデンティティ」(2002年 監督:ダグ・リーマン)の主人公を挙げる。
 主人公ジェイソン・ボーン(マット・デイモン)は、CIAによってつくられた「殺人マシン」(暗殺者)だった。任務途中の事故で記憶を失い、ボーンは残された手掛かりをたどって自分が何者なのかを知ろうと動き出す。それを知ったCIAの幹部は、「殺人マシン」育成計画が表に出ることを恐れ、ボーンを消すために次々に暗殺者を送り、死闘が繰り広げられる。
 自分は外国で、理由も分からず人を殺していたらしい―――。自分が過去に通ってきた場所に再び身を置くことで、ボーンはしだいに記憶を取り戻す。正しいと信じて行ったことが間違いと分かった時、どうするべきなのか。ボーンは自分が殺した外交官夫妻の娘に詫びるために、ロシアへ行く。
 ロシアで待ち伏せていた最強の暗殺者を、凄絶なカーチェイスの末になんとか倒し、彼は傷ついた体を引きずって、アパートで一人暮らす娘に会いに行く。(第2作「ボーン スプレマシー」2004年 監督:ポール・グリーングラス)。画面はすばやいカット割りの連続で、ボーンの激しい動きと揺れ動く心を映し出していた。

 2000年代初め、米国は正義をとり戻すために「テロとの戦い」に足を踏み入れた。しかし待っていたのはさらなる混沌であり、アメリカ社会の分裂だった。
 筆者は「ジェイソン・ボーン」の3部作(第3作は「ボーン アルティメイタム」2007年 監督:ポール・グリーングラス)を、満足して観た。いずれもIT機器を駆使してボーンを追うCIAと、組織の追求や暗殺者たちの攻撃をかわしながら過去の記憶を取り戻そうとするボーンの、激しい攻防戦に次ぐ攻防戦である。筆者の満足感には、活劇の面白さももちろんあるのだが、物語の設定が含むある種の苦み、政府組織によって裏切られた男の孤独な闘いという要素も含まれていたように思う。

▼2000年代の米国では、同性婚をめぐる人びとの分裂があらわになり、社会は大きく揺れた。
 2004年にマサチューセッツ州で同性婚が合法化された。保守派は猛反発し、ブッシュjr.は同性婚反対を掲げて大統領再選を果たす。しかし保守派は政治的には力を持っていたが、文化的には同性婚をめぐる論争に負けてしまった、と番組は述べる。その論争に大きな影響を与えたのが、「ブロークバック・マウンテン」という映画だった。
 「ブロークバック・マウンテン」(2005年 監督:アン・リー)を筆者は観ていないので、番組からの受け売りなのだが、美しい自然を背景にした二人のカウボーイの愛の物語なのだそうだ。彼らには妻子があるが、それでも二人の愛は20年間続く。しかし二人の関係が世間に知られ、主人公は自殺する。同性愛に対する社会の不寛容が二人の男の人生をいかに破壊したかを静かに描き、社会を変えるべきだと訴えた映画は、多くの共感を呼んだらしい。
 作品のメッセージは、保守派を黙らせた。保守派の強い反発が予想されたが、上映禁止はユタ州の1館のみだったと番組は言う。
 アメリカの文化産業はリベラル寄り、民主党寄りだと言われる。トランプを大統領に担ぎ出した策士スティーブン・バノンは、保守派はワシントンだけでなくハリウッドも支配するべきだった、と発言したと伝えられる。分断され、激しく対立しあうアメリカ社会ならではの発言だが、社会の分裂は時とともにさらに強まる。

(つづく)

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