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サブカルチャーの時代3 [映画]

▼前回、90年代の終りは2001年の同時多発テロ事件であり、そこから新たな時代が始まったという番組のコメントを紹介した。しかし21世紀も20年が過ぎてみると、はたして9.11のテロ事件はそれほど時代を画するような大事件だったのかという疑問も生じると、番組に登場する歴史家は言う。90年代から続く連続性の方が、より大きなものに見えてくるという意味である。
 90年代から急カーブで進展してきた情報技術(IT)は、インターネットの情報空間を人びとに解放し、2007年に発売されたスマートフォンは、それを身近で手軽なものにした。ITが経済を牽引し、ネットが世界を繋ぐ万能感に、人びとは夢を見た。今ではスマホやSNS(ソーシャルメディア)のない生活は考えられず、それが世界に与えた影響は9.11の衝撃よりも大きく、持続的である。
 2009年1月、バラク・オバマが大統領に就任した。父親はケニア人、母親は米国の白人、ハワイやインドネシアで少年時代を過ごし、ハーバード大学のロースクールで学んだ異色の経歴を持つ彼は、大統領選ではSNSを駆使した草の根戦略で勝利したと言われる。
 黒人(アフリカ系アメリカ人)の大統領がはじめて誕生したことで、夢を求めて挑戦する時代がふたたび始まるかのような期待が、いっときアメリカ社会に生まれた。オバマのスローガンは「アメリカを変えよう」であり、「YES,WE CAN」、つまり挑戦すれば「実現できる」だった。
 イランとの核合意協定やキューバとの国交回復、健康保険制度を拡充する「オバマ・ケア」、地球温暖化対策へ世界の政治をリードすることなど、オバマ大統領は理想主義的な挑戦を行った。しかしアメリカ国内で進む国民の分裂がその足元をすくい、2014年の中間選挙以降は共和党が上下院とも多数を占めたため、オバマ政治は実行力に欠け、国民の失望を招いた。

 「アラブの春」と呼ばれる「民主化」を求めるアラブ世界の動きは、2010年末のチュニジアにはじまり、エジプトやリビアなどに広がり、長期独裁政権を倒した。この動きの背景には、スマホやSNSの普及があったと、指摘された。
 しかし長期独裁政権が倒れたあと、どのような望ましい政権が生まれたのかといえば、そこには大きな幻滅が待っていたというほかないようだ。リビアのカダフィ政権やエジプトのムバラク政権は倒れたが、シリアのアサド家支配は倒れず、反政府勢力との抗争は現在も続き、多くの難民を生み出している。
 スマホとSNSは確かに社会を劇的に変え、名もなき人々も自分の声をあげることが可能になったが、それがより良き「政治」をもたらすという保証は、残念ながら存在しないのだ。

▼2010年代の最初に公開された「ソーシャル・ネットワーク」(2010年)は、「フェイスブック」をつくりだしたマーク・ザッカーバーグをモデルにした映画である。主人公は人と人を結ぶはずのSNSを世に出すが、恋人と別れ、ともにフェイスブックを創りあげた友人と争うことになる。映画は、主人公が裁判を経て巨万の富を得たことを伝え、幕を閉じるが、サクセス・ストーリーではなく苦さがあとに残る作品だと、番組は評していた。
 2011年、「ウォールストリートを占拠せよ Occupy Wall Street」という運動がアメリカで発生し、若者たちがウォールストリートに集まり、政府による金融機関救済や富裕層への優遇措置などを批判した。若者たちは、SNSによる参加呼びかけに応えて集結したのだが、運動の背景にあったのは、リーマンショック(2008年)から政府の手で救済されたにもかかわらず高額報酬を得ている金融機関の経営者たちや、高止まりしている失業率の問題であり、かってないほど広がったアメリカ社会の経済格差の問題だった。
 2013年に「ウルフ オブ ウォールストリート」(監督:マーティン・スコセッシ)という映画がつくられた。80年代にウォール街で莫大な富を築いた実在の人物をモデルにした映画だが、映画の中で主人公は金を稼ぎたいという欲望をむき出しにして、恥じるところがない。番組は「ウォール街」(1987年 監督:オリバー・ストーン)と比較しながら、この映画の「新しさ」を考える。
 「本物の仕事」と「本物ではない仕事」、実際に何かを創り出す仕事と単に金を回すだけの仕事という観念が、「ウォール街」ではまだ生きていたと、番組は言う。つまり米国の伝統的な価値観がまだ存在していたのに対し、2013年の映画ではのっぺりした欲望のみが恥じらいもなく前面に押し出され、そこには富裕層のある種の開き直りがうかがえると、番組は見る。

▼2010年代初め、テクノロジーの進歩が自由で民主的な価値観を行きわたらせるという希望が、アメリカ社会に広がっていた。しかしテクノロジーの発展はアメリカ社会の弱点を拡大し、現実と虚構の区別のつかない言動による社会の混乱が、アメリカ社会の分断をいっそう加速した。
 「ジョーカー」(2019年 監督:トッド・フィリップス)は、コメディアンになることを夢見ながら、ジョーカーの格好で児童施設を回ったり、商店の宣伝プラカードを持って街頭に立ったりして、細ぼそと暮らしている主人公・アーサーの物語である。彼はあるきっかけからウォール街の証券会社で働く若者を拳銃で殺すが、そのニュースが報じられるとジョーカー姿の犯人への共感の言葉がSNS上で広がる。「おれたちは皆ジョーカーだ」という声が街にあふれ、それはやがて暴動となる―――。
 アーサーの怒りは、アメリカ社会の「成功者」たちに向けられているのだが、映画を観た若者の99%がアーサーに共感したと、ある映画批評家は番組の中で語る。
 2019年は拡大する経済格差、人種の壁、リベラルと保守の溝など、社会の分断対立が加速し吹き荒れた年だった。

▼AIの発明により個人の嗜好に合わせたマーケティングが可能になると、企業は、あなたならこれが欲しいはずだと、次々に商品を紹介するようになった。フェイスブックの初代社長ショーン・パーカーは、率直に次のような発言をしている。
 「アプリ開発者は、『最大限にユーザーの時間や注意を奪うためにはどうすべきか?』と考える。そして、写真や投稿に対して『いいね』やコメントが付くことで、ユーザーの脳に少量のドーパミンが分泌されるように工夫する。それは私のようなハッカーが思いつく発想だ。人の心の脆弱性を利用しているのだ。私たち開発者はそのことを理解したうえで、あえて実行したんだ」。
 他人とつながりたいという自然な欲望すら商品化し、利潤に変える資本主義の仕組みが支配する社会。そんな時代にあらがう作品として、番組は「パターソン」(2016年 監督:ジム・ジャームッシュ)という映画を紹介する。
 主人公・パターソンはニュージャージー州のバスの運転手で、彼のなにげない日常を描いた作品である。彼の趣味は詩を書くことだが、その詩を印刷したりSNSで発表したりすることはない。資本主義が煽る欲望から距離を置き、世の中にいま存在しているものだけで十分、という感じで暮らしている。
 「金持ちになることより、すでに持っているものに感謝することが大事」だというかのような主人公の態度は、常により多くの物、より新しい物を求め続ける「資本主義」の対極にあるものだ、と映画批評家は評価する。
 筆者は「パターソン」を観ていないが、三十年前にジャームッシュの「ダウン バイ ロ―」や「ストレンジャー ザン パラダイス」を面白く観た者として、彼の資本主義システムへの違和感が持続していることに、感銘を受ける。

 アメリカでは、多民族国家における人種の壁が越えられないまま、資本主義は人々の欲望を煽り続け、情報技術の発達は社会の急激な変化をもたらし、経済格差の拡大と貧困層の増大を生み出している。それらは社会の分断を進め、アメリカ政治の混迷となって現れている。
 番組のナレーションは最後に、「迷走する偉大なる実験国家・アメリカ。しかしそこには常に何かを求め続けるエネルギーが潜んでいる。はたしてその行方は?」と問いかけて終る。
 迷走するアメリカの行方は社会の分断の行方にかかっているのだが、それについては稿を改めて考えることにしたい。

(おわり)

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