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ウクライナの戦争と日本5 [思うこと]

▼前回、「軍事専門家の視点にはそれ特有の狭さや欠落があるのだろうが」と書いたが、高橋杉雄の『現代戦略論』から省かれているのは、国民の感じ方、受け止め方、考え方である。日本の意思決定が、曲りなりにも「選挙」を通じて行われるのだとするなら、「防衛政策」について決めるのも、最終的には国民の感じ方、受け止め方、考え方である。高橋は、そのような事情は十分承知の上で軍事の常識を説明したのであり、そこから先を考え判断するのは、われわれ国民一般の仕事である。
 「台湾有事」となれば、日本は「集団的自衛権」を行使し、自衛隊が米軍と一体となって戦うことが予想される。そのとき米軍基地の多数置かれている沖縄はどうなるのだろうか。あるいは米海軍基地があり、原子力空母「ロナルド・レーガン」の母港である横須賀基地はどうなるのか。「ロナルド・レーガン」の艦載機が基地とする厚木飛行場はどうか。在日米軍司令部が置かれる横田基地はどうなるのか―――。
 高杉の『現代戦略論』によれば、中国はその政治目的を遂げるために、まず多数の弾道ミサイルと巡航ミサイルを日米の航空基地に叩き込み、日米の航空戦力の壊滅を狙うものとされる。中国軍のミサイル攻撃の精度は極めて高く、日米の空軍基地は大打撃を被るという想定だから、基地の周辺にも被害は及ぶだろう。何よりもミサイル攻撃の恐怖は、基地周辺住民のみならず、「ひ弱」(宮澤喜一)な国民のよく耐えられる程度のものではないだろう。
 そのように日本のこれからの「戦争」の危険性を具体的に考えるとき、国民が戦後の「平和主義」に先祖返りしたとしても不思議はないかもしれない。日本は戦争に巻き込まれないために、基地の使用に反対するべきだ。米国と同盟を結ぶべきではなく、基地の返還を要求し、どこの国とも敵対しないようにするべきだ、「集団的自衛権」などとんでもない、というように。
 中国は尖閣諸島の帰属で日本と対立しているが、だからといって尖閣問題で日本にミサイルを撃ち込むことはないだろう。また、北朝鮮の核兵器やミサイルも、北朝鮮が韓国を攻撃したときに日本が韓国や米軍を支援しなければ、日本に飛んでくることはないと、考えることができるかもしれない。
 しかしこの「一国平和主義」は、非現実的で危険な空想に過ぎない。
 なぜなら、日本がこれまでの米国との軍事同盟をやめ、日本の基地の返還を求めるようなことになれば、極東における軍事バランスは劇的に変わり、中国や北朝鮮に有利な環境を創り出す。これまで中国や北朝鮮の軍事力の行使を抑止してきた大きな力が消え、野望を満たすチャンスが訪れたと分かった時、何が彼らをとどめるだろうか。軍事バランスの急激な崩壊が戦争を引き起こす――そういう愚かな過ちを行ってはならない。
 第二に「一国平和主義」は、軍事同盟を結んできた米国と決定的に対立する事態を招くだろう。日本と米国の結びつきは軍事面だけでなく、政治・経済・文化などあらゆる面に及ぶのだが、それらの結びつきを反故にし、進んで孤立することは、日本国民にとって厄災以外のものではない。
 したがって日本の平和は、戦争を「抑止する力」をいっそう確実なものにする方向で、考えていくしかないのである。

▼戦争勃発から1年を超えたウクライナの戦いについて、TV番組では今後の見通しとともに、なぜプーチンは侵略を決断したのか、専門家たちが議論していた。
 プーチン自身は、開戦当初は、ドンバス地方の同胞をウクライナの「ネオナチ」から守るためだというような理屈をこねていたが、最近ではもっぱら、西欧の攻撃からロシアを守る「祖国防衛」の戦いだと言うようになっている。(2/22「祖国防衛者の日」の演説)。だがいま明らかなのは、プーチンの頭の中でウクライナは一般的な「主権国家」ではなく、ロシアの属国であるべき存在であり、あるべき姿に戻さなければならない、と彼が思っていたということである。
 2014年にクリミア半島をロシア領に編入しようと、プーチンが軍事力を動かしたとき、彼の希望は大きな抵抗もなく実現した。2022年もまた同じようにキーウ(キエフ)を軍事占領し、政権幹部を入れ替えることは容易だと、彼は考えていたはずである。
 米国もウクライナの軍事力や政治力について低く評価しており、ロシアの侵略を非難する一方、ゼレンスキーには亡命を勧めた。しかしゼレンスキーは亡命せず、国内にとどまって戦うことを選び、国民にも共に戦うことを求めた。ウクライナ軍は善戦し、キーウに向かうロシアの戦車部隊を撃破することで、短期間にウクライナを占領しようというプーチンの野望を粉砕した。

 この全世界注視の出来事は、あらためて貴重な教訓を与えてくれる。
 第一に、プーチンがウクライナに軍を進めたのは、自分の野望が容易に実現すると考えたからである。ウクライナ軍が十分な強さを持ち、徹底抗戦すると予想していたなら、彼は安易にロシア軍に侵攻開始の命令を出さなかったはずである。
 第二に、ゼレンスキーやウクライナ国民の戦いの決意と実績が、世界の人びとに感銘を与え、及び腰だった米国とNATO諸国からの支援を引き出し、それがロシア軍から占領地を奪還する力となっている事実である。
 要するに、「天は自ら助くる者を助く」である。ウクライナが十分な「自衛力」を備えていないと見られたときに戦争が起きたということ、ウクライナ国民の不屈の戦いの意志と能力が、世界の支援を引き出し、また国際秩序を再建しようという機運を高めている事実を、重く受けとめなければならない。

▼日本の防衛政策の問題に話を戻す。
 日本は「安保三文書」を改定し、戦後最大の防衛政策の転換をしようとしている。世論調査によれば、防衛力強化のためにGDP比2%を防衛費に充てる方針について、55%の国民が賛成し、反対は33%だという。(日経新聞12月調査。)もっとも、防衛力強化のためでも増税には反対という「世論」だったようだが、筆者も防衛費の拡大は、抑止力維持のためにやむを得ないと考える。
 来年2024年には、台湾の総統選挙(1月)、ロシアの大統領選挙(3月)、米国の大統領選挙(11月)と、ビッグイベントが目白押しである。ロシアについてはプーチンの大統領再選は動かないだろうが、台湾と米国についてその結果次第では、世界の運命が左右される可能性もある。
 日本の政治は、戦争が起きないように必要な「抑止力」を備えるとともに、意図せざる戦争の勃発を防ぐ外交努力に、力を注がなければならない。そして日本国民の「ひ弱さ」の問題に正面から向き合い、克服する必要がある。
 以前紹介したことがある高坂正堯の言葉を再度引用して、この稿を終りたい。

 「日本の不安は安全保障にある。より正確に言えば、安全保障感覚の欠如にある。というのは、日本は概ね正しい安全保障政策をとってきたが、それは“神話”の上に築かれたものであり、現実の分析に立脚していないからである。少なくとも後者は公然と議論されず、せいぜいが“密教”にとどまってきた。そうした状況は安全保障政策に現実の欠陥があるときよりも、ある意味では一層厄介である。国家にとって重要な問題を真剣に考えなくなるし、それは長い目で見て国民の能力を低下させる。」(「安全保障感覚の欠如」1996年)

(おわり)

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