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クエンティン・タランティーノのこだわり 3 [映画]

▼タランティーノの映画の特徴の一つは、殺人を無表情に描くことである。
 「レザボア・ドッグス」でも「パルプ・フィクション」でも、銃で人を殺す場面が出てくるが、登場人物はなんのためらいもなく平気で人を撃ち殺し、殺した後も感情の動きはなく、表情ひとつ変わらない。取り留めのない日常のお喋りとドハデに血が飛び散る「殺し」が、いわば地続きでつながっているのである。
 もちろん映画のスクリーン上で人が殺される場面は、珍しいものではない。日本のチャンバラ劇では、主人公が悪人たちをバッタバッタと斬り倒すし、米国の西部劇では、馬に乗って襲撃するインディアンの一団が、開拓者たちの銃撃でバタバタと撃ち殺されたりする。ただこれらの場面では、観客の関心は「人を殺す」ことではなく、主人公が「危機をのりこえる」ことや、「危機を救われる」ことにあり、「危機をのりこえる」側に完全に感情移入しているから、殺される人間への人間としての感情は起こりようがない。
 しかしタランティーノの映画の殺人は、そういうシーンではない。個人と個人が向き合う場面での文字通りの殺人であり、血しぶきが辺りに飛び散る様子を、タランティーノは過剰なほどリアルに描き出す。
 「パルプ・フィクション」の最後のファーストフード店の場面で、ジュールズとヴィンセントが即席強盗の男女と接触するが、このときギャングの二人は、ブラックスーツに黒タイという服装ではない。二人はアロハシャツに短パンという締まらない格好をしている。なぜなら彼らはその少し前に、車に乗せた黒人の男を、車が揺れたはずみに撃ち殺してしまい、その血しぶきがかかったので知人の家でシャワーを浴び、服を着替えたのである。
 なんらの心のやましさも動揺もなく人を殺すことと、日常の些末な会話の落差を、タランティーノは意図的に設定して面白がっているように見える。

▼「レザボア・ドッグス」や「パルプ・フィクション」を観るかぎり、タランティーノには、映画を通して物語りたい一本のストーリーがあるわけではなく、社会に訴えたい主張や表現したい人間像があるわけでもない。もっと部分的、断片的な形で、撮りたい面白さや俳優に語らせたいセリフがあり、それら自分の“こだわり”の場面、“こだわり”のセリフ、“こだわり”のイメージを映像にしたいという欲望こそ、彼の映画制作の原動力なのだと思う。
 彼個人の“こだわり”であるから、それらが共感の広がりを獲得する保証はもちろんないが、それは一本の長いストーリーでも社会的主張でも、同じことだろう。個人的な思いが社会の強い共感を得る場合もあれば、大向こう受けを狙った企画が時代の気分を見事に読みはずし、さっぱり受けない場合もある。
 「レザボア・ドッグス」や「パルプ・フィクション」は、ハードなドラッグを一発かますような刺激を求める時代の気分に応えるとともに、タランティーノのマイナーなオタク趣味と細部へのこだわりが、若者たちの文化的な自負心をくすぐる作品だった、と言えるのではないか。

▼一方、タランティーノの“こだわり”やオタク趣味が、空振りすることもある。「キル・ビル」(2003年)、「キル・ビル2」(2004年)は、少なくとも筆者にとってつまらない映画だった。

 この映画は、結婚式の途中、教会で暗殺団に襲われ、昏睡状態のまま眠り続けた女性(ユマ・サーマン)が4年後に目覚め、暗殺者一人一人に復讐する物語である。(女性はかって暗殺団の一員で、格闘技・カンフーや剣術の相当な使い手である。)
 家庭の主婦に収まっている暗殺者の一人を倒した主人公は、次に沖縄に飛び、「服部半蔵」という名の刀鍛冶(千葉真一)から名刀を譲り受け、東京でやくざの女親分となっている二人目の暗殺者に挑む。(女親分を演じるのは、中國人らしい知らない俳優である。)体育館ほどもある大きな日本料亭?で、抜刀した数十人の男を相手に、ユマ・サーマンは名刀を振るって斬りまくり、ついに女親分を倒す。(ここまでが話の前半で、「キル・ビル」に収録されている。)
 「キル・ビル2」では、女主人公の過去の修行の過程が物語られ、残りの暗殺者2人と首領のビルを倒す様子が描かれる。
 「キル・ビル」では、女親分の生い立ちが「劇画」で説明されたり、クサリ鎌をあやつる女子高生(栗山千明)が現れたり、「キル・ビル2」のエンディング・クレジットのバックに、梶芽衣子の唄う「怨み節」が流れたりする。「やくざ映画」や「カンフー映画」、「劇画」など、タランティーノのオタク趣味が満載だが、世界の観客はこれを楽しんで観たのだろうか?
 筆者は、馬鹿馬鹿しくて見ていられなかったが、これは“本場”のやくざ映画やチャンバラ映画を観て育った日本の観客の不幸、というべきなのか?

▼「キル・ビル」は荒唐無稽の駄作だったが、その前後に作られた「ジャッキー・ブラウン」(1997年)と「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」(2019年)は、「ジャンゴ 繋がれざる者」(2012年)も含め、一貫したストーリーを持つ“普通の”作品である。
 「レザボア・ドッグス」や「パルプ・フィクション」を念頭に、「タランティーノの映画には、映画を通して物語りたい一本のストーリーがあるわけではなく」と書いたが、彼には一本のストーリーを隅々まで神経の行き届いた映画として撮る才能が十分あることを、これらの作品は示している。

 ジャッキー・ブラウンは、40代半ばの黒人のスチュワーデスである。以前、薬物所有で逮捕されたことがあり、このため勤めていた航空会社を解雇され、いまは条件の悪いメキシコの航空会社で働いている。武器密売人オデールから頼まれた物を、密かにメキシコからロスアンゼルスに運ぶ仕事で、いくらかの収入を得ている。
 刑事と火器取締局の職員がジャッキーに近づき、彼女の弱みを握ったうえで、オデールを逮捕するため協力するように、「取引」を持ちかける。捜査当局に協力しなければ、ジャッキーは今の仕事を失うことになるだろうし、協力すれば凶暴なオデールに殺されることは確実だ。ジャッキーはどうしたらよいのか―――?
 タランティーノはこの映画を、人間心理を巧みに応用した犯罪計画をたて、それが実現したり失敗したりするヒチコック映画のような作品に仕上げている。
 筆者は、良くまとまった気持のよい映画だと感じたが、タランティーノらしさを求める観客にはもの足りなく、興行的には失敗だったらしい。

 「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」は、1969年のハリウッドを舞台にした物語である。
 50年代のTVドラマで主演を張っていた主人公(レオナルド・ディカプリオ)は、今は落ち目で、悪役として若手の引き立て役に回っている。この落ち目の俳優の心境の動きが、映画の一つのストーリーである。主人公にはいつも、スタントマン兼運転手兼その他の手伝い仕事をしている男(ブラッド・ピット)が付いていて、一緒に行動している。
 映画は、69年当時のハリウッドの街の景色や撮影所の様子を映し、スティーブ・マックイーンやブルース・リーを登場させる。また、監督のロマン・ポランスキーとシャロン・テート夫妻が、自宅の庭で派手なパーティーを開く様子を映し、観客にチャールズ・マンソンの“ファミリー”による殺人事件を思い起こさせる。この事件の記憶が、映画のもう一つのストーリーを形づくっている。
 当時のテレビ番組や雑誌、音楽、服装、ポスター、ヒッピーの集団生活などが、多数この映画に撮りこまれ、筆者にはよくわからないのだが、60年代末の時代の空気に対するタランティーノの“こだわり”が、細部まで存分に再現されているのだろう。チャールズ・マンソンの“ファミリー”による殺人事件の記憶によって、観客を引っぱって行く監督のストーリー・テラーとしての力量は、なかなかたいしたものだと思った。

(おわり)

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クエンティン・タランティーノのこだわり 2 [映画]

▼クエンティン・タランティーノは、1963年米国のテネシー州で生まれた。母親は16歳だった。母親はすぐに男と別れ、何度か再婚したが、映画好きで、映画館にはいつも子供を連れて行った。また再婚相手の一人も映画中毒で、金曜日になるとクエンティンを連れて映画を観まくった。
 クエンティン・タランティーノは16歳のとき、通っていたロスアンゼルスの学校をやめ、俳優を目指し、演技を教える教室に通うようになった。また、いくつかの仕事に就いたあと、レンタルビデオ店「ビデオ・アーカイブス」の店員となる。この店は、アート系映画や入手困難な無名映画の宝庫で、映画オタクたちが店員として働いている店だったから、タランティーノの映画の教養はさらに研かれることになった。
 「ビデオ・アーカイブス」の映画オタクの店員たちは、将来を夢見て脚本を書いていた。タランティーノも脚本を書いたが、そのうち「演技したい」という欲求は、監督になりたいという欲求に、「映画に出たい」は「映画をつくりたい」に変わっていった。自分の脚本が売れ、いくらかの軍資金ができると、タランティーノは自分の映画を撮るために、「レザボア・ドッグス」の脚本を書いた。
 この脚本は、幸運を呼び寄せた。脚本を読んだ者は皆、その内容に感心し、自分の知り合いに読ませ、プロデューサーを引き受けたり、知り合いの俳優を紹介したりしてくれたからだ。
 映画「レザボア・ドッグス」はサンダンス映画祭に出品され、その一シーンが物議をかもす一方で批評家たちの高い評価を受け、興行的にも米国国内でまずまずの成績を収めた。しかし国外では、とんでもない大成功だった。フランスでは丸一年上映が継続され、イギリスでの収入は米国でのそれを上回った。
(以上は、『クエンティン・タランティーノ――映画に魂を売った男』(イアン・ネイサン フイルムアート社 2020年)に依る。)

▼クエンティン・タランティーノの監督・脚本の第2作は、「パルプ・フィクション」(1994年)である。これも分かりにくい題名だが、「質の悪い紙に印刷された煽情的な読み物」という説明書きが、映画の最初に出てくる。安物の犯罪小説のペーパーバックをイメージして作った映画だと、監督自身が言うわけだが、内容は三つないし四つの短編を並べて一つにしたオムニバス映画である。
 第一話は、ファーストフードの店で話し込む若い男女、というより中年にさしかかっている男女の話である。稼ぎの良い仕事についていろいろ検討した結果、銀行強盗よりもレストラン強盗の方が割りが良いという結論となり、男と女はピストルを引き抜くと座席の上に立ちあがり、客は全員手を挙げて財布を出せ!と叫ぶ。
 第二話は、盗まれたアタッシュケースを取り返しに行く、ギャング二人の物語である。
黒服に細身の黒タイを絞め、長く伸ばした髪を後ろで束ねた中年のギャング・ヴィンセント(ジョン・トラボルタ)と、同じく黒服に細身の黒タイを絞めた大柄な黒人のギャング・ジュールズ(サミュエル・L・ジャクソン)のお喋りが、延々と続く。アムステルダムのハンバーガーは米国のハンバーガーとどこが違うか、とか、ボスの若い妻の足をもんだ男が建物の4階から突き落とされ、命は助かったものの言語障害が残ったという話、とか。目指すアパートの部屋に着いた二人は、部屋にいた若者4人を容赦なく射殺し、アタッシュケースを奪い、若い黒人1人を車に乗せて立ち去る。
 第三話は、ギャングのうちの一人・ヴィンセントが、ボスから、出張する間、若い細君・ミア(ユマ・サーマン)が退屈しないように外に連れ出してくれと頼まれ、ふたりでレストランへ行く話である。
 レストランは50年代風、あるいは60年代風に装飾され、歌手がプレスリーをまねて歌えば、マリリン・モンロー風の女性が、白いスカートを風に舞いあがらせて前を抑えたりする。ショーの司会者が、ツイスト・コンテスト始めますと言うと、ミアが手を挙げ、ヴィンセントをうながして舞台に上がった。
 優勝トロフィーを片手に家に戻ったミアとヴィンセントだが、ミアは純度の高いヘロインを誤って吸いこみ、死にそうになる。
 第四話は、盛りを過ぎたボクサー・ブッチ(ブルース・ウィリス)に、ボスが八百長試合を持ちかけ、ウンと云わせるが、ブッチは相手を殴り倒して勝利し、恋人を連れて逃げる話である。

 一応、四つの話に分けて内容を紹介したが、分け方によっては三つにも五つ・六つにも分割することは可能だろう。
 四つの話は独立していながら互いに関わりを持ち、第一話のファーストフード店に第二話のジュールズとヴィンセントがおり、即席強盗の男女と関わることで全体の話が円環をつくる。

▼筆者は「パルプ・フィクション」を面白く観た。最も印象に残ったのは、ボスの若い細君を演じるユマ・サーマンという細身で背の高い女優が、中年のギャングを演じるジョン・トラボルタとツイストを踊るシーンだった。
 おかっぱ頭のユマ・サーマンは、大きな瞳で挑むようにトラボルタを見つめながら、髪を振り、両手の長い指を挑発するように動かし、ダイナミックにステップを踏む。
 「サタデーナイト・フィーバー」ではディスコで踊りまくっていたトラボルタが、それから20年近く経ち、もっさりした中年体形のおっさんとなり、表情を殺して若い細君のツイストに付き合う。ミアの足のツボをもんだ男が建物から突き落とされたという無駄話が、ここで効いている。トラボルタの後ろに束ねた長い髪が乱れ、額にかかるが、彼は黙々と腕と腰を振り、足を動かす。筆者はそのシーンを、文字通り息を呑んで観ていた。
 脚本を書くタランティーノの頭の中に、このシーンはどれほど完成された形で存在したのだろうか?おそらく完成形に近いイメージが存在したのだろうが、トラボルタとサーマンの演技は監督の期待をはるかに上回るものだった、と言えるのではないか。トランティーノのキャスティングはどれもピタリとはまっているが、トラボルタとサーマンの起用はとくに見事である。

(つづく)

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クエンティン・タランティーノのこだわり [映画]

▼少し前のことだが、「ヤンキー」という言葉が不良少年、不良少女の意味で使われているのを知り、へえーと感心したことがあった。「若いころ、少しヤンキーをやってたけど……」というのは、すこしグレて、仲間とそれらしい格好をして街をうろついていた、ということらしい。米国の「ヤンキー」が、どのような経路で日本の不良少年少女になったのか知らないが、「ヤンキー」という音の響きは、少年少女のツッパった行動とどこか結びつくような感じもする。
 「やんちゃ」という言葉も、いたずらをして親の手を焼かせる活発な幼児だけでなく、若者の羽目をはずした行動にも使われるようになったらしい。「若いころはやんちゃもしたけど……」と話す若い男の言葉を最近ラジオで聞いて、筆者は妙に感心した。幼児向けの言葉が、思わぬ場所に置かれることで、生き生きと輝きだしたように感じたのである。
 言葉は生き物だから、時代と環境によって変化するのは自然であり、変化の仕方を観察するのはなかなか楽しい。
 たとえば、「こだわる」とか、「こだわり」という言葉がある。
 この言葉は従来、けっして肯定的なニュアンスで使われる言葉ではなかったはずである。手元の辞書を見ても、「ちょっとしたことにとらわれる。拘泥する。」とあり、小さなつまらないことに拘泥し、大局を見失うという、感心しない態度を指すものだった。
 ところが現在では、「本物にこだわる」、「こだわりの一品」などというように、より良い味や確かな技術を追求して妥協しない態度を指す、好ましい言葉に昇格している。理想を追及する職人としての「こだわり」は、時代の先端を行く望ましい態度、姿勢であり、その真剣さと努力が人びとをうならせ、納得させるらしい

 最近、クエンティン・タランティーノの映画をDVDで何本か観たが、肯定的な意味でも否定的な意味でも、とにかく「こだわる」男だな、という感想をもった。

▼「ジャンゴ 繋がれざる者」(2012年)は、タランティーノが脚本を書き、監督した西部劇である。しかし中身は通常の西部劇とは違い、米国南西部の裏面史とでもいうべきもので、黒人奴隷があるきっかけから自由の身となり、白人農園主たちと戦って妻を奪い返す物語である。
 主人公の黒人奴隷・ジャンゴ(ジェイミィ・フォックス)は、お尋ね者を捕まえて賞金を稼ぐ歯科医師(クリストフ・ヴァルツ)と夜営しているところを、農場主ら地域の白人たちに襲撃される。白頭巾をかぶった襲撃者の一団はおよそ30人、馬に乗り、松明を片手にジャンゴたちが寝ていると思われる幌馬車を取り囲んだ。
 襲撃者の一人が、「何も見えねえ」と言って、かぶっていた白頭巾をむしり取った。頭巾とはいうものの、ただの白い袋に目の穴を二つ空けただけのしろものだから、穴が目の位置に合っていなかったり、馬で揺られている間にズレたりするのだ。
 「誰が作った?」
 「あいつの女房だ」
 「いやなら自分で作れ!」
 「だれもお前の女房に文句は言ってない」
 「袋に穴を開けるだけだろ?おれの方がうまいぜ」
 「クソ、破れちまった。だれか予備の袋ないか?」
 「いねえよ。予備のあるやつなんか」
 「袋を取ったら意味ないだろ」
 「何も見えねえ。息ができねえ」
 「ムカつく!俺は帰るぜ。女房が一日かけて30枚作ったんだぞ。恩知らずめ。てめえら、文句ばかり垂れていやがる。」
 延々と続くナンセンスなやりとりに、リーダーの農場主が業を煮やして割って入る。
 「お前ら、目的を忘れるな。あの人殺しニガーに思い知らせてやるんだ。」
 「結局どうなんだ。袋をかぶるのか?」
 「袋をかぶるのはいい考えだが、何も見えない。今回は袋をかぶらず、次回はもっとうまく作り、ちゃんと衣装を着よう。」
 「賛成だ」
 「待て、袋なしはだめだ。これは襲撃だ。」
 リーダーがようやく議論を収め、幌馬車の中と下を探すが、ジャンゴたちの姿はない。離れた場所から状況を伺っていた歯科医師は、幌馬車に積んだ火薬を爆発させ、襲撃者の一団を潰走させた。

 映画「ジャンゴ 繋がれざる者」は、主人公が最後に妻を救い出すハッピーエンドの活劇だが、タランティーノらしさが表れているのは、白人たちがバタバタ撃ち殺され、血しぶきがドハデに飛び散るいくつもの画面と、上に挙げたようなナンセンスな会話だろう。観客は、黒人を襲撃してリンチするという本来緊迫した場面での、登場人物たちの場違いな“こだわり”の会話に、ニンマリするのだ。

▼クエンティン・タランティーノが最初に撮った映画は、「レザボア・ドッグス」(1992年)である。
 宝石店からダイヤモンドを強奪する計画を立てたジョーは、プロの犯罪者たち6人を集め、実行させる。しかし彼らが店に押し入るまもなく警官隊が現われ、撃ち合いとなり、彼らは散り散りに逃げる。落ち合う場所に決めていた倉庫まで逃げてきた彼らは、仲間内に「サツの犬」がいるはずだと口論し、やがて殺し合いにいたる。

 この映画でも、マドンナのヒット曲についての話や、レストランのウエイトレスにチップを出すべきかどうかという議論など、本筋に関係ない会話が取り留めなく続くシーンがいくつもある。宝石強奪チームの打ち合わせの場面がフラッシュバックで挿入されているが、それもその一つである。
 ジョーは6人の犯罪者たちに、最初に言い渡す。「オレはお前たちに『通称』を付ける。これから互いに本名で呼び合う事を禁止する。プライベートな話をしてはならない。出身地、女房の名前、過去の仕事、押し入った銀行の名前など、話してはならない。口がむずむずする場合は、明日のことを話せ。わかったな。」そして、Mr.ブラウン、Mr.ホワイト、Mr.ブロンド、Mr.オレンジ、Mr.ブルー、Mr.ピンクという通称を与えた。
 「なぜオレがピンク?」
 「ホモだからだ」
 「選ばせろよ」
 「ダメだ。前に一度失敗している。皆がブラックを選んで大喧嘩して、誰も引き下がらなかった。オレが決める。お前がピンクだ。イエロー(腰抜けの意味がある)よりマシだろ?」
 「ブラウンはクソの色だ」とMr.ブラウンからも異論が出、Mr.ホワイトは、「どうせ通称なんだから」とピンクに言うが、ピンクは引き下がらない。
 「あんたは良い、ホワイトはクールだ。ピンクとトレードするか?」
 「なんだ?トレードだと?野球じゃないんだぞ。
よく聞け、ピンク。オレと仕事をしたいのか、コソ泥に戻りたいのか?どっちだ?」
と、ジョーは凄みを利かせてピンクを黙らせ、「通称」の話にけりを付けた。

 本筋と関係のない無駄話の中に、登場人物の性格が顕われてくるという、作劇上の狙いはあるだろう。しかしタランティーノの映画の場合、作劇上の必要を超えて無駄話自体にこだわり、こだわりのシーンを収録したがっているように見える。
 題名の「レザボア・ドッグス(RESERVOIR DOGS)」の意味はよく分からないのだが、(タランティーノ自身も説明していないようだ)、ジョーとその息子、6人の犯罪者たちを指しているらしい。

 (つづく)

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パラサイトとジョーカー2 [映画]

▼陽の光の射さない半地下の部屋に住む家族が、スマホを片手に電波の入り具合を調べている。部屋の床に立っても電波はよく入らず、中二階ほどの高い位置に設置された水洗便器のあたりが、かろうじて電波のつながる場所らしい。便器が床よりも相当高い位置に設置されているのは、水圧の関係らしい。半地下の部屋の窓は道路面の高さにあり、路上を行く人びとの脚や立ち止まって立小便する光景が見える。市の害虫駆除の車が薬を撒くと、その煙が半地下の部屋に流れ込み、部屋の住人をむせ返らす。
 ソウルの街の半地下の部屋に住むキム一家は、大学受験に何度も失敗している息子とその妹、中年の父と母の4人で、全員が職に就いておらず、宅配ピザの箱を組み立てるようなアルバイトで日々をしのいでいる。ある日、息子は友人から家庭教師の仕事を紹介される。友人は大学生で、米国に留学することが決まり、自分のやっていた家庭教師の仕事を引き継ぎたいというのである。自分は大学浪人だけど大丈夫なのかと聞く息子に、友人は、受験技術を教えればいいのだから、大丈夫だと答える。息子は大学生を名のることにし、妹が学生証を偽造した。美術学校を志望している妹の書類偽造の腕前に、息子は驚く。
 息子が訪ねた家は、高台の広々した豪華な邸宅だった。有名建築家が建てた邸宅を、IT企業経営の若手実業家パクが買い取ったということで、若く美しい妻と高校生の女の子、小学生の男の子の4人家族と、有名建築家時代からいるメイドが一緒に住んでいた。
 息子の学習指導法は、すぐに高校生の娘とその母親の信頼を得ることに成功した。息子は壁に飾ってある小学生が描いた絵を見ると、自分の知り合いに絵の指導の専門家がいる、と話題にし、母親からぜひ紹介してほしいと頼まれる。
 息子から話を聞いた妹は、絵画を通じた心理療法の専門家という触れ込みで邸宅を訪れ、ネット仕込みのにわか知識で母親を感心させ、小学生を瞬く間に手なずけてしまう。そこへ帰宅した若手実業家の夫は、小学生の息子の先生である妹を、運転手に言って車で送らせる。運転手は自宅まで送ろうとするが、妹は最寄りの地下鉄の駅でよいと断り、パンティをそっと脱いで車のシートの隙間に押し込んだ。
 若手実業家の夫はある日パンティを見つけ、運転手が車に女を連れ込んでいるらしいという疑いを、妻に話す。妻は、まじめな運転手だと思っていたが、そういう疑いが出た以上、事を荒立てずに辞めてもらうのが一番良いと考える。運転手は解雇され、パク家ではその後釜に、すっかり妻に信用された家庭教師が紹介する新しい運転手を雇うことにする。新しい運転手は、キム一家の父親だった。―――
 
▼映画を紹介するときは、いわゆる「ネタバレ」しないように気をつけることが、当然のマナーとなっているようだ。ポン・ジュノ監督自身、プレスへのお願いとして、「観客にハラハラしながら物語の展開を体験してほしいから」、「兄妹が家庭教師として働きはじめるところ以降の展開を語ること」は、どうか控えてほしいと言っている。筆者もこれから観る観客の楽しみを邪魔するつもりは毛頭ないから、ここで口を閉じるべきなのだが、批評の都合上、もう一言だけ説明を加えておきたい。作品の骨格がしっかりしているので、筆者がもう一言喋ったとしても少しも興味をそぐことにはならないし、かえって興味は増すものと思われるからだ。
 付け加えたいもう一言とは、パク一家の豪邸にはキム一家の父親のみならず、母親もメイドとして雇われることである。つまりキム一家の4人が、互いに無関係の人間として裕福な一家に入り込み、寄生を始めるのだ。「パラサイト」(parasite=寄生虫、寄食者)という題名は、奇妙、奇怪な状況を的確に表現しつつ、外国語であることで原語のもつ直接的な印象を和らげているようだ。
 筆者はキム一家の4人がパク家に入り込み、寄生していくのを見て、気が気ではなかった。永遠に騙しつづけられるはずはなく、嘘はいつか露見し、信頼しきっているパク家の人びとを驚かせ、失望させることだろう。いつ、どのような形で、嘘が露見し真実が知られるのか、そしてそれはどれほど善意の一家を驚愕させることになるのか、想像するだけでも恐ろしかった。思うにひとは、善意の信頼が裏切られることに、かなり強い抵抗感と恐怖心を抱くものらしい。
 破局は、観客のまったく予期せぬ形で訪れる。その破局により、筆者をはじめ観客は嘘の露見する恐怖から救われるのだが、ここから先は今度こそ口をつぐむことにする。

▼半地下の住居は、もともと北朝鮮の攻撃に備えた防空壕としてつくられたものらしい。そのうち住宅用に賃貸されるようになり、今では国民の約2%、36万世帯が住んでいるという。ソウルのマンションの家賃は年々高騰し、4人家族が住めるような部屋は今では1ヶ月18万円以上するのに、半地下の住居は4万円で済むからだ。(映画パンフレット所収の町山智浩の紹介文に拠る。)
 この半地下の住居に住む一家と高台の広壮な豪邸に住む一家が、子どもの家庭教師を依頼することを介して接触しはじめるという設定が、まずすぐれていたと言うべきだろう。本来なんらの接点も関りもないはずの二つの家族が偶然接触することにより、ドラマは自然に動き出す。
 この映画をすぐれたものにしたもう一つの理由は、監督ポン・ジュノが観客の予想もしない話の展開を思いつき、それを見事に完結させた技量であろう。悲劇的なコメディ、あるいは喜劇的なホラー映画とでもいうべきこの作品は、軽快なテンポで進行し、観客は目まぐるしい冥府めぐりのあと、日常世界に無事に戻されて話は終わる。

 この映画が、才気あふれる傑作であることはまちがいないが、同じように貧しい人びとや家族を取り上げた近年の作品では、是枝裕和の「万引き家族」(2018年)やケン・ローチの「私は、ダニエル・ブレイク」(2017年)の方が筆者の好みに近い。
 だが、「同じように貧しい人びとや家族を取り上げた作品」として比較する方が、まちがっているのだろう。社会のあり方を直接的に問題にしているのは、ケン・ローチの「私は、ダニエル・ブレイク」だけであり、「万引き家族」も「パラサイト」も「ジョーカー」も、監督の関心は別のところにある。経済格差の深刻な社会を舞台に物語をつくっているが、「格差社会」は物語成立の与件でしかない。
 「パラサイト」の画面からは、ポン・ジュノ監督の「物語をつくる喜び」があふれ出るように伝わってきた。
 
DSC03765.JPG
▼上に掲げたスチル写真は、映画のパンフレットに使われたものだが、実際にはありえないパク家とキム家全員の集合写真である。このうちパク一家は全員が靴を履き、小奇麗な格好をしているのに対し、キム一家は全員が裸足で、安物のスエットスーツやシャツなどを着ている。全員の眼が隠されているが、それは何を意味しているのだろうか。また、左下に誰のものか分からない横たわった人物の裸の足だけが見え、何を暗示するのか、見る者は興味をそそられる。
 「神は細部に宿る」といわれるが、映画では細かいところまで神経が行き届いているかどうかが、作品の質に大きく関わる。このスチル写真に見られるような格差社会の記号論と、物語の意外な展開を面白がる冒険心は、映画全体に行きわたっていた。

(この稿おわり)

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パラサイトとジョーカー [映画]

▼先月、話題の映画、「パラサイト」(監督:ポン・ジュノ)と「ジョーカー」(監督:トッド・フィリップス)を観た。いずれも「格差社会」を取り上げた映画という評判であり、またアカデミー賞を受賞する可能性が高いとうわさされていた。すでに「パラサイト」はカンヌ映画祭でパルム・ドールを取り、「ジョーカー」はベネチア映画祭で金獅子賞を取っていた。
 2月10日のニュースによれば、「パラサイト」は、2020年のアカデミー賞を作品賞など4部門で獲得し、「ジョーカー」は主演男優賞など2部門で獲得した。筆者の観た順に、「ジョーカー」から感想を述べてみたい。

▼舞台はゴッサムという名の、80年代のニューヨークを模した架空の都市。清掃局職員のストライキで街中にゴミがあふれ、いたるところに落書きがある。
 主人公は貧しい大道芸人のアーサー。所属事務所で仕事をもらい、ピエロの格好をして閉店セールの宣伝看板を手に持って、通りに立つ。悪ガキどもがアーサーの手から看板を奪い、走って逃げる。アーサーは追いかけるが、路地で逆に袋叩きにされ、事務所のボスからは、毀された看板代を給料から差し引くと言われる。
 アーサーは定期的に市の医療面談に通っている。脳と神経の病気で突然笑い出し、笑い出すと止まらなくなる。この日も煙草をひっきりなしに吸いながら笑いつづけ、カウンセラーの質問にかろうじて、自分はコメディアンになりたい、こうしてジョークのネタを集めている、とノートを見せる。
 アーサーは、古いアパートに母と二人で暮らしている。母親は病気がちで、むかし雇われていた家の主人に窮状を訴える手紙を幾度も出すが、返事はない。アーサーは優しくベッドに母を寝かせ、TVで大物コメディアンのマレー・フランクリンの司会する番組を観る。
 アーサーはある病院の小児病棟に慰問の仕事で行き、ピエロの格好で子どもたちに踊り見せている途中、うっかり拳銃を床に落としてしまう。まわりは一瞬静まり返り、アーサーは事務所を解雇される。拳銃は、アーサーが悪ガキどもに袋叩きにされた後、事務所の仲間から手渡されたものだった。
 深夜の地下鉄に、客はほとんどいなかった。酒に酔った若いサラリーマンが3人、乗っていた女性をからかい、けたたましい笑い声をあげたピエロ姿のアーサーを見ると、ゆっくり近寄ってきた。そして殴りつけ、倒れたところをさんざん蹴りあげた。アーサーは拳銃を引き抜きざま二人をその場で射殺し、ホームを逃げる一人を追いかけて階段で撃ち、そのまま姿を消した。
 アパートに帰るとTVニュースで、証券マンが3人、ピエロ姿の男に射殺されたと、事件が報じられていた。また、金持ちを殺せ、俺たちは皆ピエロだという声が起き、富裕層への反発が高まっていることも、ニュースは伝えていた。
 母親の書いた、むかしの主人トーマス・ウェイン宛ての手紙が、封をしないまま置いてあった。読んでみると、「あなたの息子と私はあなたの助けが必要です」と書かれており、驚いて母親を問い詰めると、恋に落ちて特別の関係になったのだ、と母は言った。
 翌日、アーサーは電車に乗り、郊外のトーマス・ウェインの屋敷へ向かう。車内の乗客の読む新聞の見出しには、「私刑人ピエロ いまだ逃走中」の横に、「トーマス・ウェイン 新市長に出馬」とあった。
 屋敷に着いたが、結局ウェインに会えなかったアーサーは、劇場のトイレでついにウェインに近づくことに成功する。しかしウェインはアーサーの質問をにべもなく否定し、あの女は精神病院に入れられたのだと言い、自分の家族に絶対に近づくなと脅した。
 アーサーはウェインが口にした精神病院に行き、母親の30年前の診療記録を見る。「妄想性精神病」「自己愛性人格障害」などの病名が書かれ、また養子にした子どもをボーイフレンドが虐待し、母親はそれを傍観して罪に問われたことなどが記されていた。

▼アパートにTV局のスタッフから、マレー・フランクリンの番組に出ないかという電話がかかる。アーサーはコメディアンとして酒場の小さな舞台に立ったことがあり、その録画をたまたま見たマレーの発案だという。
 アーサーは、入院している母親を見舞いに行き、その顔に枕を押しつけて窒息死させる。また、アパートに訪ねてきた事務所の仲間を刃物で殺す。
 TVに出演する日、アーサーは刑事に追われて地下鉄に乗り込む。車内はデモに行くピエロの仮面をかぶった男たちであふれており、刑事はアーサーを捕まえようとするが、逆に群衆から袋叩きにされる。
 アーサーはTV局にたどり着き、マレーの番組に出る。マレーの質問に答える形で、自分が3人の証券マンを撃ち殺したと言い、社会に見捨てられゴミのように扱われる男のことなど、誰も気にかけない、と言う。そして、自分を憐れんで殺人を正当化している、とアーサーを非難するマレーを、いきなり射殺する。
 街ではピエロの仮面のデモ隊が暴徒と化し、車を焼き、商店を襲っていた。劇場を出たトーマス・ウェイン夫妻は、車で帰ることもできず、裏道を歩いているところをピエロの仮面を着けた男に射殺される。
 アーサーはパトカーで連行される途中、ピエロの仮面の男の運転する大型車が体当たりした。ひっくり返ったパトカーから気絶したアーサーが助け出され、蘇生する。立て、立て、と叫ぶ群衆の声にうながされ車の屋根に上ったアーサーは、両手を広げ歓呼の声に応えた。―――

 明るい病院の病室で、アーサーは手錠をかけられた手でタバコをくゆらしながら、笑いつづける。女医が、何がおかしいの?と聞く。ジョークを思いついて、とアーサー。聞かせてくれる?と聞く女医に、理解できないさ、とアーサーは言い、映画は終わる。

▼省略した部分はもちろんあるが、長々とあらすじを紹介したのは、この映画に釈然としないものがあることを示そうとしたからである。
 主人公役のホアキン・フェニックスは熱演だったし(役づくりのために20㎏以上の減量を敢行したという)、映像も美しかった。美しいという言葉が貧しく汚れた街・ゴッサムにふさわしくないとすれば、思わず目を止める斬新な画面がいくつもあった。たとえばTVに出演する日、ピエロの顔に化粧したアーサーが4~5階建てのビルほどの高さのある長い石の階段を降りながら、全能感に包まれて踊るシーンは、生き生きと輝いていた。
 音楽も悪くなく、脚本も無理なく巧みに伏線を張り、映画全体を過不足なく説明していた。しかし過不足なく説明しているとは、どういうことなのか。
 アーサーは、「自分を偽るのに疲れた」、「誰も他人のことを気にかけない」、「この社会に見捨てられ、ゴミみたいに扱われた」と言い、「自分の人生は悲劇だと思っていたが、喜劇だった」というセリフをくり返す。これらのセリフはわかりやすく映画のテーマを説明しているように見えるが、もしそうだとしたらこの映画は安っぽい格差社会の告発ものの一つになってしまう。
 主人公の銃による殺人があり、暴徒と化した群衆による破壊行為がある。しかしそれらを富める者と貧しい者に分断された社会を映す行為とみなし、主人公が狂気であることで、その殺人をあいまいに免責する作品にしたてるとしたら、鑑賞する者の共感をひどく削ぐことになるだろう。筆者が感じた「釈然としないもの」は、その点に関わっている。
 フィクションの世界は、もちろんリアル社会の戒律が直接適用されるわけではない。リアル社会で許されない復讐や殺人が快哉を呼び、リアル社会ではありえない夢のような出来事が起こり、鑑賞する者の魂を揺さぶり、幸せな時間を提供する。
 しかしリアルな社会に秩序があるように、フィクションの世界にも秩序があり、その秩序は大きく鑑賞者の共感に依存している。優れた作品とそうでないものとを分けるのは、ただこの“鑑賞者の共感”というあやふやにして確乎たる要素なのだ。そして多くの優れた作品は、共感する鑑賞者を物語の“破局”に導き、破局の体感をとおして一段上のステージにいざなう。
 しかし「ジョーカー」の破局は、救いのない現実を開示するだけで、鑑賞者は釈然としないまま残される。映画は鑑賞者の十分な共感を獲得することに失敗した、と言わざるを得ない。
 破局がひとつの“救い”になっている例として、つぎに「パラサイト」について見てみたい。

(つづく)

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主戦場3 [映画]

▼前回の記述の訂正をしたい。映画「主戦場」の中で加瀬英明が、カメラに向かい、「朝鮮人や中国人は経済競争で日本にかなわないので、慰安婦問題などを取り上げ騒ぐのだ」と語ったと書いた部分である。
 メモを見るとこれは自民党議員・杉田水脈の発言であり、もう少し正確に書くと、「中国、韓国は科学技術で日本に勝てないので、日本を貶めることで、経済競争以外の場面で有利な位置を占めようとしている」というような発言だったと思う。
 加瀬の発言は、次のような趣旨のものだった。「アメリカは人種差別の国である。キング牧師などの運動は、日本の影響で起こった。その腹いせに彼らは慰安婦運動を支持するのだ」。
 映画から帰ってすぐに記憶をメモしたのだが、そのメモが見つからないままぼんやりした記憶に頼ってブログを書いたのが、間違いの原因だった。どちらの発言も、黙って肩をすくめて見せるしかないしろものだという印象の下で、発言者が入れ替わってしまったのだろう。
 加瀬英明の舌足らずな発言は聴く者を唖然とさせるが、本人の思考回路では、大東亜戦争はアジア解放、植民地解放の戦いであり、アメリカの公民権運動も人種差別撤廃という同じ流れの中に位置するものだ、といった手前勝手な理屈が組み立てられていたのかもしれない。
 それにしてもこうした発言が、彼(彼女)らの主張全体の信頼性を著しく損なっていることに、彼(彼女)らは気づいていないのだろうか。

▼さて、本来の主戦場に戻る。「慰安婦」の問題はつまるところ、慰安所の実態、慰安婦の生活の実態の問題なのだろうと思う。
 「慰安婦問題」が韓国で告発された90年代初め、告発の重点は「20万人もの少女が日本の軍や政府の手で強制的に連行され、慰安婦にされた」というところにあった。しかしこの主張は、戦時総動員体制のもとで戦争末期に組織され、各地の工場に動員された「女子勤労挺身隊」と軍の慰安所で働いた「慰安婦」を、意図的に?混同した誤りであることが指摘された。
 また、慰安婦を集めたのは斡旋業者(いわゆる「女衒」)であり、彼らが娘に仕事を世話するといって親に金を渡し、娘を慰安所の業者に売り飛ばすといったケースは多く見られた。しかし日本の軍や政府が「強制的に連行」したという主張が誤りであることは、研究者の間でほぼ認められている。
 もっとも、首に縄付けて引っぱって行くだけが、「強制連行」なのではない、「良い仕事がある」と騙して連れて行くのも「広義」の「強制連行」だ、といった聞き苦しい議論は、今でもあるらしい。だが、「本人の意思に反して慰安婦にされた」女性たちが多数いた、と正確に表現すれば、否定する者はいないのではないか。

 慰安婦の「強制連行」の議論になると、すぐにインドネシアなど東南アジアの占領地での事例を持ち出し、このとおり「強制連行があったことは証明されている」と主張する者がいる。インドネシアでは、兵士たちがオランダ人女性を監禁したり、あるいは収容所で食事を与えず、慰安婦となるよう仕向けたりした事例が報告されているからだ。
 しかしこの問題は、日本が統治する朝鮮・台湾と軍事的な占領地とを、分けて考える必要がある。そして日本軍の制度を問題にするときに、兵士たちの「非行」や「逸脱」の事例を持ち出して、議論を混乱させることは避けるべきである。なぜなら日中戦争(支那事変)が拡大し、日本兵の強姦事件が多発したことが、軍が「慰安所」を開設するそもそもの動機だったからだ。
 慰安婦「20万人」説についても、映画の中では登場人物たちが兵士の人数と見比べながら、真面目な顔で「適正比率」や「推計値」を検討していたが、それが韓国の新聞記事の誤りから広がった根拠のないものであることが、明らかになっている。

 要するに「慰安婦問題」の初めの告発理由は、全面的に訂正しなければならない状況になったのだが、それに代わるようにして糾弾の理由に挙げられたのが、慰安婦は「性奴隷」であり、日本は国家として「性奴隷」制度を運用していたという主張である。その主張の正否を知るには、慰安所や慰安婦の実態を見る必要がある。

▼慰安所の実態や慰安婦の生活実態を理解する上で必要な資料は、乏しくはあっても無いわけではない。慰安婦自身の体験談もあれば慰安所を管理する立場にあった軍人や慰安婦と接触のあった軍医が書き残したものもある。米軍がビルマで捕虜にした慰安婦への尋問調書や、日本の政府や陸軍の公文書もいくらかは残っている。兵士たちの証言記録にも、慰安所や慰安婦に関わる事実を採取できる部分はあるだろう。日本の遊郭経営の仕組みも、一つのビジネスモデルとして理解の参考になるかもしれない。

 慰安所は軍が直営したわけではなく、軍の設置した施設に民間業者が入って営業する「公設民営」方式や、軍が民間の遊郭などを慰安所と指定する方式が一般的だった。
 民間業者は、前借り金で慰安婦たちを拘束した。契約期間は通常2年だったが、借金が完済されないまま延長されることが多かった。慰安婦たちの手取りは稼ぎの半分程度であり、その手取りも衣装代や食費などの名目で差し引かれたからだが、それでも故郷の家族へ仕送りする者がいたのは、慰安婦家業が高収入だったからだろう。
 軍医だった長沢健一は、著書『漢口慰安所』の中で次のような体験を書いている。通過部隊が慰安所に殺到し、過重労働で性器をはらした女性が続出したので休業を命じたところ、喜ばれるどころか、盆と正月が一度に来たような稼ぎのチャンスなのに、と彼女たちから抗議されたという。(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』から引用。)
 慰安所の営業時間や階級ごとの利用時間、将校、下士官、兵士別の料金など、営業については現地部隊が内務規定で定めていた。慰安婦は月3回「検黴」を受けること、利用者(兵士)は必ず衛生サックを着用すること、営業主は「誠意をもって明朗なる営業を営む」ことなど、細かく規定されていた。

 朴裕河は朝鮮人慰安婦たちの証言を読み、慰安婦の労働は場所によって異なり、兵員2万人に慰安婦50人という悲惨な場所もあったが、閑な部隊では慰安婦は部隊の一員のように扱われることもあったと書いている(『帝国の慰安婦』)。
 兵隊たちは慰安婦を大事にし、慰安婦の方もそれに応え、休日には洗濯をしたり、機関銃の手入れをする兵士の側で頬杖をついてそれを眺めたり、繕い物をしたりした。
 《……戦争で強姦の対象となった〈敵の女〉と慰安婦は、軍との関係で根本的に異なる存在だった。家族と離れて戦場に出かけている軍人を「女房」のように身体的、精神的に「慰安」し、士気を高める役割。それこそが慰安婦に期待された役割だったのである。》(『帝国の慰安婦』)
 「挺対協」が編集した『証言集』の中で、ある元慰安婦は次のように証言しているという。
「戦闘を前に恐いと言って泣く軍人もいた。そういう時わたしは、必ず生きて帰ってと慰めたりもした。そして本当に生きて帰ると、嬉しくなって喜んだ。そういう人たちの中には、なじみになる人も多かった。」
 別の元慰安婦は言う。
 「……自分の奥さんのことを思って(私たちのような)外の女とは関係しようとしないんだ。ある人は何もしないで帰るの。それでも頻繁に来るの。癒され、遊び、お酒を飲みながら話そうとして来るわけ。肉体関係を持たない人はたくさんいたよ。」(『帝国の慰安婦』)。
 また、慰安婦たちは、運動会を楽しんだ記憶や兵士と一緒に馬や車に乗って遊んだ体験を思い出し、楽しく幸せな思い出として語っている。朴裕河は、そういう時間が、戦力を維持するための国家の策略だったとしても、彼女たちには地獄としての慰安所生活を耐えさせる喜びの時間であったことは確かであり、それを無視したり非難したりする権利は誰にもない、と書く。
 《慰安婦問題が「女性の人権」の問題ならなおさら、そのような感情や思いや体験はありのままに受け止められるべきだ。》(『帝国の慰安婦』)。

▼慰安婦は「性奴隷」であり、慰安所は強姦、輪姦やり放題の「レイプ・センター」だ、などという歪められた理解が、残念ながら世界に広がっているようだ。それは歴史的事実を究明する問題である以上に、国際世論をどう味方につけるかという極めて現代的な国際政治の問題になってしまっている。
 世界に広がり、現に広められつつある歪んだ理解、無理解に対し、この映画に出てくる「糾弾批判派」のようなスタンスで対抗するのは、難しいように思う。現に、先入観なしに映画制作に臨んだミキ・デザキ監督は、双方の言い分を聞きながら、「糾弾派」の言い分に賛意を示すようになる。
 しかし一般の日本人のこの問題に関する理解と姿勢は、「糾弾派」でも「糾弾批判派」でもなく、日本政府の表明してきたそれに近いのではないかと、筆者は思う。
 問題のそもそもの難しさや「女性の人権」という錦の御旗、問題爆発から30年という時間の経過を考慮すれば、日本政府がとってきた姿勢と施策をていねいに説明し、国民の理解と支持を徹底することが、この問題への最良の方策だと考える。

(この稿おわり)

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主戦場2 [映画]

▼この映画が糾弾派に有利に作用する第三の事情は、糾弾批判派が同時に南京事件否定派であり、靖国参拝派であり、つまりいわゆる「歴史修正主義者」であることを、デザキ監督が映画の中で言及しているからである。
 このことは、藤岡信勝や櫻井よしこの発言に接してきた筆者を含む一般の日本人には、すこしも目新しい情報ではないだろう。だが「慰安婦問題」を、遠くの日本と韓国の話として聞いていた欧米の人々には、ひとつながりの「歴史修正主義」の問題として示されることで、問題はにわかに“わかりやすく”なる。戦前・戦中の日本のありかたを反省せず、“誇りある日本”をとり戻そうという運動を進める「歴史修正主義者」たちが、「慰安婦問題」でも暗躍していると理解することで、問題の対立状況が鮮明に見えてきたと彼らは感じるのだ。
 デザキ監督自身も、そういう体験をしたのだろう。彼はこの点では両派から距離を置くのではなく、はっきりと修正主義批判の姿勢で映像をまとめている。靖国参拝をアーリントン墓地の参拝を例にして擁護する主張に対し、二つの点で違うと主張する学者(中野晃一)を登場させる。第一に、靖国神社が神道の宗教施設であるのに対し、アーリントン墓地はどの宗派にも属さない、戦没者を悼むための施設である。第二に靖国神社はA級戦犯を祭っているのだから、そこへの参拝はアーリントン墓地の参拝とは意味が違う……。
 また日本の「歴史修正主義」を推し進め、政界にも大きな影響力を持つ団体として「日本会議」を紹介し、その動きの中心にいる?人物として加瀬英明を登場させる。加瀬はインタビューアーから慰安婦問題を告発する吉見義明の著書について質問されると、誰それ?と怪訝な顔をし、自分は他人の書いたものは読まないとはぐらかし、朝鮮人や中国人は経済競争で日本にかなわないので、慰安婦問題などを取り上げ騒ぐのだと言ったような、聞く者を唖然とさせる話をカメラの前で真顔でする。
 映画に登場する慰安婦問題の糾弾派も糾弾批判派も、その発言は一応「事実」をめぐる主張なのだが、加瀬英明のそれはどこから見ても、モーロクした年寄りのたわごと以上のものではない。それは雄弁に、日本の「歴史修正主義者」と「日本会議」の知的・道徳的水準をもの語り、彼らが影響力を持つと言われる日本の政界の知的・道徳的水準をもの語っている……。

 しかし筆者はあえて言うが、映画に登場する「糾弾批判派」が、同時に南京事件否定派であり、靖国参拝派であり、「歴史修正主義者」であったとしても、だから慰安婦問題で彼らと対立する「糾弾派」の主張が正しいということにはならない。デザキ監督は「糾弾派」と「糾弾批判派」の主張を画面でぶつけることで、対立点を通して「真実」が見えてくると考えたようだが、その理解には誤りがあると筆者は考える。

▼この映画が触れていないことがある。「女性のためのアジア平和国民基金」の事業のことであり、日本政府の慰安婦問題への対応についてである。
 日本政府は「河野談話」で「お詫びと反省」を表明したあとの対応として、韓国の元慰安婦に対し国民的な償いを行うための資金を民間から募金することや、元慰安婦の医療や福祉などを政府の資金で支援すること、事業を行う際には国としての率直な反省とお詫びの気持ちを表明することなどを決め、1995年に官房長官が発表した。韓国の外務部はこれを受け、どのような対応をするかは日本が自主的に決めることだとした上で、「これまでの当事者の要求がある程度反映された誠意ある措置であると評価している」との声明を出した。
 「アジア女性基金」は財団法人として95年に発足し、国民の募金は1年足らずの間に4億円を超えた。「基金」はこの募金を元に「償い金」を元慰安婦に贈り、また政府資金で元慰安婦の医療や福祉を支援する事業を、97年から開始した。「償い金」には、次のような「首相の手紙」が付けられた。
 《………いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多(あまた)の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からお詫びと反省の気持ちを申し上げます。
 我々は、過去の重みからも未来の責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、お詫びと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳にかかわる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております。………》

▼しかし「慰安婦問題」は解決に向かうどころか、逆にいっそう深い泥沼にはまり込むことになる。その原因は韓国の「支援団体」やマスメディアが、「アジア女性基金」の事業を認めず妨害したからである。
 96年8月に「アジア女性基金」の委員が韓国に赴き、元慰安婦十数名に会って「基金」の事業について説明した。12月に、説明を聞いたうちの7名の元慰安婦が「基金」の努力を認め、事業を受け入れると表明した。「アジア女性基金」は翌年1月、代表団がソウルで元慰安婦7名に首相の「お詫びの手紙」を手渡すとともに、韓国のマスメディアに「基金」の事業について説明した。
 韓国のマスメディアは、日本政府が「法的責任」を認めないことや、「償い金」が政府の資金ではなく募金で集められた金であることなどを挙げて、「基金」の事業を批判した。「挺対協」は元慰安婦7名の実名を表に出し、本人に電話をかけ、「基金」の金を受けとることは、自ら『売春婦』であったことを認める行為であると非難した。そして、その後に新たに「基金」事業の受け入れを表明した元慰安婦に対しては、関係者が家まで押しかけ、「日本の汚いカネ」を受け取らないよう迫った。
 韓国のマスメディアの批判や「挺対協」の妨害だけなら、あるいは「アジア女性基金」の事業は進んだかもしれない。だが肝心の韓国政府が支援団体などの反発に押され、態度を豹変させたことが、問題の解決を困難にした。韓国政府は「誠意ある措置」と評価していた口をきれいに拭い、「被害者達が納得できる措置をとってほしい」と言うようになった。―――

▼ここは日韓政府の過去の交渉経過を検証する場ではなく、映画「主戦場」について語る場である。しかし上に述べた「慰安婦問題」の過去の経緯を知ることで、見える景色はガラリと変わってくるはずだ。
 デザキ監督はおそらくこうした過去の経緯をよく知らないまま、活動的で目立つ一部の「糾弾批判派」たちのみを画面に登場させ、糾弾派の学者や運動家の主張と対決させた。しかしそこは、「慰安婦問題」の「主戦場」ではないのだ。「主戦場」は元慰安婦に宛てた「首相の手紙」で表明された日本政府の姿勢と、それをあくまでも認めまいとする韓国のマスメディアや「挺対協」、それを支援する日本の「糾弾派」の学者や運動家たちのあいだにあるのだと、筆者は考える。
 日本政府の姿勢は、「アジア女性基金」の20年後に行われた慰安婦問題をめぐる「日韓合意」(2015年12月)においても、基本的に変わりはない。「日韓合意」の第一項は、次のように書かれている。
 《慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している。
 安倍首相は、日本国の首相として改めて、慰安婦としてあまたの苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する。》
 「慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している」と、日本政府が公式に幾度も表明している点に、注目すべきである。デザキ監督が採り上げた「糾弾批判派」たちの発言は、日本社会の一部の不満分子のそれでしかない。

 映画「主戦場」からは少し離れることになるかもしれないが、筆者の考える「主戦場」に赴き、重要だと思われる点を一、二、検討してみようと思う。

(つづく)

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主戦場 [映画]

▼先日、「主戦場」という映画を観た。ミキ・デザキという日系アメリカ人が撮った慰安婦問題に関するドキュメンタリー映画である。
 ミキ・デザキは30代半ばの男で、2007年に「外国人英語等教育補助員」として来日し、山梨県と沖縄県で中学・高校の教育に5年間たずさわり、同時にYouTuberとして映像作品を数多く制作していた。その後タイで仏教僧になる修行をし、2015年に再来日し、上智大学大学院のグローバル・スタディーズ研究科修士課程を修了した。
 彼は、この映画をつくるのに約3年かかったと語っているから、上智大学の大学院に在籍していた期間は、この作品を制作する期間でもあった。クラウドファンディングで資金を集め、監督、脚本、撮影、編集、ナレーションのすべてを、ミキ・デザキが一人でこなしている。
 この映画は日本では、作品として内容が論じられる前に、「出演者」とのトラブルで有名になった。映画の中に多くの慰安婦問題の研究者や運動家が登場し、カメラの前で日本を糾弾したり、逆に日本を擁護し、糾弾する運動を批判する主張を述べたりしている。このうち糾弾を批判する人びとが、自分は学術研究を目的に取材申し込みがあったから協力したのに、商業映画として上映され、「歴史修正主義者」などのレッテルを貼られたとして、上映差し止めと損害賠償請求の訴訟を起こしたのである。
 上映を予定していた今年の「KAWASAKIしんゆり映画祭」では、上映差し止めを求める訴訟が起きているところから、「会場の安全面を危惧して」上映を中止した。しかし上映を求める多くの声が寄せられ、再度方針を転換し、映画祭の最終日に特別上映された。

▼映画は、ミキ・デザキ監督の、「慰安婦問題」とは何か、何が問題とされ、どこで主張が対立しているのか知りたい、という問題意識によって構成されている。「慰安婦問題」に関して日本を糾弾する側、逆に糾弾する運動を批判する側双方の主張を、カメラの前で語らせ、論点ごとに整理して見せるのだ。
 日本を糾弾する側の陳述者は、吉見義明(歴史学者)、戸塚悦朗(弁護士)、渡辺美奈(「女たちの戦争と平和資料館」)、林博史(歴史学者)、中野晃一(政治学者)や、韓国の活動家たち、糾弾する運動を批判する側の陳述者は、テキサス親父ことトニー・マラーノ、そのマネージャー・藤木俊一、杉田水脈(衆院議員)、藤岡信勝(教育学者)、ケント・ギルバート(カリフォルニア州弁護士)、櫻井よしこ(ジャーナリスト)、山本優美子(「なでしこアクション」)などである。
 「慰安婦20万人」、「強制連行」、「性奴隷」など「慰安婦問題」の大きな対立点について、両派の陳述者が主張を述べ、デザキ監督は両者に距離を置く第三者としてそれらの映像を編集し、対立の状況を浮き上がらせていく。
 筆者にとって新しい知見は一つもなかったが、映画自体は興味深く観た。監督は自分の意見は抑え、一応公平に両派の言い分を並べているが、それでも糾弾する側にシンパシーを感じていることは見てとれる。それは彼が、自分の素朴な疑問を解こうと関係者を訪ねて回り、対立する双方の主張を聞き、調べた結果として提示されているので、静かな説得力がある。
 藤岡信勝やケント・ギルバートなど糾弾する運動を批判する側の陳述者が、自分たちの意図とは逆の効果に慌て、上映差し止めに走った判断は正しいのである。今後この映画は、「公平な第三者から見た慰安婦問題」として、広く参照されることになるだろう。

 予断を持たずに問題の探求に向かったはずの映画が、なぜ日本を糾弾する側に有利な、運動を批判する側に不利な印象を与えるものになったのだろうか。
 「糾弾派の主張が正しいからだ」というのが、一つの解答であろう。だが筆者はそうは考えない。

▼なぜ糾弾派の主張の方に説得力を感じる映画となったのか。
 第一に、登場人物たちの語り方であり、映り方である。
 サンフランシスコ市での慰安婦像設置をめぐる公聴会?の映像が取り上げられ、像の設置を推進する韓国系団体と、反対する在米日系団体が激しく対立したときの様子が映し出された。韓国系団体はチマ・チョゴリを着た元慰安婦を登場させ、苦難の体験を語らせた。在米日系団体の発言者は、この元慰安婦の発言が変遷してきたことを資料をもって証明しようと、活字になった彼女の過去の発言をプロジェクターで示し、証言は信用できないと批判した。
 「自分の体験」をとつとつと語る元慰安婦のお婆さんと、いささか過剰な抑揚と身振りで老女の証言を否定する設置反対派の男女では、勝負ははじめから明らかであろう。市議会は慰安婦像設置に異議を唱える日系団体の主張を認めず、映像を観る観客も、その結論に納得したことだろう。
 アメリカで最初に慰安婦の少女像を設置したグレンデール市の市長がカメラの前で、戦争の悲劇を二度と起こさぬための平和の像として、設置することは意義があるという趣旨のことを述べていたが、その穏やかな語り口とともに観客に受け入れやすい発言だったように思う。
 韓国の日本大使館前に設置された少女像を囲んで開かれる、集会の様子も映し出されていた。女子学生、女高生といった若い女性の参加が多く、彼女たちが「慰安婦問題」について思いを語る。
 他方、日本の「慰安婦問題」批判派のデモとして映し出されるのは、「ヘイト」団体や迷彩色の戦闘服を着た屈強な男たちの団体で、大きな日の丸や旭日旗を掲げ、拡声器の大音量が威圧的に響く。
 筆者は、デザキ監督がある効果をねらって意図的に画面を選択したとは考えない。両派の集会やデモの実態が、映画の映し出したものからそう遠くないであろうことは想像がつく。若い女性たちの主張と迷彩色の戦闘服の男たちの主張が対立する場合、その内容以前に観客のシンパシーが若い女性たちの方に向かうことは、考えなくともわかることだ。

 第二に、「女性の人権を守る」という錦の御旗の威力である。
 韓国の「挺対協」は運動を有利に進めるために、日本を外から圧迫することにこれまで多くの力を注いできた。しかし初めのうちは国連に問題を持って行っても、過去の問題である「慰安婦」への関心は低かった。そこで運動家たちは2004年に「ストップ女性への暴力」というキャンペーンをスタートさせ、紛争下の女性に対する暴力の中に「慰安婦」問題を入れることに成功する。アメリカ下院での決議(2007年)や、それに続くオランダ、カナダ、EUの各議会で採択された決議により、「20万人の少女が強制的に連行され、性奴隷にされた」という理解が、世界に広まった。
 デザキ監督の映画は、その世界に広まった「理解」に安易に乗るのではなく、「本当だろうか」というところからスタートしているのだが、「女性の人権」の旗を掲げる側が映画の中でも戦いを有利に進められることは争えない。「慰安婦問題」を批判する側は、慰安婦制度や慰安婦が存在したことを認めつつ、「女性の人権」も尊重するという、困難な位置からの戦いを強いられるからである。
 すっきりとしたわかりやすさは、映像表現ではことのほか大切である。

(つづく)


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ROMA [映画]

▼今年のアカデミー賞の候補として、アルフォンソ・キュアロン監督の『ROMA/ローマ』が騒がれるまで、筆者は「ネットフリックス」という言葉を知らなかった。耳にしたことがまったくなかったかどうかは確かでないが、インターネットを通じて新しいサービスを提供する企業だという認識がなかったのは、確かである。
 アカデミー賞を3部門(監督賞、撮影賞、外国映画賞)で受賞し、その前にベネチア国際映画祭でも金獅子賞を受賞していたことも知り、観てみたいと思ったが、そこではたと考え込んでしまった。『ROMA/ローマ』は「ネットフリックス(NETFLIX)」の制作だという。ネットフリックスは、インターネットを通じて映画を流すということだが、その会員とならなければ映画を観られないのだろうか。通常の映画館のスクリーンで、観ることはできないのだろうか。

 ネットフリックスは現在190か国以上で動画を配信し、1億4千万人の有料会員を抱えている新興企業である。1997年に設立され、ネットで注文を受け、郵送でDVDをレンタルするサービスを始めた。2000年代に入るとネット上の会員相手に定額制のビデオ・オン・デマンドのサービスを開始し、2010年代にはTVドラマを何本か制作するようになった。
 ネットフリックスは、日本でいえばTSUTAYAの進化形なのだろう。TSUTAYAが相変わらず来店した客にDVDを貸し出し、またネットで注文を受けて郵送でDVDを貸し出すサービスをしているのに対し、ネットフリックスはネットを通じての動画配信サービスという事業を開拓し、自前の映画制作にまで進出した。
 2018年の売上高は158億ドル、営業利益は16億ドル、純利益は12億ドルだというから、かなりの営業規模だが、注目すべきはその成長のスピードである。4年前の2014年の売上高55億ドル、営業利益4億ドル、純利益2億7千万ドルと比較すれば、4年間で売上高は3倍に、営業利益は4倍に、純利益は4倍以上に増えたことになる。
 ネットフリックスの財務面を分析したダイヤモンド編集部副編集長・鈴木崇久によれば、この4年間に「動画配信用コンテンツ」という資産項目が4倍に膨張していることが、そのバランスシートの著しい特徴だという。(「DIAMOND on line」 2019/4/19)。つまり、ネットフリックスは、収益の多くを「動画コンテンツ」の「爆買い」や自前の映画制作に投資しており、『ROMA/ローマ』もそのうちの一つなのである。

 『ROMA/ローマ』は、幸いいくつかの映画館で上映されていることを知り、筆者は吉祥寺に観に行った。

▼『ROMA/ローマ』(2018年)は、1970年代初めのメキシコシティで働く家政婦クレオをとおして描かれる、当時のメキシコ社会の映画である。
 医師の夫と化学者の妻、4人の子どもと妻の母親と一匹の犬が暮らす家に、クレオは住み込み、炊事や洗濯、掃除など家政婦として働く。メキシコの上中流階級の家庭では、当時も今も住み込みや通いの家政婦を雇うことが習慣になっているという。家政婦は先住民系の人間が多く、それは賃金が安いからなのだが、クレオも先住民系の30歳ぐらいの女性である。
 メキシコシティの家はヨーロッパの都市と同様、集合住宅として中庭を取り囲むように建てられており、家の中は広いが入口は狭い。夫の医師が車で帰ってくると、外でクラクションを鳴らす。家族は迎えに降りて行き、建物の一角にある門扉を開け、犬が外に飛び出さないようにクレオが押さえる中を、車は通路を通って駐車場になっている中庭に向かう。しかし通路は狭く一家の車は大型で幅があるため、通るたびにどこかしらこすり、毀すことになる。そういう少し喜劇的な光景も交えながら、クレオを含む一家の日常を描き、モノクロの映画は淡々と進む。

 クレオには恋人がいるが、自分は武道をやっていると言って、彼女の前で裸で棒を振り、太刀の素振りらしい動きをして見せる。しかし彼女が妊娠を告げると、男は逃げ、姿を消す。
 クレオは男の知り合いを訪ねて男の行方を聞き出し、バスに乗って会いに行く。ある村の運動場に百人ほどの若者が整列し、手に手に棒を持ち、指導者の掛け声に従って素振りの動作をしていた。その中に恋人の男もいた。訓練が終わり、若者たちの集団が解散したとき、クレオは男に声を掛けた。男は狼狽し、二度と会いに来るなと大声で怒鳴った。
 ある日、一家の祖母は臨月に近いクレオを連れて、ベビーベッドを買いに家具屋に行く。街には学生のデモ隊がおり、警備の警官が出ているが、緊迫した空気はない。家具屋の二階でベッドを選んでいると、突然窓の外で発砲する銃の音と群衆のどよめきが聞こえた。見るとデモ隊の群衆が逃げまどい、逃げる人びとにこん棒やナイフをもって襲いかかる男たちの姿があった。
 店の中にも若い男女が逃げてきて隠れ、それを追って銃を持った男たちが現れ、隠れた男女を引きずり出し、容赦なく発砲した。その男たちの一人が自分の恋人であることにクレオは気づき、男もクレオを認め、無言で立ち去った。クレオはショックで破水する。彼女は病院に担ぎ込まれ、なんとか出産するが死産だった。

 医師の夫には愛人がいたらしく、カナダへの出張と偽って愛人のもとに行き、それを妻ソフィアが知る。夫婦は結局別れることになり、夫は家を出、ソフィアは4人の子どもや母親やクレオとともに家に残る。
 ソフィアは子どもとクレオを車に乗せて海に行く。二人の子供が波打ち際で遊んでいるうちに、少しずつ波に引き込まれ、海中に呑み込まれそうになる。それに気づいたクレオは、泳げないのに海中に入り、波を掻き分けて進み、必死で二人を救い出す。ソフィアと二人の子どもが駆け付け、救出された二人の子どもとクレオと一緒に泣きながら砂の上で抱き合う。クレオも泣きながら、欲しくなかった、生れてほしくなかった、とうわごとのように叫ぶ。
 家族に日常の時間が戻り、映画は終わる。

▼映画の最後に、「リボに捧げる」という文字が画面に出る。監督アルフォンソ・キュアロンは、強い愛情をもって自分を育ててくれた乳母であり家政婦であるリボをモデルに、映画を撮りたいと思ったのだという。
 リボをモデルにしたクレオとその主人一家の日常生活を撮ることは、当時のメキシコ社会を撮ることであり、それはメキシコ社会の人種・階級の問題に触れることになる。映画は社会の貧富の格差や人種間の格差を映し出すが、なんらの主張をすることもなく、家族とクレオの日常を静かに丁寧に描くことに専念する。
 観客を意識すると、監督は話を膨らませたり、面白くしたりしたいという誘惑にかられるのではないかと、筆者は思う。最近の日本語には、'話を盛る`とか'エッジを利かす`という言葉があるようだが、しかし監督キュアロンの姿勢はおよそ対称的である。事件らしい事件もない日常を、淡々と丁寧に写実的に描き出す。そのためには70年代初めのメキシコシティの街を再現する必要があり、彼は何ブロックもの街区のセットを建ててそれを実現した。
 学生のデモ隊が武器を持った集団に襲撃されたのは、1971年の「6月10日事件」という史実である。デモ隊を襲った集団は、メキシコ市当局によって養成されていたという。権力側が無法者を雇って反対者を襲い、力で押さえつけるというのは、いかにも西部劇調、メキシカン・ウエスタン調だが、社会の大きな経済格差や人種間の格差の問題がそういう形で顕れたというべきなのだろう。

 なお、題名の「ROMA」とはイタリアのローマではなく、クレオや主人一家の住んでいたメキシコシティの高級住宅街のことだという。日本語の題名を『ROMA/ローマ』としたネットフリックスの担当者の苦心が想像されて、なんだかおかしい。


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記者たちとセメントの記憶 [映画]

▼『記者たち――衝撃と畏怖の真実――』(ロブ・ライナー監督 2017年)という映画を、日比谷で観た。あか抜けない題名だが、原題名が「SHOCK and AWE(衝撃と畏敬)」であり、「SHOCK and AWE」は米軍のイラク攻撃の作戦名なのだという。
 2001年9月11日に同時多発テロに襲われた米国は、テロ組織アルカイダを支援しているとしてタリバンの支配するアフガニスタンを攻撃(2001.10.7)して政権を倒し、つぎにイラクに関心を向けた。イラクのサダム・フセインが、湾岸戦争(1991年)後も国内の支配を続ける無慈悲な独裁者であることは確かだったが、9.11事件やアルカイダとの関連は疑問視されていた。また核兵器や生物化学兵器などの「大量破壊兵器」を保有しているかどうかも、明らかではなかった。
 しかし米国のブッシュ政権は、イラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼び、イラクへの攻撃準備を秘密裏に進めた。国連安保理で、イラクが国連の査察を積極的に受け入れる最後の機会を与えるとする決議をとりまとめ、イラクからの報告内容が不十分であり安保理決議違反であるとして、2003年3月、米軍とイギリス軍は攻撃に踏み切った。米国の世論もこれに賛成した。
 ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなどの有力紙がイラク攻撃に賛成する中、イラク攻撃の理由に挙げられた「大量破壊兵器」の存在に疑問を呈し、開戦に反対する新聞もあった。映画『記者たち』は、ブッシュ政権のプロパガンダに抗し、あくまでも事実を追い求める新聞「ナイト・リッダー」社の4人の記者の物語である。

▼映画は、スピルバーグの『ペンタゴン・ペーパーズ』(2017年)やパクラの『大統領の陰謀』(1976年)と同様、不都合な事実を知らせまい、報道をやめさせようとする国家権力に対し、勇気をもって奮闘する新聞記者たちを描く。
 「この国はまったく必要のない、ものすごく費用のかかる戦争を始めようとしているのではないか」。それが編集主幹のジョン・ウォルコットや老練記者ジョー・ギャロウェイの懐く疑念だった。ウォルコットの指示の下、記者たちは地道に政府職員に接触し、粘り強く話を聞き出す。そしてそれを繋げ、真実に迫ろうとする。
 しかし政府のみならず多くのメディアや評論家たちは、イラクが「大量破壊兵器」を保有する危険な存在であり、いま叩かなければならないと主張していた。イラク攻撃に批判的な記事を載せる新聞の記者たちは、愛国心で盛り上がる親しい知人たちからも非難される。しかし妻や恋人は、彼らを支える。
 米軍はイラクへの攻撃を開始し、やがて全土を占領するが、「大量破壊兵器」は見つからない。つまり米国の開戦理由は虚構であることが明らかになり、ニューヨーク・タイムズは紙面で読者に謝罪した。
 イラク戦争で連合軍側の兵士5千人が亡くなり、イラク国民は百万人が犠牲になったと述べて、映画は終わる。

 見終わった筆者の感想は、あまり芳しいものではなかった。それはカメラワークや役者の演技に問題があるということではない。記者の一人、ジョナサン・ランディ役のウディ・ハレルソンは、昨年観た『スリー・ビルボード』にも警察署長役で出ていたが、ブルース・ウィルスに似た感じの、魅力的な役者である。
 筆者の不満は、この映画が『ペンタゴン・ペーパーズ』や『大統領の陰謀』、とくに『大統領の陰謀』の二番煎じであり、なにひとつ新しいものを加えていないというところにあった。
 同様のテーマを扱った優れた先例があることは、後発の監督にとって大きなプレッシャーであるだろう。しかし単に、「大量破壊兵器がある」と為政者が嘘をついていることを「記者たち」は勇気をもって暴き出し、報道したというだけでは、二番煎じを免れない。そこで終らせるのではなく、なぜチェイニー(副大統領)やラムズフェルド(国防長官)やウォルホビッツ(国防次官)、そしてブッシュ(大統領)は、相当の無理をしてまでイラク戦争を始めることに固執したのか、という疑問に迫るものになっていて欲しかったと思う。
 また、イラクへの攻撃を支持した世論が、その後どのように変わり、いま人びとはイラク戦争をどのように考えているのか、という問題に少しでも視線が届いているなら、作品の奥行きは増し、印象は変わっただろうとも思う。
 だがそのためには、作品の構成をすっかり変えなければならないのかもしれない。

▼『セメントの記憶』(ジアード・クルスーム監督 2017年)という映画を、渋谷で観た。監督はシリア人で、難民としてドイツに来て映画づくりを学び、レバノンの建設現場を舞台とするこの映画を撮った。極めて斬新なドキュメンタリー映画である。

 高所からはるかに望むベイルート(レバノン)の街が映し出される。超高層ビルが何本も立ち並び、その向こうに青い海が見える。
 超高層ビルの建設現場が映される。工事用エレベータに無言で乗り込む10人ほどの労働者たち。彼らはシリアからの難民で、建設現場の地下にある雨水の溜まった穴倉にマットを敷いて寝泊まりしている。彼らは19時以降、街に出歩くことを禁止されている。
 エレベータの着いた高所の作業現場では、鉄筋を組み、コンクリートを流し込む作業が行われる。エレベータの動く音、コンクリートを流し込む機械の音、ハンマーで足場の金具を叩いてゆるめ、また足場を組む音が、四六時中響きわたる。
 ひとりの労働者の声が短く挿入される。自分が子供のころ、父親はベイルートの建設現場に働きに出て、手紙をくれたこと。手紙には青い海の絵が入っていて、キッチンに貼っていつも眺めていたこと。そしていま、自分が同じように建設現場で働いていること……。
 観客は、レバノンの現代史を重ねながら、これらの映像を見、理解する。レバノンでは1975年にキリスト教徒とイスラム教徒のあいだで内戦が始まり、それは15年間続き、パリの都市計画を真似てつくられたベイルートの街は、瓦礫と化した。内戦終結後の1990年代、ベイルートは復興の建設ラッシュに沸く。声の主の父親も、その時期に出稼ぎに来たのだろう。
 そして2011年、今度はシリアで内戦が勃発した。内戦を逃れて多数の難民がレバノンに移り住み、建設現場で働くようになった。―――
 しかし映画は、何の説明もせず、特定の登場人物もなく、発せられる言葉もない。終わり近くになり、戦車が瓦礫の街を行く映像が映され、砲撃で崩れた建物の下敷きになった人びとを、瓦礫の下から救出しようと声を上げて走り回る人びとの映像が映される。そしてコンクリートの粉塵にまみれたけが人が、救出される。題名の「セメントの記憶」とは、建設現場のセメントの匂いであり、砲撃で破壊された建物の粉塵が舞う匂いであるらしい。

 通常の劇映画は完結した作品世界を持っており、観客はそこに一時的に移動して作品を味わい、やがて現実世界に戻る。
 しかしクルスームのこの映画は、完結した世界を持たない。観客は自己の知識と経験を動員して、眼の前の映像と音の意味を理解することを求められる。映画は観客の世界を揺り動かし、崩し、安定した場所を与えない。―――
 鮮烈な映像と音に充ちたこの映画は、実に刺激的だった。

▼『記者たち――衝撃と畏怖の真実――』と『セメントの記憶』は、主題も技法も何ひとつ似通った点はないが、ただひとつ、アラブ人の悲劇という点は共通しているのかもしれない。イラクがサダム・フセインという独裁者に支配されていなければ、米国との戦争はなかったであろうし、シリアがアサド家という独裁者に支配されていなければ、内戦の悲劇を免れた可能性は高い。独裁者は、自分が権力を保持しつづけるためには、国民や国土のすべてを犠牲にすることも厭わないからだ。
 アラブ世界の統治は、なぜ独裁的権力者を必要とするのか。この問いは、近年の欧米社会における民主主義の動揺の問題とともに、われわれをあらためて「政治学」の扉の前に立たせる。

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