SSブログ

なぜ君は総理大臣になれないのか [映画]

▼昨年10月末の総選挙で議席を減らした立憲民主党は、枝野幸男代表が辞任し、後継選びの選挙戦を実施した。逢坂誠二、泉健太、西村智奈美、小川淳也の4人が立候補し、泉健太が後継の代表となり、幹事長に西村、代表代行に逢坂、政調会長に小川を選んで、新しい執行部が決まった。
 9月末に行われた自民党の総裁選挙も4人が立候補して闘われ、そちらは実質的に総理大臣を決める選挙のため注目を集めたが、それに比べてこちらの代表選びは盛り上がりに欠ける、と冷ややかに評されていた。確かに、そうだったのかもしれない。ただ、小川淳也という筆者にとって初耳の名前が、彼を主人公としたドキュメンタリー映画が作られているという話や、香川県の小選挙区で平井卓也を破って当選したという話とともに聞こえてきたので、少し気になった。
 平井卓也は、自民党内で「デジタル」に強い男と言われていたそうで、菅政権の看板政策であるデジタル庁の創設を担当し、名前が売れていた。そういう「時の人」を相手に勝利したのはどういう男なのかと、興味が湧いた。代表選挙の4人の演説をニュースで聞くと、いずれも負けず劣らず能弁だが、小川淳也はその中でいちばん具体性のある、つまり中身のある話を歯切れよくしているように見えた。
 ドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』がネットフリックスのラインナップにあるのを見つけ、観ることにした。

▼映画監督・大島新は、妻が小川淳也と高校で同学年だったという縁で2003年に小川と知り合い、その行動をフィルムに撮り始める。小川は当時32歳、総務省の官僚をやめ、家族の反対を押し切り、地元の香川1区から衆議院議員に立候補しようとしていた。小川には高校の同級生だった妻と、5歳と6歳の娘がおり、父母もまだ50歳代だった。大島のフィルムは、小川の言動だけでなく、小川の家族の当時の様子や考えたこと、感じたことなども記録している。
 小川は監督の質問に、自分は政治家になりたいと思ったことは一度もない、やらなければならない、やらざるを得ないという気持が根っ子にある、と語る。政治を市民の手に取り戻したい、政治家を笑っているうちは、日本の政治は絶対によくならない、と言うのだが、そういう青い理想主義が通用する世界であるかどうか、誰もが危ぶむところだろう。
 父親は、普通の家に生まれて政治家を目指すというのは、いいことだと思うし、そういう社会であるべきだと思う、ただし自分の息子でなければだが、と語る。
 大島監督は、興味本位に始めた取材だったが、次第にこういう人間に政治を任せたいと思うようになり、発表する当てもなく、ときどき小川に会ってカメラを回すようになった。

 2003年11月の最初の選挙は、落選。当選した自民党の平井卓也は、祖父も父も国会議員という家系であり、香川県でシェア6割を占める「四国新聞」の社主の家柄である。現在、弟が社長をやっている。
 2005年9月の「郵政民営化」が争点となった選挙で、小川は選挙区では敗れたが、比例区で復活当選する。
 2009年9月の選挙で、小川は初めて平井卓也に勝ち、当選する。民主党は政権交代を果たし、小川の表情は自信に充ち、輝いていた。
 しかし民主党政権は、「マニフェスト」に掲げた多くの政策を実現できずに国民を失望させ、内紛に明け暮れ、次の2012年12月の選挙で議席を三分の一に減らす壊滅的な敗北を喫する。小川はかろうじて比例区で復活当選するが、その表情は、自分の党のふがいなさへの怒りと悔しさでいっぱいだった。

▼2017年7月、小池百合子の立ち上げた「都民ファーストの会」はブームを起こし、都議会議員選挙で勝利し、第一党となった。小池は、その勢いに乗って国政にも進出しようと「希望の党」を立ち上げ、民進党代表に就いた前原誠司は合流する方針を決める。しかしその翌日、小池は、「民進党の議員を全員受け入れるつもりはさらさらない。憲法と安保法制の考え方で絞りこむ」と発言し、民進党が大混乱する中、国政は総選挙に突入する。
 ドキュメンタリー映画は、この2017年10月の選挙戦を多くの時間を取って追いかけている。
 小川は、希望の党か無所属かを迷い悩んだ末に、希望の党からの出馬を選ぶ。そして「本人です」と書かれたたすきを掛けて、自転車で演説してまわる。父と母は投票依頼の電話を事務所で掛けまくり、妻と娘も「妻です」「娘です」と書かれたたすきを掛け、のぼり旗を持って街に出、ビラを配った。
 投開票の日、香川1区は激戦で、選挙事務所に集まった多くの支持者に結果が判明したのは、深夜の1時に近い時刻だった。小選挙区では平井に惜敗、比例で復活当選という結果だった。
 小川淳也に接する大島監督は、小川が政治家に向いていないのではないかと幾度も思う。小川自身も、自分にはエラくなりたいという突き上げるような欲望が欠けていると、認める。大島は、「小川さん、総理になりますか?」と聞く。小川は言葉を探しながら、まじめに答える。「……そのつもりでやって来たんですよ。……しかしハイと言おうとするのを逡巡する自分がある。今まで以上に自分を投げ捨てられないと、それは難しい……。だが答えが最終的にノーであるなら、今日にも議員をやめる気持ちはあります……」。

▼ドキュメンタリー映画として、長い時間をかけて一人の政治家を追ったという以外に、格別の工夫や特色があるわけではない。撮りためたフィルムを時間の順につないだだけで、映画は小川の身辺から一度も離れない。
 初めは小川淳也という人間に興味を持ち、撮り続けたフィルムであっても、一本の作品としてまとめようと考えた段階で、監督はいろいろの工夫を凝らすことが出来たはずである。たとえば小川を知る人たちの証言や感想や期待や批判を画面に加えることで、小川の人間像はより客観的なものになり、作品は厚みを持ったはずである。そうした方が、小川の苦労や苦悩を描き出すには、ずっと有効だったように思う。
 また、小川淳也という政治家が、どのように勉強し、地元の要望を聞いてどのように処理し、政治資金をどのように集め、使っているか、という側面を加えたり、多くの質問をぶつけて答える小川を撮影する、といった描き方もあったであろう。
 しかし大島監督は、あえてそうした映画づくりの常道を取らず、小川に密着し、密着したまま終わるという「方法」を選んだ。言い換えれば、監督には「作品」をつくるという意識がなかったのかもしれない。それだけ小川淳也という人間の人柄と行動に、ほれ込んだということだろうか。

 映画を観終わって、筆者の印象に残ったことのひとつは、小川の家族が全員で小川の当選のために協力する姿だった。父親も母親も妻も、息子や夫が政治家に向いていないのではないかという思いを持ちつつ、一生懸命ビラの封筒づめを行い、投票依頼の電話を掛ける。娘たちも、父を当選させるために街頭で通行人に呼び掛け、ビラを手渡し、頭を下げる。小川淳也の人柄にふさわしい、いい家族だなと素直に思った。
 もう一つ印象に残ったのは、民主党が政権の座を失い、民進党と名前を変え、さらに希望の党への合流騒ぎを経て消滅し、新たに立憲民主党と国民民主党が生まれるという混乱の過程が、渦中にいる政治家たちにはいかにエネルギーを消耗する体験だったか、ということである。それは国民一般にはどうでもよいことに見えるのだが、渦中の政治家たちにとっては、政治的な利害と個人的な愛憎がむき出しになる、過酷な体験だったのだ。

(つづく)

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。