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ひろゆき論3 [思うこと]

▼筆者が観たABEMA Prime というネット番組の2本目は、ウクライナ戦争についての議論だった。ウクライナ戦争に関して声明を出した「憂慮する日本の歴史家の会」のメンバーの一人・羽場久美子(青山学院大学名誉教授・国際政治学専攻)が戦争に対する考え方と声明の趣旨を説明し、他の出席者が疑問や意見を述べるという内容だった。番組がいつ作られたものか明示がなかったが、話の内容から昨年(2022年)の5月20日前後だろうと推測された。
 羽場は、「即時停戦」を訴える声明を出した理由を、次のように説明した。
 「戦争をするにはどちらにも理由がある。日本のメディアはこれまでアメリカ寄りの情報ばかり流してきたが、多面的に問題を見、自分の頭で考えることが必要だ。
 ロシア、ウクライナとも停戦交渉を何度か行い、なんとか停戦に向かいたいと考えているのに、アメリカなどがロシアを弱体化させるために、戦争を継続させたいと繰り返し言っている。戦争によっていちばん被害を受けるのはウクライナ国民であり、とにかく早期に停戦を実現することが大切だ」。
 また、ひろゆきが、「停戦すればウクライナの被害が終わるかのような主張は誤りだ。ブチャでは虐殺があり、マリウポリでは10~50万人がロシアに強制的に移動させられた。停戦が軍事的支配地域を固定させるものだとするなら、ロシア軍支配下に置かれたウクライナ人にとって、停戦は被害の継続を意味するものだ」という持論を述べたのに対し、羽場は次のように発言した。「ウクライナ東部にはかなり多くのロシア系住民が住んでいる。彼らは2014年にポロシェンコの欧米寄りの政権が誕生して以降、自治を要求したが、アゾフ大隊は虐殺を繰り返し行った」。
 ここでひろゆきが、「その証拠はあるのか」と嚙みついた。
 「国連の人権高等弁務官事務所(OHCHR)は、東部のロシア人に対してアゾフ大隊が人権侵害を行っているという資料をたくさん出しています。2014年以来、東部ドネツク・ルハンシク⒉州で、ウクライナ政府軍との戦闘で1万4千人の死者を出した、と推計されています。」
 「戦闘による死者と虐殺は違う。先ほど虐殺があったとおっしゃった。虐殺は何月何日に何人あったのか?その証拠はどこにあるのか?」
 ABEMA Primeの番組事務局が、「アゾフ大隊による非人道的行為」に関する国連報告書の一部をパネルに要約して示した。それによると、(ロシア系)住民を地下室に拘束して拷問したとか、男性の首にロープを捲きつけ気絶するまで引きずり回した、というような事例がたくさん報告されているが、 「ロシア系住民の大量虐殺」の事例はないらしい。
 羽場は、「虐殺」の主張を続けることはしなかったが、発言を明瞭に撤回することもしなかった。ひろゆきは、「根拠のない、ウソをおっしゃったんですね」と、勝ち誇ったように言った。

▼「たかまつなな」という元NHKディレクター、現在「時事YouTuber」という肩書の女性が発言した。「今の(羽場とひろゆきの)話は、ウクライナの人たちの気持にまったく触れていない。それはおかしくないか?先週イギリスに取材で行き、ウクライナの女性たちの話を聞いたが、彼女たちは、国民の独立なくして平和は考えられないと言っていた。男性の出国制限のため、パートナーと別れて暮らしているが、国を守るためにこれは必要なことだと考えている。停戦の合意は望ましいが、そのためにウクライナの人たちが我慢を強いられるとしたら、それは違うと思う」。「即時停戦を求めるというキレイごとの議論より、難民の受け入れをどうするかを議論することの方が、よほど現実的で必要なことだと思う」。―――
 羽場など「即時停戦」の声明を出した学者たちに対する批判だが、国民の多くの賛同を得られる考え方であろうと思った。

 このABEMA Primeの番組で最も筆者の興味を引いたのは、羽場の「ロシア、ウクライナともなんとか停戦したいと考えているのに、アメリカなどがロシアを弱体化させるために、戦争を継続させたがっている」という発言だった。彼女はまた、「戦争は2022年の2月24日に始まったのではない。2014年のマイダン革命から始まった。ウクライナがロシアを押し返すと、その前の(2022年の侵略開始前の)状態に戻るので、結局東と西が内戦を戦い続けるという状況が続くんです」とも主張した。これらは驚くべき発言と言ってよい。なぜならそれは、ウクライナ国民の被害を止めるためと称しつつ、プーチンの主張に限りなく寄り添うものだからだ。
 「ウクライナもロシアも停戦したいと考えているのに、アメリカなどがロシアを弱体化するために戦争の継続を望んでいる」という観察は、ずいぶん歪んだ見方をするものだなと、ある意味で感心した。現在アメリカにとって対峙すべき相手は、第一に中国であり、すべての資源をそこに集中したいところだが、ウクライナ戦争はそれをさせず、攪乱する要素として作用していると言えるのではないか。
 NATO諸国においても、ウクライナ戦争はエネルギーや食糧の価格の高騰を招き、国内政治上早く終わらせたい問題であるはずだ。しかしもしロシアがウクライナを併合したり、一部であってもその領土を占拠し、実質的に自国領とするような成功体験を修めるなら、今後の脅威は計り知れない。だからウクライナ支援に力を入れるのであり、ロシア支持の立場からは、NATO諸国の支援により「戦争はいつまでも継続される」ように見えるのであろう。

▼筆者にとって、あるいは多くの人びとにとってウクライナ戦争が衝撃だったのは、それが第二次大戦後に営々とつくられてきた世界の「秩序」を、いとも簡単に破壊する行為だったからである。
 二度の世界大戦を経て、世界の国々は国家主権の平等だけでなく、現実の軍事力を反映させた制度として国連憲章と国連組織を創り、運営してきた。そのように現実の実効性を考慮して創られた安全保障理事会ではあったが、現実には米国とソ連の利害の対立によって、強制力を発動できる機会はきわめて限定的だった。しかしそれでも、その常任理事国自身が憲章に違反して侵略行為を開始するようなことは、それまでなかった。
 そのような世界政治の危機であるにもかかわらず、「国際政治学者」の口から世界秩序の破壊がもたらす深刻な事態が語られず、ウクライナ人の被害を止めることを名目にする「即時停戦」の旗だけが掲げられる。それはあまりにもお粗末ではないかと、筆者は思った。

(つづく)

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ひろゆき論2 [思うこと]

▼ひろゆきがアメリカのITベンチャーの創始者と話をしたとき、なるほどこれでは日本企業はアメリカに勝てないと、つくづく考えさせられたことがあったという。
 ある会社で、経営者が5人のエンジニアに、一つのシステム製品を作ってもらうとする。納期は3カ月以内、予算は600万円。アメリカの経営者は、予算を上乗せしてもいいから、どうしたら納期を早められるかを考える。5人のエンジニアを10人に増やすとか、1か月で仕上げるノウハウを持つ会社を買収してそこにやらせるとか、いかに早く完成させるかを最重視する。
 ところが日本の企業は、納期が遅れてもいいから半額にならないかと、値段を下げる交渉にばかり関心を向ける。アメリカでそんな仕事をしていたら、競争相手に先を越されるかもしれない―――。
 ひろゆきが語るこのエピソードは、「失われた30年」を招いた日本の企業行動の問題点の指摘として、適切である。しかし彼は、こうした考えを日本企業批判、日本社会批判として、主張のメインに据えるようなことはしない。日本社会の現状は与えられた前提条件とし、その中で若者はどう生きるべきか、どう働くべきかを語るのである。
 その内容は、ひろゆき本の大きな特徴といえるのだろうが、努力せよ、我慢せよ、マジメに頑張れば他人は評価してくれる、というようなことは決して言わない。反対に、楽をしろ、無理をするな、抜け道を探せ、いかに手を抜いて楽して成果を上げるかを考えろというのが、彼の主張の基調音である。ひろゆき自身が「怠け者」であり、それでも他人と少し違う考え方をすることで成功を手に入れたのだと、若者たちに語りかけるのである。

▼さて、ひろゆきが登場し議論するABEMA Prime というネット番組を、2本見た。
 1本は、前回紹介した『世界』の「ひろゆき論」の中で、批判の対象の一つとされたもので、2022年10月にひろゆきが沖縄県名護市辺野古の米軍基地建設反対の「座り込み」を見に行った時の「事件」を紹介しつつ、検討した番組である。ひろゆきが米軍基地のゲート前に来たとき、「座り込み」の小屋と3千何十日と書かれた看板はあったが、座り込む人は一人も見えず、彼は、「座り込み抗議が誰もいなかったので、0日にした方がよくない?」とツイートした。
 辺野古の米軍基地建設反対の「座り込み」は、2014年7月の国の工事開始に抗議して始まった。初めは24時間すわりこんでいたようだが、じきに工事車両が埋め立て土砂を搬入する9時、12時、15時に合わせて抗議する形になり、以来3千日を超えて抗議活動を継続しているのだという。それを聞いてひろゆきは、翌日15時にまた抗議活動を見に行き、基地建設反対の運動家たちは彼の姿を見て、前日のツイートに抗議したのである。
 運動家たちは、ひろゆきのツイートが抗議運動に対する誹謗であり侮辱であることを非難し、ひろゆきは座り込みの人がいなかったからいなかったと書いたのであり、事実を書いて何が悪いのかと言い返した。
 「ダンプカーを止めるために座り込みしてんのよ」
 「それは座り込みじゃなくて抗議行動です」
 「自分で勝手に定義しないでもらいたい」
 「ぼくの定義じゃなくて辞書の定義です」
 「24時間いなければ座り込みと言わないという定義が、辞書のどこにありますか?」
 「辞書に書いてあります」
 「書いてないよ。どこの会社の辞書?」
 「検索すれば辞書が出てくるんで、調べて下さい」
 「いや、あなたに聞いている。24時間座り込んでいないと座り込みという言葉は成立しないのか?」
 「座り込みは座り込んで動かないこと」
 「24時間じゃなきゃ駄目なんですか?」―――
 こういうしょうもないやり取りが続いたあと、反対運動の運動家たちは基地のゲート前に「座り込み」、そこへ土砂を積んだダンプカーが何台も到着し、運動家たちは「埋め立て反対」の声を上げた。彼らはひとしきり「反対」の意思表示をしたあと、機動隊の指示に従って「座り込み」を解き、トラックは基地の中に入って行った。

 ひろゆきのツイートには、28万以上の「いいね」が付いたという。

▼1996年に米軍の普天間飛行場の返還が日米政府間で合意され、普天間から移設する滑走路をキャンプ・シュワブ沖に建設することが決まった。移設反対の声もなかったわけではないが、当時の沖縄県知事もキャンプ・シュワブのある名護市長も賛成した、と筆者は記憶している。普天間飛行場は学校や民家に囲まれ、「世界で最も危険」な飛行場と言われていたから、その返還を最優先したことは合理的な判断だったであろう。移設する滑走路を建設する辺野古岬はキャンプ・シュワブに隣接している。
 辺野古の滑走路建設反対の声が高まったのは、民主党政権時の鳩山首相が問題をよく理解しないまま「最低でも県外移設」を言い、その後撤回するというお粗末なドタバタ劇を演じてからだと記憶するが、その辺の経緯は省略する。「平和な島・沖縄に軍事基地はいらない」という主張に、筆者は、そう考えるのは感情として無理はないだろうと認めつつ、日本の地政学から見て難しいと思った。当時、米軍基地が存在することに、軍事的な危険性があったわけではなく、基地反対運動は多分に「反米」や「反自衛隊」、「平和憲法擁護」という政治的、イデオロギー的な観念や感情に拠るものだったと考えたからである。
 しかし現在、沖縄の軍事基地のもたらす危険性は極めて高くなっていると考えるべきである。米国の国力が相対的に低下し、中国の軍事力は格段に増強されている。習近平が合理的に思考するなら、それでも台湾の軍事的併合に動くことはないだろうが、「国益」よりも「党益」を上に置く国体である。「党益」のため、あるいは習近平の個人的名誉のため、「台湾統合」を大きな犠牲を払っても果たさなければならないと思い立った場合、それを押しとどめるものがあるのだろうか。
 習近平が台湾統合を決意したとき、中国軍は台湾に地上軍を送り込み、占領しなければならない。海を渡って地上軍を送り込むためには、航空優勢の確保が最低限必要な条件であり、そのためにはミサイルを使って敵の航空戦力が飛行場にいるあいだに壊滅させたり、飛行場そのものを使用不能な状態に追い込むことが考えられる。つまり日本の自衛隊と米軍の航空戦力の基地や航空母艦は、「台湾有事」の際の必須の攻撃目標なのであり、とりわけ沖縄の基地はそうならざるをえない。
 「平和のために軍事基地はいらない」というかっては荒唐無稽に近かった主張が、今ではかなりのリアリティを持って考えられるようになってきたことを、認めざるを得ないのだ。

 沖縄の基地やその反対運動について議論をしたいのなら、そのような難しい現実について論じるべきであり、ガキの口喧嘩のようなまねの何が面白いのか、まったく理解不能というほかない。

(つづく)

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「ひろゆき」論 [思うこと]

▼インターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」の管理人(正確には元管理人)西村博之という名前は、耳にしたことがあった。また、掲示板「2ちゃんねる」を何回か覗いたことがあり、このサイトの書き込みで被害を受けた人から、「書き込みを放置していた」責任を裁判で問われた、というニュースを読んだこともあった。だが、筆者と西村博之の関わりはそれだけであり、それ以上の関心を持つことはなく、この男が社会に影響力を与えるような存在になるとは思わなかった。
 ところが現在、西村博之の行動はネット世界にとどまらず、ビジネス書や自己啓発書を次々と出版したり、TV番組にコメンテーターとして出演したりと、活躍の場を広げているらしい。
 「その人気はとくに若い世代に顕著で、若者や青少年を対象とする調査では、憧れる人物として頻繁にその名が挙げられるほどだ」。「今やその存在はネット上のインフルエンサーの域を超え、若い世代のオピニオンリーダー、それもカリスマ的なそれとして広く認知されている」と、学者が論文を書くほどの存在になっているようだ。(「ひろゆき論」伊藤昌亮 『世界』2023年3月号)
 筆者はたまたま伊藤の論文を読み、西村博之が若い世代のオピニオンリーダー的人気を持つとしたら、筆者にとってかなり不可解な「日本維新の会」の現在の「人気」を、解き明かすヒントがあるかもしれないと思った。そこで最寄りの図書館に行って、西村の著書を借り出してきて読んでみた。
 残念ながら期待は大きく外れ、日本の政治社会の地殻変動を読み解く役には立たなかったのだが、別の意味で考えを刺激される部分もあったので、そのことを書いてみようと思う。

▼ひろゆきは1976年生まれ、「就職氷河期」世代である。(彼の著書では、「著者名」を「ひろゆき[西村博之]」と表記している。どの著書でもひらがなのペンネームにカッコ書きで本名を付けているところを見ると、「ひろゆき」は「イチロー」ほど認知されているわけではないと、自覚しているのだろう。このブログでは彼の「希望」に沿って、「ひろゆき」のペンネームで呼ぶことにする。)
 中央大学に入学し心理学を専攻するが、パソコンに夢中になり、1999年に掲示板「2ちゃんねる」を立ち上げ、また在学中にアメリカのアーカンソー州の大学に1年留学した。大学卒業後も企業に就職せずにプログラマーのような仕事を続け、2005年に株式会社ニワンゴの取締役管理人になり、「ニコニコ動画」を開始。2009年に掲示板「2ちゃんねる」を譲渡。2015年に英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人になり、2019年にSNSサービス「ペンギン村」をリリース。
 現在はフランスのパリに住み、半分“余生のような”生活を送る。自身のYouTubeチャンネルの登録者数は2022年2月時点で142万人、Twitterのフォロワー数は145万人を超える。著書多数。(以上の彼の履歴は、著書の奥書に書かれたものを、著書の叙述によって補足した。)

 筆者が図書館から借りだしてきた彼の著書を、次に示す。
 『論破力』(朝日新書 2018年10月発行)、『このままだと、日本に未来はないよね。』(洋泉社 2019年3月)、『1%の努力』(2020年3月)、『叩かれるから今まで黙っておいた「世の中の真実」』(三笠書房 2020年12月)、『ひろゆきのシン・未来予測』(マガジンハウス 2021年9月)、『誰も教えてくれない日本の不都合な現実』(きずな出版 2021年11月)、『ひろゆき流ずるい問題解決の技術』(ダイヤモンド社 2022年3月)、『ひろゆきと考える 竹中平蔵はなぜ嫌われるのか』(集英社 2022年6月)、『無理しない生き方』(きずな出版 2022年7月)。
 図書館にはまだまだ彼の著書があったし、貸し出し中のものも多かった。上のリストは発行年月順に並べておいたが、近年の「著作量」が顕著であり、そのことはよく売れるので彼の周囲に出版社が群がっているということを意味する。
 内容はどれも薄く、同工異曲だが、ひろゆきは自分の「著作量」の秘密を隠さずに述べている。  「……僕は、こうやって本を出す機会をいただいていますが、自分で文章を書くことはほぼありません。しゃべったことをライターさんに筆記してもらったり、僕がだらだらしゃべっているユーチューブの内容を編集者にまとめてもらったりすることで、本を出すことができています。」

▼筆者はざっと目を通しただけなので、読み落としはいろいろあるだろうと思われるが、一応ひろゆきのキャラクターは理解できたし、その主張は結構まともだと思った。
 彼の主張は、日本に明るい未来はないこと、日本経済は悪くなり「貧しい国」になることを前提とし、それでもそこに生きる一人ひとりは十分幸せに生きられるのだと、考え方や心構えについて語るものである。どのようなことを語っているのか、具体的に挙げてみよう。

・日本は遠くない将来、大金を稼げる少数の人と生活を支えるだけで精一杯の多数の人に分かれる。非正規雇用はさらに増える。
・日本でしか暮らせない人はきつい。自分が「2ちゃんねる」の裁判になっても案外強気でいられたのは、「困ったら日本を出てほかの国へ行けばいいや」と思っていたからだ。
・海外で仕事をするから学歴なんて必要ないというのは、大きな勘違い。海外に出たければなおさら学歴を軽視してはいけない。
・これから人口が減少して高齢化が進むのだから、ローンを組んで家を買うのは、郊外の土地や家などの場合、損をする可能性が高い。
・楽をして稼ぐためにプログラミングのスキルを身につけることは有効だ。プログラミングを早く自分のものにするコツは、すぐれたものを真似すること。分からないことは詳しい人に聞くこと。独学で頑張ろうとすると、大事なことと本当はどうでもよいこととの区別がつかず、最短の道を通れない。
・プログラミングはググってコピペすればできる。(グーグルで検索して必要事項を調べ、すぐれたプログラムをコピーして自分のプログラムに貼り付ければ出来上がり、という意味か?)
・年金は払っておいた方が得である。
・新卒で入った会社には三年間いた方がよい。
・「起業して一発当てよう」はだいたい失敗する。起業して一番難しいのは、あなたにお金を払って何かを頼もうという人と、いかにして出会うかということだ。組織にいるあいだに、そのことをじっくり学ぶべきだ。
・仕事を選ぶ場合、給料の多い少ないも大事だが、人から感謝される仕事かどうかという基準で選んだ方が、仕事のストレスが減って楽に生きられるかもしれない。
・世の中にはコンビニの仕事のように、スキルのたまらない仕事もある。
・若い人が選挙に行っても政治は変えられない。20~39歳の人全員が投票に行っても、40歳以上の人の多くが投票するなら、そちらの意見が尊重される。―――

(つづく)

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ウクライナ戦争に思う3 [思うこと]

▼ロシア軍がウクライナに侵攻し、首都キーウを攻略しようとしたが果たせず、キーウ占領をあきらめるまでの1か月が、この戦争の第一段階である。
 第二段階はウクライナの東部と南部の占領と奪還をめぐって戦闘が行われた時期であり、ウクライナ軍はハルキウ州やヘルソン州の領土の奪還で顕著な成果を上げたが、基本的には一進一退の膠着状態にあったといえるだろう。昨年の4月にロシア軍がキーウ攻略から「転進」して以来、今年の5月までの1年2か月ほどがこの段階であり、ウクライナ軍はこの間に大規模な反転攻勢の準備を続け、ロシア軍はそれを迎え撃つための陣地の構築に全力を注いだ。
 そして今年の6月になり、戦争は第三段階に入った。ウクライナ軍は、米国やNATO諸国から供与された新型戦車や武器弾薬を投入して大規模な反転攻勢を四方面で仕掛け、ロシア軍は頑強に抵抗している。ロシア軍は塹壕を掘り、その前方に地雷を埋め、コンクリート製の障害物を置き、砲兵力を配置してウクライナ軍の進軍を止めようとする。空からは戦闘ヘリがウクライナ軍の戦車をロケットで攻撃し、多大な損害を強いている。
 ウクライナ軍は大規模な反転攻勢に入ったものの、ロシア軍の堅い守りを攻めあぐね、敵陣を突破できずにいるという報道が流れた。ゼレンスキーは、「(反転攻勢の進行が)望んでいたよりも遅い。ハリウッド映画のような結果を期待している人もいるが、そうはいかない。人の命がかかっている」と語った。
 大規模反転攻勢の始まった直後の6月6日の夜、ヘルソン州のカホフカ水力発電所が何者かによって爆破され、溜められていた水が流出し、広大な下流域の街々を水没させた。

▼ウクライナ戦争が始まってから、TVの報道番組は毎日のように戦況を伝え、その解説をしてくれる。番組に登場し解説してくれる人たち、たとえば防衛省防衛研究所の兵頭慎治、高橋杉雄、東大先端科学技術研の小泉悠、その他自衛隊OBで元陸将クラスの人たちのおかげで、筆者の戦争に関する戦術レベルの知識と理解は、いくらか進んだようである。(自衛隊関係者というとすぐに「田母神俊雄」という名前が浮かび、ああいう「無教養な歴史修正主義者」が幹部を務める自衛隊という組織は、どうなっているのだろうかと、筆者はいぶかしく思っていた。しかしいま番組に登場する面々は、いずれも教養豊かで説明に説得力があり、聴いていて感心する場合が多い。)
 彼らの解説によれば、ウクライナの東部から南部にかけてのロシアの回廊を、どこかで切断するためにウクライナ軍は攻撃を仕掛けている。ロシア軍は時間をかけて陣地を構築しており、ウクライナ軍は多くの兵力を投入し、多大な損害を出しているが、大きな成果は上げていない。一般に攻撃側は守備側の3倍の兵力を必要とするとされているから、基礎体力に劣るウクライナ軍はその面でも厳しい条件下にある。
 しかしウクライナ軍は、まだ戦線に主力部隊を投入していない。各方面で戦いながら弱い部分を探り、そこに主力を投入することになるだろう。陣地突破は大消耗戦となるが、避けて通れない道である―――。

 戦争の戦術や兵器について、サッカーやチェスの戦術のように論じることに引っかかるものを感じる人はいるだろう。戦争というゲームの裏には人間の生死が貼りついているのだから、引っかかるものを感じるのは当然なのだが、しかしそれは「次元」の異なる問題として、触れられることはない。
 人間の生命の問題を、戦争にいかにして勝つかを考える場に持ち出すのは、関係者を当惑させるだけであろう。将軍たちは、自分は味方の兵士の生命の損害がもっとも少なく、敵軍への打撃を最大にする作戦をとるつもりだと答えることだろう。人間の生命の問題は、ゲームの外側で議論する問題であり、戦争というゲームに入った以上、早期に勝利することによって人的被害を最少に抑える、としか言えないのではなかろうか。

▼「西部戦線異状なし」という映画を、ネットフリックスで観た。筆者はレマルクの原作を読んだことはなく、ただ主人公が戦死した日の司令部報告に、「西部戦線異状なし。報告すべき件なし」と書かれていたという題名の由来だけを、昔どこかで聞いていた。
 ウクライナで戦争が起きなければ、それは筆者の中で遠い昔の有名な反戦小説であり続けたかもしれない。だが現実にウクライナで戦争が起き、反転攻勢という名の「大消耗戦」がこれから本格化しようとしているとき、眼をそむけずに観る義務があるのではないか―――。気分としてはあまり乗り気ではなかったのだが、半ば以上そういった義務感に動かされ、昨年(2022年)ネットフリックスが制作したドイツ映画「西部戦線異状なし」(監督:エドワード・ベルガー)を、観ることにしたのである。

 主人公パウルは18歳の学生だが、祖国のために闘おうと、学友たちと志願して兵士になる。西部戦線に配属された主人公たち歩兵は、砲弾銃弾の飛び交う中、突撃の命令の下、泥水の大地を這いまわったり、敵の塹壕に飛びこんで殺し合ったりという戦闘場面が描かれる。仲間のある者は死に、ある者は下肢を失うが、パウルはなんとか生き延びる。
 映画は戦闘場面や野戦病院、兵士の日常生活などをリアルに描き出すことで、戦争の恐怖や残酷さ、無益さ、兵士たちの苦痛や絶望を浮かび上がらせる。
停戦交渉がなんとかまとまり、兵士たちは喜ぶが、ドイツ軍の前線の指揮官は、停戦時間の来る前に敵軍に突撃すると演説し、反対の声を上げた兵士はその場で射殺された。パウルは突撃し、敵の塹壕の中で肉弾戦の末、胸を刺されて死ぬ。
 映画が終わり、最後に次のように白抜きの文字で書かれた黒い画面が出る。「1914年10月の戦闘開始からほどなくして塹壕戦で膠着、1918年11月の終戦まで前線はほぼ動かなかった。わずか数百メートルの陣地を得るため、300万人以上の兵士が死亡、第一次世界大戦では約1700万人が命を落とした。」

 優れた作品だと思った。重い気分があとに残った。

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ウクライナ戦争に思う2 [思うこと]

▼ウクライナ戦争について、大方の予想を裏切る展開がこれまで幾度かあったように思う。
 先ず当初、昨年2月24日にロシア軍が攻め込んだあと、世界はウクライナ政権が倒れることを予想した。プーチンは、首都キーウを占領し、ゼレンスキー政権を傀儡政権に替えることは容易であると考えていたし、米国もゼレンスキーに亡命を勧めた。
 E.ルトワックも、「ウクライナ軍による組織的な抵抗は、あと数日も続かないだろう。だがプーチンが展開する十数万人程度のロシア軍の兵力では、首都キエフや一部の都市を占領できても、全土を掌握するにはロシア軍の総兵力の半分にあたる50万人規模を投入する必要がある。完全な制圧は現実問題として不可能に見える」と語り、当面のロシア軍のウクライナ占領は避けられないと考えていた。(2022/2/25の産経新聞のインタビュー記事)。
 ところがゼレンスキーは亡命せず、ウクライナ人の抵抗の士気は高く、ウクライナ軍はよく戦い、世界の予想に反して首都キーウは占領されなかった。
 首都キーウの占領に向かったロシア軍を阻んだものは、もちろんウクライナ軍の抵抗でありロシア軍の作戦の誤りだったが、もう一つの要因として秦郁彦が強調するのは、「泥将軍(ラスプティツァ)」である。ウクライナの黒土は、コップ一杯の水が浸み込むと一夜にして泥土に変わる、と言われている。プーチンの侵攻のゴーサインがなぜか遅れたために、ロシアの戦車や軍用トラックが進行を開始したときには気温が上がり、凍土は一転して水を含んだ泥土に変わっていたというのだ。
 たしかに筆者も、ウクライナに侵攻したロシア軍の車列が延々と続く映像を、TVで観た記憶がある。こんなに沢山の戦車やトラックを相手にするのでは、ウクライナ軍もたいへんだな、というのが軍事知識ゼロの素人のその時の感想だったのだが、そうではなかったのだ。
 「本来だと戦車隊は横一列に展開して守備側の陣地を突破し」、そのあと歩兵が敵を排除して敵陣を占領する手順となるが、泥土状態の中では舗装された幹線道路しか使えず、そのため渋滞を引き起こした情景が、縦一列で延々と続く車列の映像なのだという。(『ウクライナ戦争の軍事分析』秦郁彦 2023年6月 新潮新書)
 3月10日、ウクライナ軍はキーウ近郊のプロバルイでロシアの戦車隊を待ち伏せし、急襲、撃破した。先頭と最後尾の戦車をまず炎上させ、動けなくなった戦車群を携帯ミサイルや支援の戦闘爆撃機で次々に仕留め、ロシア軍は壊滅的な損害を出して退却した。
 3月25日、ロシア国防省は、「第一段階の作戦は終了した。次は東部のドンバス地区へ兵力を集中する予定」と発表し、キーウ占領をめざしたロシア軍は一斉に撤退を開始した。プーチンの言う「特別軍事作戦」を始めて1か月後に、ロシア軍は所期の目的を達成できぬまま、「転進」することになったのである。

▼ウクライナの東部から南部にかけて、ルガンスク、ドネツク、ザポリージャ、ヘルソンの4州が存在する。東部に「転進」したロシア軍は、ルガンスク州の占領地を全域に拡げ、ドネツク州ではアゾフ海に面するマリウポリの市街地を、激戦の末に占領した。しかしウクライナ軍と市民約2千人はアゾフスタリ製鉄所の地下シェルターに立てこもって抗戦を続け、彼らが投降したのは5月半ばになってからだった。
 ロシア軍はマリウポリの占領によって、ウクライナ東部とクリミア半島を繋ぐ回廊を確保した。
 ウクライナ軍への米国とNATO諸国の軍事援助が6月ぐらいから実戦に使われはじめ、米国のハイマース(高機動ロケット砲システム)は、ピンポイントでロシア軍の現地司令部や弾薬庫などを攻撃し、成果を上げた。
 9月6日、ウクライナ軍はドネツク州の北に隣接するハルキウ州で反転攻勢を開始。南部のヘルソン州での戦闘を予想していたロシア軍は、不意を突かれてパニックに陥り、大量の戦車や装備品を残して敗走した。ウクライナ軍は、わずか5日間でハルキウ州の2500平方キロメートルを奪還した。
 ウクライナ軍はその後も手を休めず東進し、10月1日にはドネツク州の北にある鉄道の要衝リマンを解放した。
 11月11日、ロシア軍は南部ヘルソン州の州都ヘルソンを含む、ドニプロ川右岸から撤退した。

 ロシア軍が東部に「転進」した後の戦況は、ウクライナ軍のハルキウ州での目覚ましい勝利などもあったが、基本的には膠着状態にあったということらしい。ロシア軍が「火力重視の伝統に立ち返り、集中砲撃でウクライナ軍の陣地を徹底的に叩いたのち前進する堅実な戦法」(秦郁彦)を採るようになると、ものを言うのは砲兵火力や戦車など物量の大きさになる。ウクライナ軍には旧式のソ連製の戦車しかなく、その面で圧倒的に不利と見られていた。
 ゼレンスキーは武器の提供、なかんづく新型戦車の提供を米国やNATO諸国に強く求め、米欧諸国の首脳はドイツ製の「レオパルト2」をはじめとする新型の戦車を提供する決断をする。しかし米欧諸国が戦車を提供する決断をしても、ウクライナの兵士がその操縦に習熟し、実戦で成果を上げるようになるには時間が必要である。ウクライナの戦力として新型戦車が活躍するのは、冬を越し、春の泥土が固まる2023年の5月ないし6月頃になるのではないか、と言われた。

 一方プーチンは、9月21日に予備役兵32万人の動員を発令した。ロシア国内の動揺が危惧されたが、軍の態勢を立て直すためには動員をかけるしかなかった。だが新たに招集した兵士を訓練し、実戦に投入するためには、数カ月かかるだろうと言われた。
 プーチンはまた、ロシア軍が占領しているルガンスク、ドネツク、ザポリージャ、ヘルソンの4州を、ロシア領に編入する大統領令を9月30日に公布した。

(つづく)

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ウクライナ戦争に思う1 [思うこと]

▼「将軍たちはいつも、一つ前の戦争に勝とうと全力で準備している」という警句を、何度か目にしたことがある。誰の言葉なのか、チャーチルとか、ロイドジョージとかの名前が上がっているようだが、引用者たちは明記していなかったので、筆者はいまだに確かなことは知らない。
 だが言葉の意味は明瞭だ。戦争技術の進歩は日進月歩であり、戦争の形も大きく変わってきているのに、将軍たちの頭の中だけは変わらず、「一つ前の戦争」のイメージしかないという意味だろう。

 ウクライナ戦争は奇妙な戦争である。それが奇妙である理由のひとつは、筆者はこのブログで触れたことがあるが、西側の指導者たちが、この戦争が第二次世界大戦のように世界に拡がることを極度に恐れ、細心の注意を払うところから来ている。第三次世界大戦が起これば、それは核兵器を使用しての世界戦争であり、それは何があっても避けなければならない。
 また西側の指導者たちの頭には、「一つ前の戦争」である第二次世界大戦の記憶ばかりか、1世紀以上前の第一次世界大戦の教訓も蘇っていたはずだ。バルカン半島で発生した暗殺事件が、誰も予期せぬ形で燃え拡がり、ヨーロッパ世界とその植民地を巻き込んで4年以上続き、1千万人近い戦死者を出した歴史の記憶が、彼らを慎重にさせた。
 だから彼らはウクライナに攻め込んだロシアを非難し、経済的に締め付ける一方で、戦争が拡大しないように、拡大の口実をロシアに与えないように、ウクライナの求める援助についても慎重に中身を検討し、抑制的に(恐る恐る)対応してきたといえる。
 一方ロシアの指導者たちは、西側の指導者たちの心配や慎重さを奇貨とし、また核戦争を恐れる気持ちに突け込んで、自分たちは核兵器を保有しており、必要とされる事態となればそれを使用する決意があることを、ことあるごとにアピールしてきた。
 このような思惑の微妙な差異や心理的駆け引きの結果、ロシア軍はウクライナを首都キーウも含めて攻撃できるが、ウクライナ軍はロシア領を攻撃しない、いわんやモスクワを攻撃してはならないとする暗黙の「約束事」が出来上がっているように見える。
 関係諸国の指導者の間のこの奇妙な暗黙の「約束事」は、ウクライナの領土の侵略戦争を現に行っているプーチンが、ロシアの行動は「祖国防衛」のための「特別軍事作戦」だと言い張る奇妙さとともに、この戦争の特徴を形成している。

▼ウクライナ戦争の奇妙さの二つ目には、新しさと古さが混在している点が挙げられるだろう。新しさとは、なによりも通信技術の革命的な発展である。
 ウクライナはロシアの侵攻を受けて、すぐにイーロン・マスクに連絡を取り、彼の援助で人工衛星通信システム(スターリンク)を利用できるようになった。これによってウクライナ国内での通信連絡が、ロシアの妨害を受けずにできるだけでなく、「ジャベリン」などの兵器を活用してロシアの戦車や装甲車両を攻撃することも可能になった。
 ドローンや無人機が新しい武器として戦争に初めて登場しているが、これらも通信技術の発展と無縁ではない。
 通信技術の革命的な発展はまた、一般の人びとがこの技術を活用して戦争に直接関わることを可能にした。
 30年前の湾岸戦争のときも、一般の人びとがTVの前で戦争をまるでTVゲームのように観戦することが話題になったが、当時と現在では情報量がまるで違う。当時世界の人びとが観ていたのは、CNNの従軍カメラマンが撮ったオフィシャルな映像だったが、現在はウクライナ、ロシア両政府のマスメディアに対する公式発表以外に、インターネット上に膨大な情報が飛び交っている。一般の人びとがスマホで撮り、ネットにアップロードした映像も多い。
 ウクライナの政治指導者もロシアの指導者も(プーチンはSNSをやらないらしいが)ネットを通じて声明を公表し、世界に直接働きかけている。
 それだけではない。現場で撮られた写真や動画がアップされ、それがどこで撮られたものかをグーグルマップを使って割り出すことで、戦争全体の状況が一目瞭然となっているらしい。

▼ウクライナ戦争の「古さ」の第一は、戦争のそもそもの性格が、プーチンの領土拡大欲求によって始められた「古典的な侵略戦争」だということである。プーチンの頭の中ではウクライナはロシアの属国であり、歴史的にそうあるべきであり、その関係をより明瞭にすることで、ソ連の崩壊以来貶められてきたロシアを、再び偉大な国として復活させることができると考えたのだろう。
 古さの第二は、E・ルトワックが指摘していることだが、ウクライナ戦争は形態としては「18世紀の戦争」に似ている、という点である。
 第一次世界大戦も第二次世界大戦も「総力戦」であり、敵対する国家同士は戦場で武器を手に戦うだけでなく、相手の息の根を止めるために、国家の総力を挙げてあらゆる手段を行使した。しかしウクライナ戦争では、互いに自制して20世紀型の「総力戦」に陥ることを避けようとしているように見える。
 ロシアの天然ガスは、ウクライナの国土を通るパイプを通じてドイツやイタリアに送られるが、それは従前通り行われているし、ウクライナの港から穀物を船に積んで輸出することも、ロシアが嫌がらせをしつつも一応継続されている。
 ロシアは米国やNATO諸国がウクライナに武器を供与することを強く非難するが、ウクライナへの輸送の途中でそれを阻止しようとしたりはしない。つまり、戦争の様相は「限定的な紛争」にとどまっているのであり、それは18世紀のヨーロッパに見られた戦争の形だ、というわけである。
 ルトワックはさらに続けて言う。「問題なのは、18世紀型の戦争は長期にわたって続きがちなことだ」。(産経新聞2023/5/17)

(つづく)

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リベラルの終り?3 [政治]

▼第二次世界大戦後、西欧諸国が採用したのは、ケインズ主義にもとづく経済運営と「福祉国家」政策だった。戦災からの復興と経済成長、そして福祉国家を目指して、西欧諸国も日本も邁進した。また共産主義陣営と政治的、軍事的に対立する自由主義陣営では、貿易を活発に行うために自由貿易制度を整備したから、資源の乏しい日本もその恩恵にあずかり、経済の高度成長を実現できた。
 しかし六〇年代から七〇年代にかけて西欧諸国、特に英国は、持続的な物価上昇(インフレーション)に悩まされることになる。この物価上昇は景気が停滞している時にも続き、「スタグフレーション」と呼ばれた。
 英国ではマーガレット・サッチャーが首相となり(1979~1989年)、国有企業の民営化を進め、労働組合に強硬な姿勢で臨み、規制緩和と緊縮財政の政策を採った。米国ではロナルド・レーガンが大統領に就任し(1981~1989年)、大規模減税と軍備増強、規制緩和と福祉削減の政策を行った。
 日本では中曽根康弘が首相に就任し(1982~1987年)、「増税なき財政再建」のスローガンを掲げ、日本電電公社の民営化(→NTTの誕生 1985年)や国鉄の分割民営化(→JRの誕生 1987年)を行った。
 サッチャリズムやレーガノミクス以降の、「規制緩和」、「民営化」、「小さな政府」等の政策を指して、一般にネオリベラリズム(新自由主義)と呼ばれるが、先進諸国の経済政策は多かれ少なかれ「新自由主義」の性格を持つものとなった。

▼「新自由主義」の経済政策は英国経済を復活させ、八十年代、九十年代の通信技術やコンピュータの発達は、自由な英国市場を活性化させた。そしてその一方で、時代の変化に乗れない多くの人びとが取り残され、貧富の格差が拡大し、社会の分断が進んだ。
 日本でも九十年代から二十一世紀初頭にかけて、企業が金融危機に伴う不況を乗り越えるために新規採用を手控えたことが、「就職氷河期」といわれる時代を生み出した。八十年代に「新自由主義」的思想の下につくられた「労働者派遣法」が九十年代末に改正され、労働者の「派遣」が原則自由化されたために、企業は雇用を景気の調節弁として使うことが容易になり、「派遣労働者」を増やした。「非正規雇用」で働く労働者の割合は、やがて日本の全労働者の3割を超え、「就職氷河期」で「正社員」として就職できなかった若者たちの多くが、不安定な「非正規雇用」を続けることを余儀なくされている。
 二十一世紀初頭に首相となった小泉純一郎(2001~2006年)は、「聖域なき構造改革」を謳い、「新自由主義」的改革を進めた。だが彼が、貧富の格差が拡大する日本社会の現実と将来を、どれだけ理解していたか疑問と言わねばならない。
 不安定な「非正規雇用」のまま年齢を重ね、結婚できない若者たちが生み出されることで、日本の「少子化」問題はより深刻化し、日本の将来に暗い大きな影を落としている。

▼「維新」(彼らは「大阪維新の会」とか「日本維新の会」とか名乗っているので、一括して「維新」という。)がどのような政策を主張しているのか、ネットを見ると「維新八策2021」という政策集が載っていた。それを項目としていくつか挙げるなら、次のようなものである。「議員定数や議員報酬を3割カットする身を切る改革」、「減税と規制改革」、「セイフティネットの構築と大胆な労働市場・社会保障制度改革」、「幼稚園から大学までの教育無償化」、「地方分権と地方の自立」、「世界に貢献する外交、安全保障」、「憲法改正」等々。
 全体として、「新自由主義」的改革を主張しているのだが、それらが日本の直面している課題に応えるものなのかどうか、筆者にはかなり疑問である。
 まず現代日本という国家についてだが、「維新」の政治家がいかに「大きな政府」に抵抗感があったとしても、国民生活の保障を政府の義務として引き受け、担っていくのでなければ、政治の役目は果たせない。そのためには、より多くの税を政府の手に集めなければならず、これまで先延ばしにしてきた膨大な国家債務の問題にも、正面から取り組まなければならない。
 「維新」は、「減税」を主張し、「増税のみに頼らない成長重視の財政再建」などという、安倍晋三が9年間試みて成功しなかった政策を掲げている。だが増税をきれいごとの理屈でごまかす者を、国民はどこか信頼できないと感じていることを、知るべきである。

 また人材面でも問題がある。小選挙区制の下では、自民党から立候補できない政治家志望者が、「維新」に流れ込むケースが多いようで、悪く言えば「維新」は“二流・三流の政治家志望者”の受け皿となるという面が、例えば東京などでは強かったように思う。
 4年前愛知県で開かれた「表現の不自由展」に対し、その展示内容を批判する人びとは「不自由展」を後援した愛知県知事を非難し、リコール運動を展開した。しかし集められた署名の大部分が偽造されたものであることが発覚し、リコール運動の事務局長が逮捕されたが、それは「日本維新の会」愛知5区の支部長の男だった。
 大規模な署名偽造事件はその事務局長「個人」の問題として処理されたようだが、経過を見ればそうとばかりも言えない気がする。リコール運動を表面に立って推進したのは、美容整形医の高須某や名古屋市長の河村たかしだったが、「表現の不自由展」の展示内容に対し、「維新」の松井一郎代表と吉村洋文大阪府知事も非難の声を上げている。リコールを成功させなければならないという空気が運動事務局を強く支配し、それが事務局長を暴走させたのだろうと筆者は推測する。
 「表現の不自由展」の展示は、「天皇」や「少女慰安婦」という熱くなりがちのテーマに関わるものを含んでいたのだが、それが生み出した騒動は、「維新」の人と思想の質を露呈させるものとなった。

 なぜ「日本維新の会」は「期待する野党」として現在人気があるのか、という初めの問いに戻る。
 5月末のFNNと産経の合同世論調査では、回答者の属性については何も触れていないので、「日本維新の会」に期待すると答えた人が年寄りなのか若者なのか、男なのか女なのか、その辺はわからない。
 「維新」は何かやってくれそうだという期待があるとか、大阪府の吉村洋文知事の人気が反映しているとか、政治解説者はいろいろ言うが、実際そうなのか?

▼日本では、「日本社会党」やその流れをくむ「立憲民主党」が「リベラル」と呼ばれる。
 しかし「リベラル(liberal)」や「リベラリズム(liberalism)」は、「自由主義」の形容詞形と名詞形であり、「立憲民主党」にふさわしい性格規定とは言えない。なぜなら「立憲民主党」は、「自由」の価値を十分に活用する社会を創るよりも、「自由」を制限しても“落ちこぼれ”が出ないようにすることに賛成する政党、というイメージだからだ。現在、「リベラル」という字義に最も近いのは、「新自由主義」的主張を政策の基調とする「維新」であろう。
 しかしそういった字義談義はともかく、「維新」への期待が「立憲民主党」への期待を凌駕するという事態は、政治的な地殻変動と見るべきものだと筆者は考える。
 現在、若い世代で「自民党」支持が高く、「立憲民主党」は年齢の高い層で支持が増える傾向にあることが世論調査で判明している。この事実は、「日本社会党」から「立憲民主党」までを支えてきた「戦後民主主義」が、戦後世代とともに消えていこうとしているのではないか、ということを予感させる。
 近づく総選挙にどのように対応するべきなのか、「立憲民主党」内部の混迷が伝えられるが、それは単に選挙戦術だけの問題ではなく、拠って立つ足元の地盤が液状化している問題として、考えなければならないのだと思う。

(おわり)

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リベラルの終り?2 [政治]

▼「メモ」の内容をもう少し続ける。
 《―――どのような業界にも業界特有の発想や用語があるように、教育関係者のサークルの中にも特有の発想や言葉、言い回しがある。それらは一般に「思考の経済」に役立つのだが、外部世界との距離の自覚を欠くとき、ややもするとバランスを欠いた奇妙なものになりがちだ。
 世論の批判を浴びて文科省がなし崩しに撤回した「ゆとり教育」がそれであるし、教師が児童・生徒の「目の高さ」で授業を行うといった言い回しや、「命を大切にする教育」というスローガンも、そのもっともらしさが逆に首を傾げさせる。外部の現実世界との健康な距離感と緊張感が必要なのだ。それが失われ、サークル内部のみが現実世界となるとき、教育サークルは古いイデオロギーが糖衣状のきれいな言葉に包まれて生息するガラパゴス島となる。
 ルポの中に、「子どもたちが家庭で放置されるケースも多く、荒れの低年齢化が進んでいる。そのため小中学校の教員の多くは生活指導に労力と時間をとられ、授業準備の時間が取りにくい状況が続いている」という市教組執行委員長の発言や、「小学校入学時、多くの児童は家庭でしつけや基本的生活態度を身につけておらず、言葉の遅れもありがちだ」という市立A小教員の言葉がある。その原因は、家庭の貧困のため親が労働で手いっぱいで、子どものしつけにまで手が回らないことと、ひとり親家庭、両親のいない家庭の多さにあるとされているが、要するに大阪の教育の現実が危機的であることが指摘されている。
 先の「府民討論会」で、橋下知事が新しく教育委員に任命した小河勝は、自分の教員としての体験を踏まえ、子どもにとって「分かること」「できること」が、いかに大切であるかを語っている。
 基礎が身につかないまま学年が進み、授業が分からなければ子どもたちは荒れる。自分は、子どもたちの「荒れ」に直面していろいろ工夫し、基礎に戻って教え、トレーニングを繰り返し、彼らの躓きをなくしていく努力をしたところ、劇的な効果が見られた。彼らは、「自分も分かる」ということを実感すれば、「自分にも未来がある」と感じられるようになる。そこからやる気や意欲が生まれる―――。
 要するに、子どもたちに学力をつけることの大切さを説くのだが、当然と思えるこの考え方は、おそらく「全国から最も高く評価されてきた大阪の教育」とは、言葉の上では微妙に、そして実践においては大いに、異なるのではないだろうか?》

▼筆者の「メモ」はまだまだ続くのだが、この辺でやめる。
 筆者は全国政党としての「日本維新の会」を少しも評価しないが、彼らが大阪の市民から支持されたという一面は、認めなければならないと思う。そしてその理由は、上に紹介した筆者のメモからうかがえるように、もっともらしい理屈をつけて擁護されてきた行政の仕組みや慣行や既得権を、橋下と「維新」がかなり強引に「改革」したところから来ているのではないか、と想像している。
 そして橋下徹によって批判の対象とされた「大阪の教育」、「全国から最も高く評価されてきた大阪の教育」とは、少しトッピな物言いに聞こえるかもしれないが、「戦後民主主義」の理想や期待や主張の“なれの果て”ではないかというのが、筆者の腰だめの見当なのである。

 「戦後民主主義」という漠然とした言葉を持ち出す以上、筆者は最低限の説明を加えておく責任があるだろう。
 昭和20年の敗戦によって日本の支配者たちは自信を失い、民衆は日々の生活の困難に直面する一方で、大きな解放感を味わっていた。彼らは古い社会の仕組みや人間関係を、より民主的で平等な仕組み、自由で進歩的な関係に変えることの中に、新しい社会を思い描いた。現実は日々の食事にもこと欠くほど貧しかったが、力を合わせれば自分たちは新しい社会を創り出せる、懸命に働けばやがて豊かな未来が訪れるだろうと、希望を持つこともできた。戦争が無いということが、長いあいだ戦争とともに生きてきた国民として、ありがたかった―――。
 そういう戦後の平均的日本人の「思い」の総称が「戦後民主主義」であり、それを政治勢力として一番体現していたのは、「日本社会党」だったのではないかと、筆者は考える。もちろん日本社会党の中に「労農派マルクス主義」が脈々と流れ、路線闘争を繰り返していたことを見ないわけではないが、しかし「戦後民主主義」という「思い」の下支えがなければ、政治的な力として彼らが保守党に対抗できるはずがなかった。
 「戦後民主主義」は若者たちには常識であり、時とともに新しい世代は増加し、古い世代は退場する。時間の流れに対する信頼感が、「戦後民主主義」の基底に存在した。

▼しかしどのように優れた理念、どのように清新な「思い」であったとしても、それが現実社会で制度化され、数十年という時間が経てば、安易な方向に変形されるのは自然なことである。「自由」も「平等」も「民主主義」も、それ自体は立派な理念だが、現実の社会では関係者の利害が反映され、一部の政党や労働組合の既得権擁護のスローガンに堕落していたとしても、いっこうに不思議はない。教育が「自由」や「進歩」の阻害物に転化していたり、「平等」だけが度はずれに強調されたり、もっともらしい理屈や約束事が積み重なって、息苦しく身動きできないような現実が生じていたのかもしれない。
 多くの大阪府民が「喝采の声を上げた」のは、「橋下劇場」の盛り上げ方が巧みであったこともあるだろうが、やはり「大阪の教育」の現状に強い不満を持っていたからであり、そうした現実を生み出した教員組合をはじめとする勢力に、強い不信感を懐いていたからであろう。
 問題は、「教育」だけではない。かって日本の支配勢力に対し、新しい社会の理想や理念を主張した「戦後民主主義」勢力は、攻守所を換え、美しい言葉で飾られているが実態は不合理な現実を、より若い世代から攻められ、批判された。それが15年前に大阪で起こった橋下徹+「維新」の現象の意味だったと、筆者は理解している。

(つづく)

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リベラルの終り? [政治]

▼衆議院の解散・総選挙がこの7月か、遅くとも9月にあるだろうと、TV番組で政治解説者がしゃべっている。総理官邸の赤いカーペットの上で、身内を集めて忘年会だとはしゃいでいた岸田首相の長男兼秘書官は、批判を浴びて事実上更迭されたが、これも解散・総選挙をにらんだ首相の準備の一環なのだそうだ。
 5月末に行われたFNNと産経の合同世論調査では、岸田内閣の支持率や広島サミットの評価などを質問したあと、どの野党に期待するかを聞いている。正確に言えば、「現在の国会の野党の中で、どの政党に最も期待しますか」という質問だが、その回答は次のようだった。
 立憲民主党:15.7%
 日本維新の会:29.2%
 国民民主党:5.1%
 共産党:3.2%
 れいわ新選組:3.3%
 社会民主党:0.4%
 政治家女子48党:0.6%
 参政党:1.6%
 期待する野党はない:35.2%
 その他(「わからない」「言えない」):5.7%

 この回答で目を引くのは、やはり日本維新の会への期待が高く、現在の野党第一党の立憲民主党のほぼ倍の期待度を示している点だろう。日本維新の会の馬場代表も、「来るべき衆議院選挙で野党第一党の議席を得ることが次の目標」だと発言している。
 日本維新の会の何がそれほど期待を集めるのか、逆に、立憲民主党はなぜ国民の期待を集められないのか、そのことは選挙という政党選択の問題を越えて、日本の戦後思想の問題として考える価値があるように思う。

▼戦後政治史の上で、自民党以外に「保守」を名乗る政党が誕生したことは、「新自由クラブ」や「日本新党」をはじめいくつもある。「日本維新の会」がその中で特異なのは、大阪という地域にしっかり根を下ろしていることである。というよりも、そのそもそもの発生が、大阪府知事になった橋下徹が自分の考える府政改革を進める上で、自分を支持してくれる政治勢力を必要とし、2010年に「大阪維新の会」を結成したところから始まるのだ。
 「維新」は今でも大阪が地盤であり、大阪におけるその勢力は他の政党を圧している。そのことは大阪府民、大阪市民が、橋下徹の始めた大阪府政、大阪市政の改革を肯定的に評価し、支持したということを示している。もちろん支持や評価ばかりでなく、強い反発や非難が橋下徹の「改革」に浴びせられたのだが、それらを乗り越えて橋下の「維新」は、大阪で根を下ろしたわけである。「改革」の何が、大阪人の支持を得たのか。

 筆者は、大阪という土地も人も行政についても、直接的には何ひとつ知らない。ぼんやりそんなことを考えていたら、橋下「改革」について過去に一度だけメモを取ったことが思い出された。ノートを探したところ、幸いにも見つかったので、その一部をここに掲載したい。
 このメモをとった時、筆者は橋下の「改革」について何ひとつ知識を持たず、雑誌『世界』のルポルタージュをたまたま読み、その感想をメモしたのだった。何がきっかけでそのルポを読み、メモまで残したのか、なんの記憶もないのだが、ことによると当時、橋下知事の「教育介入」がマスメディアで大きな話題になっていたのかもしれない。
 メモを転記すると、次のようなものである。

▼《『世界』2008年12月号に載っていた「ルポルタージュ 橋下知事の教育介入が招く負のスパイラル」を、たまたま読んだ。橋下の「教育介入」を一方的に批判する出来の悪いルポだが、皮肉な意味で多少得るものがあったのでメモしておいた。

 ルポの終わり近くに、次のような一節がある。
 「……橋下知事は……自らの狭い実体験に基づいた「思い」にこだわり、……「府民の声を聞く」と言っては対立の構図をつくり上げているようだ。この「橋下劇場」の手法によって、多くの府民は喝采の声を上げ、……」
 ルポは橋下知事の「思い」について何も触れていないから、読者は何も知ることができない。しかし橋下の「教育介入」が不当だと批判しようとするなら、この「思い」は重要なポイントであり、きちんと取り上げなければ話は始まらない。また「多くの府民」が橋下の行動に「喝采の声を上げ」ている、という点も重要だ。橋下が教職員組合や教育委員会などを批判したところから、この騒動は始まった。 橋下はなぜ「教育介入」をしたのか、なぜそれに府民は喝采の声を上げるのか、教職員組合や教育委員会のこれまでの活動は批判に値するのか、それとも批判する橋下や府民の側に誤りがあるのか。大阪の教育が上手くいっていないとすれば、原因はどこにあり、どのように改善すべきなのか―――。これらの疑問がルポルタージュの出発点にならないとすれば、そもそも書く意味などどこにもないだろう。

 幸いわれわれはインターネットで大阪府教委のホームページを開き、「大阪の教育を考える府民討論会」(第1回10/26、第2回11/24)の記録を読み、橋下知事の「自らの狭い実体験に基づいた『思い』」を知ることができる。橋下はこんな発言をしている。「自分の通った大阪の中学はいわゆる『同推校』(同和教育推進校?)で、そこではまず競争の否定から入る。競争をしてはいけない」。高校は地元の高校を受験するようにという運動が行われていて、地元でない高校を受験しようとした橋下は、「なぜお前は地元の高校に行かないのか」と、その理由を言わされた。――
 「実体験」というものは体験者固有のものであり、「狭い」に決まっている。その体験から得られた「思い」が偏ったものなのか、それとも広がりをもつものなのか、が問題の要点である。中学生・橋下が感じとった「思い」の中には、大阪の教育では生徒の学力向上がおろそかにされている、という考えも含まれていたに違いない。そしてそれは多くの府民の喝采が示すように、広がりをもつものだったと言ってよいだろう。
 ルポには次のような発言も載せられている。「……これまで全国から最も高く評価されてきた『大阪の教育』、障がい者や貧困家庭を地域や学校で支えながら行ってきた教育……」
 橋下や多くの府民が、このままではだめだと考える「大阪の教育」が、一方では「これまで全国から最も高く評価されてきた」という、この落差の大きさ。繰り返すが、この落差に不思議を感じ、ここから出発するのでなければ批評という行為は成り立つはずがない。このルポルタージュは出発点の姿勢において、問題を語る資格を欠いている。》

(つづく)

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組織モデルの革新 [思うこと]

▼いつごろからか正確な記憶はないが、「フィッシングメール」が筆者のところに届くようになった。
 「このたびご本人様のご利用かどうかを確認させていただきたいお取引がありましたので、まことに勝手ながらカードのご利用を一部制限させていただきました。つきましては、以下へアクセスの上、カードのご利用確認にご協力をお願いします」とか、「当社では犯罪収益移転防止法に基づき、お取引を行う目的等を確認させていただいております。お客さまの取引についていくつか質問がございますので、下記のリンクにアクセスし、ご回答ください」といった内容のメールである。
 中にはカードの利用日時や利用場所、利用金額を具体的に挙げ、「ご利用の覚えのない場合は、下記により」手続きをするように、と言ってくるケースもある。
 「迷惑メール」に指定して「受信拒否リスト」に登録したりしてみたが、効果はなかった。どうやら送付元のアドレスを、機械的に毎回変更することが可能らしく、アドレスが1字でも変われば、筆者のパソコンは拒否せず受け取るのである。
 送り主は以前は「アマゾン」や「楽天」を名乗り、その後クレジットカードの会社や銀行、宅配便業者やNHKなどを騙っている。
 初めの頃はときどき舞い込む程度だったのだが、最近では毎日十数件、日によっては二十件を超えるメールが送られてくるようになった。

 筆者の感想を言えば、まず、「名簿」や「アドレス」の地下マーケットがあると聞いていたが、自分のアドレスもそこで売買されているのだな、ということだった。
 また、メールの送り主はあまり頭の働きの良い人間ではなく、この仕事に惰性で関わるばかりで、自分で工夫しようとする意欲に欠けている、とも思った。いかにもっともらしい内容であっても、同じ文面が一度に十数件も届いたら、誰も真面目に扱うはずがないという、最低限の判断力もないのだ。というよりも、おそらく彼の所属する組織の中で、指示されたことを何も考えずに、ただ機械的に繰り返しているだけなのだろう。

▼上の「フィッシングメール」の話は、犯罪組織のくだらなさ、そこでの活動のつまらなさを反映しているように見える。「オレオレ詐欺」や「還付金詐欺」、警官や弁護士、銀行員やらが登場する「劇場型詐欺」なども含め、21世紀の日本に現れたいわゆる「特殊詐欺」は、現れた初めのうちこそ新鮮さがあり、話題にもなった。しかし、その後も繰り返される愚かな「被害」のケースを山のように聞かされる中で、世の関心はずいぶん薄れてしまった。
 詐欺という行為は、もう少し頭を使ってストーリーを考え、スリルを感じながら実行する、“手作り感”のある犯罪ではなかったか? 機械的に大量の電話やメールを送り付け、例外的に生じた年寄りの“うっかりミス”に突けこむばかりで、なんら目新しさのないやり口は、およそつまらない―――。
 そんな風に感じていたのだが、今年1~2月にニュースとなった「ルフィ」騒動には、筆者の思い込みを覆す斬新さがあり、興味を持った。

▼今年の1月から2月にかけて、全国で発生している強盗事件が話題となり、中でも東京都狛江市での強盗事件が、90歳の老女が殴り殺されたこともあって、大きなニュースとなった。
 そしてそれらの強盗事件に関係するとみられる男たちが、フィリピンの入国管理施設に収容されていて、彼らは収容されている身でありながら、ケータイやらパソコンやらを施設内で自由に使え、強盗の指示もそこから出していたと、大きく報道された。強盗の指示役は「ルフィ」の名で呼ばれ、「ルフィ」もその入管施設の中の誰かだろう、いや、特定の誰かではなく、指示を出す時に指示者はそう名乗ったのだろうなどと、ワイドショーは賑やかだった。
 そのときニュースで解説された事件の構図は、捜査当局が流したものだったのだろうが、次のようなものだった。
 強盗を企画した人間は、情報を収集し、実行役を集め、指示を出すが、強盗行為は自分では行わない。強盗の実行役は、インターネットの「闇サイト」で1日百万円などと高額報酬を謳って集める。「闇サイト」に応募してきた人間は、本人情報だけでなく家族関係、親族関係までしっかり把握され、裏切れないように管理される。
 強盗を現場で実行する者は、単に指示されたように動くだけであり、強盗を主体的に行っているという意識が薄いから、罪の意識も薄いだろう。強盗を企画した人間にとって強盗の実行者たちは、自分と結びつくなんの関わりもない使い捨ての駒である。実行役に指示を与えることと、実行役から強奪した金品を受けとること。その接点に注意を集中し、無事に行えるなら、強盗はより安全な仕事となる。―――
 この組織モデルを、彼らは「オレオレ詐欺」から学んだのだろう。「オレオレ詐欺」では電話を掛ける「掛け子」と現金を受け取る「受け子」が、使い捨ての駒であるが、危険性が高く苦労の多い実行役を自分から切り離すという組織モデルを創り出すことにより、首謀者は「特殊詐欺」というジャンルを打ち立てたのだ。

▼日本の経済界でも組織モデル上の革新が、少しずつ見られるようになってきたように思う。
 「終身雇用」、「年功序列」、企業のメンバーとなり、その企業文化を身につけることが何よりも大切とされてきた日本の雇用慣行・雇用制度にとって、それが高度成長期に大成功した組織モデルであったからこそ、変えることは困難だった。しかしすべての企業活動がデジタル化をベースに行われる21世紀に、必要な能力を持った人材を雇用する上で、従来の日本の雇用慣行・雇用制度は大きな制約となる。年齢が若くても、外国人でも、求める能力を持った人材を高給で世界中から集める必要があるのに、それが出来ず、あいかわらず「年功序列」を基本とするようでは、世界で取り残されるばかりである。「年功」は21世紀の現代では、ただ新知識・新技術から遠いことを意味するばかりなのだ。
 バブル崩壊後、日本経済が一向に成長せず、世界で競争力を低下させていった背景には、「デフレ」のもたらした消極経営の要素が大きかったが、それだけでなく、「日本的経営」が21世紀の変化の激しい環境に適応できないという問題があったと、筆者は考える。日本においてIT化の進行が遅れた理由は、日本の経営組織モデルの革新が進まなかった理由と同根なのだ。

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