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奈良の旅2 [旅行]

▼快晴。朝食を済ませ、8時少し前にホテルを出、奈良の大仏を見に行った。奈良公園に入ると、シカの姿があちこちに見えた。 DSC04248.JPGDSC04253.JPG  やがて東大寺の南大門が遠くに見え、その下で修学旅行の中学生の団体がいくつも、まだ早い時間であるにもかかわらず、記念写真を撮っている。外国人観光客の姿も多く見られた。  京都ではいま、許容量を超えて観光客が押し寄せる「オーバーツーリズム」の問題が騒がれているが、東大寺や奈良公園の規模は雄大で、多くの観光客を呑み込んでびくともしないようだ。今年は東大寺を開いた良弁僧正の生誕1250年にあたるということで、生誕祭の準備を進めていたが、寺の見学に少しも支障はない。 DSC04264.JPG DSC04271.JPG DSC04286.JPG DSC04290.JPG  大仏殿を出て、少し高台にある二月堂へ行った。二月堂の縁側から寺の建物のはるか向こうに、奈良の市街が見えた。二月堂裏参道を通って東大寺の外に出、バスで近鉄奈良駅に出た。 ▼昼過ぎに、橿原神宮前駅の近くのホテルに旅行会のメンバーは集合した。4年ぶりだが、参加者13人の全員が変わりなく元気なのは、なによりである。  荷物をホテルに預け、飛鳥の里をめぐる「かめバス」に乗り、飛鳥寺に行った。仏教の受容や天皇家の皇位継承をめぐって対立していた蘇我氏と物部氏が、最終的に曽我馬子が物部守屋を滅ぼす形で決着し、馬子が戦勝記念に建てたのが飛鳥寺である。日本最初の本格的な寺院とのことで、鞍作鳥(止利仏師)が造った高さ3メートルほどの飛鳥大仏を本尊として安置している。 DSC04296.JPG 【飛鳥大仏】  飛鳥寺の裏の田の端に、蘇我入鹿の首塚と称する遺跡があった。飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)で中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)や中臣鎌足等によって切り殺された入鹿の首を埋めたといわれる遺跡だが、自分の屋敷のあった甘樫丘(あまかしのおか)を300メートルほど先に見る位置にある。 DSC04298.JPG DSC04300.JPG  飛鳥の地は、千四百年前は都であったが、現在は「明日香村」である。都が奈良北部(平城京)へ京都へ東京へと移る中、飛鳥の里は眠り続け、世の中の発展から取り残され、そのおかげでわれわれは、千四百年前とそれほど変わらないであろう田園風景を目にすることができるのだ。    今回、奈良を旅行するにあたり、筆者は幾冊か関連の図書を読んだが、不思議に思ったひとつは飛鳥時代の「宮」が長くても二十年と少し、短ければ十年と少しで転々と移転していることだった。  「飛鳥時代」は政治史の時代区分ではなく、文化史の区分だとも言われるが、少なくとも推古天皇が592年に豊浦宮(とゆらのみや)で即位し、710年に元明天皇が平城京に都を移すまでの120年間、宮殿はだいたい飛鳥の地にあり、政治の中心地だった。難波豊崎宮(孝徳天皇)や大津宮(天智天皇)など、飛鳥の外に宮殿が移されたこともあったが、多くは現在の「明日香村」の狭いエリア内で移転が繰り替えされた。  当時の宮殿が、国家統治の施設というより、天皇の個人的な住家であったからかもしれないが、その頻繁な引っ越しは現代のわれわれには理解しがたい。    蘇我馬子の墓と伝えられる石舞台古墳に行き、天武・持統天皇陵に立ち寄って、ホテルへ戻った。 DSC04308.JPG 【天武・持統天皇陵。持統天皇は天武の皇后で、亡くなる前に、火葬にして夫の天武天皇と一緒に埋葬されることを希望したという。】 (つづく)
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奈良の旅 [旅行]

▼9月の終りに奈良へ行った。
 30年以上前に年に一度、一緒に旅をする仲間ができ、日本各地を回ってきたのだが、この3年間は「新型コロナ」のために旅行会は休止だった。今年は4年ぶりの再開=再会というわけである。仲間との再会の場所は、今年は飛鳥の里と決まったが、筆者は一日早めに奈良へ行き、ひとりで少し歩いてみることにした。
 筆者はこれまでに、ほとんど奈良を訪れたことがない。母親が和歌山の出身だったから、和歌山のその実家には、子どものころから何度も夏休みに行っていた。奈良に近い、高野山にも行ったことはある。しかし奈良には中学か高校の修学旅行で行ったきりであり、それは60年も前の出来事だから、具体的な記憶は何も無いに等しい。大仏も法隆寺も、実際に観たことはなかった。

▼近鉄奈良駅に昼前に着き、歩き始めてじきに猿沢池が目の前に現れた。どことなく既視感のある風景に見えたが、自分が実際に見た60年前の記憶があるはずがなく、写真やTVの映像で観たものが頭に入っているのに違いない。池の近くのホテルに荷物を置き、来る途中で目についた興福寺に行ってみることにした。
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【猿沢池。祭りがあるらしく、池の周囲に提灯を巡らしてあった。】
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 興福寺の境内には修学旅行で来たらしい小中学生の団体が幾組もおり、記念の集合写真を撮っていたが、寺は十分な広さがあるのでそれが少しも邪魔にならない。しばらく境内の雰囲気を楽しんだ後、国宝館に入った。
 目当ての一つは阿修羅像である。少年の姿をした三面六臂(3つの顔と6本の腕)の像はたいへん有名だから、筆者ももちろん知っていたが、実物を実際に見る機会があるとは思っていなかった。たまたま奈良へ行くことになり、ホテルの近くの興福寺に置かれていると知って、にわかに見たいという意欲が起きたのである。
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【館内は撮影禁止のためネットから得た阿修羅像の写真】
 実物は150㎝ほどの高さで、他の仏教の守護神7体と一緒に、「八部衆立像」の一つとして展示されていた。阿修羅はインド神話では戦闘の神であり、激しい怒りの形相で表現されるというが、興福寺のものは華奢な腕と身体の少年の姿で造られている。奈良時代の像の作者に、現代の芸術家のような「個性的」な表現を求める意識があったはずはなく、どのようにして怒りの阿修羅像が静謐な少年の像に転換されたのか、その謎はきわめて興味深いと思った。
 もう一つ驚いたのは、木彫だとばかり思っていた像が、「脱活乾漆造」という作り方でつくられていると説明があったことである。
 説明によると、木組みの上に粘土で像の形をつくり、その上から麻布を捲いて漆で固める。それを幾度か繰り返し、外形ができたところで背後の一部を切り開いて窓を開け、ここから粘土を外に掻き出す。穴をふさぎ、木くずと漆を混ぜた材料で表面を調整し、彩色や箔をほどこして完成。木組みが像の補強となっている。
 完成した像は重さ15㎏と軽量だから、火事や騒乱のような場合に容易に運び出すことができ、それゆえに現代まで残った、という説明だった。
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【昼食の柿の葉寿司。サケとサバの押し寿司を柿の葉で包んでいる。有名だがそれほど美味いものでもなかった。】

▼午後、法隆寺へ行った。近鉄奈良駅からバスで1時間、斑鳩の里にある。バスを降りたのは筆者一人、寺についてからも観光客はわずかで、誰にも邪魔されずにのんびりした気分を味わうことができた。
 法隆寺は、7世紀初めに聖徳太子が建立した寺である。一度焼けるが、8世紀初めに再建され、世界最古の木造建築物として世界文化遺産にも登録されている。
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【上:南大門から中門へ 下:中門とその内側の五重塔】
 南大門をくぐり、歩いていくと中門がある。回廊で囲まれた空間の中、中門から見て左に五重塔、右に金堂が置かれているのだが、高さのある塔とボリュウム感のある金堂が若干左の方に寄って、視覚上の絶妙なバランスをとって配置されているのだと、事前に読んだ建築の書物には書かれていた。
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【左:五重塔 右:金堂 手前:中門の庇 奥:講堂】
 ついでに建築のウンチクを少し披露すると、5階建てに見える五重塔にも2階建てに見える金堂にも、各階の床が張ってないのだそうだ。つまり建築基準法の上では、五重塔や金堂は、平屋の扱いとなる―――。
 西院伽藍を駆け足で見たあと、東院伽藍の夢殿を見、帰路はJRの電車に乗って帰った。
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【上:東院伽藍への道 下:夢殿】

 ホテルでは町の銭湯と提携して無料の利用券をくれたので、夜、食事かたがた街に出、銭湯で疲れをいやした。この日の歩数は1万9千7百歩だった。

(つづく)

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近ごろ思うこと3 [思うこと]

▼中国政府はこの問題を、日本への政治カードに使えると考えたのだろう。日本の原発処理水の海洋放出に断固反対するという主張と放射能汚染の恐ろしさを、メディアを通じて中国社会に浸透させた。
 8月下旬の海洋放出以降、中国政府は一方的で声高な非難を日本に浴びせかけ、日本の水産物の全面的禁輸措置を発表し、中国民衆の放射能に対する不安や恐怖心は一気に高まった。それは日本人学校への投石や日本への嫌がらせ電話など、黙認し、ガスを抜かなければならないほどの高まりだった。
 しかし他方、中国国外に眼を向けるなら、同調する国は広がらず、日本人の嫌中感情を高め、中国という国の特殊性が国際社会で広く認識される結果となっただけである。(日本国内の原発反対運動にとっても、中国の「非科学的」な反発は大きな迷惑だったことだろう。)

 日本人が中国政府の言動に対して感じる疑問ないし戸惑いは、一つは理屈に合わないことを堂々と断言し、相手を非難するその態度であろう。
 この疑問には、わりあい簡単に答えることができる。日本人は議論や論争を、「自分と相手の主張を見比べて、どちらの言い分に理があるかを考えたり、妥協点を見出すためのもの」と理解している。しかし世界には、議論の目的は「自分の身を守り、相手を打ち負かすこと」だと理解している人びともいるのだ。彼らは相手の主張に関係なく、自分の考えを自信満々に発言し、「事実」を突き付けられてもよほどのことがなければ怯まない。それはロシアの政治家の発言を見ていれば、よくわかる。

▼もう一つのより大きな疑問は、中国政府の行動が全体として矛盾し、分裂気味に見えることである。
 米国との緊張関係がこれまでになく高まっている現在、普通の外交センスの持ち主なら誰でも、味方の数を増やすために、あるいは敵対する国の数を減らすために、懸案を抱えている相手でも問題を棚上げにして味方にしようと動くはずである。しかし中国の現在の行動は、そうではない。
 たとえば最近の例で言うなら、今年9月のASEAN首脳会合の直前に、南シナ海の大部分を中国領海とする地図を公表し、ベトナム、フィリピン、マレーシアから抗議を受けたことを挙げることができる。また、日本の主導するTPPに加盟したいと手を挙げつつ、日本の水産物の輸入禁止という「経済的威圧」をし、なおかつ8月から日本への団体旅行を3年半ぶりに解禁したことも、その例に加えることができるだろう。
 安定した国際関係のためには、お互いが予期できる行動をとり、けっして理解不能な突飛な行動をとらないという安心感が欠かせない。しかし中国の既存の秩序を無視するかのような行動と、それを正しいと強弁する発言は、国際関係の不確実性と不安定感を増加させるばかりである。

▼『中国の行動原理』(益尾千佐子 中公新書 2019年)という本を読んだ。中国の対外行動は、外から見ると表面的には支離滅裂に見えるが、中国人の眼には規則性や論理性があるように見えるらしい。中国人の置かれた環境を理解し、中国社会の動き方のパターンや傾向を分析できれば、中国の対外行動を理解し、予測することも可能になるのではないか。――そういう問題意識の下に書かれた意欲的な本である。
 
 益尾は現代中国の世界観の特徴として、強い被害者意識、力の信奉とともに、「中国共産党の組織慣習の影響」の3点を挙げる。3番目の特徴は分かりにくいが、簡単に言えば、「現状に常に不満で、美しく平和な未来は必ず中国共産党が導く」というものである。外部からの脅威が強調され、それは中国が西側の自由主義経済を最大限活用して経済成長し、大国となった現在も変わらない。そして中国共産党の政治へ国民の不満が高まれば高まるほど、それを抑え込むために、外敵の存在を強調する必要が高まる。
 中国が多くの国と異なるのは、こうした世界観が、中国共産党の統治機構を通して日常的に国家の隅々まで届けられる点である。中国のメディアは中共中央宣伝部の完全な統制下にあり、宣伝部は全メディアの人事権を握っている。

▼上に述べたのは、中国人が国際社会に強い不満足感、不安定感を懐いているという傾向についてだが、実は彼らは国内社会についても強い不安定感を感じている。中国の国内秩序は多くの人に安心感を提供せず、彼らは常にサバイバル競争に駆り立てられている、と益尾は見る。益尾はその原因を、家族構造から説明する。
 中国の家族構造では、父親が家族に対して強い権威を持つ。相続では、男兄弟は平等な扱いを受け、長男が家全体の財産を受け継ぐようなことはない。息子たちは結婚後も両親と同居し、家族は父の強い権威の下に、横に大きく広がる共同体となる。
 日本の家族では長男が家を継承できるため、同じ世代の中にも明確な序列がある。兄弟は親が死んだ後も一族として親しい関係を保ち続けることが多い。権威と責任は父親だけに集中するのではなく、各世代の幾人もの人に段階的に分散する。
 日本では、企業組織のどこかに問題が発生すれば、組織を守るために誰もがどんな役割でもこなす。このようなシステムの中では、権威は多くの人に分散し、組織は一丸となって繁栄をめざすから、他者に対しては排他的なグループを形成しやすい。
 中国では夫婦とその子どもたちからなる複数のグループが、大家族として一緒に暮らす。そこでは夫たちの父親一人に絶対的な権威が集中する。こうした家族制度を暗黙の規範として持つ企業組織では、ボスの絶対的な権威の前で、従業員の間の関係は平等に近い。組織の中の身分は、年齢よりもボスのその人物に対する評価で決まる。
 だから従業員同士がボスに命じられた持ち場を越えて助け合うこともほとんどない。それは相手のテリトリーに干渉することであり、ボスに認められた相手の立場や能力を尊重しないことを意味するからだ。「中国の組織は、部下たちが『この人を怒らせると怖い』と感じるようでなければ機能しない。中国の指導者に笑顔や親しみやすさは不要である。」(益尾千佐子)
 日本の組織では横の連携が容易だが、中国では同じレベルの部署同士は上の指示がない限り連絡を取らず、助け合わない。同列の部署同士は、ボスの歓心を買うための対立や競争の関係にある。
 そして、トップの寿命や時どきの考え方によって、潮目が変わるのを、下にいる人びとは常に熱心に読み取ろうとし、どんなことをしてでも潮流に乗ろうとする。日本人が「風見鶏」と見なすような行為が、中国では常識となる。

▼『中国の行動原理』は、中国共産党という絶対的権威の下で、党組織や政府や軍の各部署が党中央の漠然とした指示を自分流に読み取り、他部署と調整を取らず、自己の利益拡大に走った結果が、分裂気味の行動となって現れることを具体的に述べているが、省略する。独裁体制は、統一的で一糸乱れぬ動きをするように見られがちだが、そうではないということだ。
 日本は中国という難しい隣国と、これからもいやでもかかわりを持っていかなければならない。そのために必要なのは、相手に一目置かせるだけの力を常に持ちつつ、国際社会で積極的に発言していくことであるだろう。

(おわり)

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近ごろ思うこと2 [思うこと]

▼もう一つ、筆者のような放射能問題のシロウトでも「なるほど」と思った解説があった。内閣府の「廃炉・汚染水対策チーム事務局」のプロジェクト・アドバイザーだった三木雄信という人が、ダイヤモンド・オンラインDIAMOND online(9/9)に載せた文章である。(専門的な分野の事象にシロウトが見当をつける上で、「なるほど」と思う専門家に出逢うことほど力になることはない。)
 三木雄信はそこで3点の提案をしている。

 第一に、ALPS処理水を海洋放出する際の基準をシンプルに設定し、処理水を継続的に測定して基準を厳密に守っていることを、国内外にわかりやすく情報提供する必要性である。
 現在も、放出基準をシンプルに設定しているが、これは大変効果的であると三木は評価し、東京電力のサイトを紹介する。そこではALPS処理水を測定した結果、放出基準を満足していることが、二つの簡単な指標で示されている。
 一つはトリチウムの含有量であり、1リットル当り何ベクレルの濃度であったか、生の数値で示し、基準以下であることを確認している。
 もう一つはトリチウム以外の放射性物質である。炭素14からプルトニウム241まで、29の「核種」を測定した生データが一覧表で掲載されているが、それを生データのまま評価するのは、専門家でなければ難しいだろうと三木は言い、「総和」という形に直して規制基準以下であることが示される。(筆者は「総和」に直す手法を理解できなかったが、29の核種をきちんと測定し、判定していることはよく分かった。)
 三木は言う。「……この手法は大変効果的だったと思います。しかし、結果的にこのようなシンプルさが“あだ”となった面も否めません」。―――
 (「結果的にこのようなシンプルさが“あだ”となった面も」あるというのは、「トリチウムの問題ばかりを強調することで、トリチウム以外の有害な放射性同位体から出る放射能から、眼を逸らそうとしている」という悪意の言説に、つけ入る隙を与えたという意味だろう。)
 そして現在の日本の情報提供には、データはネットですべて公開されているが、あちこちに散在し、参照するのに苦労するという弱点があることも指摘する。
 「中国の反撥が継続し、フェイク動画が出回るような事態に対抗するには、情報力の強化が必要です。……無用なデマをなくすためにも、早急に、散在しているデータを分かりやすく(例えばグラフィカルにするなど)、放出工程の流れに沿ってリアルタイムかつ一覧的に見ることができるサイトを構築し、国内外への情報発信を強化すべきです。……」

 三木の提案の第二は、日本政府と東電がIAEAと共同で継続していく予定のモニタリング体制の中に、中国の参加を呼びかけることである。「中国が、IAEA主導のモニタリングプロジェクトへの参加を断ることは、〈中国国民の健康を守る〉という建前上、難しいのではないかと思います。」
 三木の提案の第三は、〈福島第一原発の廃炉〉というプロジェクトの最終ゴールまでのロードマップを、あらためて見直すことである。汚染水が大量に発生するのは、原子炉建屋に地下水が流入するからだが、地下水流入を止める工法の検討も進んでおり、汚染水をつくらないための本質的な解決策に挑戦しなければならない。また溶解した燃料棒デブリを取り出し、回収するという廃炉のための本丸にあたる作業も、開始しなければならない。これらのロードマップを積極的に見直すことこそ、より本質的な問題の解決だと三木は言う。

▼中国政府はどういう計算に基づくものか不明だが、日本の処理水の海洋放出に反発する方針を1年以上前に決め、中国国民に放射能汚染への恐怖心を広めていったようである。
 8月24日に海洋放出が行われると、中国のSNSは連日この件一色に染まり、人びとの最大の関心事となったという。王青(日中福祉プランニング代表)という人のレポートが、ダイヤモンド・オンライン(8/31)に載っていて、中国民衆の大騒ぎを伝えているので、紹介したい。
 日本の処理水海洋放出と日本からの水産物の全面的禁輸措置について知ると、中国人の間に動揺や不安が広がった。スーパーで人びとが塩を奪い合い、ケンカをしている動画がネット上で拡散した。SNSでは日本を批判する動画が出回り、日本を強くなじるコメントが嵐のように巻き起こった。「それらの多くは、冷静さを失い、声高に過激な言葉を放つ、見るに堪えない内容」だという。
 例えばある動画は、若い女性がひたすら泣きわめくというもの。「日本は昔、わが国を侵略した。今は海洋に毒水を流すなんて、許せない。どこまで悪いことをするの?」と叫び、泣く。王青のレポートには、若い女が目に手をやって泣いている画像が載っているが、これには「本当に彼ら(日本)を殺したいです」という字幕が付いている。
 また、別の動画では、小学生の男の子が世界地図を広げて日本の部分をハサミで切り取る。隣にいる親が、よくやった!と拍手を送る。
 さまざまな社会問題に発言し、数百万人のフォロワーを持つインフルエンサーたちの多くも、今回の日本の処理水放出を、環境を破壊する無責任な行為として批判する。そのコメント欄には、「その通りだ!」、「もう日本に旅行しない」、「日本製品のボイコット運動を起こす」といった書き込みが溢れている。
 「反対しているのは中国だけだ」という投稿も、たまにはあるらしいのだが、それに対して「著名な元ジャーナリスト」が、「一番反対しているのは日本人自身だ」と反論したという。首相官邸前で開かれた海洋放出反対の集会や、いわき市で開かれた野党と労働組合主導の抗議集会の動画が中国では大量に流されていて、それらは数百人規模のわりあい小規模の集会なのだが、それを観た中国人は日本人全員が反対していると受け取ってしまうらしい。
 このような異様な盛り上がりを背景に考えるなら、現地の日本人学校に石や卵が投げつけられたり、日本へ嫌がらせの電話が多数かけられたりしたのも、少しも不思議ではないだろう。

▼王青は、中国人が「情報弱者」と「情報強者」に分断されている事実を指摘する。圧倒的多数の一般の人びとの情報取得は、国内のメディアやSNSに限られている。だから今回放出された処理水は汚染物質が除去されていて、トリチウムもごく微量で環境にほとんど影響がないことを知らないし、自国を含む世界の原発が処理水を海洋に放出していることも知らない。
 しかし外国語ができる人や、世界のニュースに触れる機会のある人は情報強者であり、彼らは日本に来て、海の幸を口いっぱいに頬張って堪能している。
 国外にいる中国人のコミュニティでは、最近次のような書き込みが流行っているという。
 「貧乏人は日本をののしり、抗議する。食塩を買いだめし、海産物を食べないようにする。金持ちは移民するために国内の財産処理に没頭する。日本に行き、海鮮料理に舌鼓を打つ。さて、あなたはどっちだ?」

(つづく)

【来週は奈良を旅行するため、ブログを1週間お休みします。】

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近ごろ思うこと1 [思うこと]

▼「新型コロナ」の感染症法上の位置づけが、今年の5月に2類から5類に変更された。そのこともあって人々の関心はこの問題から急速に離れ、外国人観光客のインバウンドの話やバスケ、サッカー、ラグビーなど、日本選手の活躍に向いている。しかし日本の「新型コロナ」の感染者は減っているわけではなく、9月初めには5類移行後はじめて10万人を超え、3週連続で増え続けているという。
 筆者はもともと「新型コロナ」問題に関心がなく、うっとうしいと感じ、できるだけ無視して暮らしてきたから、日本社会の変化は歓迎すべきことなのだが、それでもあまりに簡単に次の話題に移るというのはどうなのか、違和感がないわけではない。
 「新型コロナ」は、「自然免疫」が広がれば自然に終息すると聞いたように思うのだが、年寄りがワクチンを5回も6回も打ち、これだけ感染者数累計が増えても、なかなか収まらないのはどういうわけか? ウイルスが変異するから収まらないのだろうか?
 日本では、ヨーロッパや米国と違い、死者数がケタ違いに少なく、「ファクターX」があるのではないかという議論があったが、どうなったのか?
 日本では「新型コロナ」について「飛沫感染」と「接触感染」で感染するとされ、飲食店では透明なアクリル板を設置したり、テーブルや手指の消毒などに精を出した。しかしその後、「エアロゾル感染」だということが言われ、換気やマスクは大事だが手指の消毒はあまり意味がないという話も、耳にしたことがある。本当のところはどうなのか?―――
 そういった議論や疑問がまるでなかったかのように、いそいそと新しい話題に飛びつくのはいかがなものかと、筆者は鬱陶しさの消えたことを歓迎する半面、いぶかしく思いもする。

▼筆者は、福島第一原発の処理水排出の問題についても、関心を持っていなかった。(病気や健康に関心を向けないことが自分の「健康法」だと考えているわけではなく、不精なだけなのだが、筆者は昔から放射能汚染の問題は政府と専門家に判断を任せ、信用してきたのである。)
 2年前、日本政府はALPS処理水を海洋放出する計画について、IAEA(国際原子力機関)に検証を依頼していた。IAEAのグロッシ事務局長は7月4日、日本政府の依頼を受けて2年間、放出計画の安全性を検証してきたが、ALPS処理水の海洋放出計画は「国際的な安全基準に整合的」であり、これが「人および環境に与える放射線の影響は無視できる(negligible)」との報告書を公表した。また、福島第一原発内にIAEAが事務所を設けて、処理水の放出中と放出後、モニタリングを継続することを併せて発表した。
 これに対し、中国側の反応は次のようなものだった。8月22日に日本政府が処理水の海洋放出を正式に決定すると、中国政府の報道官は、「世界の海と人類の健康へのリスクを無視し、汚染水の海洋放出を無理やり進めるのは、きわめて身勝手で無責任だ」と非難した。そして2日後の8月24日に海洋放出が実行されると、「リスクを全世界に負わせ、人類の子孫に傷を残し、生態環境を破壊し、全世界の海を汚す行為だ」と、大袈裟な表現で非難し、日本産の水産物の輸入を全面的に停止すると発表した。これは日本政府の想定を超える反応だった。
 岸田首相は、「科学的根拠に基づいて専門家同士がしっかりと議論を行っていくよう、中国政府に強く働きかける」と語り、中国側に冷静な対応を求めたという。
 9月12日、中国の報道官はIAEAの批判に踏み込み、その検査結果を正当と認めないと発言している。処理水中の放射性物質が日本の制限値未満だったと説明したことは、「加盟国の十分な議論を経ずに行われており、独立性に欠ける」。「隣国などの利害関係者が実質的に参加する長期的で有効な国際モニタリングの仕組みを、国際社会は求めている」。
 だが、モニタリング結果を分析・評価するIAEAの国際的な枠組みへ、参加を拒否したのは中国自身だったのではなかったか?

▼中国の独りよがりの反撥の問題はあとで取り上げるとして、放射性物質の安全性や安全基準という専門的で難解なことがらの真偽を、シロウトはどのように判断すればよいのだろうか。
 IAEAという国際機関(中国も分担金を負担している)の専門家たちが、2年間かけて福島第一原発の汚染水処理の仕組みを調査し、放出前に検査した処理水中の放射性物質が、各種の許容量の基準を下回っているという結論を出したという事実は、まず尊重するべきだろう。そして、当該処理水について何ひとつ具体的なデータを持たないにもかかわらず、「人類の子孫に傷を残し、生態環境を破壊し、全世界の海を汚す」などと大袈裟に騒ぎまわるだけの発言は、「安全性」に関しては無意味、無内容なものとしてゴミ箱に投げ込んで差し支えない。
 判断が難しいのは、専門的知見に見えるもっともらしい発言だ。たとえば、「日本政府と東電は、トリチウムの問題ばかりを強調することで、ALPS処理水中に含まれるトリチウム以外の有害な放射性同位体から出る放射能から、眼を逸らそうとしている」(環境保護団体「グリンピース」の原子力のシニア・スペシャリスト)などの発言は、事情を詳しく知らなければ真偽を判断できないし、同趣旨のことは中国政府関係者もしきりに言っている。
 さらには「ALPSを通しても放射性物質の約6割は除去されず海に放出される」とか、「ALPS処理ではトリチウムを除去できないだけでなく、そのほかにセシウム137、セシウム135、ストロンチウム90,ヨウ素131、ヨウ素129、など12の核種も除去できない。そのうち11種類は、通常の原発排水に含まれないが、原発事故で核燃料デブリに直接触れた汚染水に含まれるものだ」と、もっともらしく書く解説記事もある。
 ALPS処理でトリチウムが除去できないことは関係者の共通認識だが、その他の放射性物質は除去できるのか、できないのか。専門家には明らかな誤りであっても、堂々と断定されると、シロウトには判断が難しい。
 政府と東電が発表している第一原発の汚染水の海洋放出の計画は、ALPS(多核種除去設備)でまずトリチウム以外の放射性物質を除去し、その濃度を基準値未満にする。その上で(除去できない)トリチウムを国の基準の40分の1未満になるように海水で薄め、海底トンネルを通して沖合1キロメートルへ放出する。完了するまで数十年かかる、というものだ。
 筆者は、処理水の放出開始後、グロッシ事務局長がフランス通信社(AFP)のインタビュー(8/29)で、次のように発言していることに注目したい。「これまで確認したかぎりでは、初期に放出された処理水に有害な放射性核種は一切含まれていなかった。第一段階は想定通りだが、最後の一滴が放出されるまでモニタリングを続ける」。
 つまり、「ALPS処理では放射性物質の約6割は除去されず海に放出される」のではなく、有害な放射性核種は「一切含まれていない」ところまで除去処理されていた点を、彼の発言によって確認するのである。
 シロウトが難解な専門分野の問題を考えなければならないとき、信頼できる「人」に着目し、その発言を軸に問題を判断するのが有効な方法だろう。処理水の海洋放出問題を考えるとき、2年間この問題に関わってきたIAEAの事務局長の発言を信用することは、迷路に足を踏み込まないために、また「思考の経済」の上でも、大事なことだと思う。

(つづく)

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予約サイトから「日本」を思う [思うこと]

▼熊本・阿蘇・由布院・別府の旅行を計画するにあたり、三つのホテル予約サイトを使ってみた。「JTB」と「楽天トラベル」と「じゃらんネット」((株)リクルート)である。「JTB」と「楽天トラベル」は10年近く前に使ったことがあり、「じゃらんネット」は初めてである。
 同じホテル・旅館であっても、サイトにより値段やキャンセルの場合の違約金の条件が少し違うようであり、また同じホテルでも、部屋の違いや特典の抱き合わせ方の違いにより、いろいろなプランが用意されているようだった。だがどのサイトも、利用者に会員登録させ、ポイントを付与するなどして囲い込もうという姿勢は、同じように見えた。だがこれがややもすると予約サイトの利用者に、無駄な苦労を強いる原因となる。
 筆者の場合、「楽天トラベル」は「楽天カード」が手元にあり、カードを日常的に使用しているので、問題なく予約手続きを終わらせることができた。しかし「JTB」の場合、自分の「会員ID」もパスワードもまるで記憶にない。しかしそれを記入しなければ、予約手続きに入れない。
 「会員ID」の記入箇所の下に、「IDを忘れた方はこちらへ」と書かれた箇所があり、そこをクリックすると登録したメルアドにIDが送られてくる仕組みになっていた。これでなんとかIDは再通知された。
 次に「パスワードを忘れた方はこちらへ」をクリックすると、筆者のID、メルアド、姓名、連絡先電話番号を書き込むフォームが現われた。記入して送信ボタンを押すと、パスワードの再設定ができる仕組みらしいのだが、「エラーがあります」の表示が出、点検して修正してもエラー表示は一向に消えなかった。(筆者のPCの機嫌がたまたま悪かったのかもしれない。)
 「会員ID」やパスワードを使わずに予約申し込みをすればいいのでは?と考えついて、「会員登録せずに予約」というボタンを押した。開いた画面に筆者のメルアドを入力して送信すると、「本人確認認証キー」が通知され、その「認証キー」とともに「お客様情報」を入力することで、やっと予約手続きに入れる仕組みらしい。だが筆者の場合、予約手続きに進めなかった。メルアドを送信したら、次のメールが届いたからである。
 「お客様のメールアドレスは既に登録されています。会員情報統合手続きをこちらのページからお願いします。」
 予約の入り口で1時間近く時間を浪費させられた揚げ句、結局「JTB」の予約サイト利用をあきらめざるを得なかった。呆れたというか、日本の企業はダメだなあ、というあきらめとも怒りともつかぬ感情が湧き、苦笑せざるを得なかった。

▼筆者はこれまで何度かヨーロッパを旅行しているが、インターネット時代になってからはBooking.com(ブッキング・ドットコム)というホテルの予約サイトを利用している。ネット時代以前は実際に街を歩き、宿屋を見てから飛び込みで決めていたのだが、予約サイトを利用すればきわめて容易に、たくさんの選択肢の中から自分の求めるホテルを選び出し、予約することが可能になったのである。
 ホテル選びの条件は、一般に値段、ロケーション、ホテルの施設や設備の質、環境、従業員のホスピタリティといったところだろう。Booking.comは、それらを分かりやすく整理された情報として提供することに成功している。
 まず都市名で検索すると、Booking.comに登録しているその都市のホテルのリストが1部屋1泊の最低価格とともに写真付きで表示される。(値段を見れば、ホテルのグレードの見当がつく。)またその都市の地図を開けば、登録されているホテルの位置が最低価格とともに表示されている。値段とロケーションから候補をいくつか選んだら、次にそのホテルのページを開いて写真を見たり、利用した客の評価を読んで比較し、具体的な値段のページを開いて申し込むのである。
 客の評価は、清潔さ、快適さ、ロケーション、スタッフなど7つの項目を点数で評価したもので、評価者の人数とともに表示されている。筆者のこれまでの経験では、この評価の点数は十分信用でき、値段やロケーションとともにホテル選びに役立った。
 要するに、Booking.comの予約サイトは、その仕組みがシンプルで使いやすく、多くのホテルが登録し、多くの利用者、多くの評価者が関わることで、その情報の信用度もおのずから高くなっているということが言えるだろう。

▼一方、日本のホテルや旅館の予約サイトは、上に述べた筆者自身のトラブル体験は論外としても、非効率で使いにくいという印象がぬぐえない。なによりも初めての土地で宿を選ぼうという旅行者にとって、宿の比較が容易でないのである。
 地域のホテルや宿屋がすべて載っている地図があり、その値段まで一望にできるなら、旅行を計画する者にとってきわめて便利なはずである。しかし楽天やじゃらんの場合、ホテルや宿屋が載っている全体の地図はあるが、値段の記載はない。(JTBの場合は、地図上のホテルの位置をクリックすればホテル名と値段が顕われる仕組みになっていて、この点はBooking.comと同じである。)
 もう一つの使いにくさは、各ホテル・旅館には複雑に細分化された数十もの(場合によっては百近い)「プラン」が用意されていて、その中から一つを選ばなければならないことである。「食事付き」か「食事なし」か、部屋が「海に面している」か「面していない」かぐらいのことなら、常識的で合理的と言える。しかし「早割」が付いたり付かなかったり、「美術館入場券」が付いたり付かなかったり、料理のグレードアップがあったり、スキンケア・セットやフェイスマスクやマスコット・キャラクターのプレゼントがあったりなかったり―――、という複雑に細分化された数十ものプラン(それぞれ値段が違う)の中から一つ選ばなければならないというのは、けっこうたいへんな労働なのだ。
 筆者が推測するに、これはホテル・旅館が希望して生まれた「プラン」ではないのではないか。予約サイトは一般に、成約代金の2割程度を宿から受け取ると聞くが、予約サイトどうしの成約獲得バトルの中から、こうした過剰に差別化されたプランが生まれてきたのではないかと思う。だが推測による詮索は、これぐらいにしておこう。

▼日本の労働生産性が低い、と言われて久しい。産業別にみると、特に飲食店やホテル、旅館業などを含むサービス業で低いらしい。空港の仕事はサービス業ではないが、外国と比較が容易なため、筆者は外国旅行から帰ってくるたびに、成田空港で「労働生産性の低さ」に気づかされ、苛立たしい思いをしてきたように思う。
 空港の(入管の?)女子職員が帰国者の列の脇に立って、「パスポートだけをご用意ください」と幾度も声を張り上げているのを見て、驚かされたことがあった。
 帰国者たちはいずれも外国で、入国・出国の手続きを経験して帰ってきたのである。彼らに向かって、「パスポートを用意せよ」と叫ぶ必要がどこにあるのだろう。それとも「搭乗券などは見せる必要がない、パスポートだけでよい」という意味なのだろうか。それなら入管の審査官が搭乗券を見せられた時、それは不要だ、とひとこと言えば済む話だろう。なぜ職員を一人立たせて、叫ばせなければならないのか。
 上の光景は、筆者の中でいまだに不可思議な、意味不明の出来事として残っている。
 日本のホテル予約サイトについて筆者が感じるのも、成田空港の光景にも通じる日本の「生産性の低さ」であるように思う。彼らは、旅行を計画する者へピントのずれた情報提供をしていることに気づかないまま、国内の同業他社とのバトルに精を出している―――。
 日本政府は、外国人旅行者を増やそうとしているが、旅行者が計画を立てようとするとき、日本のホテル予約サイトは(言葉の問題は別として)きわめて使いにくい、という事実を知っておいた方がよい。言葉の障害はChatGPTを活用することで、近い将来容易に乗り越えられると思われるが、「過剰に差別化されたプラン」の問題はもっと根が深く、そこには「日本」の問題のある側面が凝縮されているように見える。

(おわり)

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熊本・阿蘇・由布院・別府の旅3 [旅行]

▼この日は鉄輪(かんなわ)の「ホテル風月」に泊まる予定だった。チェックインしてしばらく休憩し、それから高崎山のサルを見に行った。
 高崎山は、別府から車で15分ほどの距離にある高さ六百メートルほどの山だが、ここに棲むニホンザルが餌付けされ、彼らの生態を間近に見られる「自然動物園」となっている。高崎山の名前は、ここでサルの生態の観察研究をした京大の伊谷純一郎の名前とともに、筆者は以前から聞いていたが、それが具体的にどこであるかは知らなかった。今回の旅行を思いついてから、別府のすぐ近くであることを初めて知り、旅行計画に組み入れたのである。
 タクシーで4時過ぎに到着し、坂道を登っていくと、思い思いに時間を過ごしているサルの姿があちこちに見られた。

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【最初に眼に入ったサル2匹。組み伏せているのではない。ノミを取っているところ?】
DSC04132.JPG【そろそろエサの時間だと広場に向かうサルたち】
 さらに坂道を上ると広場があり、そこにたくさんのサルたちがエサを求めて集まっていた。飼育員がリヤカーで小麦を撒くと、サルの群れは小麦を得ようと一斉に動いた。
DSC04133.JPG【サルの群れ】
DSC04140.JPG【小麦を拾っては喰い拾っては喰い】
 5月から8月がサルの出産シーズンだということで、今は子ザルが多い時期だと、飼育員が説明していた。

DSC04157.JPGDSC04159.JPGDSC04172.JPG【子ザルの世話をする母ザル】
DSC04155.JPG【寝そべるオスザルとその一家】
 ときどきエサの取り合いでサル同士の争いが起こるが、それは皆おばさんザルなのだそうだ。オスは序列があってそれにしたがうから、エサの争いもない。序列は力の強弱よりも、群れに入った順序によってきまる、いわば年功序列だ、という説明だった。
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 サルとは視線を合わせないように、と飼育員が見物客に注意した。視線を合わせると、サルは敵意を感じ取り、攻撃してくることがあるとのことだった。


 翌日の午後、東京で抜けられない会合があるので、こちらをできるだけ早く発たなければならない。別府の街をゆっくり散策したいところだが、それができない。それで高崎山の帰りに別府の有名な銭湯を駆け足で見て回り、ホテルに戻った。
DSC04182.JPG【竹瓦温泉。入浴料300円也】

 夜はホテルでバイキング料理。台湾や韓国からの観光客が、客の半分ぐらいを占めているように見えた。

▼翌朝、バスで大分空港に向かう。10時20分発の便で羽田に12時過ぎに到着。八王子での会合には1時間ほど遅れたが、大事な部分にはなんとか参加できた。
 まずは無事に終わってよかった、と思った。疲れが無いように感じるのは気が張っているからで、少し疲労はあるようだ、しかし久しぶりの旅行を終えた満足感で気分は高揚している、というのが正直な観察、感想だった。

(おわり)

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熊本・阿蘇・由布院・別府の旅2 [旅行]

▼翌日は晴れ。朝食後、8時少し前に通町筋から九州横断バスに乗る。阿蘇駅前に9時20分着。タクシーで米塚、草千里ヶ浜、中岳火口と回る。
 溶岩と火山灰の土地のため樹木は生育せず、見渡すかぎり草原が続き、春に枯草を野焼きしたあと赤牛や馬を放牧していると、運転手が説明してくれた。たしかに杉林の場所もあるが、基本的には丈の低い緑の草におおわれた大地が、阿蘇の独特の景観を造り上げている。
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【米塚。約三千年前の噴火で造られた。高さ80mの山頂には火口の跡があるそうだ。】


DSC04043.JPG 【草千里ヶ浜】 DSC04044.JPGDSC04068.JPG
【草千里ヶ浜。観光客を馬に乗せている。】

 中岳は、一般の観光客が火口をのぞき込むことができる世界でも珍しい活火山だということだが、火山活動が活発なため、今年の3月末まで近づくことが制限されていた。突然の噴火から人びとを守るために、シェルターがいくつも造られていた。
DSC04047.JPG【シェルターの中には10人分のヘルメットが置いてある。】 DSC04053.JPG
【中岳火口】

 阿蘇駅に戻り、駅の食堂でうどんの軽い昼食。空が次第に暗くなり、昨日と同様のスコールが来た。ときどき稲妻が光り、雷鳴がバーンと大きな破裂音を立てる。14時にまた九州横断バスに乗り、16時半に由布院到着。「ゆふいん山水館」に泊まる。
 由布岳を眺めながら入る野天風呂に満足。夕食の豊後牛が美味。

▼翌朝目が覚めると、朝霧が由布岳を隠していたが、やがて良い天気になった。朝食後、由布院駅前のバス乗り場に向かう。大分県出身の磯崎新が設計したという由布院駅の駅舎を少し見物してから、別府行きのバスに乗る。
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【上:由布院駅。下:駅のインフォ―メンションセンター。早朝なので開いていなかったが、由布院映画祭のポスタ―などが見えた。】
 
バスの窓の外に、昨日の阿蘇の景色を思い出させるような草原の野山が広がり、楽しめた。
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 別府駅西口でバスを乗り換え、鉄輪(かんなわ)へ。「海地獄前」で下車し、「地獄」めぐりを開始。
 この地の熱湯や熱泥、蒸気を噴出する活動を、古来「地獄」と称してきたということで、「海地獄」、「鬼石坊主地獄」、「鬼山地獄」、「白池地獄」など、七つの地獄が観光名物となっている。
DSC04106.JPG【海地獄。水が青色。】DSC04108.JPG【鬼石坊主地獄。灰色のあぶくが湧き出ている。】
 「鬼山地獄」では温熱を利用して、大正時代からワニを数十頭飼育している。エサとして1週間に一度、鶏一羽を与えると、ワニはそれを丸呑みしてじっと動かずに消化するのだという。エサを食べるところをぜひ見たかったのだが、残念ながらこの日はエサやりをしないということだった。
DSC04112.JPGDSC04115.JPG【鬼山地獄。ワニの卵は直径15㎝ほどの大きさ。】
 七つの地獄のうち二つは少し離れた場所にあるということで、バスに乗って「血の池地獄」と「龍巻地獄」を見に行った。
DSC04119.JPG【血の池地獄。水が赤色である】

(つづく)

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熊本・阿蘇・由布院・別府の旅 [旅行]

▼7月の下旬、久しぶりで国内旅行をした。本当は、もろもろの仕事が一段落する5月の下旬に行くはずだったのだが、雨模様に加え台風が来るかもしれないと、TVの気象予報士がしきりに言うので、仕方なく2カ月延ばしたのである。
 行先は、熊本、阿蘇、由布院、別府である。はじめに、美味い「馬刺し」を食いたいというという食い物への欲望と、のんびり温泉に浸かりたいという休息への欲求があり、両者を一度に充たす旅行を考えた。まず熊本で馬刺し。それから九州横断バスに乗って別府に行こう。熊本から別府までバスに乗り続けるのも芸がないから、途中で降りて阿蘇山の景色を楽しみ、また途中の由布院で一泊したらよいのでは、と考えた。この行程を3泊4日で回るのは、後期高齢者には少々キツイかなとも思ったが、自分の体力の現在を知るには良い機会だと、考え直した。

▼7月某日、東京は晴れ。調布から空港バスで羽田へ。道路が渋滞で、大丈夫かなと案じているうちに眠りこみ、眼が覚めると羽田の第二ターミナルだった。熊本空港に予定より少し遅れて12時少し前に着き、バスで市内へ向かった。通町筋で下車。熊本は曇りで、直射日光を浴びない分、東京よりも過ごしやすい。「熊本ホテル・キャッスル」に荷物を置いて昼食に行く。「壱之倉庫」という名のビア・レストランで「赤牛丼」を食べる。美味にしてリーズナブルな値段に感激。
DSC04000.JPG〔壱之倉庫〕
 午後、熊本城見学。城の堀に沿って歩いていくと、7年前の地震で壊れて復旧工事の途中という個所もあったが、それらは一部であり、全体に落ち着いた雰囲気が戻っていた。
DSC04013.JPG〔熊本城の未修復部分〕
 緩やかな坂道をのぼると、三層六階の大天守が眼の前にあった。黒々とした外壁におおわれ、全体に「威風堂々」という言葉がぴたりと当たる。黒澤明は映画「乱」を撮るために、寄せ手の軍勢が城を下から見上げる構図の絵コンテを描いているが、それは熊本城をモデルにしたと聞いた。なるほど、と思う。DSC04018.JPG
 城の中は、各階とも普通の展示場となっていた。熊本の城主・加藤家がいつ、どういう理由で細川家に替わったのか、加藤家はどうなったのかは、筆者が長年放置してきた疑問だったが、清正の孫の光正に人望がなく、不行跡も重なり、庄内へ移封されたと説明があった。また、西南戦争の際、谷干城の率いる官軍が2か月間ここに籠城して西郷軍を足止めし、ついに落ちなかったという事件も、熊本城のハイライトとして展示・説明されていた。
 いちばん上の6階まで来て外を見ると、雨がしきりに降っていた。街はスコールに霞んで薄暗く、車は皆ライトをつけ、ときどき雷が光った。小降りになるのを待って、ホテルへ帰った。
DSC04002.JPGDSC04009.JPG〔上:谷干城像 下:加藤清正像〕
 夜は、「馬刺し」を食べに街に出た。どのガイドブックを見ても、馬肉料理の店として特定の3店が紹介されているので、「馬肉」は熊本でも特別の店でしか食べられないらしい、と思っていた。しかしこちらに来てみると、飲み屋の2軒に1軒は、「馬肉出します」の張り紙を出していた。
 予定していた有名店にいちおう行ってみたが、臨時休業の張り紙があり、そこへ行く途中に見かけたこれも有名店の「菅乃屋」に入る。地ビールを呑み、馬刺しと馬肉の握りずしを食べる。馬刺しは、どの部位もさすがに美味。ニギリはシャリが冷たく、感心しなかった。
DSC04034.JPGDSC04035.JPG

(つづく)

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ひろゆき論4 [思うこと]

▼さて本論は「ひろゆき論」である。沖縄の問題もウクライナ戦争の問題も、それ自身大きなテーマであるが、ここで論じなければならないのは「ひろゆき」と「ひろゆき現象」についてである。ひろゆきの本がなぜ売れ、彼の「沖縄基地前の座り込み」のツイートになぜ28万以上の「いいね」が付いたのか、なぜ「その人気はとくに若い世代に顕著」で、「若い世代のオピニオンリーダー」的存在となっているのか、という問題を考えてみたい。
 筆者はひろゆきの「著書」について、その一部をざっと覗いただけだが、奇をてらうようなこともなく、案外まともなことを言っているという印象だった。しかし全体に中身が薄く、特別に目を見張るような主張があるわけでもなく、編集者の工夫を除けば、どれも同じような感じを与える。それでも若者たちが著作を次々に買い求めているとすれば、それはアイドル本やスポーツ選手の本と同様、彼らにとって憧れの人の著作ゆえの有難みがあるのだろう。
 それでは、若者たちはひろゆきの何に憧れ、何に魅力を感じるのだろうか。おそらく若者たちにとって、組織に属さず、プログラミングの知識を習得することによりビジネスで成功し、社会の仕組みや既成の権威のおかしな点を、誰に憚ることもなく指摘し「論破」する軽快なフットワークが、カッコいいと感じられるのだろう。
 たとえば「沖縄基地前の座り込み」の問題だが、「事件」後、座り込み団体の代表者は次のように語った。「沖縄に犠牲を押しつけながら、何の自省もない、倫理観の底が抜けた日本の現状を表わしている。こうしたソフトな形の侮辱が、直接的な暴力を先導することを懸念する。」(「沖縄タイムス」)
 しかし「いいね」を送った若者たちにとって、「座り込み」の意味や理由以前に、「座り込み」という行動スタイル自体が受け入れがたい、カッコ悪いものなのではなかろうか。ひろゆきの「事件」後の感想は、「事実を伝えると怒る人たちが、こんなに沢山いるんだ」という人を喰ったものだったが、若者たちは、喧嘩上手なスマートな振る舞いと受け止めたのではないか。ひろゆきのツイートは、彼自身にどれだけの計算があったかは分からないが、若者たちに安全かつ効果的に、「座り込み」に対する自分の気持を表現する機会を与えた、ということなのだろうと思う。

▼問題をより広い場所で考えるなら、かっては支配的だった「戦後民主主義」という時代の空気が、現在は「戦後民主主義」に反発する時代の空気にとって代られたということなのかもしれない。
 戦後の日本社会では、国家権力側に与する行動は、カッコ悪いものとされていた。政治問題や社会問題に関する「保守」と「革新」の主張の、どちらの側がより合理的で優れたものであったかはともかく、政府の方針に拍手を送るのはカッコ悪いという気分は、時代の空気としてとくに若者たちの間に存在した。
 しかし現在、若者たちにとっては逆に、「反権力」のポーズこそ古臭くてカッコ悪いものと見られているのかもしれない。皆が「団結」し、「連帯」し、闘いの勝利に向けて行動するなど、美学的に反発の対象でしかないのではないか。
 「戦後民主主義に反発する時代の空気」と筆者が呼ぶのはそれであり、「正当な手続きを経て基地の移転を進める政府は正しく、一部の人たちが『座り込み』でそれを阻止しようとする運動こそ間違っている」という論理が、それを支えている。若者たちを包む空気が、「昭和時代」とはガラリと変わっていることに、われわれは気づかなければならない。
 いつの時代にも、若者は自己主張したいと思うものである。そういう若者たちにとって、ドメスティックな「おじさん」的価値観の支配する日本の社会に未来はないと言い切り、「戦後民主主義」的な権威をやりこめるひろゆきは、自分を代弁してくれるカッコいいヒーローなのだろう。

▼ひろゆきの著書や出演したネット番組を見て、筆者自身は彼に興味を持たなかったが、いくつか面白い発言や観察がないわけではないので、それを紹介してこの稿を閉じようと思う。

 彼は匿名掲示板「2ちゃんねる」の管理人だった時、次のような「名言」を吐いたという。
 「嘘は嘘であると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」。
 そして、次のようにも発言している。
 《スマートフォンの普及により、今はほとんどの人がネットを日常的に使う世の中になりました。その分、「嘘を見抜けないのにネットを使っている人」も増えてきています。そういう人が誤った情報を拡散させているのです。
 街を歩いている時に、見知らぬ誰かが寄ってきて、「実はね……」と耳打ちされたなら、たいていの人は不審に思うでしょう。それなのに、最初から騙す目的で、顔も知らない誰かがつくりあげたことを、簡単に人は信じてしまうのです。》
 こう言われても嘘を嘘と見抜けない人は多いだろうが、この説明は広く知られるべきだと思う。話の裏が取れるまで保留しなければならないというケースが格段に増えるだろうが、それはネット社会に生きる者の宿命だと覚悟するしかない。

 また彼は「論理」について、次のようなことを語っている。
 「非論理的に見える人はいても、非論理的な人はなかなかいない。感情的で身勝手な人も、その人なりの論理がある」。だから、「自分勝手な人が何に優先順位を置いているのか、仲良くなって聞くと、振り回されずに済む」。「どんな厄介者でもコミュニケーションをとることを怖がらないのが大事」である、と。
 この観察や助言は、筆者は若者への優れたアドバイスだと思った。
 「論破」については、次のように言う。
 《論破した!と周りが盛り上がることがあります。でも実をいうと、僕自身は「論破」という言葉をほとんど使いません。……そんな僕の役割は「論破」よりも「投げかけること」だと思っています。……データに基づいた事実や予測を伝え、それを受け取った人が自分で考えたり、疑問を持ったりして、そこからいろいろな討論に発展していけばいいと思っています。》
 《最近の流行語を用いて言うと、相手を「論破」するというのは気持ちのいいことかもしれませんが、実際は自分にとって圧倒的に不利なことです。言いくるめられて嬉しい人なんてこの世にいないわけで、恨みを買ったり、復讐されたりする恐れがありますから。》

 これらの観察や発言もなかなか面白いが、前回と前々回に紹介したABEMA Primeの番組を観るかぎり、彼は、子供のころから好きだったという「言葉尻を捕らえる」ことや「人の弱点を見つけて突く」ことに精を出し、「気持のよさ」に浸っているように見える。
 それとも、声のかかったお座敷での発言は「受けてナンボ」であり、自分本来の考えとは別のものだ、と考えているのだろうか。

(おわり)

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