SSブログ

安倍晋三の死6 [政治]

▼前回、安倍晋三の外交は成果を上げたと書いたが、もちろん成果が上がらなかったものもある。拉致問題をめぐる北朝鮮との交渉や、北方領土をめぐるロシアとの交渉である。
 外交交渉は水面下で行われる部分が大きく、とくに北朝鮮を相手にする場合はそうであろうから、国民には多くの場合、なにも動いていないように見えるものだ。だが北朝鮮との間では現在時点の判断として、建設的な合意に向けてなにも進んでいない、と見るしかないだろう。
 ロシアとの外交交渉は、もう少し国民の眼に見える場所で行われてきた。歯舞、色丹、国後、択捉の4島をロシアは日本に返還し、平和条約を締結するという1956年以来の課題だが、安倍はこの課題に、それまで以上にロシアの経済利益に訴えかけるアプローチをとった。
 2019年9月、ロシアの主宰する「東方経済フォーラム」で安倍首相はプーチンを前に挨拶し、「ウラジーミル、君と僕は同じ未来を見ている。行きましょう、プーチン大統領。ロシアの若人のために。そして日本の、未来を担う人びとのために」と呼びかけた。「同じ未来」とは、もちろんウクライナのことではない。極東ロシアの未来のことであり、日本とロシアが人の交流を進め、共同経済活動を進めていくなら、未来は明るい。自分はプーチン大統領と27回も会い、幾度も食事を共にしてきた。平和条約を結び、両国国民が持つ無限の可能性を解き放とう。歴史を一緒につくろう、と安倍は呼びかけたわけである。
 しかしプーチンは、安倍の呼びかけに応じることはなかった。安倍が平和条約交渉のハードルを下げてみせたのに対し、ロシアは領土問題では一歩も引かない態度を強く押し出し、交渉の条件はスタート地点よりもさらに後退した。90年代のロシアの混乱期に、一挙に交渉を進められなかった日本外交の敗北であり、安倍の対ロシア外交の失敗だった。

▼政治家・安倍晋三を論じるなら、政治・外交面だけでなく、「アベノミクス」についてどう評価するかを明確にしなければならない。しかし日銀の超低金利政策が継続中であり、これをどうするかという超難問を抱えているせいか、「アベノミクス」を過去形で語ることもできず、歯切れのよい議論は見られないようだ。
 「アベノミクス」は、「金融緩和」「財政出動」「成長戦略」という3本の矢から構成される、という説明が一般になされてきた。そして「異次元の金融緩和」は円安を生むことで、初めの1年数カ月の間は日本経済に刺激を与えたが、第3の矢である「成長戦略」につながることなく、近年は日本の賃金の安さや低生産性、日本経済の停滞が議論の中心になっている。
 「アベノミクス」を支持してきた「リフレ派」の学者たちは、「アベノミクス」が十分な成果をあげられなかった理由に、消費税の引き上げを挙げる。2014年の5%から8%への引き上げ、そして2019年の8%から10%への引き上げが消費を冷え込ませ、これから改善しようとする日本経済を停滞させる大きな原因となったというのである。
 筆者はその説明に、納得しなかった。日本の企業の内部留保は右肩上がりで増え続け、2021年度末にはついに516兆円を記録した。職員の給料を上げることもせず、事業へ投資することもせず、株主に配当として支払うこともない金を、企業はただ溜め込んでいる。1997年の金融危機が企業行動に決定的な影響を与えたと言われるが、ひたすら守りを固めるだけの企業経営が、日本経済の長期停滞を招いている元凶であることは明らかではないか、というのが筆者の直感だった。消費税の税率引き上げも影響したであろうが、何よりも大きいのは現金を握っていれば安心だという企業経営者のリスク忌避傾向であり、デフレマインドの蔓延なのだ。

▼安倍元首相のスピーチライターだった谷口智彦という人(現在、慶応義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授)が、元首相の死去のすぐあとに「アベノミクス」を振り返る文章を書いているので、それによって政権の内側ではそれをどう考えていたのか、見てみたい。(『日経ビジネス』7/12 「アベノミクスの光芒と無念」) 谷口が語るところを要約すると、次のようになる。
 「アベノミクス」の第3の矢は「民間投資を喚起する成長戦略」だったが、肝心かなめの民間投資が出てこなかった。法人税を米国並みに下げたり、機関投資家の圧力がかかりやすいように新しい基準を導入したりと、いろいろやってみたが、「押しても引いても日本企業は変わらなかった」。「経営者たちに遍在する日本の将来それ自体に対する根深い不信」が、問題の核心だと気付いた首相官邸の政策チームは、「アベノミクス2.0」ともいうべき「第2版」を2016年に打ち出した。
 それは「第1版」が短期的刺激策だったのに比べ、超長期の政策提案だった。希望出生率を1.8に高めることを目標に、教育コストや託児費用の軽減、老親介護経費の低廉化など、「現役世代に未来への期待を抱かせ、少しでも子供をつくりたくなるよう誘導しようとする政策」だった。労働に疲弊しては未来を想うゆとりもできないから、「ワーク・ライフ・バランス」を重んじる政策を考え、正規雇用、非正規雇用の賃金格差や男女の賃金格差を埋めるべく、同一労働同一賃金の徹底を図る政策も進めた。また女性の活躍にも、期待を託した。しかし日本の岩盤既得権益層のために、政策の実現は阻まれた。
 「日本には2種類の岩盤既得権益層がある。一つは莫大な医療費を費消する高齢者層。もう一つは絶対にクビを切れない正規雇用者。つまり、すぐ明日の私たちと、今日の私たち」だと谷口は言う。「消費税を上げた安倍氏は、増収分を若者に振り向けることで、『明日の自分』への闘いに挑みつつあった。民主制下で最も困難であるに違いない闘いに」。―――

 安倍政権の中枢は、日本企業に蔓延したデフレマインドの問題をよく理解し、彼らなりの精一杯の対応をしたことは、谷口智彦の文章からよくわかった。しかし日本の経済社会システムが今後も続くという信頼感がなければ、企業や家計は安心してお金を使おうとはしない。企業は収入を、将来への投資や労働者への分配に回さず溜め込み、賃金が伸びなければ消費も増えない。それが日本経済の現状なのだ。「アベノミクス」はそういう日本経済を、ついに改革するに至らなかった。

▼TVの安倍晋三を回顧する番組で、五百旗頭真が、「安倍首相はどの外国要人と会っても“位負け”しない」と語っていた。“位負け”しない自信は、岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三と続く三代の家系が自然につくりだすものだ、というような説明だったが、直接安倍晋三に接したことのない筆者に、その当否はわからない。
 筆者はこの連載(「安倍晋三の死」)の第1回で、「安倍晋三という人間に、筆者は少し引っかかるものを感じ、それはその『政治』にも影を落としていたと思う」と書いた。さらに、「安倍晋三は身内や親しいものに優しく、厚遇する。しかしその反面、自分への批判には神経質に反応し、批判者を潰そうとする。『なるほど、そういう見方もあるか』と余裕をもって批判を受け止め、自分の考えを批判によってさらに磨くという態度は見られない」とも書いた。ここから導かれるのは、安倍晋三の性格は人間的に弱いのではないか、という判断である。
 モリ・カケ・サクラ問題は、安倍のこの「弱さ」が生み出した問題だと、筆者は考える。行政に不適切な行為があれば行政の長として、自分や自分の妻に適切でない点があれば一人の市民として、それを率直に認めて謝れば済む話である。それができず、不自然な弁明を続けた末、議員の数を頼んで押し通すのは、人間的弱さの表れと考えるほかない。
 筆者は、安倍政権が成し遂げた外交・安全保障面の成果を評価するが、モリ・カケ・サクラ問題に象徴される低次元の嘘や誤魔化し、行政機関に与えた巨大な負の影響についても、きちんと評価しなければならないと考えている。

(おわり)

nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。