SSブログ

安倍晋三の死5 [政治]

▼さて、前回、安倍晋三の政治について論じようと思いつつ、議論は「国葬」問題の方に流れてしまい、中途半端に終わった。あらためて安倍政治について、とくにそれが長期政権となった理由について、考えるところを述べてみたい。
 筆者は、安倍政権が長期間継続したのには、少なくとも三つの理由があったと考える。
 第一に、官邸に集めた優秀なスタッフが、安倍の信頼にこたえて懸命に働き、内閣を支え続けたことが挙げられる。もちろんどの内閣でも官邸に集められた官僚たちは、一生懸命働いたであろうが、安倍政権の場合、とくに彼らの力を引き出し、活用したように見える。
 総理・総裁に権力が集中する政治の仕組み自体は、90年代からはじまる「政治改革」の成果として、第二次安倍内閣の以前から存在した。しかし5年半の小泉政権を引き継いだ第一次安倍内閣以降、一年交代の短命政権が六代(安倍、福田、麻生、鳩山、菅、野田)も続き、そのあとの第二次安倍内閣が7年半の長期政権になったことは、制度論で説明することは不可能である。
 民主党政権の3年数カ月があまりにも酷く、その落胆が安倍政権への支持となったという側面はあっただろう。安倍首相は答弁の際、「悪夢のような民主党政権時代」と揶揄したことがあったが、民主党政権時代の混乱、内紛、官僚の離反、政策の右往左往はたしかに酷かった。
 だが、野党についてのマイナスの記憶だけで、安倍政権が長期間続くはずがない。安倍政権が「女性活躍」、「働き方改革」、「一億総活躍社会」といったスローガンを掲げ、時代の課題に意欲的に応えようとしたことは、認めなければならないだろう。その政策の評価はさまざまであろうが、野党のお株を奪うような側面を持っていたことは否定できない。

▼第二に挙げるべきは、安倍晋三が強い(イデオロギー的)主張を持ちながら、それを生の形で打ち出すのではなく、あるときは戦術的に後退し、あるときは妥協しつつ、実益をとることを選んだことである。それは、短命に終わった第一次安倍内閣の時の経験から、安倍が学んだことかもしれないが、米国をはじめとする国際社会との関係を改善し、信頼を築く上で有効に働いた。
 第二次安倍内閣がスタートしたとき、安倍首相は、国内では金融緩和政策が奏効して国民の期待を集めたものの、国際的には「歴史修正主義者」として懐疑の眼で見られていた。2013年の暮、靖国神社を公式参拝すると、中国、韓国は反発し、米国は、「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動をとったことに失望している」と、異例の表明を行った。
 しかし2015年4月、安倍首相が米国議会の上下両院合同会議で行った演説は、幾度もスタンディング・オベイションに中断される大きな成功を収めるものとなった。その内容は外務省のサイトで全文を読めるが、なかなかユーモアに溢れ、巧みに米国人の心をつかむ優れたスピーチだったと思う。
 その中心に置かれているのは、「戦後日本は先の大戦に対する痛切な反省を胸に」歩んだこと、日本は今後も「国際協調主義にもとづく積極的平和主義」の道を歩むこと、日本と米国は「民主主義」によって結ばれた関係であり、「太平洋からインド洋にかけての広い海を、自由で法の支配が貫徹する平和の海にしなければならない」といった主張である。それは安倍晋三に向けられているさまざまな疑念や懸念を払拭するのに十分な、正攻法の力強いメッセージだった。
 韓国の朴槿恵政権は、安倍首相が米国議会の上下両院合同会議で演説することを阻止しようと、盛んに米国政府に働きかけ、韓国系の市民団体は、「演説反対」の新聞広告を出したり、米議員数十人に直訴したりと、精力的に運動を展開した。しかし演説後、韓国国内でも、「歴史認識問題を重視する韓国外交」は、方向転換を模索するべきだという声が増えた。

▼同じ年の8月、安倍首相は戦後70年の「談話」を発表した。筆者はこれを当ブログで論じたことがあるので(2015年8月21日~9月18日)、ここでは詳しくは触れないが、安倍は過去の戦争について、「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」を表明した。それは、米国政治の中枢にあった「安倍首相は東京裁判に異を立てる立場ではないか」という懸念を払拭するものであり、米国政府は直ちに「談話」を歓迎する旨、発表した。
 安倍のサポーターである日本の保守派は、東京裁判を否定する「民族派」と米国主導の秩序を肯定する「親米派」が混在するが、彼らも概して「談話」を肯定的に評価した。

▼最近、次のような新聞記事を読んだ。(2022年8月17日「毎日新聞」)。「靖国神社に祭られているA級戦犯を分祀したい」と安倍が言っているという話を耳にした野口武則という記者は、確認に走った。
 安倍と親交の深い元外交官に当たると、冗舌だった語り口が急に慎重になり、「僕は言えない。でもあなたがそう書くなら止めません」と言ったという。《口の堅い警察官や役人の取材で、このやりとりは「イエス」の意味だ。》
 また、安倍政権で複数の有識者会議に関わった学者は、匿名を条件としたものの、「実は分祀したいと思っている、と安倍さんから何度も直接聞いた」と、あっさり認めた。ただ、安倍首相は、「靖国が抵抗するので、自分からは言い出せない」とも話したという。
 野口記者は、「表では強硬な主張で保守ポピュリストのように振る舞う一方、実際は実現可能な政治を戦略的に探るリアリストだった。こうした懐の深さが、最長政権を維持できた一因と言える」と書いているが、筆者も同様の意見である。

▼第三に挙げるべきは、「時代」である。世界的に「民主主義」が揺らいでいる時代に、安倍晋三が思い描くグランドデザインは、野党よりも適合的だったことである。
 安倍首相は、「強い(イデオロギー的)主張を持ちながら、それを生の形で打ち出すのではなく、あるときは戦術的に後退し、あるときは妥協しつつ、実益をと」ったと筆者は書いたが、戦略的に重要なことがらについては、慣例を破り反対を押し切っても強引に実現した。「集団的自衛権の行使容認」を可能にする法整備を行い、自衛隊と米軍の協力関係をいっそう強化し堅固にするように図ったが、それは法論理上はもちろん問題があるが、「時代」の要請に応えるものだと言えた。
 安倍首相は外交面では、米国が本来行うべき世界の秩序構築について、積極的に提案し行動した。米国が国内事情からTPPに関われないときに、それを積極的にまとめ上げたのは安倍晋三の功績であるし、「自由で開かれたインド・太平洋地域」というヴィジョンを掲げたことは、米国の対中国政策の大転換を思想的に支援する役割を果した。

(つづく)

nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。