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安倍晋三の死3 [政治]

▼安倍晋三襲撃事件から2カ月が経った。事件の後の日本社会の動きは、筆者の予想どおりのものもあったが、予想しなかったものもあった。その一部については「安倍晋三の死2」に書いたが、マスメディアが「統一教会」問題を連日いっせいに取り上げ、自民党の政治家たちが沈黙して批判されるままというその後の対応も、筆者の予想しなかったものの一つだった。
 事件直後、マスメディア各社は狙撃犯の恨みの対象が「統一教会」であると知りながら、口をそろえて「特定宗教法人」と呼び、「統一教会」の名を隠した。奇怪な光景だった。
 その後、堰を切ったように、「統一教会」と政治家たちの関係を取り上げる記事や番組が、新聞やTVに現われた。「統一教会」が与野党を問わず多くの議員と接触を持ち、中でも自民党の政治家たちの選挙では、信者が事務所に来て電話を掛けたりウグイス嬢として選挙カーに乗り込んだりと、献身的に活動していることなど、関係の実態が話題になった。また政治家の側は、「統一教会」(の「友好団体」)の催しで挨拶をしたり、活動への賛意を表したりしており、「統一教会」の活動を批判する弁護士たちは、教団の活動にお墨付きを与えるものだと批判していた。
 そこまでは予想の範囲内である。筆者の予想をはるかに超えていたのは、新聞、TVが問題を連日採り上げる報道量の膨大さと、無理スジの「批判」にも自民党の政治家たちが黙り込んで何の反論もしないことだった。
 たとえば『世界日報』からインタビュ-を受け、それが紙面に記事として載ったというようなことが、批判の対象とされた。「それの何が悪い」と反論の声があってもおかしくないと思われるが、反論する者はいない。
 筆者は昔、『世界日報』が街の食堂に置いてあるのを見かけて、中をパラパラ見たことがあるが、その紙面は普通の日刊紙と変わるものではなかった。筆者の知人の新聞記者は、「通信社の記事を使えば、自前で取材記者を持たなくても日刊紙を発行できるということだな」と言った。
 『世界日報』を関連団体に発行させる「統一教会」の意図がどこにあるのか、筆者は知らないが、『赤旗』であろうと『聖教新聞』であろうと、はたまた『世界日報』であろうと、新聞記者が質問し、政治家が答えるのは当たり前のことではないか。
 自民党の某都議が、『世界日報』を購読していたという記事まで、新聞に載った。某都議は取材に対し、「旧統一教会の友好団体が発行するものだとの認識はありませんでした。(今後は)購読を取りやめる考えであります」と回答したという。(「朝日新聞」9/1)。
 行き過ぎた「批判」の袋叩きと黙り込む自民党の政治家―――これはこれで異常な状況というべきだろう。

▼なぜ自民党の政治家たちは押し黙り、マスメディアの袋叩きにきちんと反論しないのか。
 考えられることはひとつである。それはおそらく「統一教会」の教えが、自民党にとって致命的に都合の悪いものだからなのだ。
 教祖・文鮮明は、日本は罪ある国であり、償いのために韓国に貢ぐのは当然だというように説いたと、「統一教会」をよく知る弁護士やジャーナリストは言う。だから数百億円の金が日本の教団支部?から韓国の教団本部?に送られ、日本の若い女性信者たちが韓国の農村の嫁の来ない若者たちと「集団結婚」させられたのも、当然だとされる。
 そういう教団と、なにかというと、「反日だ」「侮日だ」と騒ぎ立てる自民党右派が、親しい関係をつくっていた事実が明るみに出たのでは、押し黙るほかないだろう。まともな反論など、できるはずがない。
 「統一教会」と闘う人びとにとって問題は、人びとの精神を不安定化して洗脳し、信者にし、高額の壺や印鑑を売りつけたり(霊感商法)、高額の「献金」をさせる団体の、違法性や反社会性である。しかし自民党の政治家にとって「統一教会」問題は、その「教え」の内容が弁解不可能なものだという点にあり、だからこそマスメディアの袋叩きにも黙って嵐の通り過ぎるのを待つしかない状態なのだ。

▼筆者にとってもう一つ予想外だったことは、自民党とその政治家たちがダメージを受けたと同様に、というか、それ以上に「統一教会」が大きなダメージを受けたことだった。
 筆者は、《「信仰の自由」という近代社会の大切な約束事を悪用して膨大な金を集め、選挙資金や選挙活動員を提供することで深く政権党に食い込んでいる「統一教会」にとって、所詮は一時の小さな波紋に過ぎないのではないか。そう考えると、狙撃犯に筆者が感じた「哀れ」さは、さらに強まる》と書いた。
 しかし狙撃犯が密かに狙い期待した「統一教会」への打撃は、「一時の小さな波紋」などではとても終わらず、自民党へ食い込んできた長年の努力を一瞬にして吹き飛ばしてしまう、メガトン級の大爆発となった。それは狙撃犯にとっては、期待しうる最高の収穫だったに違いない。

▼事件後、安倍晋三を回顧したり、安倍の国葬問題を論じる番組がいくつも組まれた。BSフジの夜の番組「プライムニュース」では、安倍元首相が過去に番組に出演して語った言葉を特集していた。
 安倍がはじめて番組に出演したのは、2009年4月、麻生内閣の末期だった。アナウンサーから、第一次安倍内閣が安倍の突然の辞任によって幕を閉じたことについて話を向けられ、次のように語った。
 「私は総理になるとき、これをやりたいということを決めてなりました。それは一言で言えば戦後レジームからの脱却ということですが、二十一世紀にふさわしい日本の国づくりを進めていく上で、過去のしがらみを断ち切り、原点に返って新しい国づくりをしていく。
 いろいろな仕組みは占領時代に出来上がったもので、憲法も、教育基本法もそうですが、それに呪縛されている面がある。マインドコントロールの中にあったと私は思うんです。安全保障の問題もそう、憲法の問題もそう―――、だから私は教育基本法を60年ぶりに改正し、防衛庁を省に昇格させ、憲法改正をするための国民投票法案を成立させました。
 憲法を変えることが、日本の新しい時代を切り拓いていく精神につながると考えています。……」
 安っぽい「戦後レジーム脱却論」を安倍が語るのを見て、ある意味で新鮮だった。安倍がそういう主義主張の持ち主であることは聞いていたが、実際にそう語る映像を観るのははじめてだった。
 安倍晋三の著書『美しい国へ』(2006年)という新書本を筆者は以前読んだはずだから、上に語られたような内容が含まれていたのだろうが、なんの記憶もない。記憶にあるのは、書物自体、およそ中身の空っぽな本という印象だけである。
 安倍晋三の掲げる「戦後レジームからの脱却」だが、およそ保守党の政治家の政治信条とは言えない。それは右翼系の活動家たちが連呼するスローガンにこそふさわしいものであり、左翼系も含め、ひとつの理念の下に運動を推し進めようとする活動家たちの政治スタイルである。
 安倍は第一次内閣では、この政治スローガンを掲げて意気軒高だったように見えた。しかし第二次内閣では、こうした政治信条を表看板として掲げず、世界に受け入れられるように発言や行動に気を配り、米国の政府と議会の支持を得た。一方、安倍の支持層は、世界に妥協した発言や行動に多少の不満はいだいても、安倍の置かれた位置の困難さを理解し、政権への支持をやめなかった。
 要するに第二次安倍政権において政治家・安倍晋三は、「過激」な政治信条を持ちつつもそれを現実政治にナマのまま持ち出すようなことはせず、現実の状況に応じて課題に柔軟に対応した。これが第二次安倍内閣が超長期政権になった秘密の一つだと、筆者は考えている。

(つづく)

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