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ロシアのウクライナ侵略7 [思うこと]

▼ロシア軍のウクライナ侵攻が始まってから、一昨日でちょうど6ヶ月となった。しかし戦争の終る気配はつゆほども見えず、停戦のために動く世界の政治指導者もいない。まだまだ「停戦」を持ち出す状況にはないのだ。
 4月の初めに米国下院の公聴会で、米軍の制服組トップのミリー統合参謀本部議長が、ウクライナの戦争は「少なくとも数年単位になる」と発言し、長期化する見通しを語っていた。筆者はその発言は知っていたが、一方では「いくらなんでも」という気持も強く、言葉通りに信じる気にはならなかった。しかし実際に半年が経ち、停戦交渉が行われる気配すら見えないことを考えると、「少なくとも数年単位」という言葉はプロの見通しとして、真剣に受け止めなければならないのかもしれない。

 2月24日、北、東、南の三方向からウクライナに攻め込んだロシア軍は、はじめは短期間に首都キーウと主要都市を占領し、傀儡政権を立てるつもりでいた。しかしウクライナ人の抵抗が予想以上に頑強であったために、ロシア軍は計画を変更し、キーウ周辺の兵を東部に回し、東部地域に戦力を集中した。
 東部地域でロシア軍は、武器の量や射程の長さで優位に立った。遠距離からミサイルでウクライナ軍を叩き、そのあと戦車部隊が進出するという戦法で徐々に占領地を拡大し、ロシアに近い東部から黒海沿岸の南部にかけて、かなりのウクライナ領土を占領した。
 しかし米国およびヨーロッパから武器の援助が拡大されると、ウクライナ軍が反撃に転じる場面も増え、とくに南部の州で奪還する地域も出てきているらしい。
 8月に入り、ロシアが2014年に併合したクリミヤ半島でも、空軍基地の戦闘機や弾薬庫が爆破される「事件」が相次いで起きた。「事件」というのは、ロシア側はウクライナの攻撃だと認めず、ウクライナ側も自分たちの戦果だとは言わない、という奇妙な状況にあるからだ。おそらくウクライナ戦争の今後と終わり方を含む大きな戦略的問題として、双方が相手の出方を見つつ慎重に検討しているからなのだろう。戦争は依然拡大局面にあると言える。

▼さて、ひるがえって日本の問題である。日本は戦後の国際秩序のなかで、みずからは「軽武装」のまま平和と経済的繁栄を享受してきた。その国際秩序が軍事力によって理不尽にも踏みにじられ、国際社会はそれを止めることができないという現実をみて、日本人の安全保障に関する意識は大きな衝撃を受けた。「衝撃」の内容については、3月にこのブログに書いた文章(3月25日「ロシアのウクライナ侵略」3)が筆者の言いたいことをほぼ言い尽くしているので、これを以下に再掲する。

 《ウクライナの戦争に関するニュースに接する日本人は、ロシア軍が問答無用の軍事力で人びとを殺傷し街を破壊する映像に憤り、ウクライナに同情や支援を惜しまない。また、ウクライナ市民が避難する劇場、学校、病院、教会などを爆撃しながら、あれはウクライナ側の仕業だとシラを切り、あるいはそこに武器が隠されていたからだと強弁するロシア政府を見て、ロシアへの反感を強め、勇敢に戦いつづけるウクライナ人に感心する。しかし同時に、ある戸惑いも感じているのではないだろうか。
 ウクライナ人が祖国を守るために侵略者と戦うと言い、空爆によって命を脅かされ、街を廃墟にされても白旗を掲げない抵抗の姿は、戦後日本人の信条に鋭い疑問を突き付けているからである。ウクライナ人の勇敢な抵抗は、戦後日本の公認の正義、「命は地球より重い」が空疎な欺瞞であることを告発しているとも言える。
 米軍の焼夷弾によって都市を焼かれ、ひと晩に十万人を焼き殺された日本人は、戦後を「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」生きてきた。核兵器の出現が「決戦戦争」を不可能にし、それにつながる可能性のある戦争を不可能にしたという事情と、その核兵器を持つ米国とソ連の圧倒的な軍事力が、国際政治の秩序をつくり、戦後日本の「平和」を保証したのである。
 そしてそのことが、戦後日本人の「平和至上主義」を可能にした。
 しかし今、国際社会がむきだしの暴力を止める力を持たないという現実を見せつけられ、日本人の安全保障観は根底から揺らいでいる。》

▼ロシアによるウクライナ侵略戦争は、早く終わらせなければならない。そして機能不全となった国連安保理事会を改革し、国際秩序を再建しなければならない。またそれと同時に、日本人の特異な安全保障観も、この機会にあらためなければならない、と筆者は考える。
 なぜ、それは特異なのか? 世界には「軍事力」というものが存在し、「軍事力」はある環境の下では大きな力を発揮するという現実から、できるだけ眼をそらそうとしてきたからである。
 もう少し正確に言い直すなら、多くの日本人は自衛隊や日米安保条約の必要性を認めるという形で「軍事力」の保護を受けながら、正面から「軍事力」という存在を受け入れ、理解しようとはしてこなかった。その折衷的な姿が、日本国憲法9条と自衛隊や日米安保条約が並立する現状である。
 戦火の下を逃げまわった日本人の悲惨な体験は、体験した個人にとっては決して忘れることのできない貴重な教訓であるかもしれない。だからそれを語り継ごうと、マスメディアが力を入れることが無意味だとは思わない。しかしそこにとどまり、「軍事力」を忌避するだけで、それを理解し、賢くコントロールする力をわれわれが身につけないならば、悲惨な体験は別の形で繰り返されるかもしれない、と考えるべきなのではないか。
 世界の国々は皆、陰に陽に力を模索しつつ利益を求め、自分たちの行動が正当であることを主張する。国家間の関係には力の要素、利益の要素、価値の要素が複雑に働いているのに、日本人は力の要素はできるだけ見ないようにしてきた。ウクライナの戦争は、そうした戦後の日本人のありかたをあらためて反省する、貴重な機会を提供している。

(つづく)

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