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日本の1970~90年代とサブカルチャー5 [思うこと]

▼90年代の始まりは、昭和が終わり平成が始まる時期とほぼ同じであり、何か新しい時代が始まるのではないかと考えた人も、多かったようである。だが80年代のノリは、90年代に入ってもしばらく続いた。
 1990年に「ちびまる子ちゃん」のアニメが放送開始され、「……ピーヒャラ、ピーヒャラ、踊るポンポコリン!」の歌が街に流れ、街は活気にあふれていた。ティラミスやナタデココ、パンナコッタといったスウィーツが大衆的人気を呼んだのも、このころだった。
 1991年、きんさん・ぎんさんは100歳になった。「ちょっと働けばお金が入るでしょう。なんでもあるでしょ。なに不自由ない」と、カメラに向かって語っている。
 「ジュリアナ東京」が東京芝浦の倉庫を改造して造られ、毎夜ここに多くの若者たちが集まり、踊りまくった。女の子たちを車で送り迎えし、食事をご馳走してくれる便利な「アッシー」君や「メッシ―」君といった言葉がつくられたのも、このころだった。
 この年、篠山紀信の撮った宮沢りえの写真集『Santa Fe』が、155万部の売上となった。若い人気女優がヌード写真を披露することは、それまで考えられないことであり、80年代と少しも変わっていないという感じを人々に与えたと、番組は言う。

 「ソナチネ」(監督:北野武)という映画が、1993年に公開された。
 沖縄のヤクザ同士の争いに、手を貸してほしいと依頼されて出かけた小さな組の組長(北野武)と子分たちは、着いた早々に事務所を襲撃され、片田舎の海岸近くの家に避難する。青い海と白い砂浜に恵まれた片田舎の隠れ家で、北野たちは暇を持て余しながら、子どもにかえったかのように毎日遊んで過ごす。
 明るい陽射しの下、白い砂浜で子分二人が相撲をとることになるが、二人は「紙相撲」の相撲取りのまねをする。紙を人型に切って作った相撲取りの人形に、組み合った姿勢を取らせ、周りから振動を与えると人形が動き、どちらかが転んだり土俵の外に出ると負けという子供のゲームである。土俵の外で北野が砂浜を叩くと、子分二人は相撲取り人形の動きをし、見物人は大笑いする。―――
 番組のコメンテーター・佐々木敦はこの場面について、次のように言う。「ぽっかりした空気感は90年代的です。80年代の、皆が狂ったように踊りまくっていた祭りは終わったんだけど、それが終わった後ぽっかりとした空気が生まれてきて、でもまだ貧しくなっていないから、そこに時間だけはある。その時間をどうやって埋めるか。いろんな暇つぶしのような遊びが登場してきた……」

▼同じ1993年に、映画「月はどっちに出ている」(監督:崔洋一)が公開された。在日コリアンのタクシー運転手とフィリピン・パブで働く女性の恋愛を軸に、東京でたくましく生きるさまざまな人々の日常を、コミカルに描いた作品である。
 90年代、経済大国のイメージの日本に、多くの外国人が出稼ぎにやってきており、パブで働くフィリピン人の姿は、地方でもよく見られた。93年には、外国人技能実習制度も導入されている。そうした外国人が、映画の主要な登場人物として、はじめて現れたというわけである。
 道に迷ったタクシー運転手が、会社に電話を掛けて聞く。「自分はどこにいるんでありましょうか?」。電話を受けた社長は、「安藤さん、近くに何が見えますか」と訊き、指示を与える。
 あるときパジャマ姿の社長は運転手の電話に対し、「月はどっちに出ていますか?」と訊いた。
 画面には大きな丸い月と東京タワーが映し出され、運転手は電話ボックスの中から月を探し、答える。 「……東か西か、……南か北、であります。」「安藤さん、月に向かって走ってきてください。」
 ―――どこへ行けばいいのか、あれこそが90年代の空気なんですと、佐々木敦は言う。日本は、自分は、どこにいるのか。誰もが月を探していたのです。―――
 余談だが、この公衆電話から電話を掛けるシーンは、はからずも当時の日本が携帯電話の普及する前夜であったことを記録していて、興味深い。
 こういうシーンもあったと記憶する。二人の男が歩きながら、ケータイ電話で話をしている。カメラは交互に、二人の歩いている姿を映す。そのケータイ電話は、掌の中に収まるほど小さいものではなく、卓上電話ほどの大きなものである。二人は喋りつづけ、そのままホテルに入っていき、ロビーで顔を合わせて挨拶する―――。ケータイ電話というものが珍しかったからこそ監督はこの場面を取り入れ、また筆者の記憶にも残っているのだろう。

▼「だが、こちらの月は明るく輝いていた」と、番組は話題を転じる。
 1992年にマンガ「美少女戦士セーラームーン」が、TVでアニメ化された。中学2年生の主人公・月野うさぎが、黒猫ルナと出会ったことで、妖魔と戦うことになるというストーリーは、少女だけでなく大人の女性や男性の間でも人気を集めたようだ。きっかけさえあれば、だれもが変身できる。秘められた魔法のパワーは、まだ自分の中に眠っているだけという設定は、少女たちに生きる力を与えた、と番組は言う。
 筆者は残念ながら、それほど評判のアニメの話を耳にすることはなかったが、「月に代わってお仕置きよ!」のセリフは、どこかで聞いて知っていた。
 このTVアニメは1993年にはフランス、イタリア、スペインでも放送され、95年からは全米50局以上で放送された。

 「美少女戦士セーラームーン」は、日本のアニメが海外で人気を博す大きなステップであったらしい。アニメや漫画が、自動車や電化製品とともに、日本の象徴的アイコンとなりはじめていた。

(つづく)

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