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日本の70~90年代とサブカルチャー4 [思うこと]

▼80年代がどういう時代であったのか、筆者は自分が観た映画を書き並べることで、当時の社会の空気をどのように思い出せるものか、試してみた。以下は、記憶にしたがって書き出した映画リストを、公開年次別に整理したものである。(カッコ内は監督名)
 1980年 「旅芸人の記録」(テオ・アンゲロプロス)、「木靴の樹」(エットーレ・スコーラ)、  「遥かなる山の呼び声」(山田洋次)
  81年 「泥の河」(小栗康平)、「駅」(降旗康男)
  82年 「蒲田行進曲」(深作欣二)
  83年 「戦場のメリークリスマス」(大島渚)、「家族ゲーム」(森田芳光)、「東京裁判」(小林正樹)
  84年 「お葬式」(伊丹十三)、「伽耶子のために」(小栗康平)
  85年 「乱」(黒澤明)、「それから」(森田芳光)、「タンポポ」(伊丹十三)
  86年 「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(ジム・ジャームッシュ)
  87年 「マルサの女」(伊丹十三)、「プラトーン」(オリバー・ストーン)、「薔薇の名前」(ジャン=ジャック・アノー)
  88年 「となりのトトロ」(宮崎駿)、「ラストエンペラー」(ベルナルド・ベルトルッチ)、「芙蓉鎮」(謝晋)、「ベルリン・天使の詩」(ヴィム・ヴェンダース)
  89年 「ダイハード」(ジョン・マクティアナン)、「レインマン」(バリー・レヴィンソン)、  「赤いコーリャン」(チャン・イーモウ)、「黒い雨」(今村昌平)

 上のリストはいま記憶しているものを書き出したものだから、当然漏れはあるだろうし、
公開された年ではなく数年後にTVで観た「となりのトトロ」や「東京裁判」も含んでいる。観た本数がそれ以前に比べてかなり減っているが、仕事がそれなりに忙しくなったのと、筆者の職場が銀座から遠くなり、並木座にもめったに行かなくなったことが影響しているのだろう。
 洋画に日本の80年代が反映されているはずがないと考えるのは、一応は正しいのだが、例外もある。「ダイハード」はドイツ人リーダーに率いられた十数人のテロリスト集団が、ある高層ビルを占拠し、たまたま居合わせたブルース・ウィリス演じる主人公が独りで彼らと闘うアクション・ムービーだが、闘いの舞台となった高層ビルの名前は「ナカトミビル」。日本企業「ナカトミ商事」が開いたクリスマスパーティが、壮絶なる活劇の幕開けだった。目端の利くハリウッド映画が取り入れたこの設定は、当時の米国を席捲していた日本経済の勢いを、証明するものと言える。
 筆者個人は、上のリストの映画がインデクスとなって、当時の自分の生活が思い出されるのだが、映画自体に時代が反映されていたかと言えば、時代性の明らかな作品は多くないように見える。

▼NHK番組の「80年代」で取り上げられた映画のいくつかは、同時代の風俗や事件を素材としたものである。
 「私をスキーに連れてって」(監督:馬場康夫 1987年)は、空前のスキーブームを背景に、スキーに無邪気に興じる底抜けに明るくハッピーな若者たちを描いて、「時代の気分をそこに映し出そうとしていた」と番組は言う。
 「家族ゲーム」(監督:森田芳光 1983年)は、80年代の経済的繁栄の中で進行していた家族の変化を描き、「家族関係がもはやゲームにしかならない80年代の危うさを切り取っていた」と、番組は評価する。
 日航機事故で流行語になった「逆噴射」を題名に取り込んだ映画がつくられたり(「逆噴射家族」監督:石井聰互 1984年)、豊田商事事件を取り入れた「コミック雑誌なんていらない」(監督:滝田洋二郎 1986年)が撮られたりした。しかしその程度なのだ。
 番組が「戦場のメリークリスマス」(大島渚)を取り上げたので、どのように料理するのかと興味を持って見た。坂本龍一やデビッド・ボウイが重要な演技者として出演したこと、カンヌ映画祭のグランプリの有力候補と見られたが受賞を逃したこと、代わりに「楢山節考」(監督:今村昌平)がグランプリを受賞し、今村がびっくりしたこと、大島渚は感想を聞かれて、「戦場のメリークリスマスは進み過ぎていて、カンヌを越えてしまったようだ」と述べた、といったゴシップレベルの話ばかりで、時代との関連についての考察などまるでなかった。
 総じて80年代という時代性を刻印された映画は、多くないという印象である。

▼筆者が80年代と聞いて思い浮かべるのは、「ポストモダン」と呼ばれたさまざまな言説である。「差異」や「表層」といった言葉が意味ありげに使われ、ソシュールの言語学が参照され、共時的、通時的、シニフィアン、シニフィエなどフランス語由来の言葉がありがたい万能膏薬のように、あちこちに貼り付けられた文章が出回った。
 浅田彰の『構造と力』が、固い内容にもかかわらず異様な売れ行きを見せ、既成のアカデミズムのジャンルを軽やかに横断する言説や批評が流行し、「ニューアカ」と呼ばれた。記号論が万能のツールのように、もてはやされた。
 しかし筆者にとって、「ポストモダン」のお囃子はどこか不快であり、筆者の生活は、不動産業界を中心とする活況を遠くのお祭りのざわめきのように聞くばかりで、それ以前と変わりはなかった。
 1984年に、『金魂巻』(渡辺和博とタラコプロダクション)という本が出版された。世の中の職業人、業界人を「マル金」と「マルビ」に分けて、それぞれの衣服や靴、趣味や家庭環境、読書傾向などをもっともらしく記述したもので、「言えてる」「言えてる」と評判になった。筆者は、クソ面白くもない「ポストモダン」の議論を笑い飛ばす、80年代のクリーンヒット本だと、当時痛快に思った。

▼80年代を語る番組のナレーションが、月並みではあるがなかなか軽快でよく出来ていると思うので、ここに紹介する。
 「都市は希望にあふれ、情報空間となった街が人々の欲望を形づくり始めていた。消費社会の物語は膨らみ続け、人々を呑み込み、そしてある時、欲しいものが分からなくなっている自分に気づく。スクリーンに描かれていたのは、一見華やかに生きる80年代の人々が、実は消費のネットワークにからめとられている不安だった。」
 「学問さえファッションとして消費された80年代、多くの人が資本主義というゲームを楽しんでいるかのようだった。」
 「何かがおかしい、何かがズレている。時に頭をかすめる違和感を振り払うようにして、人々は夢を追い続けた。」
 「巨大な流れに、誰もが巻き込まれ、流されていった。誰もがこのままでよいはずがないと不安を抱え、しかしそれでも踊り続けた。」―――

 コメンテーターとして番組に顔を出す佐々木敦は、「80年代」について次のように言う。
 「これは夢かも知れないと、皆うすうす思っているんだけど、なぜか覚めないから、もしかしたらこれは夢じゃないのではないか、たとえ夢だとしてもまだまだ続くんだろうなと思っていたら、チョキン! あ、眼が覚めた……」

 80年代にコピーライターから作家に転進し、今は日本大学理事長をしている林真理子は、80年代を「いい時代だったとはっきり言える」という。「80年代を覚えている人たちが、あの熱狂をちゃんと形にしていけばいいのです。バカなことをしたとか軽薄だとか、私はまったく思っていません。」

(つづく)

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