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『フクシマ戦記』 [本の紹介・批評]

▼『フクシマ戦記』(船橋洋一 文藝春秋 2021年)は、前回のブログを書くにあたって参照した本の一つであるが、印象に残っていることをいくつか書き留めておきたい。

 2011年3月の東日本大震災で巨大な津波に襲われ、全電源を喪失した福島第一原発では、原子炉の暴走を止めるために、現場では注水による冷却に全力を注いだ。注水の方法として、初めは機動隊、消防、自衛隊のポンプ車やヘリコプターからの放水が行われたが、主要な方法として使われたのは、連結送水口を使った注水と、ドイツのプツマイスター製のコンクリートポンプ車による注水だった。このコンクリートポンプ車は、折りたたんだアームを伸ばすと58メートルにもなり、アームの先から生コンの代わりに水をピンポイントで注入することができた。プツマイスター社の技術者トマス・カイルが現場に来て、運転から修理の仕方まで指導した。
 このプツマイスター製のコンクリートポンプ車は、チェルノブイリの原発事故の際も活躍した。事故の直後、ソ連政府はヘリコプターから5千トンの砂や土などを投下して熱を逃がし、放射能を緩和したあと、上からコンクリートを流し込み、原子炉をコンクリートの「石棺」の中に封じこめることにした。
 コンクリートポンプ車10台の運転席に、放射能を遮るための重さ4トンの鉛のフードをかぶせ、窓やビデオカメラにも鉛を貼った。遠隔操作するためにビデオカメラも取り付けた。
 《その操縦の訓練のため、ソ連から何十人もの人々がシュツットガルトに送り込まれた。全員、死刑囚だった。この作戦に従事すれば釈放する、と約束されてきたのだった。/すべてが極秘作戦だった。彼らはよく食べた。ビールをラッパ飲みし、ソーセージを貪った。カイルは彼らの訓練係の一人だった。
 3カ月近く続いた石棺作戦は成功した。カイルはほっとしたが、ずいぶんとあとになって、恐ろしい話を聞いた。彼らは全員、被爆のせいで3年以内に死亡した、と。》

 ロシアのウクライナに対する「特別軍事作戦」でも、死刑囚や懲役囚が「活用」されているという話を聞く。プリゴジンというプーチンと親しい新興財閥の一人が、「ワグネル」という名の「民間軍事会社」を持っていて、各地の刑務所から釈放をエサに囚人を集め、傭兵として戦場に送り出しているという。ヒソヒソ声で語られる秘密の話ではなく、表通りで報じられるニュースだというところが恐ろしい。筆者はロシア人について何も知らないのだが、その性格の内にはある意味で“合理的”に思考し、躊躇なくやってのけるという側面があるらしい。

▼福島第一原発の原子炉がもっとも危機的状況にあった3月15日の朝、吉田所長は、機械の操作や復旧に必要な最小限の人間を除き、所員に退避を命じた。650名ほどがバスに乗って第二原発へ移動し、あとに69名が残った。
 この出来事は、米国のニューヨーク・ポスト紙が公式ツイッターに、「フクシマの50人の勇敢な日本人が踏みとどまり、過熱する炉心と闘っている」と投稿したことで、一般に知られるようになった。ギター奏者のブライアン・レイが自分のツイッターで、「フクシマ50 すごい 日本の新たなヒーローたち、ホンモノそのもの」とつぶやき、英国のガーディアン紙が配信した記事によって、勇敢な「フクシマ・フィフティ」は全世界に広まった。

 しかし残った所員69人という数は、《5つの原子炉と7つの燃料プール(共用プールを含む)を相手に格闘していた現場としてみれば、絶望的に不十分であり、いずれ撤退を迫られるか、全員玉砕に追いやられるかの規模でしかない》と船橋洋一は書く。
 《米国務省担当官はこの時の東電の現場の対応態勢、なかでも従業員の数について「冗談のように少ない規模」とみなし、この数字では東電の撤退は不可避だと深刻に捉えていた。
 「このレベルの原発事故だと米国なら何千人で対処する。戦争計画のようなもので臨まなければならないところだ」と同担当官はのちに述べている。》

 危機の状況において、必要な国家態勢を冷静に考える米国の担当官と、勇敢な「フクシマ・フィフティ」の美談にとどまりやすい日本人の落差は、根の深い問題かもしれない。危機のあいだ現場に踏みとどまったある東芝の技術者は、そこに先の戦争につながるものを見、日本人はああやって自分たちを追い込んで玉砕するのだ、と述懐している。

▼この3月14日夜から15日にかけての危機的状況にあって、菅直人首相が早朝東電本店に乗り込み、東電幹部に10分間近い演説をしたことはよく知られている。「……日本がつぶれるかもしれないときに撤退はありえない。60歳以上は現地に行って死んだっていいとの覚悟でやってほしい。オレだって行く。われわれがやるしかない。撤退はありえない。撤退したら東電は必ずつぶれる……」。
 この時の菅首相の演説をTV電話で聞いた福島第一原発の現場の所員たちは、強い反感を覚え、また菅の行動を批判的に見る人びとは、その間現場の作業を妨げただけだと非難した。吉田所長は「調書」の中で、自分たちは「撤退」なんて言葉は一言も使っていない、「誰が逃げたんだと所長は言っている、と言っておいてください」と強く反発している。
 しかしこの「撤退」問題は、言葉の言い間違い、聞き間違いというレベルで問題にしたあげく、忘れ去って良い問題ではない。「幸運」に恵まれなければ、日本人はこの問題に否応なく直面しなければならなかったはずの、大問題なのだ。
 国会事故調のヒアリングで、弁護士の野村修也は、「退避について、全員が退避したいと仮に申し出があった場合に、政府には退避するなという命令を発する権限はあるんでしょうか」と質問している。海江田万里(経済産業相)は、こう答えている。「それは、命令はないと思います。命令は。ですから、お願いするということでございます。頑張っていただけないか。私はそのような言い方をずっとしてきたつもりであります」。

 細野豪志(首相補佐官)は、この時の菅の行動について次のように語ったという。「ただ、やっぱり東電の作業員が死ぬ可能性があって、(自分は)死ねとは言えなかったんですね。そこは菅さんにかなわなかった。菅直人は、間接的にだけど、東電の作業員は死ねと、死んでもいいと、言ったんです。一人の命より国家の重みのほうがあると言ったんだと思いますよ。そういう表現は使わなかったけど。私は国家の重みと作業員の命というのをきちっと天秤にかけられなかった。それぞれの個人の人生とか家族とか、そっちにやっぱり自分の中で行ってしまった弱さですね。彼(菅直人)はまったくもってヒューマニストじゃないんです。リアリスト。」
 「この局面でわが国が生き残るためには何をしなければならないのかという判断は、これはもう本当にすさまじい嗅覚のある人だと思っているんです。……撤退はありえないし、東電に乗り込んで……そこでやるしかないんだという判断は、日本を救ったと今でも思っています」。
 《菅に批判的な官僚たちも、直接危機対応に取り組んだ人々は、この点に限っては、似たような評価を下す》と、船橋は書いている。

(おわり)

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