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『朝日新聞政治部』6 [本の紹介・批評]

▼鮫島浩はこの事件について考えたことを、『朝日新聞政治部』の中で二つ述べている。一つはもちろん記事の評価についてである。
 担当した二人の朝日記者は、東電の隠蔽体質を批判して、福島第一原発の現場事務所と本店を結ぶテレビ会議の映像を公開させた実績を持つ。2012年9月5日の紙面に、不十分ながら公開された東電テレビ会議についての報道が載っているが、リードには次のような言葉が付されていた。
 「原発暴走中と思えぬ緩慢な対応。戦略性のない物資補給。現場への理不尽な要求。東京電力が開示した原発事故のテレビ会議記録から見えたのは、失策を重ね、事態を悪化させる、人災の側面だった」。
 公開された映像には、吉田所長が所員の退避を命じたあたりの音声が付いていなかった。「吉田調書」を入手して、その場面で吉田所長が「待機命令」を出していたことが判明し、東電が意図的にその事実を隠していた疑いがあったと自分たちは考えたのであり、吉田所長の「待機命令」に焦点を当てたことは「合理的」だった、と鮫島は今も主張する。
 だが繰り返しになるが、原子炉の制御が不可能となる危機的状況にあって、吉田所長の頭にあったのは所員をいくらかでも安全な場所へ「退避」させることであり、「待機」させることではではなかったはずである。だから事前の打ち合わせに沿って所員に「退避」を命じ、所員は「命令に従って」バスに乗ったのだ。公開された資料を読むかぎり、筆者には「所員が命令に背いて職場を放棄した」という情景は、思い浮かばない。

 鮫島チームのスクープ記事は、「吉田調書」の言葉尻にこだわって、誤った情景を描き出していると筆者は考えるが、現実の福島第一原発の事故はその後どうなったのだろうか。
 原子炉や燃料プールを冷却するための注水活動は、その後も必死で継続されたが、それが
本格的に行われたのは、3月22日からである。ドイツ製のコンクリートポンプ車が運び込まれ、この日、4号機の燃料プールに注水した。このコンクリートポンプ車は、折りたたんだアームを伸ばすと58メートルにもなり、アームの先から生コンの代わりに水をピンポイントで注入することができた。それから約3か月間、このコンクリートポンプ車の注水が、原子炉の暴走を抑え続けた。(『フクシマ戦記』船橋洋一)
 政府事故調のヒアリングで、吉田所長は機動隊、消防、自衛隊の行った初期の放水活動について、量的にわずかであり、あまり効果がなかったと厳しい評価をしている。それに対してドイツ製のコンクリートポンプ車の注水は、効果的だったと評価した。吉田所長が陣頭指揮した連結送水口を使った注水と、このコンクリートポンプ車の注水だけが、原子炉の冷却に有効に働いた。(『フクシマ戦記』)
 しかし、福島第一原発の現場の必死の闘いにもかかわらず、原子炉の暴走を止められず、「東日本壊滅」となった可能性がなかったわけではないだろう。そうならなかったのは、ただ「幸運」だったからだと言うしかない。

▼鮫島浩がこの事件の体験から述べているもう一つは、インターネットの世界が既存メディアをしのぐ力を持ってきた現実を、自分を含め、朝日新聞があまりにも軽視していたという反省である。
 スクープ記事のあと、「日本を貶めるのか」という批判がネット上や週刊誌に見られたが、「一部右派のイデオロギー的な主張にとどまっていた」。しかし、「命令違反と言えるのか」、「誤報ではないか」という批判が、少しずつネット上で広がりはじめた。そして8月5日、朝日新聞が「慰安婦問題を考える」を掲載したことで猛烈な「朝日バッシング」が起き、慰安婦報道と何の関係もない「吉田調書」も、この嵐の中に呑み込まれてしまった。
 9月11日、社長は記者会見を開き、「吉田調書」に関する記事を「誤報」として取り消し、関係者を処罰すると表明した。鮫島は記者職を解かれ、「知的財産室」に移り、ネット上に朝日新聞の記事が無断使用されていないかチェックする仕事を与えられた。それまでインターネットとは無縁に暮らしてきた彼は、そこで初めてネットの世界の現実に触れて驚く。
 鮫島は、朝日新聞に対する多くの罵詈雑言、とくに「吉田調書」を報じた記者に対する誹謗中傷を目にする。それらに眼を通しながら気づいたのは、「そうか、朝日新聞はこれに屈したのか」ということだった。
 《朝日新聞はネット言論を軽視し、見くだし、自分たちは高尚なところで知的な仕事をしているというような顔をして、ネット言論の台頭から目をそむけた。それがネット界の反感をさらにかきたて、ますますバッシングを増幅させたのだ。すでに既存メディアをしのぐ影響力を持ち始めたネットの世界を、私はあまりに知らな過ぎた。》
 鮫島は個人的にツイッターのアカウントを開設し、毎朝一本つぶやくことにした。
 《反応はまったくなかった。リツイートも「いいね」もほとんどなく、1か月たってもフォロワーは数十人にとどまった。厳しい世界だと思った。渋谷の雑踏で、一人つぶやいている気がした。読者に届くかどうかをさして考えず、読者からの反応も直接受けない新聞記者という仕事がいかにぬるま湯だったかを痛感した。》

 鮫島は、職務外のツイッター発信をするようになってから、批判的な眼差しで朝日新聞を読むようになり、その記事が「ネット情報に比べて早さにも広さにも深さにも劣っていることを実感した」と言う。しかしそこまで自信を喪失することもないだろう。
 たしかに鮫島チームのスクープ記事批判の火の手をあげ、朝日新聞の社長を「取り消し」と謝罪に追い込んだのは、「ネット言論」の力だったであろう。しかしその元にあったのは門田隆将の「紙の言論」であり、大勢を決したのは、産経新聞、読売新聞をはじめとする新聞各社の、朝日のスクープ記事に対する批判だったはずだ。
 鮫島は、朝日新聞社内に委縮ムードが広がり、「国家権力側の逆襲におびえ、抗議を受けないように無難な記事を量産しているように見える」と書く。そういう面もあるのだろう。しかし森友学園が格安で国有地の払い下げを受けていたというスクープや、財務省の「森友」決済文書書き換えの事実を暴くスクープなど、鮫島の後輩たちが委縮せずに頑張っていることも認めなければならない。

▼米国の「中間選挙」では、直前の予想に反して民主党がある程度ふんばりを見せたらしい。しかしそもそもトランプが力を持つ背景には、米国の分断された社会と「ネット言論」の力がある。新聞やTVなどのオールドメディアの力が低下するのと並行して、「ネット言論」が盛り上がり、それがトランプに力を与えているのだ。
 インターネットには市民どおしが繋がり、それが信じられないほどの力を発揮する側面があるが、また、社会から「権威」や「正統」を喪失させ、社会を混沌に投げ込む力も併せ持つ。オールドメディアと「ネット言論」を、人びとがいかに賢く取捨選択し、使いこなしていくか、それが問われているのであり、米国においていま試されているのだ。

(おわり)

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