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ハワイ旅行 1 [旅行記]

▼先週から今週にかけて、初めてハワイに行った。4泊6日、定番の観光旅行である。
 筆者はこれまで「常夏の島・ハワイ」に、わざわざ出かけるほどの魅力を感じたことがなかった。また、どこへ行っても日本人客でいっぱいという話を聞くと、それだけで意欲は削がれ、以前家族がハワイに遊びに出かけた際も、口実を設けてひとり日本に残ったりした。「志操堅固」と言えば聞こえは良いが、ずいぶん頑なだったのである。
 2年ほど前、ハワイで高校のクラス会を開こうと思いついた。ハワイには同級生のO君が住んでいるし、2年後には高校卒業50年になる。呼びかけたところ10人ほどが手をあげ、今回の旅行となったのである。

 「現地集合、現地解散、現地の行動は自由、ただし全員参加の夕食会を持つ」ということにしたので、幹事として気も楽だったし、実務上も楽だった。
 ホノルル空港に午前9時前に着いた。顔写真を撮ったり指紋を取ったりという、他の国では見られない厳重な入国審査に少し時間を取られた。それとも一連のテロ事件以降、ヨーロッパ諸国でも煩雑な審査手続きが導入されているのだろうか。
 ワイキキへ行く途中でアラモアナ・センターに立ち寄り、バスの時刻表と4日間乗り放題のチケットを手に入れ、正午にホテルのロビーで仲間4人と落ち合った。他の仲間は一日早く到着したり、別のホテルに泊まったりしている。
 昼飯を食べに行き、ビールを飲んでやっと一服。その後、ダイヤモンドヘッドへ行った。
 ダイヤモンドヘッドはオアフ島の南東部にある230mほどの「山」である。古い火山の噴火口を囲む外輪山のうち一番高いところが頂上であり、周囲には海と平地しかないから眺望は著しく良い。曇り空からときどき日が差した。

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【ダイヤモンドヘッドから望む太平洋】
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【ダイヤモンドヘッドからワイキキの街を望む】
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【噴火口の中の登山道。左右はススキの原のように見えるが、ススキではない。その奥が外輪山。】
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【アメリカねむの木が、噴火口内の駐車場のわきで巨大な枝を広げていた】

 夜、ハワイ在住のO君にわれわれが無事付いたことを知らせ、明日からの行動の予定を打ち合わせる。時差ボケ解消のために、早々に寝た。

▼ハワイ二日目の朝、同部屋のY君はゴルフに出かけたので、A夫妻と3人で小一時間ほど散歩した。ホテルから1ブロック南へ歩くとカラカウア通りに出、その先の高級ホテル群の向こうは砂浜と青い海である。朝の海岸には人影も少ない。

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 朝食後、バスでダウンタウンへ向かった。
 州政府庁舎とかっての王宮・イオラニ・パレスの間に、リリウオカラニ女王の像が立っている。白人農園主たちのクーデタ(1893年)によって幽閉され、地位を追われたハワイ王朝最後の女王である。
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【リリウオカラニ女王像。後ろはバンヤンBanyanの樹】
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【イオラニ・パレス】
 イオラニ・パレスの中を、女性ガイドが日本語で説明しながら案内してくれた。リリウオカラニ女王の兄のカラカウア王は明治14年に国賓として日本を訪れ、明治天皇と会い、王女と皇族の婚姻を申し込んだという。婚姻は実現しなかったが、もし実現していたらその後のハワイの歴史は大きく変わったのではないか、と彼女は言った。
 彼女の示唆は、もしハワイが日本領であったなら、日本軍の真珠湾攻撃は起こりえなかったということだったが、もしそうだったとしたら米軍の真珠湾攻撃が起こっただろう、と思った。
 戦前の日本が中国大陸の既得権益にしがみつくかぎり、米国との利害の衝突は避けられず、日米戦争も避けられなかったにちがいない。もしそのような状況が起こったなら、「ハワイ」は「沖縄」になった可能性が高いのではないか、などと筆者の「歴史のイフ」は不吉な方にばかり流れ、苦笑した。

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【ハワイを統一し王朝を建てたカメハメハ大王像。後ろは王宮として建てられた建物で、現在はハワイ州の最高裁判所として使用されている。】

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【バスの前部には自転車を2~3台積めるようになっている。前輪がなかなか枠から外れないので 運転手(左)が降りてきた。】

(つづく)

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