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「南京事件」を考える 9 [歴史]

▼洞富雄は「南京事件」について日本で初めて研究書をまとめ、日本軍によって虐殺された中国軍民は「20万人以上」、と主張した。洞を中心に「南京事件調査研究会」が1984年に組織され、藤原彰や本多勝一、江口圭一、笠原十九司、吉田裕などが参加し、中国での現地調査や生き残り証人からの聞き取り調査などを精力的に実施した。
 洞富雄の『決定版・南京大虐殺』(1982年)は「犠牲者数の推定」という1章を立て、「虐殺」の規模の検討に充てている。しかし論理の明晰な議論が行われているとは言いがたく、結論も明瞭ではない。
 洞は、民間人犠牲者数を調査した「スマイス調査」の結果を、「その方法に問題がある」として、資料的価値を認めない。そうなると民間人の犠牲者数推計に利用できる資料はほとんど存在しないことになるのだが、洞は当時南京で埋葬した死体の数を活用しようと試みる。
 南京のおびただしい遺棄死体について、「紅卍字会」南京分会が4万3071体を埋葬したという記録があり、東京裁判で法廷証拠として採用された。「紅卍字会」とは、貧民のための医療、学校、孤児院、埋葬などを行っていた道教系の慈善団体で、日本軍が依頼し、会では200人の労働者を雇って埋葬の仕事にあたった。会の活動は日本軍や国際委員会の資料、当時の新聞記事で確認が取れる。
 東京裁判で採用された資料には、もうひとつ「崇善堂」による埋葬記録があった。13年4月8日以前に城内の遺棄死体7548体を埋葬し、4月9日から5月1日の23日間に城外の遺棄死体10万4718体、合計11万2266体を埋葬した、というものである。
 しかしこの「崇善堂」という団体の活動については、日本軍や国際委員会などの資料で確認がとれず、当時の新聞記事にも記載がなく、洞も「崇善堂埋葬隊の名の見えていないのが、不審である」と書く。
 だがいっそう「不審」なのは、「崇善堂埋葬隊」によって埋葬されたという厖大な死体数である。23日間に埋葬した数10万4718体という、「紅卍字会」の活動記録と比較してとても信じられない数字について、洞自身も、「だれしもいちおう疑問符をつけたくなる」数であることを認める。しかし洞は理由を示さぬまま、次のように言う。「数字にやや誇張はあるかもしれぬが、これを虚構の資料と断じてはならない」。

 「紅卍字会」と「崇善堂」の埋葬死体数は、合計すれば15万5千体となる。東京裁判ではこの15万5千という埋葬死体数を有力な根拠として、「南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は20万人以上」という判決文がつくられた。
 洞も言う。「この15万5000体埋葬という数字が信ぜられるとすれば」、これ以外に市民自身の手で埋葬したものもあるし、揚子江に投棄された死体や池やクリークに投げ込まれたまま未処理のもの、「揚子江を渡河退却中に日本軍の掃射で全滅したもの」などを加えれば、「総数20万人以上」という数字は、「必ずしも誇張でないことがわかる。」

▼東京裁判は「虐殺」の「規模」を議論する場ではなく、「虐殺」があり、被告・松井石根が有罪であることを示すだけで事は済んだ。しかし「南京事件」の研究は、当然そこにとどまるわけにはいかない。いつ、どのようにして行われた虐殺だったのか、どれほどの規模の虐殺だったのか、可能な限り歴史的事実を明らかにしなければならない。「崇善堂」によって埋葬されたとされる死体数がもし「信じられない」とすれば、「15万5000体埋葬という数字」も「信じられない」ことになり、「総数20万人以上」という犠牲者数の根拠が大きく揺らぐことになる。
 「南京事件調査研究会」では南京で中国側の研究者と交流しながら、この問題についても調査したようだが、新たな成果は得られなかったようである。1999年に「研究会」が出版した『南京大虐殺否定論・13のウソ』という論文集を見ると、「崇善堂」という団体が埋葬活動を行った事実は確認できたとしつつ、埋葬死体数については、「記録に厳密さを欠くところがあったように思う」、「今日の埋葬記録が当時のそれを正確に反映しているかどうかは残念ながら判断材料がない」としている。
 「今日の埋葬記録が当時のそれを正確に反映しているかどうかは残念ながら判断材料がない」というのは、分かりにくい表現だが、東京裁判に提出され現在残されている埋葬記録は、埋葬活動時の記録を10年後に整理して作成されたものであり、それを「正確に反映」しているかどうか分からない。「正確に反映」せず、誇張されたものである可能性もあるが、「判断材料がない」というのである。
 また「崇善堂」についての記述は、日本軍の文献や国際委員会の文献に出てこないことも事実であり、「崇善堂埋葬隊が日本軍に認知されていたかどうかも今のところ不明というしかない。今後の資料発掘に待ちたい」、としている。
 要するに、「研究会」以外の論者は「崇善堂の埋葬記録は使えない」としているのに対し、笠原十九司たち「研究会」のメンバーは歯切れ悪く、正しい記録だとは言えず、かといって洞のように「虚構の資料と断じてはならない」と断言することも出来ずにいるのである。

▼このブログを書くために、南京事件関係の書物を20冊ほど読んだ。一方に20万人、30万人の虐殺があったと主張する者がおり、他方に事件は「まぼろし」だ、「虚構」だ、と主張する者がいるということが気になったのだ。
 人のいない地球の片隅でひっそり生じた出来事ではない。万を超す人々の前で、万を超す人間の「虐殺」が行われたのかどうかという巨大な「事実」に関して、どうしてそのような正反対の主張が生じるのか、はなはだ不思議であり興味を引いたのである。
 関係書籍に目を通した結論を先に言えば、虐殺規模を確定するための資料が決定的に不足するなかで、論者たちが「事実」の究明もさることながら、政治的、党派的利害を常に意識して主張を組み立て、主張は即、日中間の国際政治の利害に関わる問題であることが、極端な「論争」を生み出したのである。どのような歴史問題にも政治的利害に基づく思惑はついて回るだろうが、「南京事件」に関してはそれが極端なのだ。
 とくに「まぼろし」派の論者は、自分の結論に合う都合のよい資料のみを取り上げ、都合の悪い資料は無視し、場合によっては資料を改竄したり(田中正明)、資料の意味を歪めて部分引用したり、なんの根拠もなく妄想を書きつらねる(東中野修道)など、研究者としてデタラメな態度が露骨である。しかし彼らはデタラメを指摘されても、痛痒を感じないだろう。彼らにとって大事なのは事実の究明ではなく、「南京事件」を「虚構」と主張したい自分の熱い思いであるからだ。
 彼らの世界は仲間内で閉じられており、彼らは見たいものだけを見、聞きたいものだけを聞く。

(つづく)

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