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「南京事件」を考える 2 [歴史]

▼「南京事件」について語るためには、もう一つ、「論争」の歴史を見ておくことが有意義だろう。「事件」がどのように取り上げられ、問題とされてきたのか、検討に入る前の準備作業として簡単に見ておきたい。

 大半の日本人が「南京事件」について知らされたのは、事件発生後十年近くを経た「東京裁判」を通じてだった。検察側は多くの証人証言と口供書を提出して南京の虐殺を糾弾し、はじめて事件を耳にする日本人は驚愕した。
 裁判の判決は、「南京が占領された後、最初の二,三日の間に少なくとも一万二千人の非戦闘員である中国人男女子供が無差別に殺害され、占領後の最初の一か月の間に約二万の強姦事件が市内に発生した。また、一般人になりすましている中国兵を掃蕩すると称して、兵役年齢にあった中国人男子二万人が集団的に殺害され、さらに捕虜三万人以上が屠殺された」と述べた。被害者の総数は「約十二万人」とされ、また判決文の別の個所では、「後日の見積もりによれば、日本軍が占領してから最初の六週間に南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は、二十万人以上であった」とした。
 事件の責任者として松井石根(いわね)元大将(元中支那方面軍司令官)が死刑にされたが、松井は処刑前、教誨師だった花山信勝に、巣鴨拘置所で次のように語っている。

 「私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などを比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争の時は、シナ人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても、俘虜の取扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。政府当局ではそう考えたわけではなかったろうが、武士道とか人道とかいう点では、当時とは全く変っておった。慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。その時は浅香宮もおられ、柳川中将も方面軍司令官だったが。折角皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にそれを落としてしまった、と。ところが、このことのあとで、みなが笑った。甚だしいのは、或る師団長の如きは「当り前ですよ」とさえいった。従って、私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている。」(『平和の発見』花山信勝 昭和24年)

▼「南京事件」が日本の社会で次に話題になるのは、日本と中国が共同声明を発表し国交を回復した昭和47年前後の時期である。朝日新聞が本多勝一のルポルタージュ「中国の旅」を連載(昭和46年)して、戦争被害を受けた多数の中国人庶民の体験談を紙面に載せ、洞富雄の研究書『南京事件』が発行された(昭和47年)。
 また本多のルポで触れられた「百人斬り競争」を、虚報だと批判するイザヤ・ベンダサン『日本教について』(昭和47年)や鈴木明『「南京大虐殺」のまぼろし』(昭和48年)、山本七平『私の中の日本軍』(昭和50年)が出版された。文芸春秋の雑誌「諸君!」誌上で、本多勝一とベンダサン・山本七平の論争が華々しく行われ、洞富雄は『「まぼろし」化工作批判・南京大虐殺』(昭和50年)を書いて、「百人斬り競争」は虚報ではないと本多を擁護した。
 このときの「論争」は、東京裁判が裁いた「南京事件」全体に関するものではない。
 上海から南京へと攻撃を続行する上海派遣軍の将校二人が、「百人斬り競争」をしたと当時の新聞(東京日日新聞)で報じられ、その記事を根拠に戦後BC級戦犯として国内で逮捕され、南京法廷で死刑にされた。この記事ははたして事実の報道だったのか、それとも戦意高揚のための「創作記事」、つまり「虚報」だったのか、という点をめぐる「論争」だった。
 鈴木明『「南京大虐殺」のまぼろし』は、「南京事件」全体についても触れているが、もっとも力が入っているのは「百人斬り競争」に関する著者の調査であり、事実に執拗に迫る調査の迫力が、読み手を感服させた。大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したが、選考委員の中には書名について、「南京事件」全体を「まぼろし」と言っているように聞こえると、問題にする者もいたという。

▼しかし間もなく、「南京事件」全体を「まぼろし」だと主張する議論が、盛んに行われるようになる。
 昭和57年6月、前年の高校教科書検定で文部省が「日本軍の大陸侵略」という記述を「日本軍の大陸進出」に書き改めるよう要求した、というニュースを新聞各紙が報じ、中国・韓国から強い抗議がなされた。やがてそのような事実はなく、誤報であることが明らかになったが、政府は近隣諸国に配慮して教科書の検定を行うとする官房長官談話(宮沢喜一)を発表し、事態の鎮静化を図った。
 この官房長官談話を境に、各教科書が「南京虐殺」の記述を載せはじめたが、それに反発し虐殺を否定する議論と運動も台頭した。
 『「南京虐殺」の虚構』(田中正明 昭和59年)は、「南京事件」は虚構であることをいろいろな角度から「論証」し、「まぼろし」だと主張したい人々から喜び迎えられた書物である。渡部昇一は、「本書を読んで、今後も南京大虐殺を言い続ける人がいたら、それは単なる反日のアジをやっている左翼と烙印を押して良いだろう」と絶賛した。
 著者の田中正明は、奥付の著者紹介によると、明治44年生まれ。大亜細亜協会、興亜同盟の職員を経て応召、大亜細亜協会の職員時代に松井石根の中国講演旅行に同道した、とある。戦後は地方新聞の編集長、世界連邦建設同盟事務局長などの仕事に就き、この本の出版当時は拓殖大学講師、評論家だった。
 『「南京虐殺」の虚構』は、仏教に帰依する松井石根の人柄を叙述するなど、松井の名誉回復を大きな動機として書かれているが、「南京事件」を否定する論理はひととおり網羅されているので、これを使って議論を整理していこうと思う。

(つづく)

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