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ハワイ旅行 3 [旅行記]

▼四日目は少しのんびりしようと、A夫妻とY君と4人でカイルア・ビーチに出かけた。アラモアナ・センターでバスを乗り換え、そこまではたいへん順調だったのだが、うっかりカイルアを乗り過ごし、終点から引き返す羽目となった。
 カイルア・ビーチはオアフ島東部の海岸で、ワイキキから車で30分の距離である。その美しさは全米有数のものという話だったが、たしかに浜辺の樹々と白砂とエメラルド色の海のつくりだす素朴な景色は、いつまで眺めていても見飽きることがない。
 浜辺の砂は、砂というより粉というべききめの細かさで、手ですくってみてその感触に驚いた。
 海の上にたくさんのカイト(凧)が舞っていた。

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【カイト(凧)に引っぱられる力でボードを水上スキーのように走らせている人が何人もいた。日本に帰って調べてみたら、カイト・ボードと呼ばれるスポーツらしい】

▼軽い昼食を浜辺近くの食堂で済ませ、バス停まで10分ほど歩いた。途中で「トランプ」と書かれたポスターを見た。大きな字の「トランプ」の下に、少し小さな字で「ペンス」とあり、「アメリカを再び偉大にする」と書かれていた。これが今回の旅行中に見た唯一の大統領選挙のポスターだった。
 もう少し歩くと、住宅の新築工事をやっていた。かなりの豪邸と言える大きさで、プールも備えられていた。だが、一年を通じて温かなハワイの美しい海辺近くで、なぜプールが必要なのか、不思議に思った。
 アメリカ人の「高級住宅」の観念が、彼らを縛っているのではないか、と考えた。「高級住宅」であるかぎりプールは備わっていなければならず、プールがなければ住宅に高い値を付けることができない、といったわれわれには理解できないアメリカ人の「常識」が、そこに介在しているように思った。

 同じようなことは、アメリカの政治にも言えるのではないか、と筆者の考えは勝手に進んだ。アメリカほど資産格差、所得格差の激しい国で、なぜ格差是正、所得の再分配の主張が堂々と出てこないのだろうか。なぜ、「茶会」のような逆向きの運動ばかりが、盛り上がるのだろうか。ヨーロッパや日本の政治では考えられないことである。
 アメリカでは伝統的に「自助・自立」を尊ぶ精神が強いから、というのが予想される回答だが、その「自助・自立」が動かすべからざる一種のイデオロギーとなって、アメリカ人の思考を縛っているのではないだろうか。そしてそのイデオロギー支配のもとで追い詰められた人びとが、出口のない状況を打ち破ってくれるものとして「アンチ既成政治家」に期待しているのが、「トランプ現象」なのではないか。………

(不幸なことに、アメリカ社会の「政治」に対する憤懣は臨界点に達していたらしく、「トランプ大統領」を生み出してしまった。同時に行われた議員選挙を通じて共和党は上下両院の多数を制したから、本来なら大統領の政策を実行できる条件が整ったわけだが、ハイパー・ポピュリストのトランプの政策に、議会の賛同を得られるものは多くはないだろう。
 また国際政治に関心も経験もなく、最も不向きな性格の人間がアメリカ大統領になることで、世界が不安定化し、既成秩序を破る側を喜ばせることは避けられないだろう。困ったことである。)

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【浜辺近くの食堂に、オバマ大統領が立ち寄った時の写真が飾ってあった】

▼帰りのバスの終点、アラモアナ・センターで3人と別れ、土産をいくつか買い、ホテルに帰った。
 夜、われわれの部屋に10人ほど集まり、軽く飲んで旅行の打ち上げ。参加者は皆それぞれ満足そうな面持ちだったが、筆者もひと仕事無事に終える満足感に浸った。
 〈ハワイ〉という体験も悪くはなかった、と思う。それが予期した以上に充実した時間となったのは、旧友たちと一緒に過ごした時間だったからであろう。

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▼帰りの航空機の座席は一番後ろの列だった。客室乗務員の作業スペースとトイレの近くなので、頻繁に人が横の通路を通る。
 ひどい席になりましたな、と隣の男が声をかけてきた。機内は肌寒いのに半袖のTシャツ姿で、かなりの年配のように見えた。お一人ですか?と話を向けると、ハワイが好きでよく一人で行くのだと言った。
 ………でももう飽きた。いま76歳ですが、買いたい物もないし、食事も油っこくて美味くない。日本食が一番………
 ………初めてハワイに行ったのは1ドル360円の時代だった。外貨の持ち出し制限がありましてね、あまり買い物をして帰ると日本の税関で捕まってしまう。ガイドが、ギャンブルで儲けたと申告すればよいと知恵を付けてくれた………
 ………泳ぐのが好きなんで、プールで泳いで、あとは一日ホテルの窓から外を眺めていました………

「もう飽きた」という彼のつぶやきには、もう十分遊んだからという思い以外に、自分の老いが重ねられていたかもしれない。見ず知らずの男の言葉には、どこか胸に響くものがあった。
 芭蕉の名句をもじって一句が頭に浮かんだ。

 おもしろうてやがて哀しき布哇かな

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(終)


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