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公民館から見えること [組織文化]

▼昨年から地元自治体で、「公民館運営審議会委員」という仕事をしている。
 公民館という「制度」は東京23区にはないが、多摩地域のいくつかの市や他府県の市町村には存在するもので、「社会教育」を進める拠点と位置付けられている。
 「公民館運営審議会」はその公民館の事業運営に民意を反映させるために設置されているもので、これまで10回ほど公民館事業に意見を述べたり提案したりする会議の場がもたれた。
 筆者が委員に選ばれたのは、「学識経験豊か」という理由ではもちろんなく、公民館を利用している団体(囲碁の会)の幹部だという理由からである。




▼公民館という「制度」と上に書いたが、ここが「社会教育」の関係者には大事なところらしい。最近は「地域センター」という名称の施設がどこの自治体にもあり、住民向けの「講座」を開いたり、施設を住民の活動に利用させたりしているが、関係者は「公民館はそれとは違う」と考えている。
 なぜなら公民館は「社会教育法」に定められた教育施設であり、憲法26条に定める国民の「教育権」を具体的に保証するものである。それは「学びの場」であり、住民自身が「生活のあり方を問い直す場」であり、単に施設を住民の利用に貸し出す「貸し館業」であってはならない、というのが関係者の自負であり思いであるようだ。



 公民館という制度は昭和20年代前半の貧しい時代に、農村の青年たちに民主主義を教え文化的活動を指導するというイメージで、文部省主導で各地に作られた。それから60年以上が経過し、社会が劇的に変化したわけだから、公民館も、その拠って立つ社会教育という考え方も、かっての意義や有効性を失って少しも不思議はない。
 しかし関係者はそういう現実を認めたがらない。あるいは認めざるをえないがゆえに、いっそう頑なに社会教育の「理念」の正しさを守ろうと考えるようだ。




▼松下圭一が『社会教育の終焉』を書き、日本国民が市民として成熟しつつあるとするなら、社会教育行政は死滅しなければならないと主張したのは、1986年である。



 《なぜ、日本で、〈社会教育〉の名によって、成人市民が行政による教育の対象となるのか》
 《今日成人市民は、主権ないし市民文化活動の主体である。もはや行政による教育や教化の対象ではない》
 《社会教育行政は国民の市民性の未熟のうえにのみなりたつにすぎない》



 松下圭一の議論を、理論レベルで反駁するのは難しいだろう。なぜなら「教育」という概念自体、知識や行動における力の差を前提としており、力のある者が力の無い者を教え導き育てることが、その本義だからである。
 教師による「子どもの教育」は、教育本来の姿であり、憲法が保障する「教育権」の中身はこれだ。
 しかし行政による「成人市民の教育」は成り立たつのか、行政は市民を教え育むことが可能かと正面きって問われれば、関係者は答えに窮するだろう。だから彼らは「社会教育」という言葉の使用を控え、「学び」と言い換えることで、現実をあいまいに糊塗しようとする。「公民館は(住民の)学びの場だ」というように。





▼これまで「関係者」という言葉を使ってきた。具体的に言えば、文部科学省の社会教育担当の役人であり、社会教育の講座を持つ大学の研究者であり、社会教育シンパの職員や住民である。
 彼らは善意で「社会教育」を信じているのだろうが、同時に多くの場合、その制度の存続に自分たちの社会的経済的利益を有してもいる。
 「社会教育」や「公民館」という制度が、時代の大きな変化にもかかわらず存続してきた背景には、これら関係者の積極的な応援がある。社会的制度が一度つくられると、変えることは容易でない、ことの一例である。



 



(つづく)






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