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安倍晋三の死3 [政治]

▼安倍晋三襲撃事件から2カ月が経った。事件の後の日本社会の動きは、筆者の予想どおりのものもあったが、予想しなかったものもあった。その一部については「安倍晋三の死2」に書いたが、マスメディアが「統一教会」問題を連日いっせいに取り上げ、自民党の政治家たちが沈黙して批判されるままというその後の対応も、筆者の予想しなかったものの一つだった。
 事件直後、マスメディア各社は狙撃犯の恨みの対象が「統一教会」であると知りながら、口をそろえて「特定宗教法人」と呼び、「統一教会」の名を隠した。奇怪な光景だった。
 その後、堰を切ったように、「統一教会」と政治家たちの関係を取り上げる記事や番組が、新聞やTVに現われた。「統一教会」が与野党を問わず多くの議員と接触を持ち、中でも自民党の政治家たちの選挙では、信者が事務所に来て電話を掛けたりウグイス嬢として選挙カーに乗り込んだりと、献身的に活動していることなど、関係の実態が話題になった。また政治家の側は、「統一教会」(の「友好団体」)の催しで挨拶をしたり、活動への賛意を表したりしており、「統一教会」の活動を批判する弁護士たちは、教団の活動にお墨付きを与えるものだと批判していた。
 そこまでは予想の範囲内である。筆者の予想をはるかに超えていたのは、新聞、TVが問題を連日採り上げる報道量の膨大さと、無理スジの「批判」にも自民党の政治家たちが黙り込んで何の反論もしないことだった。
 たとえば『世界日報』からインタビュ-を受け、それが紙面に記事として載ったというようなことが、批判の対象とされた。「それの何が悪い」と反論の声があってもおかしくないと思われるが、反論する者はいない。
 筆者は昔、『世界日報』が街の食堂に置いてあるのを見かけて、中をパラパラ見たことがあるが、その紙面は普通の日刊紙と変わるものではなかった。筆者の知人の新聞記者は、「通信社の記事を使えば、自前で取材記者を持たなくても日刊紙を発行できるということだな」と言った。
 『世界日報』を関連団体に発行させる「統一教会」の意図がどこにあるのか、筆者は知らないが、『赤旗』であろうと『聖教新聞』であろうと、はたまた『世界日報』であろうと、新聞記者が質問し、政治家が答えるのは当たり前のことではないか。
 自民党の某都議が、『世界日報』を購読していたという記事まで、新聞に載った。某都議は取材に対し、「旧統一教会の友好団体が発行するものだとの認識はありませんでした。(今後は)購読を取りやめる考えであります」と回答したという。(「朝日新聞」9/1)。
 行き過ぎた「批判」の袋叩きと黙り込む自民党の政治家―――これはこれで異常な状況というべきだろう。

▼なぜ自民党の政治家たちは押し黙り、マスメディアの袋叩きにきちんと反論しないのか。
 考えられることはひとつである。それはおそらく「統一教会」の教えが、自民党にとって致命的に都合の悪いものだからなのだ。
 教祖・文鮮明は、日本は罪ある国であり、償いのために韓国に貢ぐのは当然だというように説いたと、「統一教会」をよく知る弁護士やジャーナリストは言う。だから数百億円の金が日本の教団支部?から韓国の教団本部?に送られ、日本の若い女性信者たちが韓国の農村の嫁の来ない若者たちと「集団結婚」させられたのも、当然だとされる。
 そういう教団と、なにかというと、「反日だ」「侮日だ」と騒ぎ立てる自民党右派が、親しい関係をつくっていた事実が明るみに出たのでは、押し黙るほかないだろう。まともな反論など、できるはずがない。
 「統一教会」と闘う人びとにとって問題は、人びとの精神を不安定化して洗脳し、信者にし、高額の壺や印鑑を売りつけたり(霊感商法)、高額の「献金」をさせる団体の、違法性や反社会性である。しかし自民党の政治家にとって「統一教会」問題は、その「教え」の内容が弁解不可能なものだという点にあり、だからこそマスメディアの袋叩きにも黙って嵐の通り過ぎるのを待つしかない状態なのだ。

▼筆者にとってもう一つ予想外だったことは、自民党とその政治家たちがダメージを受けたと同様に、というか、それ以上に「統一教会」が大きなダメージを受けたことだった。
 筆者は、《「信仰の自由」という近代社会の大切な約束事を悪用して膨大な金を集め、選挙資金や選挙活動員を提供することで深く政権党に食い込んでいる「統一教会」にとって、所詮は一時の小さな波紋に過ぎないのではないか。そう考えると、狙撃犯に筆者が感じた「哀れ」さは、さらに強まる》と書いた。
 しかし狙撃犯が密かに狙い期待した「統一教会」への打撃は、「一時の小さな波紋」などではとても終わらず、自民党へ食い込んできた長年の努力を一瞬にして吹き飛ばしてしまう、メガトン級の大爆発となった。それは狙撃犯にとっては、期待しうる最高の収穫だったに違いない。

▼事件後、安倍晋三を回顧したり、安倍の国葬問題を論じる番組がいくつも組まれた。BSフジの夜の番組「プライムニュース」では、安倍元首相が過去に番組に出演して語った言葉を特集していた。
 安倍がはじめて番組に出演したのは、2009年4月、麻生内閣の末期だった。アナウンサーから、第一次安倍内閣が安倍の突然の辞任によって幕を閉じたことについて話を向けられ、次のように語った。
 「私は総理になるとき、これをやりたいということを決めてなりました。それは一言で言えば戦後レジームからの脱却ということですが、二十一世紀にふさわしい日本の国づくりを進めていく上で、過去のしがらみを断ち切り、原点に返って新しい国づくりをしていく。
 いろいろな仕組みは占領時代に出来上がったもので、憲法も、教育基本法もそうですが、それに呪縛されている面がある。マインドコントロールの中にあったと私は思うんです。安全保障の問題もそう、憲法の問題もそう―――、だから私は教育基本法を60年ぶりに改正し、防衛庁を省に昇格させ、憲法改正をするための国民投票法案を成立させました。
 憲法を変えることが、日本の新しい時代を切り拓いていく精神につながると考えています。……」
 安っぽい「戦後レジーム脱却論」を安倍が語るのを見て、ある意味で新鮮だった。安倍がそういう主義主張の持ち主であることは聞いていたが、実際にそう語る映像を観るのははじめてだった。
 安倍晋三の著書『美しい国へ』(2006年)という新書本を筆者は以前読んだはずだから、上に語られたような内容が含まれていたのだろうが、なんの記憶もない。記憶にあるのは、書物自体、およそ中身の空っぽな本という印象だけである。
 安倍晋三の掲げる「戦後レジームからの脱却」だが、およそ保守党の政治家の政治信条とは言えない。それは右翼系の活動家たちが連呼するスローガンにこそふさわしいものであり、左翼系も含め、ひとつの理念の下に運動を推し進めようとする活動家たちの政治スタイルである。
 安倍は第一次内閣では、この政治スローガンを掲げて意気軒高だったように見えた。しかし第二次内閣では、こうした政治信条を表看板として掲げず、世界に受け入れられるように発言や行動に気を配り、米国の政府と議会の支持を得た。一方、安倍の支持層は、世界に妥協した発言や行動に多少の不満はいだいても、安倍の置かれた位置の困難さを理解し、政権への支持をやめなかった。
 要するに第二次安倍政権において政治家・安倍晋三は、「過激」な政治信条を持ちつつもそれを現実政治にナマのまま持ち出すようなことはせず、現実の状況に応じて課題に柔軟に対応した。これが第二次安倍内閣が超長期政権になった秘密の一つだと、筆者は考えている。

(つづく)

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安倍晋三の死2 [政治]

▼安倍晋三狙撃事件と彼の死去について、筆者の考えは前回に述べたので、今回は連載中の「満洲」に戻るつもりでいた。しかしネットや新聞紙上には、筆者が予想しなかったような「意見」や「考え」が見られ、もう一言する気になったので、安倍狙撃事件に議論を戻すことにする。

 筆者が予想しなかった「意見」や「考え」とは、一つは3年前に街頭演説する安倍首相にヤジを飛ばした男女を警察が排除したが、裁判官がその行動を違法と判断したため警察官が委縮し、安倍の身体警護に影響したという説である。
 3年前の参院選挙で、札幌駅前で演説していた安倍首相に、若い男女が「安倍やめろ」、「増税反対」の声をあげた。警官が二人を排除し、二人は、「応援の声は規制せず、批判者だけ排除したのは公正を欠き、表現の自由を侵害した」と、損害賠償を求めたのである。
 今年3月、札幌地裁は排除の違法性を認め、二人に慰謝料を支払うように命じた。北海道警は、「自民党支持者から二人への怒号が挙がり、危険があったので二人を避難させた」のだと主張したが、証拠として提出された現場の動画に「怒号」はなく、道警の主張は不自然だと裁判官は判断した。その上で、公共的・政治的事項に関する表現の自由は、とくに重要な憲法上の権利だと判示し、警察官による表現の自由の侵害を認めたのであった。
 この裁判官批判の主張は要するに、「違法な権力行使をしてはいけない」と裁判官に言われたので、要人警護という大事な仕事が十分にできなかった、と弁解するに等しい。小学生が、自分でも無理があるとわかりつつ苦し紛れにする「言いわけ」のレベルだが、こういう「言いわけ」を警護の警官に代わって考え出す人たちに、ある意味で感心する。

▼もう一つ、筆者が予想しなかったのは、安倍狙撃事件を2019年の「京都アニメーション」放火殺人事件や、昨年末の大阪市のクリニック放火殺人事件といっしょに並べ、いずれも「孤独や貧困を背景に自殺願望を抱いた容疑者」による犯行だとする主張である。(たとえば産経新聞の記者が、精神科医の言葉を引用しつつそのような記事(7/13)を書いている。)
 筆者自身も以前このブログで、「犯罪は世相を映す」と題して、2019年に起こった登戸無差別殺人事件と「京都アニメ」放火殺人事件を取り上げ、「自分の無意味な生を終わらせようと思い立ち、自分の自殺の道連れに何のかかわりもない多くの人々を巻き込んだ」と論じたことがある。2019/11/29)。その2年後に起きた大阪市のクリニック放火殺人事件も同様の、自分の自殺に多くの人々を巻き込んだ事件とカテゴライズして、間違いはないだろう。
 しかし安倍晋三の狙撃犯は違う。彼には「統一教会」に対する明確な敵意があり、殺意があった。(「統一教会」は改名して「世界平和統一家庭連合」と名のっているようだが、このブログでは「統一教会」で通すことにする。)
 テロリストの殺人と自殺者が無関係の人びとを巻き込む殺人は、どこが違うのか?
 テロリストの暗殺事件も、テロル決行の時点で自分のそれまでの人生が断たれるのであり、その点では自殺願望からの殺人と変わりなさそうに見える。だが、ただ一点、特定の対象への明確な殺意がある点が、決定的に異なるのだ。
 「京都アニメ」事件も大阪市のクリニック事件も、犯人の殺意がそこに向けられなければならない必然性は、何もなかった。犯人は「京都アニメ」や大阪市のクリニックによって、決定的に人生を毀されたり狂わされたりしたわけではない。誰かを自殺の道連れにしようと考えたとき、たまたま過去に関わりを持ったはずの「京都アニメ」や、受診したことがあるクリニックが思いだされた、というだけのことにすぎない。
 しかし安倍狙撃犯と「統一教会」の関係は違う。彼にとって「統一教会」は、彼の家族を破壊し彼の人生を滅茶苦茶にした、憎んでも余りある敵だった。だがその敵は日本の政治権力に食い込み、巨大な財力によって防御を固め、日本の法律によって保護されており、貧しい一人の人間の立ち向かえる相手ではなかった。

▼狙撃犯が「統一教会」の襲撃をあきらめ、代わりに安倍晋三を襲撃対象に選んだことを指して、産経記者は「一方的な恨み」、「過度な思い込みや歪んだ意識」と書く。たしかに安倍晋三と「統一教会」の関わりとして明らかになっているのは、昨年9月、教祖・文鮮明の妻が総裁の「UDP(天宙平和連合)」という団体がウェブ集会を主催した際、動画メッセージを送り、その運動に賛意を寄せたことぐらいであろう。そして安倍晋三が生きていれば、自分は「UDP(天宙平和連合)」という団体の主張に賛意を表しただけで、「統一教会」に関与したわけではないと言い、「統一教会」も、「UDP」は友好団体だが別の独立した団体だと言うことだろう。

 しかし狙撃犯は、安倍と「統一教会」の関係が薄いものであると十分知りながら、それでもあえて安倍を狙ったらしい。
 狙撃犯が犯行の直前に、「統一教会」批判のブログを書いている男に送った手紙や、ネットへの書き込みの一部が、新聞に紹介されていた。(朝日新聞2022/7/18)。
 手紙の中で彼は、安倍について、「本来の敵ではない」、「あくまでも現実世界で最も影響力のある統一教会のシンパの一人に過ぎません」と書いているという。しかし「統一教会」創始者一族を殺害しようと考えたが果たせず、今は安倍を殺すしかない、と思い詰める。「安倍の死がもたらす政治的意味、結果、最早それを考える余裕は私にはありません」。
 またネットへの書き込みでは、「憎むのは統一教会だけだ」、「統一教会が信者を犠牲にして築いて来た今を破壊しようと思えば、自分の人生を捨てる覚悟がなければ不可能」とも言う。これは、古典的なテロリストの覚悟と言ってよい。
 このように状況を整理し、思考を煮詰めてきた狙撃犯の男に対し、「京都アニメ」や大阪市のクリニックの放火殺人事件の犯人と同じカテゴリーと見るのが失当であることは、論を待たない。

▼「霊感商法」と戦っている「全国霊感商法対策弁護士連絡会」は、2019年9月に、「国会議員の先生方へ」と題する要望書を全ての国会議員あてに出した。「旧統一教会やその正体を隠した各種イベントに参加したり、賛同メッセージを送らないで下さい」、「選挙に旧統一教会信者らの支援を受けないで下さい」というのが、その内容だ。
 「霊感商法」は、最近は大きな騒ぎになっていないようだが、「弁護士連絡会」によれば、被害相談は昨年までの5年間に限っても約580件、約54億円に上るという。
 安倍が「UDP(天宙平和連合)」の主催したウェブ集会にメッセージを送った時も、「弁護士連絡会」は安倍に公開抗議文を出し、「統一教会が広く宣伝に使うことは必至」であるから、「今回のような行動を繰り返されることのないよう」強く申し入れた。(「全国霊感商法対策弁護士連絡会」の活動については、新恭のネット記事「祖父・岸信介からのつながり。安倍元首相と統一教会のただならぬ関係」7/15に拠る。)

 筆者が、安倍狙撃犯の生い立ちや経歴、犯行の動機を新聞、TVで知り、感じたのは、二重の意味での「哀れ」さだった。
 第一に、母親が「統一教会」にのめりこみ、家庭は崩壊し、貧窮の中で幼い兄妹三人が成長したことに対して、第二に、安倍晋三を「本来の敵ではない」と理解しながら、それでも「統一教会」への自分の憎悪に決着を付けるため、狙撃しなければならないと思い込んだことに対してである。
 筆者が、この事件の狙撃犯と、自殺の道連れに多くの無関係の人びとを巻き込んだ凶悪犯を、一緒にくくる粗雑な思考に対し、「それは違う」と言わなければならないと強く思ったのも、そのとき感じた「哀れ」さに因るのだと思う。
 狙撃事件後、「統一教会」の「霊感商法」があらためて社会の関心を集め、「統一教会」は弁解に追われている。「統一教会」から支援を受ける自民党議員たちにも、光が当てられはじめた。それらは、「統一教会」にダメージを与えることを期待して安倍晋三に向けられた狙撃犯の行為が、わずかながら生み出したものだ。
 だが、「信仰の自由」という近代社会の大切な約束事を悪用して膨大な金を集め、選挙資金や選挙活動員を提供することで深く政権党に食い込んでいる「統一教会」にとって、所詮は一時の小さな波紋に過ぎないのではないか。そう考えると、狙撃犯に筆者が感じた「哀れ」さは、さらに深まる。

(おわり)

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安倍晋三の死 [政治]

▼元総理大臣の安倍晋三が、一週間前の7月8日に銃で狙撃され、死亡した。参院選投票日の二日前、奈良市内で自民党候補者の応援演説中のできごとだった。
 翌日の新聞は、「民主主義の破壊許さぬ」、「暴力に屈しない」といった見出しを掲げ、政治家へのテロの先例として、昭和初年代に銃撃された浜口雄幸や五一五事件で暗殺された犬養毅、戦後の浅沼稲次郎刺殺事件などに言及した。
 安倍晋三の狙撃犯は41歳の男で、事件現場でおとなしく逮捕された。政治的、思想的な動機で安倍を襲ったのではなく、恨みを持つ宗教団体と密接な関係だったから襲撃した、と供述していると報じられた。犯人は子供のころ父親が亡くなり、そのあと母親がこの宗教団体(統一教会)にのめりこみ、多額の寄付をして父親の経営していた会社を破産させたことについて、強い恨みを懐いていたというのである。
 もし供述どおりの理由から事件が起きたのなら、事件の色調は少し変わるだろう。事件が「悲劇」であることに変わりはないが、「言論への暴力」などとはなんの関係もなく、ただ安倍晋三という政治家の大きな影響力が、日本政治の舞台から突然消えたという問題に、収斂するからだ。

▼安倍晋三の「政治」の評価については、このブログでこれまでに多少触れているので、今回は彼の人間的側面について少し考えてみたい。安倍晋三という人間に、筆者は少し引っかかるものを感じ、それはその「政治」にも影を落としていたと思うからだ。
 もちろん筆者は特別の内部情報を握っているわけではないし、安倍本人に接触した経験があるわけでもない。社会に出回っている情報を筆者なりに取捨選択し、安倍晋三という人間像をとらえた上で、安倍の「政治」を理解しようとする小さな試みにすぎない。そこでは筆者の理解力や判断力も、同時にテストされることになる。

 第二次安倍内閣の官房組織は、官房長官の菅義偉と首席秘書官の今井尚也が軸となって動かしていたと言われる。彼らが官僚組織ににらみを利かすとともに、課題に応えるアイデアを次々に捻り出し、安倍首相を支えた。安倍内閣が歴代最長の長期政権となったのも、安倍を支えるチームが存分に力を発揮したからであり、安倍晋三は部下たちにとって懸命に支えるに値する魅力ある人間であったと、認めてよいだろう。
 安倍晋三は身内や親しい者にやさしく、厚遇する。しかしその反面、自分への批判には神経質に反応し、批判者を潰そうとする。「なるほど、そういう見方もあるか」と、余裕をもって批判を受け止め、自分の考えを批判によってさらに磨くという態度は見られない。
 たとえばライバル・石破茂に対する態度である。石破は2012年の自民党総裁選で、党員票でトップに立ったが国会議員票で安倍に逆転され、安倍は自民党総裁となり、その年の末の衆院選挙で勝利し、首相の座に就いた。
 筆者は、石破茂についても安倍晋三同様、特別な情報を持っているわけではなく、なぜ自民党議員の中で人気が低いのかも知らない。しかしその時々の発言を聞くと、なかなかまともなことを言っているように思う。
 たとえば安倍首相が2017年5月に憲法改正すべき4項目を挙げ、早期実現を目指すと語ったとき、石破が新聞のインタビューに答えた記事が手元にある。安倍は憲法9条について、その1項2項はそのまま残し、第3項に自衛隊の存在を明記する案を改正案の1項目としたのだが、記者はこの提案をどう考えるかと聞いた。石破の答えは次のようなものだった。
 「どう付け加えるのか分からないから、論評のしようがない。2項には陸海空軍その他の戦力は保持しない、国の交戦権は認めない、と書いているわけでしょ。仮に3項に、前項の規定に関わらずと入れれば、(2項の)死文化になる。2項と3項がまったく違う。一種の、トリッキーな、少なくとも真摯な立法姿勢とは思えない。(以下略)」
 記者が、首相には、公明党の理解を得るための“現実路線”だという考えがあるようです、と重ねて聞くと、「ホントに公明さんと正面から議論したうえでのことだろうか。最初から理解を得られないというのは失礼。(自分が)防衛庁長官としてかかわった有事法制は、当時の民主党も賛成した。(国会発議できる勢力の)三分の二からまず入るってやり方は、私の趣味じゃない」。(朝日新聞2017/6/7)

 安倍首相がこういう意見を聞いてどう思ったかは、想像するしかないが、自民党議員が自分に気がねして声をあげない中、率直な意見を聞かせてもらえてありがたい、とは受け止めなかったようだ。安倍が体調不良を理由に2020年9月に首相を辞任したあと、彼の関心は後継総裁に石破を就けないことだけだった、と伝えられている。

▼2019年の参院選挙で、自民党は広島選挙区に二人の候補者を立てた。現職の溝手顕正と県議を務めていた新人の河井案里である。定数2の選挙区だったから二人当選の可能性は高くなく、自民党広島県連は強く反対したが、党本部は強硬に二人の立候補を推進し、河井案里の応援に力を入れた。立候補者には党本部から選挙資金1500万円が配られたが、河井案里には破格の1億5千万円が手渡された。選挙の結果、河井案里は当選し、溝手顕正は落選した。
 この一件には安倍首相の溝手顕正に対する恨みが絡んでいる、とある週刊誌が報じた。
 2007年の参院選挙で当時の阿部首相は惨敗したが、続投の意欲は十分あった。閣僚の一人だった溝手顕正は、選挙の惨敗は首相の責任だとし、「続投を本人が言うのは勝手だが、まだ決まっていない」と批判した。安倍は臨時議会を開き、所信表明演説まで行ったが、その二日後入院し、政権を投げ出した。
 その後も溝手は、首相を退いた安倍について「もう過去の人」と言い、物議をかもしたこともあった。安倍はこの恨みを忘れず、2019年の参院選挙で河井案里を「刺客」としてぶつけたというのである。
 皮肉なもので、河井案里と夫・河井克之元法相は、その後参院選での公職選挙法違反(買収)で起訴され、2021年、有罪判決を受けて議員を辞職した。その過程で、自民党本部から提供された破格の「1億5千万円」がクローズアップされ、自民党幹事長・二階俊博が、「自分は関与していない」と弁解する一幕もあった。
 この問題について広島県連は「説明」と「謝罪」を求めたが、自民党本部は回答していない。

▼歴代最長の首相の座を降りたあと、安倍晋三は党内最大派閥の長となり、キングメーカーとしての力を背景に、政治・外交・安全保障全般に活発に発言をするようになった。菅義偉に替わって総理の座に就いた岸田文雄は、安倍の怒りを買わないように事あるごとに意見を聞き、あるいは事前に説明して了解をとらなければならない。

 ひと月ほど前に自民党の「財政健全化推進本部」の事務局長は、会合のあと安倍から直接怒りの電話を受けた。「君はアベノミクスを批判するのか?」
 事務局長は、「批判していません」と理解を求めたが、安倍は、「周りはアベノミクス批判だと言ってるぞ」と、なおも言った。
 推進本部で取りまとめた文書の中に、「近年、多くの経済政策が実施されてきたが、結果として過去30年間のわが国の経済成長は主要先進国の中で最低レベル」、「初任給は30年前とあまり変わらず、国際的には人件費で見ても『安い日本』となりつつある」といった経済分析が、盛り込まれていたからである。(朝日新聞2022/6/3)
 しかしアベノミクスの最初の1年と少しの間こそ、「異次元の金融緩和」の斬新さが市場から好感を持って迎えられたが、結局デフレ脱却には至らず、本丸であった「成長戦略」はついに不発だった。その結果、現状は上の経済分析の言うとおりなのだ。

 公の責任を負わない、負えない位置にいる人間が、キングメーカーとして大きな力を発揮し、周囲はその機嫌を損ねないように行動する。そこではアベノミクスや対ロシア外交の失敗を率直に検討することは許されず、そうした不健全な政治の世界が、安倍の力が衰えるまで続く。―――
 そう考えるなら、酷な言い方になるが、安倍晋三の不慮の死は、日本の政治にとって悪いことだけではなかったと、筆者は思う。

(おわり)

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「韓国人の国民性」補遺7 [政治]

▼この「声明」ほど説得力がなく、突っ込みどころ満載の文章も、近ごろ珍しい。
 「声明」は「感情的でなく、冷静で合理的な対話」を呼びかけているのだが、昨年10月末の韓国大法院の判決以降、説明を求める日本政府に対し、7カ月以上韓国政府からは無しのつぶてであり、まともな交渉に応じてこなかったことには、一切触れていない。
 現在の日韓の関係悪化の発端になった事件は、この大法院判決以外にもいくつかあるが、両国の信頼関係を基礎から揺るがす最大の問題は、「請求権協定」の問題である。韓国政府も、「請求権協定」によって元徴用工への補償問題は、韓国国内の問題は別にして、解決済みとなったと認めていた。それを韓国最高裁がひっくり返したのだ。
 「朝鮮日報」の「読者権益保護委員会」で、韓国の有識者は、「外交をめぐる裁判においては行政府の判断を尊重するという国際法における原則(司法自制原則)が守られなかったことは遺憾」であり、「韓国政府が国際法を無視したという側面を明確にすれば、問題解決のきっかけをつかむことができる」という趣旨の考えを表明している。問題の要点を突いた良識ある発言だが、「声明」はこの問題を考える際に不可欠の、条約と国内司法の関係を律する原則にも、何ひとつ触れようとしない。
 「声明」の語る「弁解」ないし「主張」は、次のようなものだ。
「問題になっている元徴用工たちの訴訟は民事訴訟であり、被告は日本企業です。まずは被告企業が判決に対して、どう対応するかが問われるはずなのに、はじめから日本政府が飛び出してきたことで、事態を混乱させ、国対国の争いになってしまいました」。
 日本政府が「飛び出してきたことで、事態を混乱させ、国対国の争いになってしまいました」というのだが、本当だろうか。民事訴訟を裁く法規自体が、韓国政府(大審院)によって勝手に変えられ、それによって日本企業が不利益な処分を受けたのだから、「法規」を協定の形で定めた日本政府の出番であり、国民(企業)を保護することが政府の責務である。もしここで日本政府が「飛び出して」行かなければ、国家が国民を保護するという大切な機能を放棄するわけで、近代国家としての存在理由に関わる重大な事態となることだろう。

 「声明」は、「請求権協定」によってすべてが解決したわけではないと主張する。「解決済み」でない証拠として持ち出すのは、日本政府によるサハリンの残留韓国人の帰国支援や被爆した韓国人への支援、「日韓慰安婦合意」により日本政府が国費10億円を支出した事例である。「こうした事例を踏まえるならば、議論し、双方が納得する妥協点を見出すことは可能だと思います」と、「声明」は言う。
 大戦末期にソ連が樺太を占領し、日本人は樺太から国内に引き揚げることができたが、韓国人はソ連と韓国が国交を持っていなかったこともあり、故国に帰ることができなかった。それは主として韓国政府の責任だと思うのだが、人道上見過ごすことはできない問題として、日本政府は90年代に経費を支出し、帰国できるように支援した。また、広島で被爆した韓国人に対し2000年代に入ってから、日本人被爆者に準じた支援措置を講じた。
 しかし、こうした例外的な対応措置と「元徴用工」への補償問題を、一緒にすることはできない。「元徴用工」への補償問題は請求権協定の本丸であり、それは文字通り「完全かつ最終的に解決」されたものだからである。例外的な措置につけ込み、例外の穴を拡大していけば、協定本体も“有利”に動かすことができるだろうという「声明」の姿勢は、彼らの意図について強い疑念を懐かせる。

▼筆者がもっとも違和感を感じ、賛同できないのは、「声明」の基本姿勢である。「声明」は主張する。「植民地支配が韓国人に苦痛と損害を与えたことを認め、それは謝罪し、反省すべき」だという認識を基礎にして日本政府が韓国と向き合うならば、「現れてくる問題を協力して解決していくことができるはず」であると。
 彼らは正気なのだろうか、それとも政治的な意図をもって、そのように発言しているのだろうか。あるいは単に知的に怠惰なだけなのか。
 問題解決のために筆者が前々回のブログで主張したことを、再掲する。
 《対立する日本と韓国の関係を、かっての特殊な関係として復元することは、もはやできない。特殊な関係ではなく、普通の国と国、国民と国民の対等な関係として、再構築しなければならないのであり、そのためには歴史を歴史として適切に扱う態度が欠かせない。ことあるごとに「歴史」を政治のテーブルに持ち出して相手を非難したり、「歴史」のゆえに相手の無理な言動を受け入れるという態度は不健全であり、ともに批判されなければならないのだ。》
 「歴史」に関わるあいまいで隠微で不健全な姿勢を俎上に乗せ、明るい場所で検討することができるなら、今回の日韓対立問題もいくらかの意味があるかもしれない。この問題について、五百旗頭真が新聞への寄稿で同じ趣旨のことを書いていたが、その言葉が見事だったので記録しておこうと思う。
 「日本人が過去を無視するのは間違いであるが、韓国人が過去に支配され続けるのは、それ以上に誤りである。」(「毎日新聞」9/12)

 以前紹介した『韓国人が書いた韓国が「反日国家」である本当の理由』の中で、著者・崔碩栄は自分の体験を書いている。彼が日本に留学していたとき、千葉の日本語学校の寮に友人がいたので遊びに行った。そこでベトナムからの留学生と知り合い、ベトナム戦争当時の韓国軍の所業について「申し訳ないと思う」と、崔は話した。
 ベトナムからの留学生は、次のように言ったという。「それはあなたが犯したことではないし、個人の力で止められることでもなかった。そして私がその被害者でもない。あなたの気持はわかるが、初めて会った私にそのような罪の意識を持っていたら、あなたと私は友達になれない。同等な立場で話し合えるのが友達だ」。
 崔はこの経験から、次のように考えるようになる。「日本社会が韓国に気を使い、一方的な加害者の立場に立ち続けることも望ましくない。いつまでもそのような加害者意識をもって相手を眺めることこそ、韓国に対して失礼という見方もできるのではないか」。この言葉に、筆者は何も付け加えることはない。
 「声明」が、「韓国は『敵』なのか」と日本社会に問いかける疑問形で提示されているので、筆者なりに答えておこう。「韓国人は『敵』ではない。しかし「声明」を形づくるグロテスクな姿勢と思考が、日本人と韓国人の友好の『敵』であることは確かだ」と。

▼さて最後に、問題のこれからの見通しと感想を、少しだけ述べてみたい。
 これから確実に焦点となるのは、差し押さえられた日本企業の資産の「換金」の問題であることは、誰もが一致している。韓国政府も「換金」を認めれば、関係の悪化に致命的な一撃となることはわかっているが、朴政権の要請に応えて「元徴用工」訴訟の判決を遅らせた司法府を「積弊」と非難し、元大法院長を起訴した以上、同様の手段を取ることは難しい。
 今の韓国政府の、国民の日本への対抗意識を政権維持の力に利用している姿勢からすれば、「換金」が年内に実施される可能性は高いのではないか。

 この問題に影響すると思われる一つの要素は、「米朝会談」の行方である。北朝鮮はトランプの足元を見て強気の攻勢をかけている。トランプは自分の大統領再選のために、国連安保理事会決議に明瞭に違反する北朝鮮の短距離ミサイル実験を黙認し、潜水艦からのミサイル発射実験も非難できない。
 本来韓国にとって大きな脅威である北朝鮮の核・ミサイルの開発であるにもかかわらず、文政権は米国がそれを黙認し、それを梃子に韓国が北朝鮮との間で経済的関係を深めていくことを望んでいるらしい。もしその方向に状況が動くなら、文政権は日本に対して自信をもって強く出てくるだろう。

 筆者は以前のブログで、「日本政府が採った『貿易管理上の優遇措置を韓国に適用しない』という措置は、役人的な理屈は通っているようだが、全体のスジからいうとかなり座りの悪い対応」だ、と述べた。なまじ「役人的な理屈」に重きを置いたために、本来の戦場ではないフィールドで戦いが行われ、「協定」違反が議論されないという状況は、日本政府の望んだものではなかっただろう。日本が韓国に対しまだどのようなカードを持っているのか、筆者は何も知らないが、韓国政府や韓国人との交渉は、国内の交渉ごとのようにはいかないようだ。

(この稿おわり)


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[韓国人の国民性」補遺6 [政治]

▼韓国社会に、文大統領の言葉を喜んで迎える「反日感情」が健在であることは、確かなようだ。しかしそれに同調しない人びとが存在することも、また確かである。
 「朝鮮日報」に「読者権益保護委員会」の委員の発言が載っていた(7/12記事入力)ので、長くなるが紹介したい。「読者権益保護委員会」とは、「朝鮮日報」の読者代表の立場から紙面を批評する場らしく、委員は学者や元国会議員、弁護士などから選ばれている。7月8日の定例委員会での委員たちの発言は、記者によって整理された形だが、次のようなものであったらしい。

 「昨年10月の大法院判決をめぐっては、歴史的客観的事実をすべて整理して報じなければならないが、そのような記事は見られなかった。それがないと強制徴用被害者の個人請求権が1965年の協定によって消滅したのか、あるいは大法院判決のとおり有効なのか、判断できない。どちらが正しいのか、政府に協定に関する立場を問いたださなければならない。ところが政府は、自分たちの立場や考えがなく、大法院が決めたことなので関与できないという言葉を繰り返している。それでは日本に対し、問題解決を大統領と政府にではなく、大法院に求めるように言え、と言うのか。
 2005年に盧武鉉政権は韓日国交正常化交渉に関する外交文書を公表したが、当時の官民合同委員会は、強制徴用被害者への個人請求権は事実上消滅した、との結論を下した。この委員会には文在寅大統領も、政府側委員として参加していた。朝鮮日報は、委員会の審議の根拠や結論、朴正熙大統領や盧武鉉大統領の下で特別法を制定し、徴用被害者に補償が行われた事実も伝えなければならない。当時どのようにして徴用被害者が選定されたのか、その補償のレベルは適切だったのか、ということも取り上げ、今回の事態を解決する糸口を模索する企画が欲しい。
 朝鮮日報は、両国の信頼関係がなぜ傷ついたのか、その解決策は何かなど、十分な議論を紙面に載せていない。外交対立を報じるだけで終ってはならない。政府は慰安婦問題解決を目指す「和解・癒やし財団」を解散し、大法院は国家間の条約(協定)を認めない判決を下した。これらが日本に口実を与えた。日本政府にも責任はある。しかし政府の間違った外交政策により、非常に多くの国益が失われたにもかかわらず、これを十分に批判できていない。
 朝鮮日報は、日本による経済報復問題を解決するため、韓日首脳会談と米国による仲裁を提案したが、どちらも説得力がない。G20でできなかった首脳会談を実現するためには、韓国側が何らかの解決策を新たに提示しなければならない。米国は、まず日韓両国が協議することを望んでいるのであり、現在のような状況でワシントンを利用するのは難しいと考えるべきだ。―――」

 朝鮮日報紙面で引用、紹介された元国立外交院長(尹徳敏)の「条約」に関する言葉も、委員会では肯定的に話題になったらしい。尹氏の言葉とは、「国家間で締結された条約を覆す判決に、はたして何の意味があるのか。国際法上の司法自制原則が守られなかったことは遺憾」というものである。「司法自制原則とは、外交をめぐる裁判においては行政府の判断を尊重するという国際法における原則だ。韓国政府が国際法を無視したという側面を明確にすれば、問題解決のきっかけをつかむことができる」という説明がそのあとに付いていたが、そのような発言が「委員会」であったということなのだろう。

▼日本語として意味がよく通るように、手を入れたところや削った部分がいくつかあるが、記事の大部分はそのまま書き写した。韓国の有識者の中に、問題を明確に捉えている人びとがいることは、文大統領の救いがたい“内向き”の言動ばかり見せられてきた者には、新鮮な驚きだった。
 しかしこれらの意見を韓国社会で公にすることは、容易ではないようだ。大法院判決を世論が歓迎し、国会議員も与野党をあげて歓迎し、マスメディアの多くも基本的に歓迎している。文在寅の政治に批判的な「朝鮮日報」も、判決を表立って批判することはできず、発生した事態を理性的に解析する声を紙面に載せることはできなかったのである。
 しかし黒田福美が言うように、「韓国社会は内側からしか変わらない」、「自浄努力で変わるしかない」のだとすれば、外から韓国批判をする場合にも、理性的な声の存在を念頭に置く必要がある。「親日批判」の言動が幅を利かす韓国社会もけっして「反日」一色ではなく、理性的に日本と韓国を見つめ判断する人びとも存在するのであり、彼らが立場をなくすようなやり方は注意して避けるべきであろう。

 韓国の有識者の中に問題を明確に捉えている人びとがいることは、「新鮮な驚き」だったが、一方、日本の有識者の中にあいも変わらぬ言説をなす人びとがいることにも、感じるものはあった。
 彼らは、「韓国は『敵』なのか」という声明文(7月25日の日付)を発表し、日韓両国民の友好を言い、日本政府が7月初めに表明した「韓国に対する輸出規制に反対し、即時撤回を求め」た。この声明文には「呼びかけ人」として78人が名を連ね、そのうち和田春樹、内海愛子、内田雅敏、田中宏など7人が「世話人」だという。筆者が感じたものは、知的孤立を恐れぬある種の“勇敢さ”と、昔ながらの知的スタイルに安住する“鈍感さ”であるが、まずは「声明」の中身を見ることにしよう。

▼「特別な歴史的過去をもつ日本と韓国の場合は、対立するにしても、特別慎重な配慮が必要」だと、「声明」は言う。「日本の圧力に『屈した』と見られれば、いかなる(韓国の)政権も、国民から見放されます」。「日本の報復が韓国の報復を招けば」、「両国のナショナリズムは、しばらくの間、収拾がつかなくなる可能性があります」。
 「今回の措置で、両国関係はこじれるだけで、日本にとって得る者はまったくないという結果に終わるでしょう。問題の解決には、感情的でなく、冷静で合理的な対話以外にあり得ないのです。」
 このあと安倍首相が施政方針演説で韓国には一言も触れず、6月末のG20の会議でも文大統領を無視し、立ち話もしなかったことを挙げ、「これでは、まるで韓国を『敵』のように扱う措置になっていますが、とんでもない誤り」だと言う。そして1998年に金大中大統領が来日し、小渕恵三首相とともに行った「日韓パートナーシップ宣言」について触れ、「日韓は未来志向のパートナー」だと述べたあと、「元徴用工」の問題に入る。

 韓国併合条約が法的に有効か無効かをめぐって、日韓の解釈の違い(日韓基本条約第2条はこれを「もはや無効である」という表現で妥協した。)があったが、基本条約締結後半世紀が経ち、日本政府も国民も変わった。「植民地支配が韓国人に苦痛と損害を与えたことを認め、それは謝罪し、反省すべきことだというのが、大方の日本国民の共通認識」になった。この認識を基礎にして日本政府が韓国と向き合うならば、「現れてくる問題を協力して解決していくことができるはず」だと、「声明」は言う。
 「問題になっている元徴用工たちの訴訟は民事訴訟であり、被告は日本企業です。まずは被告企業が判決に対して、どう対応するかが問われるはずなのに、はじめから日本政府が飛び出してきたことで、事態を混乱させ、国対国の争いになってしまいました」。
 「日韓基本条約・日韓請求権協定は両国関係の基礎として、存在していますから、尊重されるべきです。しかし、安倍政権が常套句のように繰り返す『解決済み』では決してないのです」。「解決済み」ではなかった証拠として、サハリンの残留韓国人の帰国支援や被爆した韓国人への支援、「日韓慰安婦合意」により日本政府が国費10億円を差し出した事例などを上げ、「こうした事例を踏まえるならば、議論し、双方が納得する妥協点を見出すことは可能だと思います」と、「声明」は主張する。
 最後に、「日本政府が韓国に対する輸出規制をただちに撤回し、韓国政府との間で、冷静な対話・議論を開始することを求め」、「安倍首相は、日本国民と韓国国民の仲を裂き、両国民を対立反目させるようなことはやめてください。意見が違えば、手を握ったまま、討論を続ければいいではないですか」と述べて、4千字ほどの「声明」は終わる。

(つづく)

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「韓国人の国民性」補遺5 [政治]

▼今回の日韓対立はこれまでとは違うと、これまで韓国にさまざまな関わりを持ってきた人びとは口をそろえる。黒田福美も、「5~6年前とは明らかに違う段階」だと感じ、これから先どうなるか、「正直なところ、わからない」と言う。
 たしかに日韓の基本関係を定めた協定が反故にされ、その重大な事態に一方の当事者が真面目に向き合おうとしないという状況は、信頼関係の基本を崩すものであり、これまでにない深刻な状況と言える。だが日韓関係の「変質」は、近年になって急に発生したというものではなく、時間とともに徐々に進行してきたものと見るべきなのだろう。
 90年代までは両国間に争いが発生しても、争いを収める力が強く働き、対立を収拾してきた。韓国にとって日本の経済力は圧倒的に大きく、対立を長引かせることは不利だったし、また日本側では戦前戦中の歴史への反省から、韓国に対して微妙な負い目の意識があり、韓国の言い分や態度を大目に見る傾向もあった。
 しかし現在、韓国にとって日本の存在感は相対的に小さくなり、また北朝鮮への融和的な外交政策により自らの政治的支持基盤に応えようとする文政権にとって、日本との関係悪化は何が何でも避けなければならない事態ではなくなっている。一方日本には、韓国にこれまで幾度も約束や期待が裏切られたという思いが蓄積され、韓国とは関係をもちたくないという“韓国疲れ”の感情も強まっているように見える。

 だが、いかに気に入らないとしても、お互い引っ越すわけにもいかない以上、これから顔を合わせることをやめるわけにはいかない。また“韓国という刺激”は、一方で混乱と不快感をもたらすとしても、小奇麗なだけでハングリー精神を失った日本社会に、新たな活力や社会発展のダイナミズムを与える力を持っているようにも思う。縮小していく日本社会の将来を考えるなら、現在の「韓国疲れ」の感情や「韓国叩き」の快感に流されるのではなく、冷静に長期的利益を考え、賢明な行動をとらなければならない。

▼日本と韓国の国力の差が厳然と存在した時代、韓国は引け目を感じ、日本に追いつき追い越すために大きな努力を強いられていた。一方、日本は韓国を併合して統治した過去を持ち、そのことがもたらした「多大の損害と苦痛」に対し、「痛切な反省と心からのお詫びの気持」(日韓併合百年にあたっての菅首相談話)が、負い目として韓国への日本の言動を拘束してきた面があった。つまり日韓間には実利と心理の眼に見えない微妙なバランスがあり、それが争いごとが生じた場合に、対立の収拾に向けて有効に機能していたと見ることもできるだろう。
 しかしそのような特殊な関係は、すでに過去のものになった。韓国側は自らの力が増大し、日本の存在感が薄れたという思いを隠そうとしないし、日本の側は、かって覚えていた過去への負い目が、現在の韓国の言動がもたらす不快感、不信感によって、文字通り過去のものとなったと感じているからである。
 対立する日本と韓国の関係を、かっての特殊な関係として復元することは、もはやできない。特殊な関係ではなく、普通の国と国、国民と国民の対等な関係として、再構築しなければならないのであり、そのためには歴史を歴史として適切に扱う態度が欠かせない。ことあるごとに「歴史」を政治のテーブルに持ち出して相手を非難したり、「歴史」のゆえに相手の無理な言動を受け入れるという態度は不健全であり、ともに批判されなければならないのだ。

▼たとえば文在寅大統領である。元徴用工訴訟の判決について、日本政府からの批判や協議要請に韓国を代表して応じるべき立場にあるにもかかわらず、「三権分立」を言い訳に使って真剣に取り組もうとしない。今年の新年の記者会見では、「この問題は韓国政府が作り出したものではない」と言い、「韓国と日本の間の不幸な歴史」が問題の原因なのに、それを謙虚に直視せず、「日本の指導者が政治争点化している」と発言したと報じられた。(『毎日新聞』1/11)
 また8月29日の閣議で文は、「日本は正直でなければいけない。日本は経済報復の理由を正直に明らかにしていない」と、前日から施行された韓国を輸出管理の「ホワイト国」から外す措置を非難し、次のように発言を続けた。「過去の過ちを反省もせず歴史を歪曲する日本政府の態度が、被害者の傷と痛みを深めている」、「日本は過去を直視することから出発し、世界と協力して未来に進まなければいけない」、「一度反省したので反省が終わったとか、一度合意したので過去は過ぎ去ったとすることはできない」―――。(『中央日報』日本語版8/29)
 「過去」や「歴史」は、文大統領にとって何よりの頼もしい味方らしい。彼は日本政府からの批判があると、たちまち「過去」や「歴史」のトーチカに逃げ込み、「反省しない日本」、「歴史を歪曲する日本」を言いつのることで、戦線を立て直そうとする。

 しかし筆者は思うのだが、1910年から1945年までの36年間が「過去」であるなら、1965年から現在までの54年間も「過去」ではないか。大日本帝国に併合された屈辱の歴史があったことが「本当」なら、独立国家として日本と韓国が協力し、ともに発展してきた「過去」も「本当」ではないか。
 そんなことを漠然と思っていたときに、河野太郎の発言を耳にし、その斬新さに感心した。
 河野外務大臣(当時)は記者会見(8/27)で、外国人記者から、「韓国政府が、日本は歴史問題への理解が足りない、と指摘していることにどう答えるか」と質問された。河野は、「いま日韓の間で最も重大な問題は、65年の協定に関することだ」と述べたあと、次のように続けたという。「韓国が歴史を書き変えたいと考えているならば、そんなことはできないと知る必要がある」。(『毎日新聞』8/28)
 質疑は英語で行われたということだから、その明瞭率直な発言の幾分かは英語という言語のお陰かもしれないが、切れ味の鋭さも内容の適切さも、日本の大臣の発言として出色のものだと思う。

 韓国の政界は、左派だけでなく保守派も、日本の韓国統治を「不法」と認めさせられなかった1965年の日韓基本条約や協定について、不満を持っているという。文大統領をはじめとする左派は、「親日派」批判にかこつけて条約を結んだ朴正熙大統領の業績全体を貶めようとし、保守派はそれに反発するが、基本条約や協定に対する心情としては共通するものがあるらしい。元徴用工へ補償を命じる判決を下した裁判官を支配していたのも、同じ心情だと言える。
 だが彼らの、「この歴史は間違っているから『正しい歴史』に変えよう」という発想と、それを無茶苦茶な「法解釈」で「実現」してしまう“内向き”の情熱は、とても近代国家の指導的立場にある者の態度ではない。
 上の文在寅大統領の閣議での発言は、河野の記者会見の2日後だから、それを念頭に置いているのだろうが、その古色蒼然としたステレオタイプの日本批判の言葉は、韓国の国民をゲンナリさせないのだろうか。

(つづく)

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「韓国人の国民性」補遺4 [政治]

▼元徴用工訴訟の判決に関する日韓両政府の対応について、話を続ける。
 外務省に呼び出された韓国大使が河野外相に説明しようとし、河野から「きわめて無礼でございます」と拒否された「韓国側の構想」とは何か。
 韓国政府は6月19日に、元徴用工訴訟の判決に関して初めて「対応策」の提案をした。日本の「戦犯企業」と請求権協定で利益を得た韓国企業が拠出金を出し、これを財源にして判決で出された金額を徴用被害者に慰謝料として支給する、という内容であった。しかし日本の外務省は「この提案は協定違反という状況を是正するものではない」と、1時間もしないうちに拒否した。この「対応策」は韓国内ではどのように見られたか、「朝鮮日報」の翌日の社説(6/20)が取り上げているので、要旨を紹介する。

 韓国政府は昨年末の大法院の賠償判決後、首相が作業部会を設置したが、7カ月以上たっても何の対策も打ち出せずにいる。文政権は前政権の対日外交を「積弊」の第一に挙げて罵倒しているだけに、徴用工問題で現実的な代案を見出すのは難しかったことだろう。
 外交専門家たちが今年初め、「両国企業の拠出金」案を出した時、韓国大統領府は「非常識な発想」だと言って無視し、日本も否定的な見解を示した。韓国政府はG20サミットを前に両国間の火種を大慌てで消そうとして「拠出金」という切り札を再び切ったが、失敗は目に見えていた。このため、「韓国政府は日本が受け入れないことが分かっていながら、批判や責任を避けようと提案したのでは」という声もある。
 韓日関係がギクシャクするのは今に限ったことではないが、これほどまでに冷え込んだことはなかった。首脳会談が実現しなければ、両国関係はいっそう泥沼にはまる恐れがある。これほど異常な状況をいつまで放置するつもりなのか。―――

 正確を期すなら、今年の1月に韓国の外交専門家たちが提案したのは、「両国企業の拠出金」案ではなく、「韓国政府と韓国・日本の企業が参加する第三者基金案」だったらしい。韓国政府は上の社説のような指摘に対し、「今回の提案は、政府が抜けて両国企業が自主的に行うものだから、『非常識な発想』だと言った基金案とは違う」と弁解しているという。(「朝鮮日報」6/26)

 1965年の日韓政府の協定の結果、韓国政府はいわゆる「対日請求権資金」を一括して受け取り、元徴用工の未払い賃金など韓国の個人請求権保有者に対し、補償義務を負うことになった。この方式は、個人の請求権項目をひとつひとつ明らかにして解決することが不可能だという理由で韓国政府が主張し、その主張を入れる形で協定が結ばれたのである。だから元徴用工の「請求権」に対し、第一に補償義務を負うのは韓国政府であることは明らかであり、日本と韓国の企業に「自主的」に負担させて済ませてしまおうという韓国政府の「提案」は、スジの悪い冗談とでも言うほかない。日本政府が「1時間もしないうちに」拒否したのは、当然と言わなければならない。

▼さて、問題をどう解決すべきなのか、どう解決することが可能なのかを考えなければならないのだが、韓国側の反応が日本人一般にはどうにも理解しがたい、という問題から考えていきたい。
 韓国をよく知る女優・エッセイストの黒田福美へのインタビューが、日経ビジネス電子版(3/11)に載っていた。黒田女史については記事の中の紹介欄に、「女優として活躍する傍ら、1980年代から韓国に往来するなど30年以上にわたって韓国との友好親善に努めてきた。2011年には韓国政府から『修交勲章興仁章』を叙勲」とあった。

 日経ビジネス記者の、日本政府の対応をどう感じているかという問に、黒田は、「日本人の怒りが韓国に伝わっていない」と答える。政府はよく「遺憾」という言葉を使うが、それは本来「残念」という意味ではないか。韓国にも同じ「遺憾」という言葉があり、若い女性でも日常的に使う。日本政府が「遺憾」と言っても、韓国語になると非常に軽い感じにしか聞こえない。
 国民性としても言葉を額面通りにしか受け取らないところがある。日本人が控えめに怒りを表現すると、たいして怒っていないと感じるのです。怒っているときは120パーセントくらいに表現して、ちょうど100パーセントの意味に汲み取ってくれると思った方がよい。日本が怒っていることに、韓国人は気づいていない―――。
 では、韓国人は現在の日韓関係についてどう考えているのか、という質問には、日本のように日韓間に起こっている問題がほとんど報道されていないので、一般庶民は知らないし、関心の持ちようもないのが現実だ、と黒田は言う。
 日本のワイドショウの功罪はいろいろ言われるが、政治・経済・事件・事故の事実関係をわかりやすくレクチャーしてくれる、という利点はある。韓国のTVは、バラエティー番組は主に芸能人の話題ばかりで、政治を扱うとなると日曜討論会のような堅苦しいものかニュースが中心となる。よほど向学心を持っている人でないと、社会的な話題に疎くなる。
 そして次のように言葉を補足した。韓国に行きはじめた35年前は、日本語を話せる年寄りがたくさんいて、日本人だと分かると、なつかしそうに日本語で話しかけてくる人も珍しくなかった。しかしそういう日本時代を知っている世代が亡くなり、観念的な反日を叩き込まれた世代が、今、激しくまた純粋に反日活動をしている、という側面もあります。

 今後の日韓関係は、どうなっていくと見ているか、と記者が聞くと、黒田は次のように答えている。
 「正直なところ、どうなるかわからないですね。5~6年前とは明らかに違う段階だと思います。韓国は日本から何か言われて変わることはないでしょう。自らの気づきが必須だと思います。自浄努力で変わるしかないですが、そうなるとかなりの時間が必要だと思います。」
 日本はどう対峙すべきなのか、という質問への答えは、次のようなものだった。
 日本人の道徳観は「善悪」が基本だが、韓国人は「損得」が大切である。日本人は韓国人が「ゴールポスト」を動かすと言うが、彼らにはそんな意識はないと思う。言葉の重みが日本人とは違うからだ。言葉は彼らにとって相手を自分の思うとおりに動かす手段なのであり、自分の発した言葉に責任をもつという意識は薄い―――。

▼黒田福美の発言は、大いに参考になるものと思う。
 筆者は「朝鮮日報」の日本語版を流し読みしているが、今年の5月から6月にかけて、韓国の与野党の議員が日本の要人に会おうとやってきて会えなかった、とか、そうそうたるメンバーが出かけたのに、対応したのは日本の一年生議員一人だった、という記事をいくつも目にした。そのことによって韓国側は、「日本が本気で怒っている」事実に遅まきながら気がついた、という趣旨の記事だった。黒田女史が3月のインタビューで、「韓国に日本人の怒りが伝わっていない」と言っていることと附合する話である。そして韓国政府の「国際法違反の状態を放置している」無責任な態度の幾分かも、「日本が本気で怒っている」ことが伝わっていないことに起因していたのかもしれない。
 また、今の日韓関係に、「観念的な反日を叩き込まれた世代」の「純粋」で激しい「反日意識」が反映しているという彼女の認識も、黒田勝弘や崔碩栄の判断と一致している。

 黒田福美は日韓関係の改善のために、ネットを使って「日本人の率直な考えや歴史的事実」を発信していく必要性を語っているので、最後にそれを紹介したい。
 彼女は2008年に慶尚南道の泗川市で、旧日本軍の朝鮮人特攻隊員の慰霊碑を建てようと、仲間と準備を進めた。しかし除幕式の前日になって市から式典の中止を求められた。「特攻隊員は日本の戦争に協力した親日派だ」という反日団体の圧力があり、市がその圧力で態度を変えたからである。慰霊碑も市の手で壊されてしまった。黒田は、まさか行政に裏切られるとは思ってもみなかったが、そういうことがままあるのが韓国なのだと悟る。
 そういう体験を経て黒田は、日韓関係の改善には、韓国社会や国際社会に対して発信することが重要だ、と考えるようになる。韓国の若者はユーチューブなどよく見ているし、文政権の下で地上波では自分たちの意見が取り上げられない保守派も、ネット番組を使ってどんどん発信している。日本もネットを使い、「日本人の率直な考えや歴史的事実」をもっと活発に発信するべきだと思います。―――

(つづく)

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「韓国人の国民性」補遺3 [政治]

▼韓国と日本の現在の紛争の問題に、話を戻す。「1965年の国交正常化以来最悪」といわれるこの間の関係悪化の経緯を、まず年表風に示すことにする。

・2018年10月 韓国済州島近海で行われる国際観艦式(10/11)への自衛艦の派遣について、主催国・韓国が「旭日旗」の掲揚を自粛するよう求め、観艦式への参加を取りやめる事件が発生
・10月30日 韓国最高裁(大法院)で元徴用工への新日鉄住金の賠償を命じる判決が確定
・11月21日 韓国政府、慰安婦問題に関する日韓合意に基づき設立した「和解・癒やし財団」を解散すると発表。(19年7月3日解散登記完了)
・11月29日 韓国最高裁が三菱重工業など二社に、元徴用工等への損害賠償を命じる判決
・12月~1月 韓国海軍の駆逐艦が海上自衛隊の哨戒機に「火器管制レーダー」を照射した事件と、その事実をめぐるその後の非難の応酬

・2019年1月3日、元徴用工訴訟の原告の請求により、新日鉄住金の韓国にある資産の差押えが認められる。
・1月9日 日本、請求権協定に基づく協議を要請。
・1月10日 文大統領が記者会見で、元徴用工問題について質問され、「日本の政治家が政治争点化し、拡散していることは賢明な態度ではない」、「日本政府はもう少し謙虚な態度を示すべきだ」、「(最高裁判決について)三権分立で政府は介入できない」と述べた。
・3月1日 「三・一独立運動」から百年になる記念式典で、文大統領は元徴用工訴訟の判決や元慰安婦にかかる日韓合意については直接触れず、「親日の残滓を清算することは長く先送りされてきた宿題だ」と演説した。
・5月20日 日本政府、請求権協定に定める仲裁委員会の設置に向け、委員の任命を韓国政府に要求
・6月19日 日本政府、仲裁委員の指名に韓国政府が応じなかったため、3人の委員全員の指名を第三国に委ねるという次の手続きに移ることを通告
・6月19日 韓国政府、「日本と韓国の企業の拠出金で元徴用工らを支援する案」を発表。日本政府はただちに、「国際法違反の状況を是正するものではない」と拒否。
・6月28日~29日 大阪でのG20サミットで、安倍首相と文大統領の会談実現せず。
・7月1日 日本政府、韓国向けの半導体素材3品目の輸出管理を強化することを発表
(7月4日から実施)
 〔韓国政府は猛反発し、自由貿易の原則に反すると強く非難。対抗策を模索し、国際社会に訴えるためにWTOへの提訴の検討に入る。韓国社会に、日本製品の不買運動や日本旅行のボイコットなど、日本批判の運動起こる。〕
・8月5日 日本政府、輸出管理の優遇措置の対象である「ホワイト国」から韓国を外すことを閣議決定。(28日から政令施行)
 〔文大統領は国民向け談話で日本の閣議決定を、「加害者の日本が“盗人猛々しい”(賊反荷杖=過ちを犯したものが何も過ちのない人を咎める)」と非難。日本の外務副大臣が、「盗人猛々しいと品のない言葉まで使っているのは異常だ。日本に対して無礼だ」とTVで発言すると、韓国外交部は「(次官級の官僚が大統領を批判するとは)国際礼儀と常識に全く合致しない」と、日本側に遺憾の意を伝えたという。〕
・8月15日 「光復節」で文大統領、日本に対する直接的な批判は避け、「日本が対話と協力の道に進むなら、喜んで手を握る」と演説。
・8月22日 韓国政府、日韓の「軍事情報包括保護協定(GSOMIA)」の終了を決める。

▼この1年弱の間の日韓関係を眺めて感じることは、第一に、韓国政府が元徴用工に関する最高裁判決が出たあと、対日関係においては責任ある政府としての機能を停止してしまったということである。
 日本と韓国の国交を樹立した基本条約・協定を基礎から揺るがす判決が出、抗議する日本と歓迎する国内世論の間で、韓国政府はきちんとした説明ができず、日本の協議の要請に応じることができない。請求権協定の解釈に異同がある場合に備えて定められた仲裁委員会を設置することにも同意せず、日韓関係は韓国政府の一方的な不作為によって危機に瀕しているわけである。
 第二に、国際観艦式で自衛艦に「旭日旗」を掲揚しないよう要請したり、慰安婦問題に関する日韓合意に基づき設立した「和解・癒やし財団」を一方的に解散したり、韓国海軍の駆逐艦が海上自衛隊の哨戒機に「火器管制レーダー」を照射し、その後非難の応酬の水掛け論でうやむやにした事件を見ていると、文在寅政権が日本との関係を大事に考えているとは誰も思わないだろう。文大統領の第一の関心は北朝鮮との関係改善であり、対米対中関係は国の存亡にかかわる重要問題だが、国力が相対的に低下し存在感が薄くなってきた日本との関係は、「国民感情」を見ながら適当に対応していけばよい、というぐらいの認識だったように見える。
 第三に、日本政府が採った「貿易管理上の優遇措置を韓国に適用しない」という措置は、役人的な理屈は通っているようだが、全体のスジからいうとかなり座りの悪い対応なのではないか。
 日本政府は、「輸出規制ではなく、韓国の輸出管理に不適切な事例があったから、手続きの優遇を止めただけだ」と説明し、請求権協定に違反する状況をいつまでも続ける韓国政府に、是正を促すための措置だ、とは言わない。韓国政府は猛烈な怒りの声を上げるが、日本が韓国の協定違反を問題にしていることには触れず、自由貿易の原則に反する措置を撤回しろ、交渉に応じろ、と叫ぶ。
 請求権協定をめぐる問題であることを関係者のすべてが意識しつつ、言葉の上ではそれに触れようとしないという状況は、喜劇なのか悲劇なのか。

▼日本の政府首脳の対応は、この「貿易管理上の優遇措置を韓国に適用しない」という措置の問題は後で検討するとして、全体として抑制的だと言えるように思う。安倍首相の発言も、「請求権協定をはじめ、国と国との関係の基本にかかわる約束をきちんと守ってほしい」と繰り返すもので、シンプルかつ明瞭な言葉は残念ながら韓国国内には届いていないようだが、日本国内では国民の理解を得る上で効果をあげている。
 河野(前)外務大臣の発言がいろいろ物議をかもしているということだが、外交の舞台での率直な発言は、それが内容的に適切であるかぎり、互いの理解を深めるために望ましいのではないか、と筆者は考える。そして河野の発言を具体的に見れば、それは日本国民の思いを韓国側に伝える適切なもの、と評価できるように思う。

 5月23日、河野外相はパリで韓国の外相と会談。冒頭、韓国外交省の報道官が前日記者会見で、「日本企業が大法院の判決を履行すれば、何の問題もない」と述べたことに触れ、「事の重大性を理解しない大変な発言だ」と、厳しく批判した。
 韓国外相は会談で、「日本は被害者(元徴用工)の苦痛と傷を癒す努力をすべきだ」発言したのに対し、河野は、「個人の感情を優先するのではなく、国交の基礎になっている国際法に違反する状況を速やかに是正する必要がある」と、反論した。また河野は仲裁委員会の設置に応じることを求めたが、韓国外相は応じず、会談は平行線に終わった、と新聞は報じている。(「朝日」5/25)

 「仲裁委員会」設置のために委員の指名を第三国に委ねるという手続きも、韓国政府の非協力で実現できない見通しとなり、7月17日、河野外相は韓国駐日大使を外務省に呼び、韓国政府が国際法違反の状態を放置せず、ただちに是正措置を取るよう強く求めた。韓国大使は、一応河野大臣の言葉は本国政府に伝えると一言述べたのち、日本側の一方的な措置で韓日関係の根幹が損なわれる状況になっていると、韓国向けの半導体素材3品目の輸出管理が強化されたことを非難し、元徴用工判決の問題について次のように発言した。
 「現在懸案となっている事案は民事事件でございまして、どのように解決されるのかはまだ分からない状況でございます。韓国政府は両当事者の間で納得でき、両国関係を損なわせることなく補償が終結されますよう環境づくりのため日々努力してきております。韓国側はこのような努力の一環として日本側に韓国側の構想をお伝えしてきており、この方法を基礎としてよりよい解決策を……」
 河野は韓国大使の発言を遮って、次のように言った。
 「ちょっと待ってください。韓国側の提案は全く受け入れられるものではない。国際法違反の状況を是正するものではないということは、以前に韓国側にお伝えしております。それを知らないふりをしてあらためて提案するのはきわめて無礼でございます。(中略)これ以上はマスコミが退室してから申し上げましょう。」

(つづく)

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「韓国人の国民性」補遺2 [政治]

▼韓国で「反日感情」がいつまでも続く原因について、それが「過去」に起因するものではないからだと、『「反日モンスター」はこうして作られた』の著者・崔碩栄が述べていることを、前回紹介した。もし過去の植民地時代の個人的体験が「反日感情」を生み出しているとするなら、世代が替わり、若者たちの日韓交流が増え、お互いをもっと知るようになれば、それは自然に消え去るだろうと期待することもできる。
 しかし「反日感情」が個人の体験に基づく自然な感情ではなく、近年になって形成された人工的なものである性格が強いとすれば、そのような期待はむなしく終わる可能性が高い。「旭日旗」に対する韓国人の態度は、この問題を考えさせる一つの例である。
 八十~九十年代まで、韓国人は「旭日旗」に対して何の嫌悪感も見せなかった、と崔は証言する。日本のロックバンド・ラウドネス(LOUDNESS)は韓国で人気の高いグループだったが、そのアルバム「Thunder in The East」のジャケットは旭日旗模様だった。しかしこれが韓国で流行った時に、文句を言ったり批判したりする人はいなかった。当時高校生だった崔も、その来韓公演に出かけたが、会場には旭日旗模様が入ったTシャツやグッズを持った観客が多くいた。しかしそれに抗議する人間はいなかった。
 九十年代の初め、日本の格闘ゲーム「ストリートファイターⅡ」が、韓国でも大流行していた。このゲームの背景には旭日旗が登場するのだが、それを告発する人もいなかった。旭日旗が軍国主義の象徴だとか、日本の挑発だとかと問題視する人間は、いなかったのである。
 こういう自分の経験と同時に、韓国のマスメディアが統一教会のロゴや朝日新聞社の社旗については、けっして触れようとしない点を、崔は指摘する。筆者は統一教会のロゴを知らないが、太陽光が広がる様子をデザインしているのだろう。しかし統一教会は、韓国では多くの信徒を抱え豊かな資金を持つ宗教団体で、多くの系列会社を運営し、大広告主として巨大な力を持つ。また朝日新聞は、韓国に友好的な記事を多く掲載し、韓国では大切な味方、「日本の良心」だと目されている。
 もし本当に旭日旗に軍国主義を象徴する意味があり、使用してはならないデザインだと思うなら、韓国のマスメディアは統一教会や朝日新聞に対しても批判の声を上げるべきだし、それができないのは「旭日旗」非難がただの言いがかりだと知っているからだ、というのが崔の主張である。

▼「旭日旗」風のデザインを眼にすると、現在の韓国人はパブロフの犬のように心の傷が痛むらしいのだが、そのようなデザインは世界のさまざまなポスターや広告に登場する。ロスアンゼルスのケネディ・スクールの壁に描かれたデザインをめぐり騒ぎがあったことは、以前このブログで紹介した(2019年2月1日「韓国人の国民性」3)。その時の記事を再掲する。

 《米国ロサンゼルスのコリア・タウンにある公立学校の外壁に描かれた壁画が、「旭日旗」を連想させるとして韓国系コミュニティーが消去を求めた。抗議を受けて学区(学校)では、冬休み中に壁画を消すと表明したが、これに対し、「表現の自由を侵害している」という反発の声が上がった。
 問題の壁画は、「ロバート・F・ケネディ・コミュニティスクール」の体育館の外壁に描かれたもので、赤い放射線状の光が人と椰子の木のまわりに広がるデザインだが、制作した画家は、「旭日旗」を意味するものではないと否定した。検閲に反対する複数の団体から、表現の自由を侵害することに批判の声が上がり、さらにロバート・F・ケネディの子どもたちからも壁画の消去に反対する意見が出された。学校はケネディ元上院議員が暗殺されたホテルの跡地に建設されていたのである。
 ケネディ元上院議員の子どもの一人は、反対する文書の中で、「今回の壁画の除去計画には非理性的で非難されて当然という部分があまりにも多く、ばかげた欠点を列挙する論文が書けるほどだ」と批判した。ある画家は、問題の壁画を消去するなら、自分が学校内に描いたケネディ氏の肖像画の消去も要求する、と述べた。学校の教諭と生徒の一部も、反対の意思を示している。壁画を制作した画家は、弁護士を通じ、壁画が消去された場合は学区を訴える方針を示した。》

 このニュースは、「朝鮮日報」の日本語版サイトに掲載されたものである。(2018年12月18日)。「朝鮮日報」には、その後を伝える記事は出なかったが、「東亜日報」の3月21日の日本語版サイトに、壁画の写真と続報が出ていた。
ロバートケネディ校壁画.jpg
 この記事によると、「ロバート・F・ケネディ・コミュニティスクール」は韓国系市民団体の要求により、この壁画を消去することに一度決めたが、「表現の自由を侵害する」との批判を受けて決定を覆した、という。壁画を描いた画家・ボー・スタントンによれば、壁画の横顔は往年の女優エヴァ・ガードナーであり、太陽光線の形は米国の他の州やヨーロッパでも描いてきたが、問題はなかった。「自分の壁画と『旭日旗』はなんの関係もない」と語った。
 それに対してロスアンゼルスの韓国人芸術家団体の画家は、「(画家の意図がそうでなくても)旭日旗を象徴するようなイメージが感情に触れ、トラウマを煽る恐れがある」と言い、韓国系市民団体は、「米国は『表現の自由』を保証する国だが、『憎しみを煽る自由』まで許されるわけではない」と、請願サイトを再び設け、消去を求める方針だという。

 問題のその後を報じる記事は見ていないが、筆者ならずとも黙り込み、「出るはため息ばかりなり」ということになるのではなかろうか。

▼長々と「旭日旗」にまつわる話を続けてしまった。理屈とコーヤクはどこにでも、どのようにでもくっ付く。問題は、韓国人が「事実」や「決めたこと」、「約束したこと」よりも、「国民感情」を上位に置くという国民的習性なのだろう。この習性は裁判官や検察官すら例外でなく、「法」の上に「正義」という名の「国民感情」を置いてしまう傾向を免れない。崔は、『韓国人が書いた韓国が「反日国家」である本当の理由』の中で、「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」に関する憲法裁判所の判決について、述べている。
 盧武鉉政権時代の2005年、親日派、つまり日本の統治下で植民地行政に関与していた親から相続した財産は、子孫から取り上げ国家に帰属させるべきだ、という内容の「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」が与党を中心に提案され、制定された。独立後60年以上たって突然、日本統治期の官僚、軍人たちの子孫が所有する財産を取り上げ、国家に帰属させるという法律制定に対し、「親日派」の子孫たちはその違憲性を訴え、訴訟を起こした。
 韓国憲法裁の判断は「合憲」だった。その判決の核にあるのは、崔によれば次のような理屈だったらしい。「親日派の財産還収は、民族精気の回復と三・一独立運動の精神が含まれている憲法の理念を見るかぎり合法といえる。」
 「親日派」に対する「国民感情」の前には、明示的な法文も「事後法の禁止」、「訴求処罰の禁止」という近代法の原則も、意味を持たないのである。
 「国民感情」に応えたい裁判官心理は、今回の「徴用工訴訟」の裁判でも遺憾なく発揮され、曲芸的な「法規の解釈」が繰り返されている。

(つづく)

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「韓国人の国民性」補遺1 [政治]

▼先週の8月22日に、韓国政府は日本との「GSOMIA(軍事情報包括保護協定)」を破棄することを決めた。日本が韓国を「輸出優遇対象国」から外したことに対抗する措置としての決定だが、それは日米の関係者を驚かせた。韓国自身の安全保障にかかわり、北東アジアの政治的・軍事的安定にも大きな影響を及ぼす問題について、そこまで感情的で思慮を欠いた行動をとるとは予想できなかったからだ。
 青瓦台(大統領官邸)は、米国の理解を得た決定だと発表したが、米国はそれを否定し、国務長官は「失望」を表明、国務省と国防省の高官が相次いで強い懸念と協定の継続を要望した。韓国政府は、日本が韓国を「輸出優遇対象国」から外したことから起きた問題であり、ボールは日本側にあると反発している。

 このブログでは韓国問題を、これまでかなりの頻度で採り上げている。この5月には「『韓国人の国民性』再論」と題し、韓国社会のいたるところに「親日」の痕跡を発見し、その一掃を叫ぶ小児病的な衝動が、社会の一部とはいえ存在することを紹介したばかりである。
 韓国の動きを取り上げ、批判することは容易であるし、彼らの言い分に新しいものはなく、繰り返し批判することにはむなしさが付きまとうが、これまで論じ足りなかったいくつかの問題を考えてみたいと思う。その検討の射程は、国交樹立後最悪といわれる現在の日韓関係にまで、届くものだと考えるからである。

▼「反日感情」について書かれた書物を二冊読んだ。『韓国人が書いた韓国が「反日国家」である本当の理由』(崔碩栄 チェソギョン 彩図社 2012年)、『「反日モンスター」はこうして作られた』(崔碩栄 講談社α新書 2014年)である。
 著者略歴には、1999年に来日し、「関東地方の国立大学大学院」で修士号を取得し、その後日本企業に勤める。10年間日本で生活し、韓国で聞かされていた日本の姿と直接体験した日本の実態との乖離に疑問を抱き、2009年に帰国。フリーのノンフィクション・ライターとして、韓国内の「反日」と日韓関係をテーマに、執筆活動を行っている、とある。書物の題名から、キワモノかもしれないと用心して手に取ったのだが、きちんとした内容のある書物だった。

 崔は、1980年以降強まった反日感情は、日本統治期を経験した人びとではなく、経験したことのない人びとによって提起されたものがほとんどだ、という。だから現代韓国の反日感情の原因が、過去の辛い記憶にあると明言することはできない。(これは以前このブログで紹介した、韓国社会についての黒田勝弘の観察と考察(『どうしても“日本離れ”できない韓国』)と、同じ結論である。)
 崔は、「反日」で利益を得る人々がいる、という。たとえば被害者支援を名乗り、裁判を起こして日本政府や加害企業から賠償、補償、謝罪を勝ち取ると称し、会費名目で金を集める市民団体がいくつもあるらしい。その中には怪しげな団体もあり、崔は、「日本統治期に行われた強制動員に対する賠償金をもらえる」と、全国の687人から1億5千万ウォンをだまし取った容疑で市民団体の主宰者が逮捕された例や、「太平洋戦争犠牲者遺族会」が会員登録費用や弁護士費用の名目で金を集め、会長が詐欺容疑で取り調べを受けた例を挙げている。団体がまともなものでも詐欺まがいのものでも、「反日感情」は「市民運動」に不可欠の土壌を提供する。

 学者や研究者や活動家も、「反日感情」から利益を得ている人びとである。崔は次のように書く。
 《日本を敵として設定し、それを批判することは、韓国内での売名のためにはとても有効な手段である。韓国のマスコミは、その内容が正しいか正しくないかは置いといて、とりあえず報道する傾向があり、一方で、それに疑問を持ち、自分の目で確かめようとする読者、視聴者は少ない。》

▼「韓国の『親日』攻撃には賞味期限がない」と崔は言う。政治家にとって「親日」批判は、政敵を攻撃するための便利な手段であり、相手の父や祖父の代までさかのぼって「親日」を問題にすることを、やめようとしない。
 盧武鉉(ノムヒョン)大統領を弾劾訴追する議案が可決するなど、与野党の対立が激化していた2004年に、与党の議長(党首?)は、制定されたばかりの「親日反民族行為真相究明特別法」を強化する必要性を表明した。「親日派」の選定範囲を拡大し、旧日本軍出身者の基準を「中佐以上」から「少尉以上」に改定するという唐突な提案であり、これが政敵の朴槿恵の父親・朴正煕を標的にしていることは、明らかだった。朴正煕元大統領は満州軍官学校出身の将校で、日本の陸軍士官学校にも留学したことがあり、終戦時の階級は中尉だった。《韓国は、祖先が親日派ならその子孫も親日派だと批判を受ける社会である。つまり、朴正煕が親日派名簿に登録されたなら、当然、娘の朴槿恵も批判されることになるというのは、誰の目にも明らかな流れだったのだ。》
 与党の動きに、左派市民団体が次々と加わり、独立運動家の後裔と称し「反日」の象徴的存在として活躍していた与党の女性議員らは、市民団体とともに大々的な法改定運動を展開した。韓国のマスメディアの多くは、日本や親日派についての否定的な記事を量産し、国民は法改正に消極的な野党や朴槿恵を、「親日派をかばう存在」と見るようになった。
 しかし改定案が持ち上がって間もない2004年7月、与党の議長(党首?)の父親が日本統治期に日本の警察官か軍人であった可能性がある、という情報が報じられた。議長(党首?)は疑惑を否定し、名誉棄損だと一蹴したが、マスメディアは総力を挙げて調査に着手した。その結果、父親が憲兵の伍長だった事実が明らかになり、彼は自分たちが醸成した「反日」ムードの生贄として、葬られることになった。彼は与党の議長(党首?)を退き、次の総選挙で落選した。
 独立運動家の後裔と称し、左派市民団体と連携して法改定に最も積極的に動いた与党の女性議員にも、父親が独立運動家ではなく独立運動家を摘発する満州国の警察特務だったのではないか、という疑惑が飛び出した。中国の公安に照会し、残っている公文書を確認する記事が掲載されると、彼女を批判する声が広がり、女性議員は涙を流しながら釈明の記者会見を開いたが、離れていった民心を引き戻すことはできなかった。女性議員は数年後に政界を去った。
 追い打ちをかけるように、盧武鉉大統領の首席秘書官のひとりの曾祖父()が、教科書にも載るような朝鮮末期の悪質官吏であり、祖父が朝鮮総督府の機関誌の記者だったことが明らかになると、国民の怒りは野党の朴槿恵ではなく、与党に向けられた。「親日反民族行為真相究明特別法」をめぐる攻防は完全に逆転し、与党は事実上白旗を掲げた。

▼崔は、韓国社会でいまだに「反日感情」が続く原因を、次のように考える。
 第一に、現在見られる韓国の反日感情は、「過去」に起因するものではないこと。
 第二に、「反日」という感情や行動がさまざま利益を得る「手段」となり、利益を得る人々が存在することで、それが持続する「社会システム」に変化したこと。韓国社会には「反日感情」を生産し維持する装置があるのだ。
 第三に、その社会システムの中で生まれ育った人々は、自分が限られた情報と報道しか見ていないことを認識できないこと。
 韓国社会には、「日本がすべて悪い」という結論が初めからあり、その結論に沿って正確でない情報を提供するケースも多い。また、韓国人は民族主義的な性向が強く、「韓国と日本の主張が対立するとき、無条件反射のように韓国の主張が正しいと思い、韓国を支持する」。
 そして、韓国側の主張に無条件で賛同せず、韓国社会の定説とは別の主張をしたり、「事実」を問い直そうとしたりした者は、容赦なく社会的バッシングの脅威に晒されてきた。崔が「反日モンスター」と著書で呼ぶのは、この社会的バッシングとそれを可能にする韓国社会の「空気」であり、「反日モンスター」の前では大統領もマスメディアも知識人も恐れ、口をつぐむ。
 韓国の著名な文人・卜鉅一(ボクコイル)は、韓国社会が「親日派」や日本に対して抱く「憎悪」に対して憂慮を表明したところ、マスコミの書評やインターネット上で集中砲火を浴びせられた。慰安婦の「強制連行」に疑問を挟んだソウル大学教授の李栄薫(イヨンフン)は、慰安婦たちの前で謝罪することを余儀なくされ、慰安婦たちに罵倒される様子が全国に報道された。
 世宗大学教授の朴裕河(パクユハ)は、著書『帝国の慰安婦』について元慰安婦と支援団体から名誉棄損で告発され、販売差し止めや巨額の損害賠償の請求をされた。韓国内には、新聞やTVに出て朴教授を擁護しようとする人間は、ほとんどいなかった。

(つづく)

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