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名古屋旅行 [旅行]

▼年に一度、いっしょに旅行する仲間がある。会がつくられたのは30年ほど前で、メンバーは北海道から鹿児島まで、各地に散らばる総勢18人の仲間である。30年のあいだに亡くなった者もあり会員は減ったが、細君同伴で旅行に参加する者が増えたので、毎年の旅行は15名前後の集まりとなっている。昨年は輪島に行き、一昨年は長崎、その前年は鞆の浦と尾道を旅行した。
 今年は、愛知県の篠島という三河湾に浮かぶ島と熱田神宮が、旅の目的地だった。毎年筆者はこの旅行の集まりを利用して、全体の会合が終わった後、ひとりで周辺を周遊することにしているが、今年は会合の翌日に予定が入っていたので、一日早く名古屋に来て、周辺を見て回ることにした。

 筆者はこれまで名古屋周辺を旅行したことがない。東京・大阪間はときどき往復するから、その気になればいつでも名古屋に立ち寄れたのだが、いつでも立ち寄れるという心理が逆に作用して、ここで降りて観光しようという気にさせなかったのかもしれない。いつでも行けるという気安さが、名古屋を「通過駅」にしていたのだろう。これまで名古屋で降りたのは、近鉄に乗り換えて伊勢方面に行った一回だけであり、名古屋を観光するためではなかった。
 はじめに犬山城に行くことにした。名古屋で名鉄に乗って25分で犬山遊園駅に到着。木曽川沿いにブラブラ歩く。じきに前方の小高い丘の上に城が見えた。川を背にした山城である。
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 犬山城の名前は、明治初めの「廃城令」の後も毀されず、使われていた当時の姿をそのまま伝えている城として記憶していた。わりあい近年まで殿様の子孫が個人で所有する城だったという話も聞いていたし、高校時代の国語の教科書の編集者に「成瀬正勝」という名前があったが、この人が殿様の子孫だということも、どこかで耳にしていた。
 城は小さく、現存しているのは天守閣だけだった。しかし天守閣の中の階段は、合戦を考えた造りなのだろうが極めて急勾配で、一段一段のあいだが広く空いている。最上階まで登るのにかなりの筋力を要したが、登りきった時の満足感も強かった。
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 殿様はやはり「成瀬」家で、成瀬正勝氏は11代目の当主だった。全国の大名の禄高が貼り出してあり、成瀬家は三万五千石だった。同様の禄高の小藩は随分と多く、彼らにとって「廃藩置県」は、不満はあっても藩を経営する責任を免除される、ありがたい措置でもあっただろう。

▼城からの帰りは、「城下町」を通って犬山駅に出た。駅近くで昼食を取り、バスで「明治村」に向かった。20分ほどで明治村に到着。
 筆者は「明治村」の名前も出来た(昭和40年)当時から耳にし、F.L.ライトの造った帝国ホテルが取り壊される際、その一部が明治村に来たことも聞いていた。しかし「博物館明治村」の構想が、建築家・谷口吉郎と名鉄の社長だった土川元夫という旧制四高の同級生のあいだで作られ、実現したという話は、今回旅行に行く前に調べるまで知らなかった。
 土川元夫という人物は初めて聞く名前だが、名鉄沿線の観光資源を精力的に開発するなど、積極的な経営を行った経営者だったらしい。いま明治村は、明治時代の建築の野外博物館として、百万平方メートルという広大な土地に六十余点の建物を保存展示している。

 一点一点丁寧に見て回ったのではとても時間が足りないので、「西郷従道邸」、「芝川又右衛門邸」、「呉服座」、「歩兵第六連隊兵舎」、「シアトル日系福音協会」、「帝国ホテル中央玄関」と、駆け足で見て回った。途中で映画の撮影が行われていたが、おそらく映画撮影は明治村の収入源の一つになっているのだろう。
 「帝国ホテル」の建物の中では、喫茶室が営業していた。「帝国ホテル」の建物は明治村の一番奥に置かれていたので、帰りのバスの時間を確かめ、バス乗り場までの時間を計算しつつ、ホテルの中で時間を過ごした。
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 夜は、呑みに出るのに便利なように、名古屋市一番の繁華街といわれる栄のカプセルホテルに泊まった。カプセルホテルに泊まるのは初めてだったが、隅々まで機能的につくられていることに感心した。

▼ホテルで朝食を済ませ、名古屋城に行った。最寄りの地下鉄駅で降りた後、城のまわりを城門まで延々と歩く。昨日の犬山城の小ささに比べ、やはり徳川御三家筆頭の城は大きい。天守閣は修理中で閉館していたが、代わりに本丸御殿の復元工事が終わり、公開されていたので見学した。
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▼昼過ぎに旅行メンバーが名鉄名古屋駅に集合。再会の挨拶を交わした後、名鉄で知多半島を50分ほど下り、河和(こうわ)という駅で降りる。歩いて河和港に移動し、高速船に乗り、30分で篠島に着いた。ホテルで一服したあと島内を散歩。一時間ほどで日が暮れた。
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 篠島は、鯛、フグ、しらすなどの魚が名産品となっている島で、古くから干し鯛(おんべ鯛)を伊勢神宮に奉納しているという。今回の旅行の目的の一つは「美味い魚を食う」ことにあったから、夕食の膳に並んだフグの刺身や焼き魚を堪能して、一同十分満足だった。

 翌朝、島に来た時と逆のコースで名鉄線に乗り、熱田神宮に行った。
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▼昼食を名古屋駅近くのうなぎ屋でとった。今回の旅行を企画したあと、名古屋名物の「ひつまぶし」を皆で食べようと、うなぎ屋をネットで調べて予約の電話をかけたのだが、どの店も申し合わせたように、「予約は受けません」という返事だった。店頭に並んでください、というのである。「食べログ」の口コミを見ても、「30分で入れてラッキーだった」とか、「待ち時間のあいだに熱田神宮の見学をしてきた」といった言葉が並んでいる。予約を受けますとあっても、1万円以上するコースの場合、といった条件が付いている。
 メンバーに事情を話すと、そういう高飛車な態度はいかにも名古屋根性だという。名古屋根性はともかく、なぜ予約を受け付けないのか、その強気の態度が解せなかった。そうした穏やかでない体験のあとに、ようやく見つけた予約可能の店だっから、10パーセントの部屋代がかかることなど、問題でなかった。
 貸し切りの一室に通され、着物姿の若い仲居さんたちが笑顔で迎えてくれた。畳の間だったが、椅子席になっているのも嬉しかった。茶碗にしゃもじでよそい、一膳目はそのまま食べ、二膳目は薬味を加え、三膳目はお茶づけにして食べる、という珍しさも好評だった。一同満足し、来年を約束して別れた。
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(この項おわり)

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