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北杜夫 [思い出]

 ▼北杜夫が亡くなった(享年84歳)と、昨日の新聞に出ていた。夕刊(朝日)の1面5段抜きの記事で、社会面にも関連記事があった。ずいぶん扱いが大きいな、と思ったが、べつにケチをつけるつもりはない。
 私は北杜夫の愛読者ではなく、著作も2冊しか読んでいない。しかしその2冊には、それぞれ忘れられない思い出がある。



 ▼最初に読んだのは北杜夫の代表作といわれる『楡家の人びと』である。1960年代半ば、高校3年生だった時の英語の教師が、何を思ったか、夏休みの宿題としてこれを読め、と言った。おそらく出版されて間もない時期で、評判が高かったのだろうが、大学受験を控えた生徒たちに、ずいぶん乱暴な宿題を出したものだ。
 国語の教師は対抗意識を燃やしたわけでもないだろうが、志賀直哉の『暗夜行路』を読め、宿題だ、と言った。生意気盛りの高校生は喜んでその挑発を受けて立ち、夏休みの何日かを費やして長編小説2冊を読了した。
 クラスの全員がこの「宿題」を真面目にやったのかどうかは、わからない。英語でも日本語でも読書感想文の提出を求められたような記憶はないから、読んでも読まなくても生徒の成績評価とは関係なかったのだろう。ずいぶん牧歌的な時代だった。そして「教養」という言葉がまだ信じられている時代だった。



 ▼1970年代の半ば、乗鞍でスキーをしていた時、Sさんという人と知り合った。当時50歳ぐらいだったのだろうか、派手な服装の若者が多いゲレンデで、Sさんの服装と滑るスタイルは古風で地味だった。本職は外科の医者だが、身体を壊して長時間の手術は無理になった。いまは北海道で学校の生徒の健康診断などをときどきやり、空いた時間はもっぱらゴルフとスキーに費やしている。そんなことを、ポツリポツリと彼は語った。
 いっしょに山を降り、松本の街で呑んだ。東京へ行き、飛行機で帰る予定だといっていたが、そのうち考えが変わったらしく、今夜はこの街に泊まるから、と言い、電車の切符を私にくれた。
 自分はここの松本高校に昔いたから、この街はよく知っている。飯田屋という旅館も昔から知っているので、久しぶりに顔を出してみようと思うんだ。だから遠慮することはない。自分たちも若い時は、年配の人たちの世話に散々なったんだから、いいんですよ……。
 そういって彼は躊躇する私に、切符を受け取らせた。松本高校にいたころのことは、北杜夫クンが書いていますよ、とも言った。



 ▼東京に帰り、『どくとるマンボウ青春記』を買って読むと、なるほどSさんらしい人物が登場する。いま手元に本がなく、おぼろげな記憶で書くのだが、北杜夫少年が旧制松本高校を受験するために新宿駅で汽車に乗り込むと、前の座席に高校生らしい年配の男が座っていた。それがSさんなのだろう。男は悠然と腰かけ、北杜夫は身体を固くして小さくなっていた。
 ところが北杜夫が受験参考書を開いて勉強を始めると、男は覗き込んで、これは知らなかった、と奇声を発した。ページをめくるとまた覗き込み、知らんぞ、こんなこと、と叫び、ああ、今年もまただめだ、と嘆息した。年配の高校生のように見えた男は、北少年と同じ受験生だったのだ。
 しかし北杜夫もその男・Sさんも、無事入学を果たす。ふたりは松本高校でともに学び、東北帝大の医学部へ進学した。



 ▼「われわれも年配の人たちの世話に散々なったんだから、いいんですよ……」と自然な調子で語るSさんの言葉を、私もそのうち誰かに言おう、と心に決めた。
 だが、その機会は残念ながら訪れない。
 まず、私は当時の彼の年齢をとっくに越えたのに、自然な調子でそういうセリフを吐く自信がない。もう一つ、私の周りにいるのは年寄りばかりで、若者がいない……。


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