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プロとアマチュア [ことば]

 ▼いつ、どこで読んだ話か覚えていないので、内容の確かめようがないのだが、次のような話だったと思う。
 
 新聞や雑誌に囲碁対局の観戦記事を書く記者は、筆が立つだけでなく囲碁の腕前も相当なものでなければならない。戦いの要点が分かり、それを解説役の棋士に質問し、専門的な説明を読者に分かるように伝えることが仕事だからだ。
 ある記者は、プロになろうかどうしようかと、真剣に悩むほどの実力の持ち主だった。悩んだあげく、関西棋院の橋本宇太郎九段に相談したところ、「それでは打ってみてあげよう」ということになった。
 打ち進んで五〇手目ぐらいになったとき、橋本九段はパタリと石を置いて言った。「これだけ打てれば十分ですよ。わざわざプロになって苦しむことはない……。」



 橋本九段の言葉は、含蓄に富んでいる。あなたはアマチュアとしては十分強いが、プロとして生きていくのは難しいよ、というのが直接のメッセージだろうが、プロの世界は生半可な覚悟で近づくべきところではない、という警告の意味も含まれているにちがいない。
 また、プロの苦しみや厳しさとは無縁に囲碁を楽しめる、アマチュアの境遇をうらやむ気持ちを読み取ることも、あるいは可能かもしれない。



 ▼インターネットが普及し、誰もが情報発信する手段を手に入れた。だが、誰もが情報発信できることが、これまで情報にかかわるプロであった新聞記者や書籍の編集者たちの仕事を、脅かしているらしい。
 アマチュアが「新鮮な感覚」で、プロを上回る質の情報を提供するようになった、というわけではない。情報の量が厖大に膨れ上がる中で、人々が情報に対する感度と切実さを鈍らせ、情報を得るために以前ほどお金を割かなくなってきた、ということである。
 新聞社は記者を自前で育て、情報の真偽と軽重を見分け、適切に社会に提供することを仕事としてきた。書籍や雑誌の編集者は、書き手を発掘し育てるとともに、情報をふるいにかける役割を果たしてきた。プロによって書かれプロによって選択された情報が、読み手のもとに届いたのである。
 しかし社会に流通する情報量が厖大になり、その圧倒的な部分がプロではない普通の人々によって発信されるようになると、読み手の側の力量がきわめて大切になる。読み手である普通の人々をサポートするプロの役割が、より必要とされる社会となったということである。しかし現実に進行しているのは、逆の事態であるらしい。



 「出版プロデューサー」の山田順という人が次のようなことを言っている。
「ネットの世界では調べ抜き、考え抜いたプロの発信する情報も、素人の情報もまったく同列です。ツイッターでは、有名人の発言を何百万もの人が追いかけ、ほとんど検証もされていない情報がマスメディア並みの影響力を持ってしまいます。」
 「電子書籍や電子新聞の価格が下がることで、出版社や新聞社のビジネスモデルは成立しなくなり、作家や編集者、記者の多くが失業するでしょう。質の高い作品や情報をつくり流通させるという社会の重要な機能は失われ、残るのは不特定多数の人々による、信頼性も質も保証されない大量発信だけです。」(朝日新聞2011.5.17)



 ▼社会にとってプロフェッショナルな機能は必要なものであり、大切に育て維持していかなければならない、と考える。それは囲碁の世界であろうと、言論の分野であろうと同じことだ。
 だが囲碁の世界でアマチュアが、逆立ちしても足元にも寄れないプロの力を理解しているのに比べ、言論・情報の分野ではややもすると、プロの役割を軽視しがちなのではないか。素人の発信する情報の目新しさや肯定面に視線を向け、そこにとどまる議論が多いように感じる。
 しかし、プロによって考え抜かれた情報もごみの山に等しい情報も等価で並んでいる世界など、悪夢に等しい。
 プロにはより優れたプロであってほしい。そしてわれわれ素人は、そのプロの腕を鑑賞できる良きアマチュアでありたい、と思う。



 もともとアマチュアamateurというフランス語は、「素人」という意味で使われる以上に「愛好家」という意味で使用される言葉である。「私は音楽が好きだ」という場合に、フランス語では「私は音楽のアマチュア=愛好家である(Je suis amateur de musique.)」という言い方をするのだと、むかし教師から教わった。



 私は囲碁のアマチュアであることの幸運を、十分に味わいたい、と思う。


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