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ビル・エモット [組織文化]

▼ ビル・エモット(英エコノミスト誌前編集長)は、東日本大地震が世界に与えた教訓のひとつとして、「現代の科学技術は有効であるということ」を挙げている。(「ダイヤモンド・オンライン」(4/19)におけるインタビュー記事)
 一瞬、「科学技術は有効でない」あるいは「過信するな」の言いまちがいではないか、と訝ったが、彼の言いたいことはこうである。
  《……津波対策技術などは大きな課題をさらけ出したが、日本の耐震技術はその先進性を証明した。(1900年以降では)世界で4番目に大きな地震でありながら、仙台市など東北主要都市の高層ビルは持ちこたえた。……》
 たしかに日本の高層ビルの崩壊はなかったし、建設途中の東京スカイツリーは問題なく作業を進め、地震発生の一週間後に計画の634メートルの高さに到達した。
 2月下旬に発生したニュージーランドの地震では、クライストチャーチ市の多くの建物が崩壊し、その下敷きになって多数の人々が亡くなった。今回の大地震で圧死した人のニュースがほとんど聞かれないのは、津波による被害が並はずれて大きく、その陰に隠れてしまったのかもしれないという疑念も起こるが、恐らくそうではない。
  耐震技術の進歩とその地道な適用を続けてきた日本の努力の成果を、われわれは誇ってよいのである。



  ▼ 原発に対する世論調査の結果が、先日の新聞に掲載されていた(朝日新聞4/18朝刊)。
原子力発電をこれからどうしたらよいか、の問いに対し、増やす方がよい:5%、現状程度にとどめる:51%、減らす方がよい:30%、やめるべきだ:11%、という結果だったという。
 2007年にも同様の調査をやっていて、そのときは、増やす:13%、現状程度:53%、減らす:21%、やめる:7%、だった。「増やす」が減り、「減らす」と「やめる」が増えているが、放射能汚染のニュースが毎日流されていることを考えれば、意外と冷静な反応をしているように思う。
  原発事故はもちろん心配だが、同時にわれわれの生活も日本の産業も電力消費の上に成り立っていること、自然エネルギーを利用した発電が盛んに言われるが、まだまだ原子力発電に代わる力があるわけではないこと、を考慮した上での回答といえる。
 福島第一原発の問題は現在進行形であるから、この先どういう世論の変化があるか分からないが、日本人は基本的に科学技術の進歩に対し信頼感を抱いている、と見ることができるだろう。



  ▼ 自然災害が発生したとき、被害の大きさは災害の規模や施設の物理的強度、防災環境の整備状況などに規定されるわけだが、それだけでなく、災害発生に対処する人間の判断や行動の適切・不適切によっても大きく変わる。
  福島第一原発の事故に関しては、津波への施設の脆弱さの問題だけでなく、初期の判断ミスと対応の遅れから放射能汚染の拡大をまねいた点で、東電トップと行政の責任が言われている。
   一方、東電の現場の職員たちが劣悪な条件の中で逃げることなく奮闘し、放射能汚染の拡大を最小限にくい止めている事実がある。
   東京消防庁ハイパーレスキュー隊の総括隊長は、自分の指揮した原発を冷却する放水活動を語る中で、東電の現場社員たちが「死に物狂いで頑張って」協力してくれたことを強調している。(4/15「日経ビジネスオンライン」)
   秦郁彦は産経新聞のコラムでノモンハン事件を引き合いに出して、次のように書いた。
  《ソ連軍指揮官のジューコフ将軍は敵の日本軍について、「下士官兵は優秀、下級将校は普通、上級幹部は愚劣」と評した。この3段階評価は戦後日本社会にもあてはまりそうだと考えていたが、東日本大震災、なかでも福島第一原発事故への対処過程を眺めていて、さらにその思いを強くした。》(「正論」4/12)



  「現場は優秀だがトップは無能」という紋切り型の話は、俗耳をくすぐるから用心すべきだし、他人事のように言う態度は面白くない。
   しかしわれわれ日本人の組織運営の欠陥について、常に言われながら一向に進歩がみられず、繰り返されるのはどうしたものだろうか。
   もしかすると、「現場の優秀さ」と「トップの無能」はセットになっていて、現場が優秀であり続けるかぎり、トップは安んじて無能であり続けるのかもしれない。もちろん現場の人間が優秀でなくなったからといって、指導者が優秀になる保証はないのだが。


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